第6話 やすらぎ

 転校生人気は、それはそれは凄まじかった。クラスの陽キャたちが、こぞって集合して質問攻め。

 芸能人の記者会見じみた光景が隣りに広がっているのは、とても居心地が悪い。

 なので、今回は少し策を弄してみた。


「桐川さん、これ」


「へ? ――ええと、教科書のコピー?」


「ああ。一応、次とその次の時間分まではある」


 授業直前の隙をついて、それなりの紙束を転校生に差し出した。


 なにやら、手違いがありまだ授業道具が完全に揃っているわけではないらしい。その事情を、1時間目が始まる直前に聞かされた。

 おかけで、ここまでの2時間ほどは小学校に先祖返り。机をピタリとくっつけて、至近距離でこの新参者と過ごす羽目になった。しかも、向こうの距離感が少しおかしくて……。


「ええっ! そ、そんな悪いよ……でも、ありがとう。こんなにたくさん、大変だったよね」


「別に。いい暇潰しになったから」


「……あ! そっか、ごめんね。あたしのせいで、仙堂君に迷惑かけてるみたいで。次からはみんなにも気を付けてもらうから」


「そっちも気にしなくていい。何かされたわけでもないしな。転校生に人が集まるのは、どうしようもないさがだろ」


「サガ? ええとゲームの話……じゃないよね」


「それこそ、何言ってんだ、おたく」


 反射的に言い返すと、転校生はどこかドキっとした表情をした。

 単なる小ボケなのか、それとも本気だったのか。いまいち、その反応からは読み取れない。ただ、決まりが悪そうなのは事実。


 もう少しうまく捌いてやればよかったのだろう。

 さすがにちょっと返しが予想外過ぎた。サガボケなら、県の名前ぐらいにしておけよ、と思う。


「とにかく、足りない分は次の休み時間に用意しておくから」


「それはいいよ! 教科書見せてくれれば大丈夫だから」


「…………俺の方が大丈夫じゃないんだけど」


「……? ああ、見づらいよね、2人で見てると。うぅ、ホント、色々とごめんなさい」


 罪悪感からか、桐川はすっかり縮こまってしまった。

 ちょっと気にし過ぎじゃないか。クラスの連中とは、うまくやっているようだったのに。転校初日なのに、少しも物怖じせず、にこやかに自然と受け入れていた。なんだかとても場慣れしているような感じ。


 そもそも、今回は完全に誤解だ。教科書の見にくさは少しも関係ない。

 なんなら別に、教科書なんて国語を除いてほとんど見ない。向こうに貸してしまってもいいくらい。それはそれで、余計な負荷を与えることになるんだろうけど。


 問題は、俺自身の心持ちにある。どうも、他人がすぐ近くにいると落ち着かない。しかもそれなりに長時間だと、なおさらしんどい。


「不可抗力だからな、そっちに非はないから」


「でも……そうだ、コピー代! ええと、いくらだった?」


「いらねえよ」


「ダメダメ。それはダメ。お金の問題はちゃんと解決しないと、だよ」


「いや、そもそも無料タダだから」


「はい?」


 俺の答えに、桐川は間の抜けた声を上げた。

 今まで聞いた声の中で、一段と高い。

 そのまま首を傾げて、やたらとまばたきを繰り返す。そんなに驚くようなことだろうか。


「前の高校、普通にお金取られてたんですけど……」


「あー、なるほど。狛籐ウチはある程度の枚数までは金かからないんだ。だから、そっちも問題ない。じゃ、授業始まるからこれで」


 前方に目を向けると、ちょうど古典の老教師がやってきたところだ……定時からは少し遅れている。

 そのせいで、ちょっと余計に喋り過ぎたかも。ちらりと確認すると、なぜか転校生と目が合ってしまった。


 ……本当に、調子が狂う。



    ◆



 授業が終わって立ち上がると、桐川がこちらに顔を向けた。


「どこ行くの、仙堂君?」


「学食」


「あ、ここ学食あるんだったね。今度使ってみようかなぁ」


「そうするといい。じゃあな」


 くたびれたビニール袋をぶら下げて、俺は教室を後にした。


 4階突き当り。さらに上へとつながる階段近くで、少しだけ周囲を警戒する。

 この先にあるのは屋上だ。無断で立ち入るべからず……という校則があるかは定かではない。生徒手帳は、鞄のどっかで眠っている。

 ただ、現実的に侵入は許されていなかった。唯一の出入り口にはしっかり施錠してあるからだ。


 もっとも、何事にもはあるもので。


「……まあいないか」


 側面の窓を潜り抜けて、開放的な空間へと出る。

 この鍵が肝心の役割を果たしていないことを知ったのは、3か月ほど前のこと。

 係りの用事で校内を闊歩していたところ、たまたま出てくる人影を見つけてしまった。


『わっ! まったく気づかなかった……あのさ、秘密にしておいてくれるかな』


 好きに使っていいから、と管理者でもないのにその女子生徒は言った。優しそうな雰囲気の、ちょっと不思議な人だった。


 以来、専ら昼飯はここで食べることにしている。教室や学食よりも静かなのが、なにより素晴らしい。

 たまに共犯者もいるが、大して気にならなかった。当然、会話もあるが、お互いテキトーに言葉を口にしているだけ。もしかしたら、同学年じゃないのが大きいかもしれない。


 朝はあれだけ強かったのに、今ではすっかり雨は止んでいる。本当に、忌々しい。

 ただ、ところどころにできた水溜りが変わる前の天気を教えてくれていた。

 こういうときのために、シートは何枚か持参済みだ。適当なところに広げて、用意した昼飯を広げていく。


 しかし、ここまで本当に疲れた。

 朝から慣れないことの連続で、ちょっと神経が参っている。まだあとふたつも授業が残っているなんて、軽い絶望すら覚えてしまう。

 転校生フィーバーが終わるまでの辛抱か……それがいつなのか、今のところ全く予想がつかないのは困るが。


「ふぁ」


 すっかり腹も満ちて、つい欠伸が出てしまった。

 日差しが気持ちいい。このまま眠ることができたらどんなに気持ちいいだろうか。

 イケない誘惑に、つい心が揺らぐ。俺は自然と横になっていた。


「あぶねぇな」


 瞼を閉じかけて、なんとか思いとどまった。さすがにそれはマズいだろう。

 せめてあの人がいれば――と思うが、そもそもこんなことをしないな。あまり気を遣わないといっても、最低限のレベルで気は張っているわけで……

 あれやこれやと考えているうちに、またしても眠気がやってくる。

 けれど、少しも俺は起き上がる気にはなれないのだった。

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