第37話 決別

 時間が止まったみたいに、相手の方に動きはない。

 目を見開いて、姿勢を正して、息を呑んだまま。どこか病的に見えるのは、顔色が悪いせいからかもしれない。


 そんな元幼馴染の姿とは逆に、店内は相変わらず騒がしい。

 時の流れは、見事にこいつだけを置き去りにしている。


 葵ちゃんとバドミントンの約束を交わした数日後のこと。

 中学時代の知り合いに連絡を取った。部活の副将で、戦友とも呼べる間柄。もちろん、例にもれずあの一件のせいで音信不通だったわけだが。

 それでも、最後まで繋がりがあったやつだ。


 軽く近況を訊くついでに、身体を動かすのに付き合ってもらうつもりだった。練習の練習、本末転倒な気もするが、万が一にも幼馴染の前で恥はかけない。


 本当に久しぶりだったけど、やり取りはスムーズにいった。

 もともと、一方的に俺の側が壁を感じていただけだから、おかしな話じゃない。長く同じ部活だったこともあって、かなり気心は知れている。


『……そういや、俺、藤代と学校同じなんだよ』

『言おうかどうか迷ったけど』


 気まずさを紛らわすためか、トドメにスタンプまで送られてきた。


 言われるまで、そのことは全く知らなかった。

 そもそも、同級生の進学先なんて誰一人としてわからない。風のうわさで……なんてことも皆無。


『へぇ、そうなん』


『やっぱ知らなかったか』

『わりぃ、変なこと言って』

『せっかく連絡してきてくれたのに』


 申し訳なさそうにしている姿が、スマホ越しに想像がついた。

 昔からお調子者で失言が割とあるタイプ。でも、トーンは軽くてどこか憎めないやつだ。

 だから、今更少しも気にならない。


 むしろ、ある意味ではちょうどいい偶然。

 つい、あの女の近況を訊いていた。


 そして得た情報が、俺の知るの姿とは程遠い現状。学校ではすっかり有名人なようだ。


 頼めばヤラせてくれる奴――というのは、副将の評ではない。周りの知り合い、いわゆる得体の知れない大きな主語。


 面と向かって言うつもりはなかった。

 心の中で留めておく。というか、話半分とさえ思っていた。

 あれだけの仕打ちをされていながら、そこまでではないと、元幼馴染を信じる気持ちはあったのだ。


 それが、いざ話してみれば確信に至った。

 少なくとも、藤代楓の本質は見事な変化を遂げていた。


「正直な話、今のお前の恋愛関係なんて心の底からどうでもいい。もう俺には関係ないから好きにすればいいとも思う。でもな、あまりにも言動不一致すぎるだろ。どうして、そういう状態で俺に会いに来る? 平気で話せる? おばさんや、葵ちゃんに対してもそうだ。少しは周りのことも考えろよ!」


 自分のことを棚上げしている。そう思いつつも、声に力を籠める。


 楓は決して、自分本位ではなかった。向こう見ずでもなかった。ましてや、性に奔放というわけでも。

 生真面目とまではいかないが、それなりに分別はあった。道徳的な面は、たくさん見てきた。

 おじさんたちの教育は、お隣りさんの目から見てもしっかりしていたと思う。


 だからこそ、目の前にいる幼馴染の姿が理解できない。

 脳が彼女を藤代楓だと、初恋相手だと認識することを拒否している。

 それほどまでの変貌だけれど、全くの別人というわけではない。結局は、俺の大切な幼馴染だったことには変わりはないのだ。


 もっと早く指摘するべきだった。

 もっと真摯に向かい合うべきだった。

 穴は見つけたときに繕えば、それ以上広がることはない。間違いなく、それは俺にできたことだ。


 何をそこまでと思うが、曲がりなりにも恋人だったわけだから。

 いやそれ以上に、家族同然の存在だった。だって、物心ついたときからずっと一緒だったのだから。

 それは、どんなに嫌悪しようとも変わることはない。


「…………やっぱり、凱は優しいね。どうしてこんなことになっちゃったんだろ。なんで、あたしは我慢できなかったのかな。ちゃんと、言えなかったのかな」


 絞り出すような言葉に、俺は何も返せなかった。

 全ては後の祭り。起こってしまったことはもう覆しようがない。俺と楓の関係は、もう終わったことなのだ。


 だから決して、俺は優しくなんてない。

 ただ目障りなだけだ。この幼馴染が周りをかき乱してくるのが。過去の決別を曖昧なものとしておくのが。

 つまるところ、これは俺の自分勝手。相手のことなんて、1ミリたりとも考えていない。


「いろんな人と付き合ったけど、やっぱり凱が一番だった。どうしても忘れられなくて、隣に住んでいるのに遠すぎる距離がもどかしくて、元通りになれないのがただ悲しかった。時間が戻ればいいのにとさえ思うんだ。あの幸せなときまで」


「そう言われたところで、俺は何も思わない。お前に対する気持ちは、もうひとかけらもない。終わったんだ、俺とお前は。元の隣り同士の付き合いさえする気はない」


「どうしてもダメなの? あたし、なんでもするよ。今の生活だって改めるし、もう二度と浮気もしない。パパやママ、葵にもちゃんと謝る。だから、お願い、凱。凱に見捨てられたら、あたし――」


 狂気的に取り乱していく元幼馴染。

 店内の注目はすっかりこちらに集まっている。

 公の場でもこれなのだ。これでもし藤代家で話していたら――意味のない想像が浮かぶのは、今の状況があまりにも現実離れしているためか。


「見苦しいよ、お姉ちゃん」


 どうこの場を収めるべきか思案していると、意外な声が飛んできた。

 遅れて、その主がゆらりと姿を見せる。

 ぞっとするほど無表情のままに。

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