第13話 課外活動

 4階の渡り廊下の前で、生徒会長は立ち止まるとくるりと身を翻した。ウェーブした髪がベールのように宙を舞う。


「で、この先が部活棟」


 その背後からは、色々な音が、熱気がよく伝わってくる。散策しているうちに、部活動の時間は本格的に始まっていた。

 ちなみに、1階からでも別棟には行くことは可能。どちらにせよ、俺にとっては未知のエリアだ。


「えー、そんなのまであるんだ!? やっぱり、前いたところとは全然違うや。設備も色々と豪華だし」


「まー、ウチは部活動にも力入れてるからね」


 先輩はなぜか自慢げな笑みを浮かべる。生徒会を率いるものとしては、やはり誇りに思うものなのかもしれない。


「ところで、桐川さんは部活とかどうなの?」


「ええと、前の学校では特には……実は中学のころから帰宅部で」


「アイドルやっていると、時間ない、か」


「……し、知ってるんですか!」


 桐川は調子外れな声で目を丸くした。

 驚きがよく伝わってくる反応。教科書に乗せたいくらい。


 少し意外な反応だ。

 同じことを思ったのだろう。生徒会長の方も、ちょっと微妙な表情をしている。


「うん、まあ。結構、噂になってるんじゃないの」


「みたいです、ね。――正直、隠しておきたかったんですけど……はずかしいから」


「えー、どうして? すごいことじゃない。動画見たよ、ダンスキレッキレだった。衣装もすっごい可愛くて、よく似合っていたわ」


「……ありがとうございます」


 真っ直ぐな誉め言葉が、ずいぶんくすぐったかったらしい。

 桐川の顔は、余すところなく真っ赤。その範囲は耳まで及び、伏せた目はあからさまに泳いでいる。さらには、手遊びまでして。


 聞いている俺も、よくここまで言えるなとは思っていた。

 しかも大真面目な顔で、言葉の端々に暖かさを込めて。これが、この人の生徒会長たる所以ゆえんなのかもしれない。

 改めて、少しだけ感心する。


「でも、ただ地方で細々とやっていただけですから、そんな大したものじゃ――」


「あんまり卑下ひげしたらダメよ? ね、仙堂もそう思うよね」


「……え。まあ、そうっすね。――誇れることがあるのはいいことだと思うぞ」


 どうしていきなり俺に振ってくるのか。

 とっさのことに理解が追い付かないまま、それらしいことを言ってみる。

 しかし、改めて考えてみると、ひどいな自分。当たり障りがなさすぎて、ひどくもどかしい気分になった。


 それでも、少しは効果があったらしい。いや、生徒会長の包容力溢れる言い方が効いたんだろう。

 強張っていた桐川の表情が、ちょっとだけ柔らかいものへと変わった。

 

「そう、ですかね」


「うん、絶対そう。――じゃあ、アイドルは今休業中なんだ」


「休業というか……やってないのは事実です。ユニットも、事務所も辞めちゃったから。でも、一応、歌とダンスのレッスンは続けてて――って、そんな本格的にってわけじゃないですけど」


 元アイドルは、どこかで見たようなはにかみ笑いを浮かべる。

 意外と恥ずかしがり屋……アイドルやってたんなら、いくらでも慣れて居そうなものだが。


「だからその、部活動とかは考えてないんです」


「そっかー、うん、いいと思うよ。個人的には、生徒会に入ってくれたらなーとか思ったり」


「ええっ! そんなあたしには無理ですよー」


「いける、いける。桐川さんは責任感が強そうだから大丈夫!」


「……アンタ、全然諦めてないな」


 その盛り上がりぶりに、さすがに水を差した。そうでもしないと、このご高説が無限に続きそうな気はした。

 それに、相手の方も少し困惑気味……いや、勢いにひいているのか。どう見ても、あれは愛想笑いだ。


 あまりにも不躾な言い方過ぎたらしく、生徒会長が不機嫌そうに睨んでくる。

 無視だ、無視。気づかないフリ。触らぬ神に祟りなし……わざとらしく視線を逸らすと、ちょうど同級生と視線がぶつかった。


「そうだ、仙堂君は何も部活動とかしてないの?」


「してたら、ここにいないだろうな」


「あ、そうだよね。ごめんなさい、わざわざ付き合ってもらって」


「いや、気にしないでくれ。今のも嫌味のつもりじゃない。最終的に、決めたのは俺だしな」


 予想外の反応に、戸惑いながら取り繕った。この女を相手にすると、何か調子が狂う気がする。


 今だってそうだ。

 実際、帰るという選択肢はあった。

 そうしなかったのは、少しは他人に歩み寄ろうとした……のではない。そう簡単に、主義を変えるつもりはない。


 自分が始めたことに対する責任感。

 生徒会長に押し付けることへの罪悪感。

 そういったものに背中を押された。だから、桐川ひめのは関係ない。


 それに昨日の今日で、家に帰るのが億劫だった。

 ……これが一番の理由かもしれない。


「ただひねくれているだけよね、仙堂は」


「あ、それわかります!」


「……誉め言葉として受け取っておく」


「ふふっ、なあにそれ。――でも、仙堂ももったいないわよね。あんなに運動神経いいのに」


「へー、そうなんですか」


「そうそう。体育大会とか、大活躍じゃなかった?」


「なんで知ってんすか」


 そのころ、俺とこの人は顔見知りではなかったはず……。


「生徒会長だから!」


 背筋を伸ばして、ドヤっと一言。

 そう言われては返す言葉がなかった。これ以上追及するのはあまりにも不毛だ。


「そういえば中学とか、部活どうしていたの? 聞いたことなかったよね」


「あれ、そうでしたっけ。――喉渇いたんで、何か買いに行ってもいいですか」


「うわー、これまたあからさま。逃げる気でしょう」


「……2人の分も買ってくるから見逃してください」


「それならいいか。はい、お金」


 素直に、生徒会長から500円玉を受け取った。

 多すぎると思ったが、俺と桐川の分もコミらしい。

 実に太っ腹である。


「えー、そんな、悪いですよー」


「気にしないで、転校祝い……って、祝うものなのかしら」


「さあ、まあいいんじゃないですか」


「テキトーねぇ、仙堂は。――あれね、出会いに乾杯とかってやつ」


「酒でも飲む気ですか? 一発退学っすよ」


「乾杯にどんなイメージ抱いているの、キミ……普段から呑んでるんじゃないでしょうね」


 あらぬ誤解を掛けられて、さすがに顔をしかめた。

 相手の方も、飽きれているらしく半目で睨んでくる。


 ちょっとした沈黙が広がる。

 だが、それはこの場にいるもう一人の笑い声によって破られた。


「仙堂君、しきし――ここは先輩と本当に仲良しなんだね」


「そう見えるんなら、おたくの眼は節穴だ」


 吐き捨てるように言って、俺はさっさと一階へと向かった。



    ◆


 

 本校舎はすっかり静まり返っている。

 下校時間もだいぶ過ぎた今となっては、行き交う生徒は皆無。


 この時間まで購買がやっていることを、俺はたった今初めて知った。


「ありがとうね」


 店員のおばさんの声を背に、その場を立ち去る。

 腕の中には、3本のペットボトル。リクエストは訊き忘れたから、チョイスは完全に当てずっぽう。先輩すら、その好みを知らない。


「おにいちゃん……?」


 ひっそりとした1階廊下。空気はどこかひんやりとして、少しだけ厳か。

 静けさの中、その声はしっかりと俺の耳に届いた。躊躇いがちで、少し弱々しい高い声。


 瞬間、大きく心臓が跳ねる。強く、激しく血液が全身へと流れだす。


 俺には弟妹はいない。

 幼い親戚はいるけれど、当然、1学年下ということもなく――


 だから、その呼び方をするのはたった一人しかいない。


 ぐっと息を吸い込んで、ゆっくりと振り返った。


 そこにあったのは、予想していたのとは違う背格好。

 けれど、思い浮かべた人物が成長した姿だとは思えた。ところどころに、少し昔の面影が残っている。


 一気に身体が熱を帯びていくのを感じた。

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