第2話 きっかけ

 中学なんて狭い社会だから、噂話が広まるのは早い。それこそ、楓が3年生に告白された話なんかがいい例だ。


 1週間後には、俺たちの交際は公然の秘密と化していた。

 俺や楓の友人が言いふらした、というより、俺たちの行動に問題があったんだろう。


「お前ら、最近いっつもイチャイチャしてるよな。この間の土曜日も、映画デートしたらしいじゃんか」


 なんて、優悟から指摘された日には顔から火が出そうだった。


 話が広まれば、当然周りからはいろいろなを向けられる。

 茶化されたり、揶揄われたりするくらいならまだいい。所詮、仲間内での話だから、いくらでも笑い話に変えてやれる。


 問題なのは、あからさまな敵意や嫉妬。あるいは、楓に対する横恋慕。


「なんであんな奴と……」


「俺の方が絶対」


藤代ふじしろ、最近めっちゃ可愛くなったよなー」


 俺と楓は全く釣り合いが取れていない。言われなくても、俺自身その自覚はある。

 相手は学年でも一番の美少女。上級生からも人気で、幼馴染でなければ高値の花だった。

 片や俺は、どこのクラスにでもいる地味キャラ。勉強も運動も平均的で、見た目だってそんなによくはない。優悟のような人気者とは程遠い存在だ。


 だからこそ、ふさわしい男になれるように努力した。現状を嘆くのではなく、より前向きに。

 元々熱を上げていた部活はより苛烈に。怠けがちだった勉強も少しずつ手を付け始めて。優悟と一緒に、オシャレについてもたくさん研究した。


 成果はそれなりに出たと思う。

 部活では部長に選ばれて、大会でそこそこの成績を収めた。勉強の方は、この間初めて学年で一桁に入れた。……オシャレはどうだろう。デートのとき、楓はよく褒めてくれるけれど。


 とにかく、全ては楓にもっと好きになってもらえるように。今まで疎かにしていたのが不思議なように、あらゆることが楽しくて仕方がなかった。


 その甲斐もあってか、俺たちは順調に恋人としての関係を深めていた。


「……しちゃったね」


 薄暗い部屋の中。同じベッドに入って、お互いこっそりと顔を合わせる。

 楓の方はとても幸せそうな表情をしていた。それはきっと俺も同じだろう。頬が緩んでいるのが、よくわかる。


 とある秋の日曜日のこと。

 俺たちは楓の部屋で遊んでいた。身体をくっつけて、取るに足らない雑談を交わす。

 都合よく、彼女を除く藤代家の3人は外出中だった。あるいは、あえて楓は俺を家に誘ったのかもしれない。


 ともかく、二人きりで。どこまでも甘いムードで。

 付き合いだしてからは4か月ほど。そろそろ……なんてことを向こうも思ったかは定かではない。


 とにかく――


「うん……その、大丈夫か?」


「へーきだよ。ちょっとへんな感じはするけど」


 冗談っぽく言って、楓が顔を近づけてくる。


「凱、大好き」


「俺もだよ、楓」


 小さな温もりを、強く腕の中で感じながら思う。

 今この瞬間が、人生で一番幸せな時間だ――



    ◆



「えー、凱かさ持ってきてないの!? もうっ、じゃ、カエデの傘貸したげるよ」


 部活前の一幕。

 いつからか、1階廊下の人目につかない場所で落ち合うようにしていた。そこで、ごくわずかな2人の時間を過ごす。


 冬ごろから、部活に掛ける時間を増やした。

 部長に選ばれて、張り切っていた。絶対にいい成績を残す。個人としても、団体としても。

 それまでは、わりと楓と一緒に帰っていた。練習が終わるのをどこかで待って、時には見学しに来たりなんかもして、周りによく冷やかされた。


 でも、しばらくそんなことはない。

 俺の方が、彼女を遅くまで残すのを嫌がった。せっかくの時間をと思うと、なんだか申し訳なくて。


 最近は輪をかけて忙しい。

 中学最後の大会が近いので、かなり長く学校に残っている。

 時には、地元の体育館で追加練習をしたり。


「ありがたいけど、楓はどうするのさ」


「大丈夫! 誰かとアイアイガサして、帰るから! あ、もち、女の子とよ」


「心配してないって。気を付けて、あまり濡れて風邪ひかないようにな」


「そのときは凱が看病してくれるでしょ?」


 悪戯っぽく笑うと、楓はぐっと一歩近づいてきた。

 ふわりとシャンプーのいい香りが漂ってくる。同時に、柔らかい感触も。


「それじゃあ部活頑張って!」


 楓の方から口にキスをしてきた。

 おまじないだよ、照れくさそうに言ってその場を足早に去っていく。


 結論から言うと、にはあまり効果がなかった。


 痛めた足を気にしながら、玄関口へと立つ。


「あーあ、めっちゃ降ってるよ……」


 体育館にいたときから、ある程度その強さの目途はついていた。でも、まさかここまでとは……。


 本当、楓から傘を借りていてよかった。

 クリーム色の細身の傘を差して、歩き出す。装飾は綺麗で、どう見ても男向けのものじゃない。正直、かなり気恥しい。

 隣りに楓がいればなぁ……ふと想って、苦笑いした。


 足が気になって、いつもよりも時間がかかってしまった。

 それでも、部活をフルにこなすより早い。家の鍵を使うのは、本当に久しぶりだ。


「傘、返しに行くか」


 忘れたら面倒だし……というのは、もっともらしい理由づけ。

 本当は、ただ楓に会いたかった。たまたまとはいえ、こんなに早く帰れたんだ。

 今日は久しぶりに――


「あれ、いないのかな」


 インターホンを鳴らしてみても、無機質な音が響くだけ。

 この時間なら楓はもう帰ってきているはずだ。

 もしかしたら、どこかで寄り道をしているのかも。女友達と帰ったようだし。


 それでも、おばさんや葵ちゃんぐらいはいると思ったのにな。

 楓の傘の柄を強く握りながら、ポツポツという雨の音に聞き入る。


 ――それは本当に何の気なしにことだった。


 固く閉じてある玄関の扉に手をかける。

 力を籠めると、抵抗なくガチャリと開いてしまった。


 お隣り同士。親しき中にも礼儀あり。いくら付き合いが深いと言えども、不法侵入なことには変わりない。

 だからそれは、ある意味では罰だったのかもしれない。


「かえでー、いないのかー」


 ちょっと扉を開けて、遠慮がちに呼びかけてみた。

 それでも、やはり反応はない。

 誰もいないのなら、あまりにも不用心すぎる。元々、大らかな家庭ではあるけど、ここまでだったかな……?


 ガタッ――そのまま振り返ろうとしたとき、小さな物音が聞こえてきた。

 やはり、誰かいるのか。俺はふと、靴脱ぎへと目をやった。


 よく見慣れた楓のローファーがそこにはあった。そして、その横には男物のスニーカー。

 若者向けで、とてもおじさんのものには思えない。

 それどころか何か見覚えが――


「…………なわけないよな」


 嫌な予感が頭を巡る。

 我ながら最低の妄想だ。絶対にあり得るはずがない、そんなこと。

 考え過ぎだ。2人とも、決してそんな人間じゃない。俺にとっては、一番大事な存在じゃないか。


 そのスニーカーは優悟が最近買ったものによく似ていた。ちょうどこの間、一緒に買いに行った。

 だから、強く印象に残っていただけだろう。

 でも、俺はそれ以上、その靴を見ることはできなかった。


 傘を返しに来たんだ。


 傘立ては斜め後ろにある。そこに、この傘を入れれば話は全て済む。

 このまま、家に上がり込む必要なんてない。

 

 けれど、俺は靴を脱いでいた。

 身体が勝手に階段の方へと向かう。

 思考は完全に停止していた。あらゆる生体活動は活発になっていた。


 上がっていくにつれて、妙な音は大きくなっていく。

 何かが擦れるような音に混じって、耳障りなリップ音に似た音、そして荒い息遣い。意味不明な言葉の羅列。

 ある扉に近づくにつれて、次第にそれらが鮮明になっていく。


 壊れたんじゃないかと思えるほど、心臓が高鳴っている。

 一つ大きく喉を鳴らして、俺はノブへと手をかけた。


 ――脱ぎかけ制服姿の男女が抱き合っている光景が目に飛び込んできた。

 そのどちらにも、俺はとてもよく見覚えがある。

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