第36話 本性

 下校途中の寄り道なんて、の高校生にとっては取るに足らないイベントのひとつだろう。

 現に駅近くのカフェは、学校帰りの制服姿でいっぱいだ。狛籐のものだけでなく、他校のものも。例えば、俺の目の前とか。


 さすがにというか、藤代楓は神妙な顔つきだ。注文した飲み物には、少しも手を付けようとしない。手を膝に置いて、身じろぎもせず背筋をピンと伸ばしている。


 畏まった感じの元恋人の姿を、俺は冷ややかな目で見ていた。

 打算的――そこまでいかなくとも、何かしらの狙いはある。とにかく、本心からの態度には思えない。


 向こうからやってきてくれたのは、確かに都合はよかった。ただそれは、手間が減った程度の認識。

 行動の本質を考えれば、正直言って、その動機は理解できない。高校の前で待ち伏せなんて、もはや軽いホラーである。


「あいつと」


 いよいよ切り出そうとしたが、言葉が上手く出てこなかった。喉の奥でつっかえて、息が詰まる。


 この女とは、なんとか対面できるようにまでなった。

 でもあいつはまだ無理だ。会いに行こうとすら思えないし、どこかですれ違ったらきっと喧嘩になるだろう。

 親友だと思えるくらい仲がよかったから、なおさら憎らしい。できれば、決して話題にしたくないほど。


 けれど、避けては通れない。


「……神崎とは別れた、って言ったよな」


「うん、そうだよ。高校上がってすぐくらいかな。ひどいんだよ、あいつ。ほかに女作って――」


「ほかに男作ったお前が言えたことじゃねえけどな。お似合いだろ」


「それは――っ」


 瞬間、奴は声を荒らげた。伏し目がちだったのが、一気に興奮した表情へと。

 漂う不穏さは、しっかり周りにも伝わっていた。少しだけ、視線が集まってくるのを感じる。


 しかし、続く言葉はなかった。

 はっとしたような顔になって、気まずそうに口を閉じる。そしてまた、視線は下の方へと向く。


 過去の経験から、反射的な言葉が返ってくるものとばかり。妄言が飛び出そうものなら、すぐにも席を立つ心づもりだった。

 ちょっとは自分の立場を弁えているのか。その沈んだ表情からはよくわからない。

 本当に長い付き合いのはずなのに、今では少しもこいつの考えていることに見当がつかないのだ。


「……ごめんなさい」


「どうしてだ。どうして、あいつを選んだ?」


 あの日から一度も確認してこなかった問い。自分なりの答えを導き出して、あとは胸のずっと奥底へとしまい込んだ。

 今更口にしたところで意味はないのはわかっている。でもきちんとした終わりを迎えるには、必要なことだ。ある種形式的な儀式。

 答えに一喜一憂することはない。強いて言えば、後学のため……まったく参考にはならないだろうが。


「……さびしかったんだ」


「はぁ」


「あの頃の凱、部活や勉強を本当に頑張ってて。あたし、ほったらかしにされてるんじゃないかって、不安でしょうがなくて。そんなときに、あいつが声をかけてくれて色々と相談に乗ってくれて。凱の親友だから、油断してたのかも」


 辛そうに語る姿を見ても、欠片も心は動かない。言葉はただ左から右へと流れていくだけ。


 逆に、冷めていく一方だ。幼馴染の本性がこんな残念で、愚かだとは思わなかった。

 あるいはもしかしたら、兆しはあったのかもしれない。あまりにも夢中になりすぎて、気が付かなかっただけ。

 ……俺には人を見る目というものがないのかもしれない。


「でも信じて欲しいの! あいつの方がいいなんて思ったこと一度もなくて。手を出してきたのも向こうからだし。しかも、結構無理やりにというか……あの日だって、あたしは嫌だって言ったのに——」


「ストップ。もういい。そこまで聞く気はない。よくわかってるから」


「ほんと!?」


 一転して向こうの声のトーンが高くなる。

 嬉しそうにする理由が少しもわからない。いや、わかりたくもない。


 果たして自覚があるのか、ないのか。

 都合のいい話を展開するのは、単なる自己防衛反応かもしれない。

 なんにせよ、結局、こいつの――藤代楓の本質は何も変わらないのだろう。


「あの場で、俺じゃなくてあいつをかばったのが全てだ。その話が本当なら、少しでも俺のことを想っていたのなら、絶対にそんな行動取らねえよ。それを、お前は今も気づいてないんだ」


「それは……あ、あのときは気が動転してて」


「取り繕わなくていいから。自分が支離滅裂なこと言ってるの、わからってないのか。高校入ってすぐに別れたって、それまでは付き合ってたってことだろ。普通別れるはずだし、そもそも無理やりだって言うんなら誰かに相談しろよ。二年近く経っても、そんなお粗末な話しか出てこないのな」


 冷静に言葉を重ねていく。言葉には、何一つ感情が乗らない。事実を判断する裁判官なんかは、こんな気持ちなのかもしれない。

 いや、ひとつだけ想うところがあった。


 ただ、悲しかった。

 初恋だった。物心ついたころから、この人のことが好きだった。付き合うことになって、漠然と唯一のゴールさえ想像したものだ。


 結局は、こんな気持ちになりたくなかったのだ。

 当時大切に思っていたものに、ケチを付けたくなかった。綺麗なままで――いや、どんな処理もしたくなかった。

 そのまま忘れていけばなかったことにできる。それはある意味では正解だったけれど、何かが自分の中から剥がれ落ちた。


「――変わったね、凱」


 ひとしきり重苦しい沈黙が続いた後、そんな言葉を元幼馴染は口にした。


「昔だったら、絶対そんなこと言わなかったのに。もっと優しくて、いつもあたしのことを気遣ってくれたのに」


「ああ、そうだよ。すっかり俺は変わったと思う。そりゃ、幼馴染と親友に裏切られればそうなるって」


 楓はまた黙り込む。まるでそうすれば、嵐が過ぎ去ることを知っているかのように。

 たぶん、俺の言葉は何一つ届かないのだ。そろそろ、向こうの癖みたいなものがわかってくる。

 それがまた、一層俺の嫌悪感を引き立てる。


「それにさ、変わったのはそっちも同じだろ。俺の知る藤代楓という女の子は、平気で男をとっかえひっかえするような奴じゃなかった。それとも、そっちが本性だったのか」


「……は? 何言って、あたしはあいつと――神崎と別れてからは、本当に反省したんだよ! またいつか、凱と昔みたいに戻れるようにって」


「いや、俺知ってるから。お前、高校でも相当遊んでるらしいな。頼めばヤラせてくれる奴って、言われてるらしいぞ」


 少しも面白くないというのに、俺は自然と笑いながら言っていた。

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