第5話 超偶然
方向音痴の転校生との小旅行は、玄関前までで終わった。向こうは来賓用の玄関に向かった。しっかりと礼を言って、お辞儀まで残して。最後まで、物腰柔らかな丁寧な人物だった。
ちらりと時刻を確認すると、到着時間はいつもより早い。
そりゃ、パン屋からまっすぐ来たらそうなるだろうな。本来なら、もう少し回り道をしていた。
雨の日は嫌いなのに、雨の中を歩くのはそんなに嫌じゃない。なんて、相変わらずひどく矛盾していると思う。
おはようぐらいは交わして、教室に入った。
いつも見る風景より、教室にいる生徒の数は少ない。
ウチは部活動も盛んなので、大部分は朝練にでも勤しんでいるだろう。少しだけ、昔のことを思い出す。今から考えると、何をあんなに頑張っていたんだ、俺は。
しなくていい感慨に浸りながら、自席について本を読み始めた。
進級から2カ月も経てば、自ずとクラスでの立ち位置も決まってくる。積極的に、こちらに話しかけてくるような物好きはすでにいなくなった。
騒がしさを感じながらも、ひたすらに自分の世界に籠る。今更、周りの様子なんて気にならない。
だからこそ、その変化に俺だけが唯一気が付かなかったのかもしれない。
ほんのちょっと視線を巡らせる――いや、横にズラすだけでよかったのに。
◆
教壇には、気だるげな女担任がいた。このお方は、ゆるゆるでダルダルという、教師としてあるまじき特徴を持っている。ゆえに、そこそこ生徒人気は高いようだ。
そしてその隣りには――
「ええと、桐川ひめの、と言います。歌とダンスが趣味で……とにかく、仲良くしてもらえると嬉しいです!」
元気よく言い放って、その人物は丁寧に腰を折った。さらさらと、綺麗な髪が宙を舞う。どこか高貴ともいえる仕草だった。そこに、おおよそ緊張と呼べるものは見当たらない。
同時に、教室中が盛大に沸き立つ。
温かい拍手、野蛮な口笛、あからさまなヒソヒソ話、おおよそ朝のホームルームの光景とは思えない。
初めて見る新参者に、クラスはすっかり惹きつけられていた。
……が、俺には当然見覚えがある。その声もまた、聞き覚えがある。知っているのとは、少し高かった気はするが。おまけに、名前まで一致した。
間違いなく、俺が遭遇したあの迷子転校生だ。
さすがに、少し愕然としてしまった。あまりにも偶然が過ぎる。いや、概して現実とはこんなものかもしれない……えぇ……。
「桐川の席はあそこ――あの今変な顔している奴の隣りな」
呆然としているところにこれは、本当に心臓に悪い。
というか、隣りに席なんて……あったわ。今の今まで全く気が付かなかった。
まさかこんなことになるなんて……ここは地獄か何かか? 射て座のあなたの運勢は最悪です、みたいな日なのか。
「はい、仙堂君のことですよね」
「む、そうだけど、なんで知ってるんだい」
「ちょっと色々ありまして」
転校生は曖昧な微笑みで追及を
すでに、クラスの注目対象はこちらへと切り替わっている。ほぼすべての視線が向けられているといっていい。
こんなこと、年度初めのホームルームでの自己紹介以来のことだ。
微塵にも、嬉しいことはない。好奇心を奥に隠した無言の圧力は、これ以上ないほどに息苦しい。
「ふーん、そうなの。ま、なんでもいいけど。じゃ、席について」
「わかりました、ありがとうございます」
またしても深々と頭を下げて、転校生がこちらに向かって歩いてきた。
好奇に満ちた視線が、今度は俺と奴の間を行き交っていく。
今この瞬間は、完全な無法地帯と化していた。
「え、どういうこと?」
「なんか意味深~」
「やっぱ仙堂って……」
果たして、クラスメイトたちの頭の中にはどんな想像が広がっているのか。
いくつかは思い浮かぶけど、決してその全ては掴みきれない。
別に周りからどう思われたってかまわないが、それでも気にならないと言えば嘘になる。
この際、はっきり言ってくれればよかったのに。迷子になっていたところを助けてもらった――事実はただこれだけ。同級生からやっかみをかうようなことはあまりない。
もっとも、込み入っているから説明を省いたんだろう。そんな雰囲気は瓦解していたが、一応は朝のホームルームだ。そこを重んじて、もしかしたら緊張からか。
あるいは、単純に迷子になってしまったのを隠したかったのかもしれない……その割には、あのときに恥ずかしそうな素振りはなかったが。
座る直前に、桐川がこちらをちらりと見た気がした。
でも俺は気が付かなかったフリをしておく。
周りのパパラッチ軍団に、これ以上燃料を投下するのも馬鹿らしい。今でもまだ、十分に盛り上がっているのだから。
「はいはーい、せーしゅくにー。これ以上騒いだら、英語の成績下げるよー」
「おいおい横暴だぜ、ミカセンセー!」
「はい、
「そりゃないぜ!」
クラスいちのお調子者に進級の危機が訪れたところで、教室中は一斉に笑いに包まれた。一転して、雰囲気が和やかなものへと変わる。
そんな中、机をトントンと叩かれた。
「……あの、同じクラスになっちゃいましたね。これからその、よろしくお願いします」
控えめな笑顔にさっきまでのギャップを感じながら、俺は小さく頷きを返した。
園田の犠牲もあり、ホームルームはその後何のトラブルもなく終わった。冒頭のインパクトが絶大だっただけに、それ以上があってたまるか、という感じだが。
自由を得た学生たちによって、教室は一気に騒がしくなる。
とりあえず、俺もまたちょっとリラックスしていた。さっきまでは、本当に悪夢のような時間だった。
「あの、仙堂くん。もしかして、あたしのこと覚えてない?」
「……は?」
質問の意味がわからなくて、俺はまじまじと相手の顔を見つめ返した。
まさかいきなりこちらの記憶力を疑われることになるとは……さすがに困惑する。
「いや、さっき迷子になってた人だよな」
「そ、そうだけど……そのことはできれば秘密にしておいて欲しいなって」
小さく言って、転校生は恥ずかしそうに顔を背けた。
もしかすると方向音痴なのは、相当なコンプレックスなのかもしれない。
こちらとしても、今更蒸し返すつもりはない。そもそも、話す相手すらいない。
「ああ、わかった。で、どうしてそんな風に思ったんだ」
「だって、さっきすっごい微妙そうな表情をしていたから。本当は人違いだったのかも、って不安になって……人の顔を覚えるのは自信があるんだけどね、あたし」
「いや、さすがに心配し過ぎだろ。忘れる奴はなかなかいないと思うぞ。すごい印象的だしな」
どうやら、あまりにも曖昧に頷き返したようだ。
単純に、わざわざ声を出して反応するのが面倒なだけだったんだけど。
「でも、よかったぁ、知っている人がいて……あたし、転校って初めてだから、ちょっと緊張してて」
桐川はようやく、ホッとしたような表情を見せた。確かに、俺と話しているときはどことなくぎこちない。人前に立っているときはそんなこと微塵も感じさせないくらい、堂々としていたのに。それこそ、よくサマになっていた。
そもそも、これは知っている扱いでいいのか。顔を合わせたのは、ほんの数十分前で、しかも交わした言葉は2、3個くらい。むしろ、気まずい沈黙の方が多かった。
「改めて、これからよろしくね、仙堂君」
「ああ、よろしく」
2回目の挨拶に、今度こそ俺はちゃんとした反応を返した。
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