第22話 不穏な雲行き

「出ないの、仙堂」


 予期せぬ来客に身を固めていると、クラスメイトがキッチンから顔を突き出してきた。当たり前だが、とても不審げだ。


「…………いや、出る」


「そ」


 釈然としない様子のまま、奴は顔を引っ込めた。再び、皮を剥く音が聞こえてくる。さすがに、鼻歌は復活せず。


 はぁ。

 ちょっと大きくため息をついて、俺は通話ボタンを押した。


「おにいちゃん!」


 開口一番、必死な声が飛んでくる。

 その声量に、俺はビクッとしながら後ろを確認した。


 皮剥き職人にこちらを気にした様子はない。どこまでも真剣な様子で包丁を動かし続けている。まさに、匠の技。


 とりあえず音量設定を弄ってから、通話相手に声をかけた。


「葵ちゃん、どうしたんだ」


「どうした、はそっちだよ! お母さんから聞いたよ、風邪ひいたって。大丈夫?」


「ああ。もうだいぶよくなったよ。ありがとう、様子を見に来てくれて」


「……ホント? 無理してない?」


 画面の向こうの幼馴染は、とても心配そうな表情だ。

 昔からよく見せつけられていて、正直、この顔を前にすると弱い。あのときとは違い、泣き出しそうな感じはないが。


「そんなことない。それに、そろそろ誰か帰ってくるだろうしな」


「……じゃあそれまで一緒にいてもいいですか」


「いや、それは……」


 再び後方を確認する。

 カウンターに載った小皿に、兎を模した林檎が並んでいた。なかなか器用なことをする、と妙に感心してしまう。


 その奥で、クラスメイトは後片付けをしている。じっと見てたら、向こうから不思議そうな目で見返されてしまった。


 なるようになる、か。

 これ以上、ここで攻防を続けるのは厳しい。そもそも、せっかく来てくれたのに追い返すという選択肢はない。


「わかった。今玄関開ける」


 通話を切って、俺はちょっと桐川の方へと近づく。

 ちょうど、やけに丁寧に手を拭いているところだった。


「客が来るけど、あとで紹介するから」


「ん、わかった。――お行儀よくしてるね、仙堂君!」


 ニコッと微笑んで、桐川は大げさに頷いた。


 切り替えの早さは並々ならぬものがあるな……呆れを通り越して、もはや尊敬の域に達してきた。


 軽く首を振りながら、リビングを出る。

 とりあえず、葵ちゃんに状況を説明するのが先。

 そう思いながら、鍵の開いていた玄関の扉を開けた。


「葵ちゃん、わざわざありがとうな」


「ううん、気にしないで。――おじゃましまーす」


 おずおずと、お隣りさんが躊躇いがちに入ってくる。


 さっき画面では見たが、制服姿はとても新鮮だ。この前のジャージ姿とはまた違った雰囲気がある。

 そもそも、中学のときに制服姿を見た覚えがない。こうしていると、いつもよりも距離を感じるというか。本当に大きくなったんだな、とよくわからない実感まで湧きだす。


 ぼんやりと眺めていたら、突然葵ちゃんが動きを止めた。


「……ねえ、おにいちゃん。この靴、だれの?」


 こちらを見ることなく、2人目の来客はぼそりと尋ねてくる。

 俯き加減に、やや不自然な体勢。その視線はしっかりと下を向き、ある一点を凝視しているようだった。


 目で追ってみると、そこにあるのは女物のローファー。きちんと揃えられ、踵はピッタリ靴脱ぎの縁にくっついている。


 先に気づいたのなら話は早い。わざわざ切り出す手間が省けたというもの。

 だというのに、少しも前向きな気持ちにならないのはなぜだろう。むしろ、隠し事がバレたときのような危機感が胸を締めている。

 長い付き合いの幼馴染の、初めて聞くあのぞっとする声のせいかもしれない。表情と相まって、ひたすらに空恐ろしかった。


「……ええと、クラスメイトが来てるんだ。プリントを届けてくれて」


「ふうん、そうなんだ。いい人なんだね」


 今度は一転。笑顔と明るい口調。しかし、いわゆるその目の奥は、というやつ。可愛らしい頭の中に、どんな考えが渦巻いているのか。

 確固たる事実のはずなのに、なんかみっともない言い訳をした気分になってくる。


「まあその、リビングへどうぞ」


 言わなくていい言葉を吐いて、相手を先導することに。正直、今の葵ちゃんとあまり向き合いたくない。


 待たせていた客人は、なぜか先ほどまで俺のいた場所に座っていた。足を横で揃え、しっかりと背筋を伸ばして。横顔はかなり気楽そう。


「……あの人」


「ああ、さっき言ってたクラスメイトだ。桐川さん」


 部屋の入り口で、簡単に紹介しておく。

 が、葵ちゃんの顔は依然として強張ったままだ。ただじっと、見慣れぬ一つ上の先輩を眺めている。


 会話はしっかりと奴の耳に届いていたらしい。

 間髪入れずに、向こうの方からやってきた。よく見る親しみやすい笑みを浮かべて、足音を立てずに滑らかに。


「初めまして、桐川ひめのです。最近転校してきたばかりで、お兄さんにはいつもよくしてもらってて」


「…………はい?」


「あれ、仙堂君の妹さんじゃないの?」


 2人がほぼ同時に首を傾げた。どちらも見た目は大きく違うのに、不思議がる仕草はそっくりだ。


 途端、部屋の中の雰囲気が不穏なものへとかわる。


 ここは我が家のはずなのに、なんだか無性に帰りたくなってきた。


「だって何度もおにいちゃんって」


「あ、ああ、あああ……あれはその、ええと――」


 容赦のない転校生の指摘に、幼馴染の目が一気に見開いていく。同時に、すっかり顔も真っ赤に。

 よほど恥ずかしいらしい。包み込むように、両手を頬に当てだした。あわあわと、その口から意味のわからない呟きが漏れている。


 しかしこいつ、ちゃんと聞き耳を立ててたんだな。澄ました感じに大人しくしていると思ったら。

 だが、これは葵ちゃんの自爆……いや、すでに来客があるなんて予想つかないからしょうがないか。先輩と他人行儀に取り繕う余裕がないほど、俺を心配してくれた。というのは、ちょっと自惚れが過ぎるだろう。


 ともかく、このままだとは穴でも掘りかねない。

 誤解を解くのはこちらの役目。なのはいいんだが、どうにも桐川の奴わざと言っている節がある。なんとなく、言動仕草全てが大げさすぎる。

 ……考え過ぎか。意外と抜けているところもあるしな。


「この子は、隣に住んでる子なんだ。それでずっと昔から一緒で、歳は一つしか変わらないけど、本当の兄のように思ってくれてるみたいでさ」


「へー、そうなの! 幼馴染ってやつだね。すっごい素敵! 羨ましいなぁ」


「……わざとらしい」


「何か言ったかな、仙堂君?」


 にっこりと圧を掛けられて、俺は小さく首を振り返した。

 それなりに小声で言ったつもりなのに、桐川ひめのは耳がいい。例の立ち聞きの件も含めれば、間違いはなさそうだ。


 同級生から逃げるように視線を移すと、葵ちゃんは少しは落ち着きを取り戻しているようだった。顔はもう赤くない。ただ、髪の隙間から見える耳にその名残があるけども。


「……ええと、藤代葵です。さっきは取り乱してしまってすみません」


 おずおずと進み出ると、彼女はペコリと頭を下げた。


「ううん、大丈夫。あたしのほうこそ、変な勘違いしてごめんね」


「いえ、もとはと言えばわたしがのこと紛らわしく呼ぶから。直さなきゃって、思ってるんですけど」


「いいんじゃないかな。2人が仲のいい証拠だよ、それ。とっても微笑ましい。――ねー、仙堂君」


「……なぜ俺に言う」


 いきなり振られて、半目で相手の方を睨む。

 が、どこ吹く風。ケラケラと笑って、クラスメイトは大層ご機嫌だ。


「照れてる?」


「なわけ」


 しつこさに呆れて、視線を戻す。

 厄介なことになったものだ。


 視界に入った葵ちゃんの表情は、どこか浮かないものだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る