第31話 嵐の前に
『おにいちゃん
今日も部活頑張ってくるね!』
校内を移動中、ポケットに押し込んだスマホが震えた。
確認すると、幼馴染からのメッセージ。
特別なものではない。ちょっと前から続いている、ある種の定時連絡じみたもの。
リィンを交換してから、ほぼ毎日のようにやり取りをしていた。取り留めのない話題が多く、きっかけはいつも向こうから。
部活の話もその一環。始まりと終わりを、最近は必ず教えてくれた。
いつもそれを、微笑ましいと思ってしまう。
『おう、頑張れよ』
『そういえば、部活って何時に終わるんだ?』
だから、たいてい返事も同じようなものになるのだが、今日違った。
『6時くらいかなぁ
なんで?』
『俺も放課後残る用事あってさ』
『たまには一緒に帰れるかなって』
昼間に用事を埋めたときから、ぼんやりとこうしようと思ってた。
後押しになったのは、相手から連絡が来たから……もっとも、なかったとしても自分から連絡していただろう。
こうして、頻繁にメッセージを交わしてはいる。だが、最後に直接会ったのはもうずっと前。それこそ、俺が風邪をひいてダウンした日にまで遡る。
いまだお隣り同士なのに、せっかく交流を再開したのに、距離感は遠いまま。互いに、どこか遠慮している。
歩み寄るのなら、俺からだ。葵ちゃんが、自らの姉のことで負い目を感じているのは、薄々気づいていた。
その必要はない。そう思っていたのに、結局、今日までそれを棚上げにしてしまっいた。
そろそろ、昔と同じように付き合うきっかけが欲しい。最近になって、急にそんなことを想い始めた。
それに、ちょっと確認したいこともあるわけで。
「あのー、仙堂と言いますが……」
生徒会室という表示板を見ながら、軽く扉を叩いてみる。
ちらちらスマホを見ながら歩いているうちに、目的地に到着してしまった。ついに、返事は来なかった。さっきまで、爆速の反応具合だったのに。
「どうぞー、開いてるわ」
「失礼します」
よく耳に馴染んだ声が聞こえて、少しだけ安堵した。全く知らない人だったら、どうしようかと思ってた。
促されて、躊躇いなく扉を開ける。
いつか見たように、正面には立派な机。
そこに、ピンと背筋を伸ばして座っている人物がひとり。
堂々として笑みを浮かべて、こちらを待っていた。
「意外と早かったね、仙堂。掃除当番サボったの?」
「残念ながら、そもそも今週は違います。第一、俺がそんなにやる気あるような人間じゃないって知ってるでしょ」
「確かにそうか!」
部屋の主は、大げさに目を見開いた。まるでそんなこと、今初めて気づいた。そんな反応だった。
「まあ、だからこそ昼間はびっくりしたのだけれど。まさか、貴方が志願してくれるなんて思わなかったから」
「でしょうね。俺だって不思議ですから」
「自分のことなのに? もしかして、桐川にいいところを見せようとした、とか」
「……ふざけたことばっか言ってると、帰りますよ」
「うそうそ。ほんの冗談のつもり。軽いスキンシップ」
慌てた様子で拝み倒された。それでも、まだどこか愉しげな様子は残っている。
このどこに、頼れる要素があるのだろうか。目の前にいるのは、ゴシップ好きな年ごろの女子。とても、生徒想いの生徒会長とは思えない。
半目で睨みながら、俺は一つ咳ばらいをした。
「この際はっきり言っておきますが、あいつとは本当に何でもないですから」
「そうだろうねぇ。人のうわさなんて、根も葉もないって相場は決まっているし」
「わかっていながらからかってくるのが、いちばん質が悪いと思うんだが」
「何か言ったかしら、仙堂」
満面の笑みで、生徒会長は重厚な声を出してきた。
絶対に聞こえているはずなのに、この人は……。
いつも思うけど、威圧的な笑みが病的なまでに得意過ぎる。実はこの場所で、女帝ムーブでもかましているんじゃないだろうか。
そんな裏の顔があってもおかしくはない。カテゴリーは違うが、ひとり裏表が激しい人物を知っている……あいつの場合、両方表な気もするが。
「でも、ごめんね。ちょっとしつこ過ぎた。もう言わないから、安心して」
「そこまで言われると逆に怖いんですが……」
「割と本音なんだけどなぁ」
「日頃の行い、考えた方がいいっすよ」
すげなく言い返したら、向こうはちょっと傷ついたように唇を尖らせた。整った眉毛もすっかり八の字気味。
どうやら、さすがに反省してくれているらしい。意外と素直な人でもある。本音の反応はわかりやすい。
そもそもの話、そこまで嫌だったわけじゃない。ただ困っただけだ。そういうイジリに対する耐性が、ここ数年で全くなくなっていただけで。
「正直ね、少しだけ嬉しかったのよ。貴方にも、気の許せる人ができたんだなって」
「……なんですか、それ」
「なんだろうね。親心、ってやつかな」
「はあ」
敷嶋先輩は机の上で手を重ねてどこか遠い目をしている。
全くピンと来ない。
ただ、この人物になにかしらの心配をかけていた。それも、そこまで的外れなものではないものを。それだけはわかった。
無言のまま見つめ合っていると、さすがに空気が重たく感じてしまう。
こういうのは本当に苦手だ。このひと月で何度も味わってきたが、いまだになれない。必死で逃れる方法を探す。
やはり、適当な軽口でも――
「やっぱ先輩、歳ごまかしてたんですね」
「なにそれ?」
「いや、親心なんて普通言わないでしょ。この年代で」
「……つまり貴方は普段から私のことをそう思っていた、と?」
「まあときどきは」
ふうん、と生徒会長はわざとらしく鼻を鳴らした。
その顔いっぱいに、仏のような笑顔が広がっていく。だが、眉毛の端はぴくぴくと動きっぱなし。
「怒ってます?」
「まあ割と。大人っぽくみられるのって、嫌いなのよね」
「……初耳です」
「言ったことないですし」
どこまでも真面目腐った口調で言い放つと、会長は猛然と立ち上がった。
「まあいいのですけれど。この後、せいぜい大働きしてもらいますから」
嬉しそうな姿に、お手柔らかになんてとてもじゃないが言えないのだった。
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