第9話 初めての珍事

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 この世界が始まってから、御使いたちには様々な役割が与えられた。

 それはこの世界がまだ脆く弱かった頃の話だ。


 徐々に世界が育っていくにつれ、役割を終えたと判断した御使いたちは天に昇った。

 その中でも最後まで天に昇らず、この世界を巡り続ける彼女は御使いたちの中では変り者だった。


 御使いの間に上下関係はないが、最後に生まれた彼女を御使いたちは気に掛けた。

 ヒトの概念に当てはめれば彼女は『すえのいもうと」になるのだろう。

 多くの種が暮らすこの世界の中で、ヒトは常に愚かだった。

 知恵を持ち、それを良くないほうへと使う者が他の種と比べて多かった。


 だが同時に種の存続や進化の可能性を一番多く秘めた存在でもあった。

 彼女の役割はヒト種とは関係のないところにあった。

 エネルギーの不安定な場所を宥めすかし、世界が成長する過程での負担を軽減させていた。

 その頻度は年月を重ねる毎に減って行ったが、今度は逆に偶発的に生み出された、または生まれた厄介なものの封印がその中に混ざりだした。

 そんなものは生み出したものらの責任なのだから放って置けば良いものをお人好しの彼女はだと言ってその管理も手伝うようになった。

 なんだかんだと言って天に昇らず厄介事を引き受ける彼女はこの世界を誰よりも愛し、楽しんでいるのだ。


 知恵をつけ、付け上がったヒトがそんな彼女を放って置く筈もない。

 この滅びと再生を繰り返す世界の中で彼女の存在を嗅ぎつけたヒトが彼女を執拗に付け回した事も一度や二度ではない。


 ヒトごときにどうこうできる存在ではないと分かっていたが、それでも御使いたちはその身を案じた。ヒトの知恵と技術は時として、御使いたちの予想を超える事がある。幾千の時の中、肝を冷やした事も一度や二度ではない。


 御使いたちきょうだいが入れ替わり立ち代わり天に昇るよう促しても彼女は頑として首を縦に振らなかった。


 役割を果たすのは天に昇ってもできようが、それでも彼女はこの世界の在り様と変化をその地に立って見守りたいと言い張った。我らが神に誓ってまで。


 彼女を説得する者はいなくなったが、それでもやっぱり心配で、時折こうやって様子を見に来ては彼女の話を聞いて帰っていく。


 そんな彼女の存在に大きな揺らぎを感じたのは御使いの感覚にしてついの事だった。

 最初こそ驚きはしたものの、その身に危険が及ぶ類のものではないようで揺らぎは徐々に小さくなりはしたが、その揺らぎはまだ続いている。

 続いてはいるが、落ち着きを取り戻していっているようで、御使いたちはひとまずは胸を撫でおろした。

 そうして注意を払っていれば、再び揺らぎだし、何事かと彼が見に来てみれば、小さなヒトの子と閉ざした森の中にいる。


 彼女の不注意でうっかり巻き込んでしまったのだろうと予想はついたが、違和感があった。

 御使いは個として完全な存在であると同時に神に最も近い存在である。


 この世界が生まれて数千の時の中、彼女がこのような失態を犯すのを見た事も聞いた事もない。警戒と戸惑いと複雑な思いを抱く小さな子供に対して何やら介抱をしている。

 彼女の内面が揺れ動いているのが分かったが、その原因がわからない。


 よくよく目を凝らしてみれば、影響を及ぼしている原因は彼女の神核たましいの中にあった。

 純粋な御使いのソレとは明らかに違うものが混ざり始めている。

 その異質な何かが浸食を始めるなら止めただろうが、彼女を構成する神核がそれを取り込もうとしているならば、問題はないだろうと彼はとりあえずの判断を下した。


 そうして一人になったところを見計らって声をかけた訳だが。


 樹の幹を抑えきれぬ激情に任せてばんばんと手のひらで叩き、ぜぇぜぇと肩で息をするその姿を見て彼が最初に感じたのは? という事だった。


 件の子供に対する心の反応をくるくると表情を変え、声を震わせ叫ぶ。

 それほどまでに取り乱した彼女を彼は知らない。


 なのに彼を「きょうだい」と呼ぶのだからやはり彼のいもうとである事に間違いないらしい。


 彼の知るいもうとはこんなに煩――忙しい存在ではなかった。

 静謐と静寂の似合う無垢で穏やかな存在だった筈だ。


 よくよく話を聞けば、彼女の前世と我らの神が関与した結果であるらしい。

 本来は記憶だけをいもうとに与える筈だったのが、色々と余計なものがついてきて、今の彼女になったようだ。


 神は万能に近い存在ではあるが、非常に不器用だ。天に昇った御使いの理由のひとつがそれでもある。彼女は純粋に神を奉じているが、他の御使いはそうではない。

 色々と不器用な神の起こした面倒ごとに巻き込まれ、これ以上は御免だと逃げるように天に昇った者もいる。


 その実情をいもうとに対して誰も明かさないのは純粋に神に信頼を置く無垢な彼女の夢を壊したくはないからだ。


 幸い神も彼女が一番可愛いようで、なるべく嫌われないように動いている節が随所にみられる。そんな彼女に今まで与えた天啓も本当にささやかと言えるものだった。


 そんな神がもっとも嫌われたくない彼女に厄介な天啓を与えた結果がコレだ。

 その天啓は嫌われてでも彼女に与える必要があったのだろう。

 解せないのは役割に関する一部を除いてはヒト種との関りが希薄な彼女に何故その知識を思い出させたかという事だ。


 この長い時の中で争いが起こり、文明が滅び、また新たものが生まれるを繰り返しているが、それらは全て御使いの関与しないところで勝手に滅び、勝手に生まれるを繰り返す。

 時折神や御使いの逆鱗に触れ、滅びたものもないことはないが、ほとんどの場合はヒト種の勝手だ。


 この世界が生まれる前に得た記憶がこの世界の未来さきを写しとった内容というのもおかしな話だが、世界の『外』は様々な時空が入り乱れている。未来のはるか先に過去がある事も珍しくない。

 この世界の未来の時間をたまたま拾った者が異世界にはいたのだろう。それを娯楽として加工し、広めたものに前世の彼女が触れる機会があった。


 彼女がたまたまその記憶を持っていたから都合が良かっただけと言われればそれまでだろうが、大まかな話を聞く限りで、彼女とは関係のないもののように思える。


 それとも彼女の与り知らぬところでこれから起こり得る出来事に彼女が大きく関わっているのだろうか。御使いの中で唯一前世というおかしなものを携えて生まれたすえのいもうとに。

 

 彼は祈らずにはいられない。

 天に昇る事を拒んだ彼女のそんざいの安全を。

 ただただ無事でいてくれればそれで良いのだから。

 例え、彼女の愛する種のいくつかが滅んだとしても。


(それにしても……)


 彼はいもうとを見る。

 頬を赤く染め、名を貰ったのだとどこか嬉し気に報告する姿を見て思う。


 これはこれでまた良い。


 不安定になった彼女の前に都合よく現れた子供がこれまった都合よく彼女に名を捧げたという事には神の作為を感じるが、名は存在を定める。今の不安定な彼女には必要なものだ。

 彼女の本質が変わらなければそれで良い。


 感情表現豊かな無垢ないもうとはそれはそれで可愛らしい。


 不変の御使いの中で唯一大地に残り、前世というものをた彼女の変化を見守るのも良いかも知れない。それはそれで面白そうだ。


 怒ったような、困ったような、複雑な表情を浮かべる彼女の黒い髪を梳くように優しく撫でる。彼女の性質をそのまま顕したような癖のない真っすぐな黒髪だ。


「で、何か手伝いましょうか?」


 いもうとはびっくりした顔でこちらを見つめる。


「手伝ってくれるのか?」

「今のあなたでは難しいでしょう?」

「ありがとう」


 そう言って顔を喜びで綻ばせる彼女に内心で驚きながらも笑顔で返した。






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