第15話 残響

「ところでさ、部活とか大丈夫か?」


「……え?」


「いや、その格好でこんな時間まで残ってるってことは、何かやってるんだろ」


「ああ、はい。バドミントンをまだ」


 葵ちゃんはどこかぎこちなさそうに教えてくれた。


「もしかしてさ、スポーツ推薦?」


「いえっ、さすがにそこまでじゃ……」


「そうなんだ。女子の部長、いつも褒めてたけどな。大会でも結果出てたし」


 練習自体を観る機会はあまりなかった。部長になってからは、本当に男連中のことだけで手いっぱい。

 それでも、いつも気にするようにしていた。


 長い付き合いで、ある意味では本当の兄のような気分。運動が得意なイメージはなかったから、どうなることかと思ったが、杞憂だった。

 身体は小さいながらも動きはダイナミック。コートの中を、素早く跳ねるように動いていく。ご自慢のポニーテールを揺らしながら。

 その姿を、今でもしっかりと思い出せる。


「先輩は、辞めちゃったままなんですね。もしかしたらって思ったのに」


「まあ、そうだな。面倒になってってのもあるけど、一番は勉強との両立が……親には相当負担掛けてっから。――でも、葵ちゃんがまだバドミントン続けてくれてんのは、なんか嬉しいな」


「……ふぇ?」


「中学のとき、すごい一生懸命にやってたからさ。バドミントン、葵ちゃんに合ってるって思ってたから」


「そ、そんな……じゃあ、少しは続けた甲斐があったかな」


「それは大げさすぎるだろ」


 顔を赤らめたまま、葵ちゃんは小さく首を横に振った。

 昔からよく赤面してたっけ。そういうところは、あまり変わらないらしい。

 微笑ましくて、つい表情が緩む。


 誰かと話していて、こんなに暖かい気持ちになったのはずいぶんと久しぶりだ。

 転校生や生徒会長とは違った感覚。2人とも、それなりには気楽に話せているけど、負担を全く感じないわけじゃない。

 やはり気心が知れているから。あるいは、を共有できるからかもしれない。俺もこの子も、同じ奴に傷つけられた。


「そろそろ部活戻りますね」


「おう。頑張れよ」


「……あのまた今度、こうしてお話してもいいですか」


「もちろん。俺も久しぶりに話せて、楽しかったし」


 そういうと、葵ちゃんの顔がキラキラと輝きだした。


 というか、今更改まる関係でもないだろう。

 お隣り同士なのは変わらないし、空白期間があったとはいえ、付き合いはかなり長い。むしろ、今日まで何もなかったことが不思議だ。

 我ながら、ちょっと極端すぎたと反省する。


 眩しい表情をしていた彼女だったが、いきなりどこか身体を強張らせた。

 何か緊張しているような……。


「じゃあ、連絡先とか、リィンの教えてもらったり」


「え? あれ、してなかったけ」


「…………あのね、おにいちゃん。わたし、スマホオッケーになったの、高校生からなの」


 ムスッとした顔で、呆れられてしまった。

 そんな子供っぽい表情、今初めて見たぞ……その驚きの方が強かった。


 その後、葵ちゃんにリィンのIDを伝えた。部活中だけあって、スマホは携帯していなかったらしい。

 帰ったらすぐ連絡します――そう言って、妹のような幼馴染は慌ただしく廊下を駆けて行った。


 よく考えてみると、今更連絡先を交換するなんて不思議だ。

 いびつなお隣り関係……しょうがないか。今までは、恋人の妹だったわけだし。それに意外とあいつ、嫉妬深かったんだよなぁ。

 今となっては、マジで笑い話だが。

 

 完全に一人になってから、俺も4階へと戻ることに。

 ちょっと長話しすぎたかもしれない。


「あ、お帰り仙堂。わざわざありがとうね~」


 待ちぼうけなど感じさせない笑顔で、生徒会長殿は出迎えてくれた。

 本当におっとりした人だと思う。


「遅くなってすみません」


「ううん、おきになさらずー。何かトラブルでもあった?」


「いえ、そういうわけでもないんすけど」


「そう。ならいいのだけれど」


 これ以上、向こうに話を掘り下げるつもりはないようだった。にこにこと微笑んだまま、こちらに手を差し伸べてくる。


 ご要望を聞いてから、買ってから時間の経ったペットボトルを渡した。選ばれたのは、鳥の名前が入ったお茶。


「で、今日の主役は?」


「うーんとね、キミを探しに行った」


「……俺、ここにいますけど」


「だから、不思議なのよねぇ。道にでも迷ったのかも。やっぱり複雑だからね、校舎。探しに行こうかしら」


 少しも不思議そうに見えないし、心配そうにも見えない。

 きっと大した問題じゃないんだろう。待っていればいずれは解決する、みたいな。無頓着なのか、器が大きいのか。この人の場合は後者だと思う。


 俺も手持無沙汰に待つことに。

 絶対に迷子だ。あの女には、前科がある。さっきつい口走りそうになりそうだったが、約束を思い出して口をつぐんだ。


 まあ、すぐに要らない配慮になったわけだが。


「……あ、あはは。ごめんなさい、迷っちゃいました」


 戻ってきた転校生は、罰の悪そうな顔で自白した。



   ◆



 他の教室とは比べ物にならない広い空間に、イスとテーブルが一定の規則をもって並んでいる。

 だが、そのどれもが空っぽだ。


「ここが食堂……ちょっと憧れだったんですよねー」


「やっぱり、前の学校にはなかった?」


「はい。――ええと、その。仙堂君は、今日もここで食べたんだよね」


「……おう」


「あれ? 仙堂は今日も私とおく――」


「ちょっと、いいですか。先輩」


 自然と口を滑らそうとする共犯者を、慌てて少し離れたところへ連れ出した。


 当人は状況が分かっていないらしい。どこかきょとんとした表情だ。


「……あの、いいんすか?」


「何が?」


「屋上の件。一応、秘密なんですよね」


「えー、平気だよ。桐川、とてもいい子そうでしょう」


 この短い時間の間で、転校生はずいぶんと生徒会長の信頼を買ったようだ。

 果たして、相手の人柄か。それとも、この人の性質が理由なのかはよくわからない。


 ……まあ俺も、あいつがおいそれと人に話すような人間には思えない。話し相手には困っていないだろうが、ちゃんと話題の区別はつけていそうだ。

 でも、人はみかけによらないという言葉がある。というか、俺はそれを深く知っているわけで、万が一が気になってしまう。


「じゃあ、ここは話を合わせといてあげましょう。心配し過ぎだと思うけどねー」


「へいへい、ありがとーごぜーます」


 飛び切りに棒読み口調で吐き捨てて、放置したクラスメイトの元へと戻った。

 さすがに、あからさますぎたか。疑るような視線をひたすらに送ってくる。


「今日はね、生徒会室であたしと一緒だったの」


「……へ? そ、それって」


 一気に、桐川の目が見開いた。顔が上気して、心なしか声のトーンも上がった。

 意味ありげな視線で、俺と会長の顔を見比べ始める。やたらとまばたきの回数が多い。そして、かなり落ち着きがない。


 何か、盛大に勘違いされているような……。


「安心して、桐川さんが思っているような関係じゃないから」


「……なっ!? あ、あたしは別になんとも」


「でも、顔真っ赤よ、桐川」


 ちょっと身体を震わせて、我がクラスメイトは黙り込んでしまった。

 もはやそれが答えである。


 悪いのは……誰だろう。生徒会長の言い方か、転校生の想像力の強さか。

 いや、俺か。素直に本当のことを喋れば……いや、同じ結末を迎えてそうだ。しかも、もっとひどくなった可能性だってある。


「じゃ、次行こっか」


「アンタ、鋼メンタルか?」


「だって、いつまでもここにいても仕方ないじゃ――」


「あー! やっと見つけましたよ、会長!」


 先輩の豪胆さに呆れていると、誰かの大声が食堂に響き渡った。

 遅れて、その声の主が現れる。


「あら、後藤副会長。どうかしたの?」


「どうかしたの? じゃ、ありません!」


 後藤、と呼ばれた女生徒は生徒会長の声真似をしつつ、語気を強めた。

 結構似ていたな、今の。とは、部外者としての感想だ。


 眼鏡が特徴の、几帳面そうな女子。その顔には、どこか見覚えがある。

 副会長と言われて、ようやくピンときた。やはり、ステージ上で見たことがあるのだ。


「今日は、会議があるでしょ! また、こんなところをほっつき歩いて。視察、とでも言うつもりですか!」


「あ、もうそんな時間か。ごめんなさい、間に合うと思ったのだけどね。ちなみに、今日のは転校生の案内です。いつもと違って、正当な理由があるのよ」


「いつもとって、認めましたね、普段はそうじゃないってことを」


 副会長は、くいっと眼鏡を上げた。その奥の瞳は少し細まっている。

 落ち着きを取り戻した声は、少し冷たかった。これが、彼女の本来の声質なんだろう。


「ということで、ごめんなさい。私、ちょっと行かなくちゃ」


「いえいえ、ここまで本当にありがとうございました! 早く行っちゃってください、大丈夫ですから」


「申し訳ありません、ワタシからも謝ります。ただ、急いでいるので、ご挨拶はまた今度ということで――行きますよ、会長!」


「ひ、引っ張らなくたっていいじゃない~」


 生徒会の幹部コンビが、かなり慌ただしく去っていく。


 まるで、コントのような幕引きだ。

 生徒会長のあんな姿は初めて――でもないか。俺の前でも、よく墓穴を掘っていることはある。

 ああいう隙のあるところが、人気の一因なんだろう。


 だだっ広い空間に二人だけ取り残されて、ちょっと気まずさを感じる。

 横目で相手の表情を窺うと、見事なまでに無表情だった。ただじっと、食堂の出口の方を見ている。


 ……長い休憩のあとから、どうも桐川の様子はおかしい。どこかぎこちないというか、不自然というか。


「やっぱ、疲れたか?」


「……へ? あ、ああ、うん。そうかも」


 声をかけると、少し間があってから、桐川はこちらに顔を向けた。

 そこには、いつもの人懐っこそうな笑顔が広がっている。


 まあ確かに、これだけ色々と見て回ると疲れるよな。それはよくわかる。俺自身もそうだ。

 俺の場合は、謎のイベントもあったわけだが。


「じゃあ、俺たちも解散するか。ぶっちゃけ、あの人みたいに、俺はこの校舎を熟知してないしな」


「そうだね。そうしよっか……ごめんね、付き合ってもらって」


「いいって、別に。第一、それはもう一回話したろ」


「そうなんだけど……」


 やはり気になるのか。微妙な表情のまま、相手は顔を背けた。

 本当になんとも思ってないんだけど……これ以上は、言葉を尽くしても無駄か。余計に、負担をかけてしまうかもしれない。


「じゃ、教室戻るぞ」


「あ、それなんだけど。あたし、ちょっと行きたいとこあるから、先出るね」


「おう、わかった」


「また明日ね、仙堂君。今日は本当にありがとう!」


 桐川は、深く腰を折った。元アイドルらしく、よく洗練された所作。

 顔を上げると、ニコッと微笑んで、駆け足で食堂を出ていく。


 なんだ、あいつ……多少気になることは感じつつ、俺もゆっくりとその場を後にするのだった。


 ――総じて悪くない一日だった。

 校舎を出るとき、柄でもなくそんなことを思ってしまった。

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