第14話 邂逅

 藤代葵――名前の通り、俺の幼馴染の妹だ。歳は1つ下。考えてみれば、この子もまた幼馴染と言えるのか。気持ち的には、もう唯一の存在ということになる。

 小さい頃は、よく3人で遊んだりした。学年が上がるにつれて、段々と交流の機会は減っていったが。


 こうして見ると、成長具合がよくわかる。

 真面目そうなきりっとした顔立ち。綺麗な黒髪のポニーテールとオシャレな髪飾り。昔の面影はどことなく残っているが、かなり大人っぽくなった。

 ただ、身長だけはあまり伸びなかったらしい。どこぞの誰かとは、そこだけが同じだ。女子にしてもやや低め。


 狛籐うちの青ジャージはとてもよく似合っている。

 同時に、それはこの出会いが偶然ではないことの証。


 ……少しも知らなかった。同じ高校に通っているなんて。


「あお――葵ちゃん」


 呼び方を変えようとして、結局昔からのを突き通した。

 藤代みょうじで呼ぶのは、だけでいい。決してそうする機会はないと思うが。


「久しぶり……だよな。ええと、いつ以来だろ」


「だいたい4年ぶりだよ。中学に上がる前が最後、かな。こういう風に話すのは」


 悩む素振りもなく、葵ちゃんは即答した。時間の隔たりを感じさせないほど、滑らかに言葉を紡いでいる。


 とても記憶力がいいらしい。もしかすると、相応に成績もいいのかもしれない。

 考えてみれば、そのあたりのことはよくわからない。幼馴染からの話を聞くことはほとんどなかった。


「そうだっけ。部活のときとか、話さなかったか」


「おにい――先輩、いつも忙しそうでしたから。だから、わたしはいつも見ているだけ」


 そう言って、葵ちゃんは寂しそうに微笑んだ。ゆったりとした手つきで、髪を耳に掛ける。


 大人びた仕草に、ついドキっとさせられた。昔から大人びたところはあったけど、高校生になってもなお年齢が中身に追いついていないらしい。


 幼馴染姉妹は、外見もそうだが内面こそ大きく違う。

 元気いっぱいで天真爛漫(に見えただけ)な姉に対して、この子は物静かでクール。

 ただ、俺に対してはそれなりに懐いてくれていたと思う。わざわざ、おにいちゃんなんて呼んできたりして、それでも口数は多くなかったけれど。


「……葵ちゃんも狛籐だったんだな。全く知らなかった。でもどうして? 俺が言うのも変だけど、通うのかなり大変だろ」


「それは……言いたくない、です」


「――まさか、なんかあったのか。あいつ——楓絡みで」


「そ、そんな顔しないで、おにいちゃん! 大丈夫、そういうのじゃないの。ただ……居心地が悪くて、あの人のしたこと下級生の間でも相当噂になってたから」


 目を伏せ、感情を押し殺すように語るのを、俺はただ静かに眺めていた。どこか痛々しく見えて、つい顔を歪めてしまう。

 当時の自分が、思い至らなかったことが恥ずかしい。あのころは、自分のことで精いっぱいで……今もそうか。

 

 とにかく、実の姉があんなことをやらかしたのだ。周りからも何か言われただろうし、何より身内特有のショックもあったに違いない。


 でも、この子は決してそれを話してはくれまい。

 進学の理由を隠そうとしたように、俺のことを気遣っているのだ。自分だって、たくさん傷ついたはずなのに。

 優しくて思いやりのある――それは、あいつもまたそうだったはずなのに。


 自然と、拳に力が入る。


「隠さなくていいんだ。俺には教えて欲しい。あの件は、俺にだって責任が――」


「おにいちゃんはなにも悪くない! 全部あいつが、あの女が――」


 悲痛な叫びは続かなかった。

 途中で彼女は我に返ると、罰が悪そうにまた顔を背けた。


 すぐにまた、空気が静まり返る。重苦しさを感じながら、俺はただじっと葵ちゃんに向かい合う。

 幸い、誰かがやってくるような気配はない。かすかに感じた物音はやはり気のせいだった……たぶん、昂った神経による過剰反応だ。


 初めて見た。

 葵ちゃんがここまで声を荒らげるのを。激しい怒りをむき出しにするのを。

 あまりにもイメージと似つかわしくなくて、かなり戸惑ってしまう。


 もうなんとも思わないはずだった。無関心を貫ける自身もあった。

 けど、今、あいつに対して猛烈に憤慨している。実の妹に、ここまでの感情を抱かせる愚行を犯した。なのに、たぶんそれに気づいていない。

 それこそ自己中心的だ、どこまでも。


「すみませんでした、いきなり大きな声出しちゃって……でも、我慢できなくて。悪いのは全部あの人です。あんなに好きで大切にしてくれてたのに、あっさりおにいちゃんを裏切った。恋人の親友と浮気とか、ほんと信じらんない。そんなの、許せるわけないよ……わたしは、あの人のことを心の底から軽蔑する」


「葵ちゃん……いや、俺の方こそ軽はずみな言葉だった」


 あの件について、今ではもう自分の非を感じることはない。

 けれどもし、あのとき俺が我慢していれば。今でもあいつとの付き合いを続けていれば、葵ちゃんがこんな想いをせずに済んだかもしれない。

 改めて、ずいぶんと馬鹿げた考えだ。


 そんなものは、ただの幻想だ。やさしさの押し付け、傲慢な自己犠牲。そんな言葉に揺らぐような子ではない。彼女が気にしている点は別のところにある。


 沈黙が続く。

 葵ちゃんは決してこちらに目を合わせようとはしない。俺もまた、視線を一つに置くことができてはいない。


 こんなときに掛ける言葉を俺は知らなかった。

 あまりにも他人を避け続けてきたツケがいよいよ回ってきた。

 もどかしくて、情けない――


「ごめんね、おにいちゃん。やっぱりわたし、声をかけるべきじゃなかった」


「……何言ってんだよ。葵ちゃんが謝ることなんてないだろ」


「わたし、あの人と同じことしてる。過去を掘り返して、おにいちゃんの傷口を抉って……サイテーだ、遠くで見ているだけにしようと思ってたのに」


「そんなことねえよ」


 つい言葉に力が籠る。

 そんなことは決して言って欲しくない。そんな顔を決してして欲しくない。

 彼女に悪いところなんて、万に一つもないのだから。


「嬉しかったよ、久しぶりに会えて。声をかけてもらえて。だから、罪悪感なんて感じなくていい。ありがとう、昔みたいに接してくれて」


「おにいちゃん……」


「ずっと俺のこと気遣ってくれてたんだろ。それだけで、あいつとは全然違う。あいつはいつも自分のことだけ……って、妹に言うことじゃないよな」


 冗談めかして、自然と微笑みかける。我ながら、もう少し気の利いたことを言えないものだろうか。


 でも、葵ちゃんも少しだけ表情を和らげてくれ。

 ちょっと控えめなぎこちない笑み。一瞬だけ、その姿が幼く見えた。


 こっちの表情の方がよっぽどいい。

 暗くて辛そうな表情は、この子には決して似合わない。


「いいえ、平気です。あの人とは、絶縁しましたから、わたし」


 ひときわ真面目な顔をして言うと、葵ちゃんは悪戯っぽく笑うのだった。

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