第32話 憧憬

 小ホールはがらんとしていて、課外活動ははるか遠くに聞こえた。

 微かな疲れを感じつつ、丸テーブルに乗せたペットボトルをくるくると回す。中身はこれっぽっちも減ってないから、確かな質量が伝わってくる。


 倉庫整理。琥珀色の液体を見ながらため息をついた。

 名前からしてすでにわかっていたが、結構な重労働。ここまでくたくたになったのは久しぶり。そろそろ、何か運動を始めるべきかもしれない……。

 さらに、これがまだ小休止の後も続くかと思うと、うんざりしてきた。過去の自分の判断はやや軽薄だった。後悔はしてないが、そう評価せざるを得ない。


「あら、こんなところにいたのね」


 投げやりな気分になっていたところ、入り口から声がした。相変わらず透き通るような声だ。

 振り返らずとも正体に目星はつくが、一応顔だけそちらを向けた。


「集合時間はまだ先だと思うんですけど」


「ええそうよ。みんなまだ休憩中、倉庫近くの休憩所でね。貴方、そこにいないものだから、探したの――ああいうのは、苦手?」


 長い髪を左手でかき上げながら、生徒会長は近づいてくる。口元をどこか上品に曲げて。


 生徒会の連中は、この人と後藤以外は知らない。まあ後者についても、交わした言葉数はごくわずか。まさに、顔見知り程度。

 加えて、人手不足なはずなのに、俺以外にも助っ人はいた。こちらもまた、名前どころか顔も知らない相手。すっかり、アウェー状態だ。

 まあ、作業中なら問題はない。黙々と手を動かし続ければいいだけの話。コミュニケーションも最低限で済む。


 しかし、休憩時間ともなれば話は変わる。あの和気あいあいとした雰囲気は、やはりまだ身体に馴染まない。

 逃げるようにして、独りなれる場所を探してしまった。人間、そう簡単には変わらないということらしい。


 会長が目の前まで来て立ち止まる。じっと見下ろしてくる瞳はどこか暖かい。


「座っても?」


「お構いなく」


 少しだけ眉をひそめて、言葉を返した。

 2つの意味をかけたつもりだった。もっとも、向こうはそれに気づかなかった……あるいは、裏の方は無視を決め込んだだけかもだが。

 とにかく、容赦なく隣に腰を下ろしてきた。しかも、わざわざ引いた椅子を近づけて。


「お疲れ様。本当に今日はありがとう。すごい助かっています」


「……そうですか? 俺がいなくてもなんとかなったんじゃ」


「それはない。見たでしょう、あの倉庫の惨状。人ではいくらあってもいいの。それに、仙堂は一番の働き者って評判よ」


「はぁ」


「照れてる?」


「なわけ」


 すげなく言って、軽く相手のことを睨む。

 どう反応すればいいか、わからなかっただけだ。そこに断じて、照れなんてものはない。そんなことを言われたのは、もうずいぶんと昔な気がした。


 こちらの反応も、織り込み済みだったらしい。

 一向にその余裕そうな表情に、変化は見られない。むしろ、にやけ面には拍車がかかっている。


「どう、このまま生徒会に入っちゃうっていうのは」


「もちろんノーです。面倒くさい」


「つれないなぁ。少しくらい検討してくれてもいいじゃない」


「そこまでの奉仕精神には目覚めていないんで」


「別に、そこまで殊勝な人なんていないわよ。みんな、楽しいからやってるだけ」


「……敷嶋先輩も、ですか」


「もちろん、そうよ。好きだから、やってる。ただそれだけ」


 なんでもないように語るその顔は、どこか輝いて見えた。似たような煌めきを、この人はいつも壇上で放っている。


 はっきり言えば、そこまで夢中になれるものがあるのは羨ましい。自分はもう、遠い過去に失ったものだ。それも、自発的に手放した。

 後悔なんてないはずだった。いや、ただ投げやりになって、痛みに鈍感だっただけだ。あらゆることに対して。そしてそれは、ずっと続くと思ってた。


 止まっていた時が動き出した――なんて、あまりにもくさすぎる。

 浮かんできた言葉を押し流すように、ペットボトルを煽った。


「最近、なにかあった? よかったら話してみない。そんなやわな仲じゃないでしょ、私と貴方」


「……どうしたんですか、いきなり」


 あまりにも、突然すぎてついドキっとした。なんだか、言葉もかなり上ずってしまった気もする。


 それでも、相手の真剣な表情は崩れない。ただ真摯に、こちらの瞳を覗き込んでくる。まるで何かを見透かすように。


 果たして、俺とこの人の関係性とはなんだろうか。

 先輩と後輩。昼飯仲間。共犯者――すぐに思いつく限りはこれくらい。考えれば考えるほど、ろくでもない方に進んでいく。

 ともかく、単なる赤の他人や顔見知りではないのは確か。意識したことはないが、少し前までは唯一の話し相手だった。本当に、今思えば、だが。


 そんな相手だからこそ、些細な変化に気づかれたのかもしれない。

 あるいはただ俺がわかりやすかっただけか。

 なんにせよ、少しだけこそばゆい。それでいて――


「明るくなった……は変か。でも、なんだか前向きになった気はする。今日だってそうだし。さっきさ、スマホで誰かとやり取りしてなかった? 初めて見たんだけど」


「目ざといな……気づいてたんですか」


「まねー。視野の広さには自信があります!」


 ビシっと、生徒会長は胸を張った。何のアピールかいまいちよくわからない。


 単に、葵ちゃん――お隣りの後輩のメッセージを確認しただけだ。放課後一緒に帰るのオッケーです、と。こちらが送ってからかなりのラグだ。

 が、ありのままを告げる気にもならず、知り合いからです、と嘯いた。

 向こうはいまいち納得した風ではなかったが。


「で、きっかけはなんだったのかな。もちろん、話したくないのであればいいのだけれど」


「……別に大したことじゃないですよ。自分の愚かさと中途半端さにようやく気が付いた。そんなよくある話なだけで、面白くもなんともない」


「ふうん。青春してるわねぇ」


「何ですか、それ。アンタ、1個上ですよね」


「思い悩み失敗を繰り返すがこそ、この年頃の華ってね。何かの受け売りだけど。まあ、何かあったらお姉さんに教えなさい。大した力にはなれないけど」


 珍しく、くしゃっと無邪気に笑って、生徒会長は勢いよく立ち上がった。ふんわりと、いつもの品のある香りが舞う。

 意味不明だったが、励ましてくれていることはわかった。この人が優しいことは、もう十分すぎるほどわかってる


「休憩時間は終りね。さ、このあともがんばろー」


 つかつかとホールを出ていく。

 その背中はとても頼もしくて、いつか何かを相談するかもしれない。そんな不確かな予感を抱かせた。

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