第17話 暴露

「で、どこまで聞いた」


 水を運んできた店員が去っていくのを待って、早速切り出す。

 が、相手の方はこっちを見ようともしない。メニューを広げて、じっと視線を落としたまま。


 学校近くのファミレスはそれなりに混んでいた。狛籐の制服姿もちらほらと。

 ……やっぱり選択を誤ったかもしれない。幸い、俺たちの周りは空席が多いが。


「その前に注文しよう。あたしのオゴリだから、好きなもの頼んでいいよ」


「いいって、別に。自分のものは自分で出す」


「気にしないで。アイドル時代の貯金はまだあるから」


 そう言われたところで、気は引ける。

 ただ向こうも簡単には引き下がってはくれないだろう。

 とりあえず、無難なものを選んでおくか。揉め事はいったん先送りだ。


「コーヒーを」


「ええと、あたしはこのケーキセットで……仙堂君は、本当にそれだけでいいの?」


「ああ」


「そっか。あ、あとこっちのもください」


 注文を伝えると、店員が再び下がっていく。

 今度こそ話を進めようと思ったら、相手の目がちょっと細くなった。


「肩口、まだ濡れてる」


「ちゃんと拭いたつもりだったけどな。――これくらいなら平気だ」


「やっぱりハンカチじゃ、ちょっとね。タオルでもあればよかったな」


「いや、十分だ。ありがとう、貸してくれて。ちゃんと洗って返すから」


「どういたしまして」


 抑揚のない声で返された。

 店員に注文を伝えていたときとは、噓のように雰囲気が違う。


「でも、ちゃんと傘に入ったらよかったのに」


「……相合傘は嫌いなんだよ。狭いから」


「ふうん。わざわざコンビニで傘買うくらいだから、筋金入りなんだ」


 ここに来る前に寄ったのだ。学校からその道中までは、さすがに奴と同じ傘を共にした。かなり遠慮しながらだが。そのせいで、結構ワイシャツは濡れてしまった。


 そのうちに、まず飲み物がやってきた。

 一つ口をつけてから、改めて桐川の方を見やる。


「で、本題に戻っていいよな」


「はい。――どこまでというか、ちょうど大事なところを聞いてしまいました」


 ごめんなさい、と結んで、相手は少し目を逸らした。

 やけに畏まった口調はさすがに違和感しかない。それだけ盗み聞きをしたのを、重く感じているらしい。


「自発的に聞いたわけじゃないんだろ。もう謝らなくていい。その言葉も嫌いなんだ」


「へぇ。嫌いなもの、多いね」


 冗談めかして言ったら、桐川の口元が少しだけ緩んだ。いつもとは違う、控えめでさりげない笑み。クールな微笑というやつか。


 とはいえ、これでちょっとは話しやすくなった気がする。

 話題が話題だけに、重たい雰囲気では続けたくない。


「で、具体的には何を聞いた?」


「……いいの、はっきり言って」


「ああ。大したことじゃないからな。付き合ってた女が自分の親友と浮気してた、なんてよくある話だろ」


「やっぱり聞き間違いじゃなかったんだ」


 クラスメイトの顔が微かに歪んだ。けれど、続く言葉はなく、相手はそっと目を伏せる。バツの悪そうに、グラスを指でなぞったりして。


 果たして、今の話をどう思ったのか。

 外からでは全く判断ができない。憐れみか、蔑みか。あるいは、改めての罪悪感……どれも、には不釣り合いだ。


 紛れもなく、俺にとってあれは最低最悪の事態だった。口にするのはおろか、思い出すのさえ憚られるほどの。

 なのに、目の前の女にはあっさりと話してしまった。だというのに、心はどこまでも落ち着いている。

 元々知られていたから……というだけでない。そのことを告げられたときも、何一つ心は動かなかった。


 割り切れたのだろうか。吹っ切れたのだろうか。

 そんなわけない。つい最近も揺さぶられたばかりじゃないか。


 コーヒーを口に含みながら、深く椅子に座り直す。ぼんやりと、目の前の転校生を眺める。


 依然として黙ったまま。ケーキもアイスティーも少し前から減っていない。普段のお喋りな姿が嘘のようだ。


「あの日もさ、こんな風に雨が降ってた。俺は部活を早退して、あいつ——彼女から借りた傘を差して帰った。で、それを返そうと思って、家に行ったら見たんだよ」


「……見たって、何を」


「俺の彼女と親友が半裸で抱き合ってるのをな。それが事の顛末てんまつだ」


 言い切って、カップの中身を飲み干した。


 ここまで言うつもりはなかった。

 たぶん沈黙に急き立てられた。誰にも打ち明けたことのない話だったから、溜まっていたものが噴出したのかもしれない。


 桐川はただひたすらに驚いていた。いつも以上に目を見開いて、その背筋を伸ばし切って、テーブルの上では小さく拳が握ってある。


「そんなことって……あの、その、それはつら――ううん、なんでもない」


 目を瞑り、彼女は微かに頭を振った。

 その小さな顔は苦しそうに歪んでいる。強く拳を握りこんで、ちょっと呼吸を乱して。


「どうして、お前がそんな顔するんだよ」


「だって、それは……どうして、話してくれたの」


「さあ、なんでだろうな。俺にもよくわからん」


 腕を組んで、わざとらしく鼻を鳴らした。そのまま、視線を相手の顔から外す。


 大きな窓から、外の様子がよく見えた。道にできた水溜りに、大小さまざまな波紋が起きては消えていく。

 本当に弱くなるのか、これ。


「あの、こんなことを訊くのもあれだと思うんだけど……」


「いいよ、別に。今の以上に、話しにくいことなんてないから」


「それが理由? みんなからちょっと距離を置いている」


「そんなつもりはないけどな。でもまあ、正直人付き合いは面倒だと思ってる。自分でも、なんで今こうしているのか不思議に思うくらいには」


 コツコツと空になったカップを指で弾く。


 選択肢は、確かにあったのだ。


 宿の必要なんてどこにもなかった。

 あのまま帰ったってよかった。何の話だってとぼけて、ずぶ濡れになりながら自転車を漕ぎ出す。


 そうしなかったのは、どこまで聞かれたのか確認したかったから。

 とっくにそれは済んだのに、残ってこうして余計なことまで話している。


「……じゃあ、あたしのことはどう思う?」


 手を止めて、思わず相手の顔を見返した。


 とても冗談を言っているような雰囲気ではない。

 その瞳はどこまでも真剣で、吸い込まれるほどに力強い。


 ――理由はあった。

 転校生のいつもと違うこの様子に完全にしてやられた。

 興味が惹かれた。の別側面に。


 結局、俺はずっと誰かに話したかったのかもしれない。

 今日は雨の日だから、ことさらに。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る