第55話 休息
話の落とし処はついた。
夢見というのはとても不安定で定着し辛い。発露したとしてもしばらく経てば消える事も多い。
私はザイに促され、階段を登りながらそっと息を吐く。
私の行動によって、いくつかのイベントは消えた。だが、主人公エランの元にゲームの記憶を持つマリーがいるという事は、この先の未来はメインシナリオの大筋通りに動くのだろう。
皇国の王が身の程知らずな野心を棄てない限りは。
皇国はミーアを狙い、ミーアが上手く機能しなかった場合の保険として私に目を付けた。
ミーアは人間で、私は御使いだ。普通に考えればそれはおかしい事だとわかる。
様々な憶測や推測があっただろう。
アークの私に対する態度や本来の時間軸での記憶から察する事しかできないが、彼らは私が人間の手によって造られたモノとして決定づけた。
そうして私はゼノンの手によって捕らえられ、利用され、滅んだ。
それが本来の流れでもあるのだが、今の私はそれに違和感を覚えている。
道中に聞いたエランやミーアの話を聞く限り、ミーアよりも私を狙う輩の方が厄介に思う。襲撃の頻度や呪印を刻んだ何らかを携えて来る事を考えるとこちらが本命ではないかとすら思える。もっとも、ここ最近のものは随分と呪印自体が劣化しているので以前程の脅威は感じない。
ただの魔法付与された武器なら丸腰とそう変わりはない。
これは一体、何が原因で生じた齟齬だろうか?
ザイが立ち止まり、ドアを開ける。
早く入れと、目で急かすように訴えてくる。
「……大丈夫だというに」
「自分の顔を鏡で見てから言え」
苦笑して見せれば憮然とした答えが返ってくる。
私はそれ程酷い顔をしているのだろうか。
部屋に入ってなおザイは不機嫌だった。
寝台に腰を下ろすと身体の力が一気に抜けた。そのまま寝台に倒れ込むと睡魔に襲われる。
これは確かにザイが焦る筈だと納得する。ザイの大きな手が目を覆う。
「寝ろ」
「うん」
瞼が勝手に降りていく。
言葉を発するのも億劫ではあったがどうにか一言だけザイに告げた。
「あとはまかせた」
ベッドから足を降ろした中途半端な姿勢のまま、抗い難い闇の中を意識が転がり落ちていく。
ふわっとした浮遊感の後に肌に触れる毛布が心地よい。
そのあとはすとん、と底が抜けたような感覚と共に眠りに落ちた。
§
すっと眠りに入ったフェイの身体を抱き、ベッドへと寝かせ直し、毛布を被せる。
本来ならある筈のない様子にザイは顔を顰めた。
元が疲れとは無縁の存在だ。自身の限界がどこにあるのかわかっていない。
黄金の御使いの言葉の通り人間と変わらぬ身であればもっと分かりやすい。
皇国の手を逃れて以降、ここまでの旅程は決して楽なものではなかった。ヒトにとっては過酷な旅を平然と熟せる女が人間と変わらない筈がないのだ。
御使いは御使いだ。彼らの目から見ればそう変わらないと映るそれは、ヒトから見ればどのくらい下がったのかすらわからない。
それでもヒトに近くなった分、今まで拾う必要のなかった
その感覚に合わせきれずにフェイが必要以上に消耗し、苛立っているのは分かっていた。
だからこそ気を使っていたというのに。
「部屋に護りをかけずに寝こけておいて、何が大丈夫だ」
悪態を零し、ベッドに散った絹糸のような黒髪を指に絡める。癖も傷みもない髪は指の隙間をサラリと落ちる。再び指で掬い口づける。
その間も指の隙間をすり抜けてシーツに落ちる。
まるで彼女自身のようだとザイは思う。
どれだけ必死に掴もうと、身の内に抱え込もうと、気がつけばいつもフェイはザイの手を腕をすり抜ける。
まるで実体がないかのように。どれだけ抱きしめようと、触れようとも実感がない。
彼女の側に常にいるのに心の中には常に不安が付きまとう。
フェイにとってのザイは特別だ。
他者と比べて愛情も信頼も向けられている。
だが、それだけだ。人間も亜人もひっくるめてヒトという種としてしか見ていない。
その中でたまたま運良くザイはフェイの目に留まったに過ぎない。
今でこそヴェストで知己を増やしたフェイではあるが、時折零れる言葉の端にはそれらが垣間見える。
例えヴェストという国が滅んでも、リラやゴウキが非業の死を遂げたとしても憐みこそするが、嘆きはすまい。
彼女とヒトの死生観は全くの別物だ。
もし、とザイは思う。
もし、己が死んだなら、フェイは嘆いてくれるだろうか。
そんな淡い期待を伴った疑問が胸中に浮かぶ。
ザイは彼女にとっての特別ではあるが、どの程度の特別なのが未だに分からない。
確かな証が欲しい。
当初は彼女の特別であればそれで良いと思っていた。
夫婦の契りは鬼の仕来りだ。
フェイが己には関係ないと言えばそうなのだろうと納得していた。常に側に置いてくれるならそれで良いとさえ思っていた。名を交わした事を取り下げないと言ったのは本心からだった。
ザイにとってはフェイが全てだからだ。だが、同時にフェイの御使いとしての本質のようなものを感じ取っていた。
何だかんだと言ってもフェイは個に対する興味が薄い。本当の意味でこの『世界』という存在以外に個に執着する事はない。彼女が愛しているのは世界であって、そこに存在する砂の一粒がどうなろうと彼女の興味の対象ではないからだ。
契りがある限りは己に対する興味が失せる事がないと思ったからだ。
だが今は夫と認めて欲しい。
夫と認められたなら、その先をザイは求める。
今はそれ以上を求めるべきではない。
そう自身に言い聞かせる。
だが、
彼女の全てが欲しい。
彼女のものになるのは自分一人だけでいい。
彼女がザイを満たしてくれるならザイはいくらでも彼女を満たして見せようと。
唯一の番、唯一の特別であることを望んでいる。
フェイが認めずとも契約はほぼ成ったも同然だ。ザイがフェイの夫を名乗ったところで何の問題もない。
だが、フェイの口から言葉が欲しい。
もう、十分すぎる程に待った。最後はフェイを急かすような真似をした。
そうでもしなければフェイはずっと悩んだままだ。
弱り果て、気力が尽きた彼女をどうこうする気はない。
徐々に変化を見せる彼女を見てきた。
その変化に怯える彼女自身の戸惑いや躊躇いも。
だがそれは、決してザイにとっての悪い変化ではない。
「フェイ」
名を呼び手触りの良い髪を再び掬いあげる。
「早く、答えが聞きたい」
ザイは黒髪に口付けた。
§
「祈り?」
ザイの問いに銀の御使いは頷いた。
「消耗した御使いに必要なのは休息です。神核に力満ちるまで深い眠りに就きます。あの子が休眠に入ればあなたが生きている間に目覚める事はないでしょうね」
ザイの眉尻が僅かに上がる。
「黄金のがあなたに癒せと言ったのはこれです」
銀の御使いが眠るフェイの傷を服の上からなぞる。
「今のあなたなら見えるでしょう」
傷跡の辺りに黒ずんだ紫色の靄が凝り、絡んでいるのが見えた。
「あの魔晶石の片鱗か」
「正しくは魔晶石に刻まれた呪印のものです。本来の彼女であれば、あり得ない事ですが、今回ばかりは予想外の事が重なりすぎました。
どれか一つでも選択を間違えれば今以上に危うい状態に陥っていたのでしょうね」
だからこそ神は彼女に天啓を与えたのだろうと銀の御使いは思う。
「
「褒めているのか
「勿論、褒めていますとも」
銀の御使いはゆったりと笑った。
「その意志の強さと長きに渡る執愛ともよべるそれは神核を蝕む呪いにくらぶべくもない」
「つまり?」
「鬼の因子が強くなり始めた貴方ならこれを取り除き、塞ぐ事も容易いと判断したのです」
「あんた等の誰かがやるのが確実ではないのか?」
「
「……俺は鬼人だが」
「それはあなた達の区分に過ぎない。私達にとっては鬼人も
あと、先ほどのこの呪いに関してですが消す事は容易いですが、それを使って何かするといった器用で面倒な事は私達は得意ではない。けれど、
銀の御使いは軽い調子で告げた。
「
最近は国ひとつ消すのも色々と面倒になったものです、と零した銀の瞳が無機質なものへと変わり、場の空気が重さを増した。
つまりは、自分達では手を出せないのでザイが代わりにそれをやれという事だ。
それが御使いの総意なのだろう。
ザイは己の意識の深くを探った。
銀の御使いができるというならできるのだろう。
該当する感覚はあった。鬼の本質に限りなく近いものだ。
フェイの神核に絡むそれを見る。
彼女を苛み、手を煩わせたそれに関わったのはあの獣人と人間だけではない。
ザイとてその者ら全てを探し出し、それ相応の苦しみを与えた後で殺すつもりでいる。
それが容易な事ではないと思っていたが
「案外簡単なのかもな」
ザイの呟きに銀の御使いは穏やかな笑みを浮かべて頷いた
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