第12話 墓穴

 放課後になってすぐ、俺は桐川に話しかけた。

 ずっと、あのお気楽生徒会長の言葉が気になっていた。確かに、手作りだというなら感想ぐらいは言うべきか。


「あのさ、クッキー美味かった。ありがとう」


「ホント! よかったぁ、お口にあったのなら幸いです……なんて」


 一瞬にして、パーッと相手の表情が輝いた。

 しかし、すぐに照れくさそうな笑顔へと変わる。口元をちょっと手で隠して、目線は下の方へと。


 桐川ひめのはアイドル……そう思えば、こうした仕草は本当に。いや、逆かもしれない。

 アイドルだからこその振る舞い。うまいことファンの心をくすぐるあざとさと言い換えることもできそう。

 なんていうのは、いくら何でも捻くれた見方すぎるかもしれない。

 実際のところは、極めて自然な反応に見える。


「ん、どうかした?」


「いや、別に……」


「そう? じゃあまた今度、作ってくるね」


「いや、それは――」


 いい、と言おうとして言葉をしまい込んだ。

 どうせ謎の押し問答が始まる。そして、なんだかんだで俺が敗北するのだろう。ちょうど、朝のときのように。

 というか、こんなものはただの社交辞令。まともに取り合う方が変かもしれない。


 中途半端に黙ったせいで、向こうは少し不思議そうだ。首を傾げ、長いまつ毛が々上下している。改めて見ると、本当に整った顔だと思った。


 ……ったく、あの人も余計なことを教えてくれる。

 いちいち例の情報が頭を過ってしまう。そんなことに何の意味もないのに。


「ところで、何か困ってることないか。といっても、俺にできることなんてたかが知れてるけど」


 気まずさから、つい思い付きを口にした。

 恩を受けたら返す。そんな人としての最低の礼儀は、さすがの俺も持ち合わせている。


「もしかして、お礼のつもり? もー、これは道案内とノートの分であたしがお礼をしているだけなのに。これじゃあ終わりがなくなっちゃうよ」


「元々、初めから釣り合いが取れてなかったろ。ほら、クッキーは3枚あった」


「……ぷっ、なにそれ。仙堂君、意外とユーモアのセンスあるんだね」


 桐川は本当におかしそうに笑っている。

 そこまでだっただろうか。確かに、今のは自分でもちょっと無理があるなとは思ったが。


 やがて、笑いが収まると相手は少し真面目そうな顔をする。

 柔らかそうな頬を何度か叩いて、何かを考え込んでいるようだ。


「まあそこまで言うなら、校内を案内してもらえるとうれしい、かな。校舎が広すぎて、どこに何があるかホントわからなくて」


「方向音痴だし?」


「それは言わない約束でしょ!」


 ちょっとムッとしつつも、すぐに転校生は顔をほころばせた。本当に笑顔が多い奴だ。これもまた、アイドルゆえ、か。


 しかし、校舎の案内ね。

 自分にできることの範疇ではある。一応、ここには1年以上通っているわけだし。

 だが、実際問題、俺だって狛籐高校の全容は把握しきれていない。ただ、ひたすらに校舎が巨大すぎるのだ。


 それに、そういうことならうってつけの人物がいる。まさに学校を熟知している生徒の長。

 というか、その人くらいしかほかに頼れる人間がいないというのが実情。


「なら、まず行くべきところがある」


「はい?」


 キョトンとする転校生を連れて、俺は教室を出た。

 教室は未だに慌ただしかった。


 やや後ろを気遣いながら、目的地へと向かう。

 放課後だけあって、廊下は人通りが多い。何が珍しいのか。やたらとすれ違う人間から視線を感じた。

 もっとも、原因にはそれとなく心当たりはあるが。


 やがて俺たちは、3階のとある教室前で立ち止まった。

 桐川がふと首を上げる。まっすぐに伸びた背中で、さらりと髪が揺れた。


「ここって……セートカイシツ?」


「そうだ。――失礼します」


 がらりと扉を開けると、簡素なデスクに目当ての人物が座っているのが目に入った。

 俺たちを認識すると、すぐに相手の顔いっぱいに笑みが広がる。誰の警戒心も解くような、人懐っこそうな笑顔。


「あら、仙堂が来るなんて珍しい。――見慣れない子……もしかして転校生さん?」


「はい、そうです、けど……」


 ニコッと、微笑むと部屋の主はゆっくりとこちらに近づいてきた。

 そして、まじまじと俺じゃない方の闖入者を見つめる。この人の方がちょっと背が高い。てっきり逆だと思ってた。


 正直、相手が自分じゃなくてホッとした。その視線の強さは、なかなかに気恥ずかしさを感じてしまう。


 さすがの桐川も、ちょっと戸惑っている様子だ。少し身体を固くして、上級生と向かい合っている。

 まあ、いきなりこんな場所に連れてこられたんだから無理もないか。


「ごめんね、いきなりでびっくりしたよね――敷嶋心葉しきしまここは狛籐ここの生徒会長をしています」


「あ、はい……えっ、生徒会長さん!? え、ええと、あたしは桐川ひめのです。昨日転校してきて、仙堂君とはクラスメイトで、その――」


「よろしくね、桐川さん」


 慌てふためく新参者に対して、会長が優しく手を差し出した。

 おずおずと2人が握手を交わす。どちらも、どこか嬉しそうに見える。実は相性がいいのかもしれない。


 とてつもなくほのぼのとした光景が、厳粛な部屋の中に繰り広げられていた。


 ひたすらな疎外感。

 せめて、会長の他に誰かいてくれれば、この想いを共通できたのに。


 挨拶が終わったところで、俺は改めてここへ来た目的を伝える。

 すると、生徒会長は満足のいった表情で深く頷いた。これなら、安心できそうだ。つまりは、俺の役目も終わりということ。


「そういうことならお安い御用だけど――仙堂、乗り掛かった舟、って言葉知ってるよね?」


「まあ、それは……はい」


「桐川さんも、仙堂がいた方が気楽だよね?」


「ええと……どうでしょ」


 あはは、とあからさまな空笑いが虚しく響く。


 何かを期待するようなクラスメイトの目に、俺は耐えられなかった。

 まあいいか。特に帰ってからやるべきことがあるわけでもない。

 それに、校舎のことを知って損することはないだろう。

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