第47話 神核


 若い女の姿をしたそれの心臓の辺り。

 アリアは確かな手ごたえを感じ、女が叫びを心地よく聞きながらそれを掴んで引きずりだした。

 ぱきり、ぱきり、と呪印が壊れては消え、巻いた呪帯が解けて燃える。それに反してアリアの手の中で反発を繰り返しながら確かな形となって硬さを増していく不思議な結晶は手首までの呪印を砕いて力尽きたようにその手の中に収まった。


「それが彼女の心核ですか」


 澄んだ透明な中に光が収縮を繰り返して小さな光が散る。小さな光は星が瞬くような煌めきを見せる。


「随分と脆そうだね、コレが本当に?」


 女が手の中のそれに爪を立てると巫女の口から悲鳴が漏れる。


「へえ、繋がってるんだ」


 面白そうに唇の端を釣り上げる。


「じゃあ、こうしたらどうかな」


 立てた爪を真横に引けば結晶に傷が奔った。


「あっあああああああああああああ」


 巫女は喉を逸らし叫び続ける。


「ひひっ」


 アリアの口から楽しそうな笑いが漏れた。


「そこまでにしておきなさい」

「何でさ、コイツを二つに割るんだろう?」

「この巫女様がどのような存在かも明確化されていない今、下手な手…」


 声が途切れ、アリアの目の前からアークの姿が消えた。轟音を立てて遠くの柱が崩れた。


「何――」


 言いかけたアリアの結晶を握る手が上に跳ね上げられた。その拍子に手が緩み、結晶が天高く空へ舞う。それを追うように宙を舞うのは一本の腕だ。手首から肩口にかけて書き刻まれた呪印にそれが己の腕だと気付くのに時間がかかった。


 落下する結晶を目が呆けたように追い、それを掴んだ手に目が留まった瞬間、視界がブレた。

 殴られた、と認識したのは壁に叩きつけられてからだった。


「がはっ」


 背中を壁が殴打し、身体中の息を吐き出し息が詰まる。


 息を吸い込もうとした喉を無骨な腕に掴まれた。


 アリアは眼前に迫る燃え盛るような深紅の瞳に息を吸う事も忘れた。


 彼女を壁に縫い留めているのは鬼人の男だ。

 鋭利な端正な顔立ち、黒髪から覗く深紅の瞳。そして左右不揃いの赤い角。


 あの巫女の護衛であり、帝国とブルネを降した影の立役者と噂されていた男だ。


 ゼノンと呼ばれる角と実力の噛み合わない妙な男だ。


 この男がヴェストの巫女の側に侍っていたのは報告に上がっていた。ヴェストの王城からこの遺跡までは迷いなく来れたとしても馬で二週間の距離だ。

 空間跳躍の魔術は皇国の極秘事項。よしんばそれば可能だとしても成功率はかなり低い。

 何より座標の固定や術式の準備やらでこちらはひと月近くかかったのだ。

 おいそれと使えるものではない。


 ゼノンが目の前にいるという事実がアリアには理解できない。


 アリアの眼前に迫る男の表情からは感情だけがすとん、と抜け落ちたようで、ただ深紅の瞳の中心で開き切った金の瞳孔・・・・だけが冷たく輝いている。


「お前、何をした?」


 地の底を這うような声にアリアの身体が恐怖に震えた。


「あの女にお前は何をした。この首、俺が捩じ切る前に吐け。コイツは何だ」


ゼノンが心核を眼前に突きつけ首を締め上げる。


「あぐぅっ」


 アリアは苦悶の声をあげた。


「そこの巫女様の心核ですよ」


 殺気に満ちた瞳がギロリと背後へ向けられる。

 身体を庇い、よろよろとこちらへと歩いてくる男を見る。

 手加減なしに殴り飛ばしたつもりだが、生きているところを見るに何らかの非常時への対策をとっていたのだろう。


「……アー、ク!……!」

「諦めてください。これ以上この男に逆らうべきではない。と言っても手遅れですが」


 アークは痛む身体で肩を竦めて苦痛に顔を顰める。


「心核とはなんだ」

「生物で言うところの心臓。魔物で例えるなら魔石。人ならざる者であればその身を構成する核のようなものです。本来は身体の中に形としてあるものですが、その巫女様の核は形を持たない非常に珍しいケースでしたのでね、それを呪印によって具現化したのですよ。アリアを離してください。巫女様も心核を切り離されていつまでも無事である保証はない」


 心核を失った身体は時間が経てば解けて消える。

 それを防ぐための固定の術式は彼女の身体を封じる魔法陣と呪帯には施してある。


 巫女の身柄の確保は失敗に終わるが、アリアとアーク自身の助命の交換材料にはなるだろう。

 アリアを見やれば首を掴まれ壁に叩きつけられた姿勢のまま身動きが取れないでいる。切り捨てられた腕と夥しい出血の量から見て普通の人間であれば事切れていてもおかしくはない状態だが、まだ生きている。

 やはり亜人という種はなにかと頑丈らしい。


 ゼノンはじっとアークを見つめたあと、アリアの首を掴んだ手に力を込める。


「必要ない」


 アリアが暴れ、首を掴むその手を左手だけで必死にかきむしる。


「まさか、彼女が奉じる神々に助けを求めるとでも言うのですか!? それこそ無理だ。どれだけ彼女が神の寵愛を受けようと、神は地上に立つ者に祝福や加護は与えるが、死に瀕した者を救ったりはしな……ひっ!」


 ゼノンの突然の殺気の籠ったひと睨みにアークは言葉を呑み込んだ。


「不滅の存在が、死になど瀕するものか!」


 ゼノンはアリアをアークの手前へ叩き付けるように投げた。

 アリアの身体が地面で一度跳ねアークの身体にぶつかり、二人の身体が倒れ込んだ。


 その二人を取り囲むように深紅の炎が燃え広がる。


「そこから動くな、動けば焼き殺す」


 アークは起こした身体でアリアの身体を抱きしめ必死に頷いた。




 §




 ザイは手の中の感触を確かめた。

 滑らかな手触りのそれは確かな温もりをザイへと伝えている。


 彼女の身体は呪印に刻まれた布に縛られたまま力なく項垂れていた。



 その白い頬に手を伸ばす。



 冷たい。


 普段感じるひんやりとした心地よさではない。

 ただ、冷たいのだ。


 その感触にザイは震えた。


 歯を食いしばり、腰の剣の柄をしっかりと意識して握る。

 その刃を一閃させれば布が解け、彼女の冷たい身体がザイの腕の中に落ちた。


 羽のように軽いと感じた身体が今は確かな重みを感じるのは一体何の冗談か。


 ザイは地面に膝をつき、その細く冷たい身体を掻き抱いた。


 手の中の結晶を彼女の開けた肌の上にそっと置き、その上に己の手を重ねる。


「フェイ」


 囁くように呼んだ。だが、返事はない。


 拳を握り締め、天を仰ぐ。


「フェイを、助けてくれ」


 我ながら、ひどく頼りない声だった。

 目の前に金の粒が舞った。


「ふん、言われるまでもない」


 背後で息を呑む音が聞こえたが、そんな些事を気にかける余裕も興味もザイにはなかった。

 黄金色の髪と瞳の御使いはその場に膝をつき、フェイの頬をひと撫でする。


 黄金の瞳がアークへと向けられ、そしてザイへと向く。


「お前の選択は正しい」


 御使いの意味が理解できずザイは次の言葉を待った。


「アレの言葉に耳を傾けていたならいもうとはこのままだ。我らが神より分け与えられた神核を心核なんぞと混同するような愚か者にいもうとを元に戻せる道理はない」


その口からふっと息が漏れる。


「まったく、さっさと承諾していればこんな面倒ごとにならずに済んだものを」


 ぶつぶつと呟きながらザイの手を除け、結晶へと指を滑らせる。


 ぴくり、とフェイの身体が反応する。


「フェイ!」

「今は無駄だ」


 簡潔に告げた黄金の御使いの指がぴたりと止まる。

 その指が神核に刻まれた傷をゆっくりとなぞる。黄金色の瞳の温度がひとつ下がった。


 指を傷からずらし、その神核の一点を指で押さえ、押し込むように指に力が入り、黄金の御使いが眉をひそめる。


「少々厄介だな」


 その黄金の瞳が地面に敷かれた魔法陣に目を留め、ぐるりと辺りを見渡した。


「邪魔だな」


 その言葉と共に魔法陣が砕け散った。

 そうして再度神核を彼女の身体の中へと押し込むように指で押さえると徐々に彼女の身体に沈んでいく。


「んっ」


 小さな声にザイが目を向ければ閉じた瞼が震えた。

 神核が身体に沈むたびに身体が反応を示す。


 そうして身体の中に神核が沈み切ると、フェイの身体はふっと小さく息を吐き、静かに呼吸を始めた。


 その様子に安堵の息をつき、黄金の御使いを見やれば何やら難しい顔をしている。

 ザイの中で不安がぶり返す。


「フェイは大丈夫なのか?」

「…………大丈夫、という意味ではそうだな、大丈夫だ。だが」


 黄金の御使いがフェイの心臓の上の肌を指でなぞる。そこには一本の傷跡ができていた。


「そこの女がつけた神核たましいの傷よ」


 ザイの金の瞳孔が大きく開き、殺気が膨れ上がる。


「安易な死を与えるなよ? あれらが魂となった後はこちらでじっくり時間をかけて処理する」


 黄金の瞳が意味ありげにザイを見据える。その意味を理解したザイは一つ頷いた。


「この傷、お前が癒せ」

「…………どうやって」

「説明は面倒だ。後で銀のをお前のところにやる」

「…………」


 一日かけてフェイに説教をしたのではなかったのか、という疑問はあえて飲み込んだ。


「それとな、いもうとの身体の扱いには十分気をつけろ、今のいもうとはお前らの肉体とそう変わりはない」

「どういうことだ?」

「神核が物質として固定された影響と、先程まであった陣とこの布の影響だな、本来ならばどうという事もなかったのだが、何分なにぶん時期が悪すぎた」


 黄金の御使いはフェイの身体に絡んだ布の端を抓んで眺める。ふっと息を吹きかけると布に刻まれた呪印が解けて消えた。


「いもうとの存在が固定されている。時間が経てば戻るだろうが、当面は、そうだな、外的要因の影響を受けやすい身体だ。怪我もするし、ひょっとしたらいくらかの食事も必要になるかもしれない」


 考え考え言葉を口にする様はフェイに似ている。


「お前たちと同様の生活をさせておけば間違いはないだろう。くれぐれも扱いには気を付けろよ。いもうとにもそう伝えておけ」


 ではな、という短い言葉を残し、黄金の御使いは姿を消した。



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