2章 深まる交流
第11話 接近
今朝の教室は輪をかけて騒がしい。
その中心は、自席のすぐ隣り。窓辺の一角は、何かしらのイベント会場と化している。無秩序な握手会といったところ。
果たして、無事に着席することができるのだろうか。
歩きながら、少しだけ億劫になる。とはいえ、朝読書の時間はもうすぐそこ。他に取る手もなくて、なんとか人の波をかきわけていく。
「おはよう、仙堂君」
「おう、おはよう」
なんとか辿り着くと、タイミングよく騒ぎの中心人物がこちらを向いた。ばっちりと目が合ってしまう。
流れで起こった挨拶の連鎖を軽く捌きながら、席に着く。これだけ人が集まっているというのに、俺の席は空っぽだった。
しかし、昨日の今日なのに、転校生人気は衰え知らずだ。ちらりと、左隣りの様子を窺う。
むしろ、昨日より勢いが増している……ちらほらと、見ない顔もあるような。
まあどうでもいいか。多少窮屈だが、そこまで迷惑ということもない。
それに――
「おーい、読書の時間だぞー。さっさと席戻ってー。ま、部外者はもう手遅れだと思うけど」
チャイムと一緒に気だるげな声が教室中に響く。
このクラスのボスが教壇に向かって進軍中だった。
ガタガタと騒がしい音がして、いくつか人影が教室を飛び出していく。案の定、パパラッチには他クラスの人間も混じっていたらしい。
そのうちに、静寂の時間が訪れる。
なんともまあ賑やかすぎる朝……教師が教師だったら、ブチ切れていそうだ。
その後、
当たり前だが、二日連続して転校生がくるなんてことはない。何の事件もなく、ホームルームはいつも通り高速で終わった。
「仙堂君、これ、ありがとう!」
「どういたしまして――これは?」
1時間目の準備をしていると、横からノートの束が差し込まれた。間違いなく俺のもの。
ただし、その山の頂上には違和感のある物体が。小さな袋に入った、丸い小麦粉の塊。見た目は綺麗なクリーム色。
「クッキーだけど」
「見りゃわかる。こんなものまで貸したか?」
「ううん。お礼。一応手作りなんだけど、よかったら」
「はぁ」
つい間の抜けた声が出てしまった。少しも予想していなかった。
改めて、クッキーの入った袋に目をやる。
市販品と見紛うほどの出来栄え。わざわざ用意するなんて、なかなかどうして律義な奴だ。
「とりあえず、ありがとな。貰ってとく。でも、別に気にしなくてよかったんだぞ」
「それはちょっとムリかなー、なんて。ほら、仙堂君にはいろいろと助けられたから。たとえば、昨日あたしが迷子になったときとか」
「秘密だったんじゃないのか」
「そうだけど、なかったことにしたわけじゃないからね。――それに、残りのノートもお願いしたいし」
言い終わると、桐川は手を合わせて拝み倒してきた。
乗り掛かった船だし、今更断るつもりもない。
ただ正直、もういらないと言われると思っていたが。
◆
「仙堂のところに来たでしょ」
黙々と
空は昨日の天気が嘘のように晴れ渡っている。おかげで、屋上はこれ以上ないほどに居心地がいい。
手を止めて、ちょっと離れたところに座る相手の方を見る。
そよ風で、ふわふわとご自慢の髪が揺れている。相変わらず、座り姿勢は上品だ。
「なにがですか? 不幸の手紙?」
「え、最近流行ってるの?」
「いや、俺は知らないですけど」
会話は気まずい沈黙に終わる。
お互いに、顔を見合わせてやや固まっていた。
とりあえず、俺の方は野菜類を片す作業を再開する。人生でも、なかなかに退廃的な時間だと思う。
「転校生よ、転校生。桐川ひめのさん、であってるよね」
「ああ、それか」
「キミねぇ、初めからわかっていたでしょ」
「いやまったく」
目を細めて疑ってくる会長に、首を振って答える。
正直、そんな気はしていた。ただ、この人もまた転校生にご執心だとは思わなかった。そんなミーハーには見えないが……。
「あれですか、生徒会長として興味があるとか」
「それもあるけれど」
ぼかした言い方をして、先輩はスマホをポケットから取り出した。無機質な手帳型ケース入り。
会長がぐっと距離を詰めてくる。少し操作してから、画面をこちらに見せつけてきた。
何かの動画。そこには――
「この子よね、桐川さん」
「……そうっすけど」
1分に満たないショートムービー。
ひらひらの衣装を着て踊っているその顔には、確かに見覚えがある。
その姿は、最近クラスで囲まれがちの転校生とピタリと重なった。
ただ、何か違和感があるような……。
「これは?」
「ウチの生徒のSNSに挙がってたやつ。あいどる、をしてたらしいよ、彼女。怖いよねー、すぐ拡散されちゃうんだもん」
「それを把握しているアンタも怖いけどな」
「知り合いのを見てたら偶然……って、敬語」
「はいはい、すみませんでした」
「私のこと、あんまり年上だと思ってないでしょ」
何とも言えなくて、俺は聞こえなかったフリをした。
そこに対してあまり壁を感じたことはない。というか、年上だからこそ比較的気を遣わずに済む相手ではある。
それにしてもアイドル、か。
突拍子もない、ひどく現実離れした事実。だが、不思議と、そこまでの驚きはない。むしろ、桐川ひめのにはしっくりくる。見た目や振る舞いはそれらしい。
しかし、なんで一瞬でも違和感を覚えてしまったんだろう。
笑顔で踊っている姿はとてもサマになっていた。本人も、一生懸命で楽しそう――それこそ、煌めいているというやつ。
まあパッと見ただけだから、そういうこともあるか。
それにしても、どうしてそんな奴がこの高校に……あれか、芸能活動が忙しくなってとか。
まあ、理由はいろいろあるんだろう。個人の事情に首を突っ込むつもりはない。
俺としては、自分の日常が崩れなければそれで。
「それで、どんな子なの、桐川さん」
「俺がわかると思いますか?」
「そうね、人選を間違った」
珍しく腕を組んで、生徒会長は苦々しく吐き捨てた。
「第一、こういうのは人に聞くことじゃないわよねー」
難しい顔で言うと、彼女はさっきまでいた場所へと戻っていった。
何なんだ、いったい……気にはなる。でも、藪蛇なような気がする。
すっかり昼飯も食べ終えたので、俺はポケットから例の小袋を取り出した。
「あー、なにそれ」
「クッキーですけど、見たことないんですか?」
「いちいち揚げ足取らないと死んじゃうの、仙堂は」
ひどく悲しい顔をされてしまった。
反射的に言葉をぶつけるのはやめよう。と、明日にでも消えそうな決意をしておく。
「手作りでしょー、それ」
「……よくわかりますね」
「まあね~。――で、キミが作った……って、なわけないか。料理とかダメそうだもんなぁ」
まじまじとこちらの顔を見つめると、生徒会長は小さくため息をついた。
なんともまあ失礼なお方だ。
……が、紛れもない事実なので返す言葉もない。
ここは、この人の慧眼ぶりを認めるべきか。なんかちょっと釈然としないが。
「噂の転校生の、ですよ。食べます?」
「ううん、やめておく。それはその子に悪いもの」
「……はぁ」
「ちゃんと感想言ってあげるんだよ? ――じゃあ、お姉さんはこれで」
「なんすか、それ」
すくっと立ち上がると、こちらの言葉など聞こえなかったように、生徒会長は屋上を後にする。
コツコツと靴音がリズミカルになっていく。
遠ざかっていく後ろ姿はとても凛としていて、先ほどまでの雰囲気を感じさせなかった。
変な笑い方をしやがって……。
品はあるが、どこかからかうようなそんな微笑み。余裕たっぷりというべきか。
一人残された俺は、構わずクッキーを手に取る。
そして、躊躇いがちに齧って――
「……うまいな」
と、小さく呟くのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます