第16話 止まない雨
初夏が過ぎ、もう夏に片足突っ込んだこの頃。
時季外れの転校生がやってきて、もう2週間ほど経とうとしていた。
転校生フィーバーは初めの週替わりと共に終わった。最近では、クラスの様子もすっかり元通り。
それは、桐川が求心力を失ったわけではない。単に、その立ち位置を確立しただけのこと。
今朝もまた、自席を中心にしてグループの輪を広げている。顔ぶれは、いわゆるクラスカースト上位の連中ばかり。
「おはよー、仙堂君」
「おう」
ぶっきらぼうに返事をすると、桐川はすぐに周りとの会話に戻った。ほどなくして、控えめな笑い声が耳に届く。
その姿は、生き生きとしていてとても眩しい。俺なんかとはまるで違う、正反対の存在だ。まさに、陽と陰。
このように、こいつとの関係も落ち着いたものへと変わった。
あるのは、隣り同士としての最低限度の付き合いだけ。挨拶をしたり、ちょっとした用事で言葉を交わすぐらい。他のクラスメイトと同じだ。
決して何かを期待していたわけではない。むしろその逆で、変化を嫌がった。
今まで通りの学生生活に、俺は満足している。
テキトーに授業をこなして、屋上で解放感に浸って、何の感慨もなく下校。日々がその繰り返し。
華やかな日常なんて、俺には不相応だし不格好だ。
踏み出す勇気は未だに持てない。ここまでくると、もはや願い下げ――
とにかく、騒がしかったのはあの2日間だけだった。
桐川との付き合い方もいい感じに固まった。徒会長とは気楽な共犯関係のまま。
強いていえば、1コ下の幼馴染との交流が再開した程度だが、ときどきメッセのやり取りをするくらい。昔の関係にはほど遠い。
今日もまた、いつもの穏やかな一日が始まっていく――
◆
窓の外を見て、軽い絶望を覚えた。
雨の勢いが強くなっている。降り出したのは、いつだったか。家を出たときの晴れっぷりは、学校につく頃には怪しくなっていた。
左を向くということは、当然新しいクラスメイトが視界に入ってしまうということを意味する。
――舟を漕いでいた。
少なくとも、俺にはそう見えた。
両手を綺麗に教科書の上で揃えて、俯き加減に目を瞑り、一定のリズムで身体が揺れ動く。ただそれだけのこと。
大丈夫か、こいつ……隣りの
教壇では、日本史の教師が絶賛黒板と格闘中。おそらく、板書がしんどい授業ランキングで堂々の1位。
とはいうものの、起こしてやる義理はない。なによりも、本人がとても気持ちよさげなのだ。邪魔してやるのは忍びない。
睡眠とは人間の活動に必要不可欠。まあここは、学びの場なんだけど。睡眠学習という言葉はあるが、こいつのは絶対にそうではないだろう。
隣人への呆れと帰りの憂鬱さをこねくり回しているうちに、今日最後の授業は幕を閉じた。
相変わらず、一回の授業にしてはえげつないほどに進む。ペンを持つ手が微かに痛い。ノートは絶望的なまでに真っ黒。
結局、隣人はずっと舟を漕いだまま。
号令のときでさえ立たなかったというのは、なかなか気合が入っているじゃないか。
俺でもそこまでしない……というか、そもそも眠かったら保健室に向かう。授業中の居眠りはハードルが高いと思う。
間髪入れずに、帰りのホームルームが始まった。いつも思うが、うちの担任はこういう仕事は恐ろしいほど早い。
雨は未だに土砂降り。窓を打ち付ける音に、少しずつやるせなさが募っていく。
気が付けば、眠り姫は夢から覚めていた。ぼんやりと話を聞く姿は、無防備であからさまに寝起き。一部の連中にはとても人気が出そうなことで……。
気づかれないうちに、そっと視線を正面に戻す。見なかったことにしよう。
時間ピッタリに締めの儀式が終わり、俺はのんびりと教室を出た。
当たり前だが、天候が回復する傾向は無し。
一番困るパターンがこれだ。朝から雨なら、自転車を使わないで大人しくバス電車で移動する。帰りも同じ。
しかし、今日は違う。俺の相棒は、無骨な駐輪場で待ってくれている。となれば、取る手段は一つで――
「…………はぁ」
「あれ、仙堂君。どうしたの?」
玄関を出て屋根の下で躊躇していると、後ろから声を掛けられた。
振り向かなくてもわかる。その声は少し特徴的だ。耳に優しい高音で、どこか甘い響きがある。
そのうちに、声の主が隣に並んできた。長い黒髪は雨の湿気にも負けず、艶やかな輝きを放っている。
「別に何も」
「そう? あ、傘持ってないのか! 天気予報、見なかったんだ」
「まあそんなとこだな」
どうも朝晴れていると、チェックを忘れてしまう。それでやるせない気分を味わうというのに、だ。我ながらなんとも学習能力がない。
ややバツの悪さを感じていると、フランクなクラスメイトは俺の正面に回り込んできた。普段とは違う、どこか含みのある笑みを浮かべて。
「じゃあ一緒に雨宿り、してく?」
「……なんでそうなる」
「このあとちょっと弱くなるみたいだよ」
「スマホってのは便利だな」
「仙堂君も持ってるでしょ…………よね?」
相手のスマホ画面を睨んでいると、不安げに首を傾げられてしまった。
とりあえず、それに頷きを返しておく。
予報は、確かに相手の言う通りだった。けれど、ちょっと時間がありすぎる。このまま、覚悟を決めて自転車を飛ばすのと変わりはない。
そう伝えようとしたら――
「あたしの家、この近くなんだ。よかったら、寄ってかない」
「……は? いやいやいや、それこそねえよ。おたくに悪いし、そんな仲良くもねえだろ、俺たち」
「――仙堂にさ、話したい事……謝りたいことあるんだよね」
纏う雰囲気ががらりと変わった。
いつも笑顔を絶やさない、親しみやすさはどこへやら。
今目の前にいる桐川ひめのは、どこか冷めてみえる。声のトーンも少し下がって、その表情はどこかアンニュイだ。
だが、不思議と驚きはなかった。たぶん、付き合いが浅いせいだろう。
それに、これ以上の豹変ぶりを二つも見たことがある。あのときと比べれば、大したことじゃない。
第一、誰しも表に見せる自分はいくつも持っているものだ。
それにしても、言われたところで、こちらとしては思い当たる節はない。
こいつと関わり合いを持ったのは主に二日だけ。そして、両日ともに特に害は被っていない。
だとすると、実は一つだけある。絶対に違うと思うが。そもそも、あまり文脈と合ってないし。
「あれか、さっきの日本史、寝てたからノート見せろとか」
「……待って。なんで知ってんの、それ」
「たまたま見たんだ」
「忘れて。すぐに記憶から消して欲しい。そしてノートは結構よ、ありがとう」
淡々とした口調だが、節々に気恥ずかしさが滲み出ている。
やっぱ、普段のこいつとあまり変わりがないんじゃ……今のところは、話し方ぐらいだ。
コホンと、桐川はわざとらしく咳ばらいをした。そして、またしても真剣な表情へと戻る。
「まあでも、それにちょっと似てるかも。――聞いちゃったんだ、仙堂と誰かの内緒話。たまたま、ね」
ごめんなさい、と相手は深く頭を下げた。いつもと変わらない丁寧な所作だ。
ただ平然と言葉を受け止め、軽く思考を整理していく。
驚かなかった、といえば嘘になる。でも、そこまでの動揺もない。割と心は落ち着いている。
いったん呼吸を整えてから、その話題に切り込むことにした。
「それって、校舎案内した日のことか。俺が飲み物買いに抜けたときの話」
「はい」
桐川は小さく、でもしっかりと頷いた。気まずさと申し訳なさを、ばっちりと顔に出しながら。
「で、どうする? 雨宿り、してく?」
「――お前の家には行かねえよ」
本当にこの雨が弱まるのだろうか。
とめどなく落ちている雨粒に、ひたすらに気が遠くなる想いがした。
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