第3話 修羅場
「……なに、してんだよ」
声を絞り出すと、連中はピタリと動きを止めた。
どうやら、扉を開けたことなんて少しも気づいていなかったらしい。なんともまあ熱心なことで。
部屋の中の時間は完全に止まっていた。
俺はただ立ち尽くし、連中は身を寄せたまま完全に凍り付いている。
それでも、まず女の方がゆっくりとこちらの方を向いた。
奇しくもその顔は、大切な幼馴染にそっくりだ。
「か、か、かい……? え、なんで、どうして。いまぶか――違うの! これはちょっとその、話をしていただけで――」
「いや、それは無理があるだろ」
見るに堪えなくて、小さいながらはっきりとした声で遮った。
瞬間、ピクリと相手の身体が震える。そして、どこか怯えたような表情に。
もしかしたら、思いのほか語気が強くなっていたのかもしれない。でも、今更そんな配慮をする気はない。
この期に及んで出てくるのが、言い訳とは。しかも、何も取り繕えていないただ反
射的な言葉の羅列、頭の悪い妄言にしか思えない。
先ほどまで全身に感じていた熱は、今ではもう冷めている。衣服の乱れた2人を見ても、もはや何も感じない。
全てを理解した。いや、理解が追いついたといった方がいいか。この状況で下せる結論はひとつだけ。
改めて、楓の方を見る。
奴を肩を震わせて、静かに泣いていた。
艶のいい髪はすっかり乱れて、くりっとした目は真っ赤でどこか腫れぼったい。ボタンの外れたブラウスからは下着が見えていて、白い肌が惜しげもなく晒されている。
どこを見ても、少しも心は動かない。昨日――いや、ほんの数分前はあれだけ恋しいと思ったのに。
愕然とする楓は放っておいて、今度は優悟の方へと目を向ける。
「なあ、どういうつもりだよ、優悟。ここで何してた?」
「キスしてたんだよ、見てたろ」
なぜか優悟は眉を顰めながら答えた。当たり前のことを言わせるな……煩わしさを込めるように。
奴はどこまでも落ち着いて見えた。その証拠に、脱ぎ掛けだった制服を直してすらいる。何事もなかったかのように、淡々と無表情に。少しも悪びれたところはない。
あまりにも対照的な反応過ぎた。
というか、この男があまりにも異質だ。浮気現場を目撃されたんだ。他でもない相手の恋人に。それがなぜこうも堂々とできる。普通はもっとこう、焦ったりはしないのだろうか。
得体の知れないものを感じて、少し背筋が寒くなる。
「それ以上のこともな。お前、ちゃんとやることやってたんだな。結構、心配してたんだぜ」
「てめえっ!」
堪えれなくて、俺は優悟に掴みかかった。冷たいワイシャツを、破れそうなぐらいにぐっと引っ張る。
こいつは本当に、優悟なのだろうか。
俺の知る姿とはあまりにも違いすぎる。
「そんな怒んなよ。お前も悪いんだぜ。ずっとほったらかしだったじゃんか、楓ちゃん。すっごい寂しがってたぜ? 俺にもさ色々と相談してきて、そのうちに――」
「黙れ!」
聞くに堪えなくて思わず叫ぶ。
怒りのままに、俺は優悟を後ろへと強く突き飛ばした。
その身体はいとも簡単にベッドの方へと倒れていく。
「きゃー! やめて、2人とも!」
耳障りな悲鳴を上げて、楓が優悟の方へと駆け寄っていった。そのまま、心配するように手を添える。
――もう、すべてが、どうでも、よくなった。
自分でも恐ろしいほどに、心が急に熱を失っていく。
「……はっ。そうかよ、せいぜい幸せでやれよ。その代わり、頼むから俺の目の前から消えてくれ」
低い声で吐き捨てて、俺は元恋人の部屋を後にした。顔だけはいい元親友を残したまま。
あの場にいたのは、楓と優悟のそっくりさんだ。ガワだけが同じで、中身はまるで別物。理解の及ばない獣のような存在。
本当の2人は遠いどこかへと行ってしまった。あるいは、初めから恋人や親友と呼べる存在は俺にはいなかったのかもしれない。
あれだけ長く過ごしたのに、俺はあいつらのことを1ミリたりとも理解していなかったんだ。そう思うと、ただひたすらに虚しかった。これまでの日々は何だったのか。
翌日には、俺と楓が別れた――いや、優悟と寝取られたことはクラス中に伝わっていた。
そう、噂が広まるのなんてすぐだ。周りからは腫物のように扱われ、友人たちは全員離れていった。
こうして、俺の中学生活は一足先に終わりを迎えた。
唯一学んだものといえば、友情や愛なんて、クソくらえということだけだ。
◆
高校は、同じ中学の奴がいないところを選んだ。
市内の端っこにある、少し偏差値の高い私立。この近辺からだと、電車を何駅も乗らなければならない。
早々に部活を引退したので、時間だけはあった。一番いい特待を得るのは難しいことではなかったが、それを基にした独り暮らしの交渉には失敗した。
ともかく、過去を知る者は誰もいない。
それなりに楽しくやれるはず。元々、中学生活だってあの日まではうまくいっていた。
新しい人間関係を築いて、昔のことは記憶の彼方へと追いやる。そんなことを少しは思ったりして、高校生活を始めようとした。
「なあ、仙堂ってどこ中だっけ」
初日からしばらくは、周りとそれなりに話してみた。その中で、結構話の合う相手もできたが、ある日のこと突然こんなことを訊かれた。
別に、なんてことはない質問だ。それこそ、初日の自己紹介のときに自分から言った覚えがある。
誤魔化すこともできそうだったが、俺は馬鹿正直に出身中学を答えた。
そのときの相手はどんな反応だったか。聞き慣れない名前で、少し驚いただけなような覚えはある。
その後は、なんとなく気まずくなってしまった。
なんのことはない。俺の方が気後れしたのだ。見えていなかった問題が、いきなり急浮上してきたことに。
結局、過去は決して消えてはなくならない。どんなに薄くぼんやりとしても、どこかにその残滓は存在する。まずそれは、俺の心に。
それに端っこといえど、市内は市内。どこで誰と誰が繋がっているかなんて、わかったもんじゃない。あるいは、すでに校内に俺の忘れたい過去を知る奴がいるかもしれない。
そう思うと、周りと仲良くするのが面倒くさくなった。何の魅力も感じなくなってしまっていた。
過去の発露を恐れたのかと言えば、少し違う。
人付き合いの複雑さに、辟易してしまったのだ。どれだけ時間を尽くしても、完全に分かり合えることはない。常に疑心暗鬼は付きまとう。
もしかしたらいつか裏切られてしまうかもしれない、と。
もちろん、実際にはそんなことはないんだろう。
あんな極悪人は一握り……しかも、俺たちはもう高校生だ。人付き合いもそれなりのものへと変わっている。
わかっていながらも、結局、俺にとって一番楽な道を選んだ。
それがどれだけ幼稚なことなのかは理解しつつ、独りであることをよしとする。周りと関わるのは必要最低限だけでいい。
きっと華やかな青春なんて、俺には縁遠いもの。残り2年とない高校生活も、特に何事もなく終わっていく。
全然それで構わない。むしろそれがいい。
俺には、そんな資格はないのだから。
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