1章 新風吹く

第4話 出会い

 いまだに、雨の日は憂鬱だ。

 全てを喪った日のことを、意識してしまう。

 あれからもう2年以上経つというのに。全くどれだけ女々しいのか、俺は。


 雨音で目が覚めると、いつも学校へ行く気力を失くす。

 そもそも今日は月曜日で、いわゆるダブルパンチ。気分としては最低最悪だ。


 それでも、サボるつもりはない。あまり親に心配をかけてはいけない、と最近ようやく反省した。

 あくまでも、学校に通わせてもらっている立場なのだ。しかも、私立だし余計に金がかかる。


 雨の日で一番嫌なのは、公共交通機関を利用せざるを得ないこと。

 バスや電車なんか、さすがに昔の知り合いに遭遇する確率が上がる。

 去年なんかは、割と痛い目を見た。それでも、最悪の事態には遭遇しなかったけれども。


 まあでも、1年も通えばだいたい都合のいい登校時間はわかってくる。


 今日もまた、いつものように家を出た。黒い傘を持って、ちょっと自転車に後ろ髪を引かれながら。


 学校の最寄駅に着いた時間も変化なし。よって、今日も無事に雨の日の日課をこなせる。


 時間調整も兼ねて、いつも住宅街の方にあるパン屋へと足を伸ばす。現実的なところで、雨の日はセールをやっているのだ。

 そこで、昼飯とおやつ用のパンを買う。最近はあまり食堂をしない。この店のものと、購買で買ったもので済ませることが多くなっていた。


「またごひいきにー」


 聞き慣れた声を背に、外へと出て傘を開く。

 いくらか振り方が弱まっているような……ううん、この分だと自転車使えたじゃねーか。まあ仕方ない、か。家出るときは土砂降りだったんだし。


 なかなかに最悪のスタートだ。これ以上ろくでもないことが起こりませんように。

 雑に祈りながら、イヤホンをして登校を再開する。


 あるいは、そんなことを思ったのがいけなかったのかもしれない。


「あの、柏藤かしわふじの生徒さんですよね」


 その声に、初めは全く気付かなかった。

 雨の中傘を差して、しかも耳を塞いでいるのだ。よほどの大声でもない限り、ちょっと無理がある。


 だから、肩を叩かれたときには割と本気でびっくりした。

 慌てて傘を落とすところだった。


 顔を向けると、そこにいたのは見知らぬ女。無骨なビニール傘を差して、その下で明らかな作り笑いを浮かべている。

 制服姿から同年代くらいだとは思う。相手に、卒業後も制服を着て外を出回る嗜好がなければ。

 というのも、制服がちょっと不釣り合いに見えた。スラッと背が高くて、ロングヘアーがビシっと胸のあたりまで。かなり大人っぽい雰囲気の美人だ。もはや何かの撮影とすら、思えてくる。


 とにかく、俺が反応すると女は質問を繰り返した。


「……ええと、違いますけど」


「えっ! でも、その制服って」


「これは狛籐こまとうの――というか、そっちのもそうでは?」


 俺は、顎で示すようにしてから目を細めた。

 あまりにも不審過ぎる。やはり、生徒ではなく部外者が制服を着ているだけか。どうりで、こんなにミスマッチなわけだ。

 この制服の生徒を探せ……なんていう、一つも面白さがわからない企画が浮かんだ。バラエティーか、あるいはヨーツーベーか。

 なんにせよ、厄介なのに絡まれたな。


「念のためですけど、それってどんな字書きます?」


「狛犬に、植物の籐……いや、口で説明するのはムズいな」


「もしかして、これですか?」


 いつスマホを取り出したのか。

 見せつけてきた画面には、確かに狛籐の文字が打ち込まれている。


 怪訝に思いながら、頷きを返した。


「……うっ、読み方違ったんだ」


 苦々しく言うと、謎の女は唇を噛んで俯いてしまった。

 さすがに恥ずかしかったらしく、その頬は微かに朱色に染まっている。

 その子供っぽい反応は、またしても外見とはアンバランス。でも次の言葉を聞いて、なんだか納得がいった。


「……あの、実はあたし今日転校してきたばかりなんです。でも迷子になっちゃって」


「ああ、そういうこと。狛籐なら――」


 とりあえず、不審者ではなかったみたいだ。

 制服姿がしっくりこないのも、着慣れていないだけ……いや、やはり大人っぽいのは変わりない。そうだ、と聞いてもあまり高校生には。


 しかし、どこから来たのかは知らないが、あまり迷子になる要素はないと思う。

 この辺りは割と区画整理がしっかりしていて、住所だけで目的地の判断がつくことが多い。

 まあ、読み方といい、少しぬけた人物なのかもしれない。


 一通り説明し終えると、ようやく相手の顔に笑顔が戻った。


「ご丁寧にありがとうございます! あの厚かましいのはわかっているんですけど、よかったらこのまま一緒に……」


「悪いけど、寄りたいところがあるんで」


 初対面の女子、しかも転校生ともなれば気まずくなるのは目に見えている。朝っぱらからそんな重労働を背負い込みたくない。

 それにこの辺りに狛籐生は確かに少ないが、少し行けばうじゃうじゃと現れる。わざわざ俺が付き合う必要性は感じなかった。


 だが、相手の反応はかなり芳しくない。

 すっかり表情は曇り、八の字眉でまたしても視線は下向き。不安なのを少しも隠せていない。

 筋金入りの方向音痴……見た目はそんなことを感じさせない、しっかりとした雰囲気なのに。


「……そ、そうなんですね。それに、嫌ですよね、こんな見ず知らずの人間と歩くの。うぅ、でも独りで行けるかなぁ」


「……わかりました。じゃあ案内しますよ」


「ホントですか!? ありがとうございます!」


 しぶしぶ了承すると、相手の顔がパーッと輝いた。目をぐっと見開いて、口角がこれでもかと言わんばかりに上がっている。

 些か、大げさではないだろうか……。


 これほどまでにアピールされると、さすがに無下にはできなかった。

 見捨てたことで、何かトラブルが発生するのも非常にバツが悪い。

 

 ひとつ息を吐いてから、あえて先を歩いていく。

 いくら連れていくといっても、横並びで懇切丁寧にする必要はない。相手が求めているのは、目的地に着くこと。ただそれだけなのだから。


「あたし、桐川ひめのって言います。2年生なんです」


 沈黙に耐えかねたのか、向こうが躊躇いがちに話しかけてきた。


「そうっすか。俺は仙堂凱です」


 ちらりと後ろを見て答えた。まあ名乗り合うくらいは普通だな。必要経費みたいなもんだ。


 だが、なんとなく居心地が悪い。

 見ると、相手がこちらをもの言いたげに睨んでいるではないか。

 いや、目つきは別に普通だ。ちょっと遠慮しがちな感じ。でも、確かに言いたいことはありそう。


「同じく2年です」


「あ、同学年なんだ! もしかして、同じクラスになったりして――って、ごめんなさい、馴れ馴れしかったですね」


「いや、別に……」


 それ以上、向こうから話しかけてくることはなかった。

 自然と、こちらのとっつきにくさに気づいたのかもしれない。


 たぶん、この女子とはここでお別れだ。

 迷子になった転校生と遭遇して、そいつと同じクラスになるなんて、あまりにも偶然が過ぎると思う。

 そういうアレは、どこかほかの奴に回してやってくれ。

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