5章
第49話 余計なお世話だったりした?
「ねえ、エラン。何か聞こえない?」
ミーアがそっと服の裾を引いてくる。
「何かって?」
聞き返したところでエランの耳にもそれは届いた。金属同士がぶつかり合う甲高い音に複数の怒号。
どこか統制の取れた声に山賊の類ではない事が知れた。
それなりに修羅場を経験してきたエランたちには野盗の類かそうでないかの区別が大体つくようになっていた。特に国に所属する追跡や捕獲を仕事とする連中は目や雰囲気が違う。
エランたちはノーザン皇国という大きな国に追われる身だ。
エラン自身、皇国民でもなければ特に大それた事をしたわけではない。
ただ、たまたま助けた少女が皇国から逃げ出してきた身だというだけだ。
ミーアと名乗った少女はある日突然皇国の兵士に捕まり、収容所のような所に押し込められたのだと言う。
その理由も不明なままで今もこうして身を隠し、時に戦い、時に冒険者として依頼を受けながら旅を続けている。
最初はミーアとエラン、妹のマリーの三人だけだったのが、縁が繋がり騎士のマルスや魔女のエレノアといった仲間ができた。
今日はたまたま立ち寄った村での腰を痛めた村長からの依頼で森の中に建つ小さな小屋へ非常用の物資を補充を終えたその帰りだ。といっても荷物はそれほど大きなものではない。
一人で十分こなせる依頼に同行を申し出たのは最近癒しの魔法を覚え、何かと役に立ちたがるミーアと心配性の騎士のマルスだ。
妹のマリーと魔女のエレノアは留守番で今回はこの三人での行動だ。
浅い場所なら子供も気軽に立ち入るような場所で小屋の場所自体も丁度中間。危険な魔物や獣が棲むのはそれよりも奥らしく、縄張りを出る事もないとの事でこちらから足を踏み入れない限り危険はない。
特にエランである必要もなかったように思うのだが、万が一があってはならないと
依頼料も二束三文で引き受けた。
そんな依頼を終え、戻る途中での出来事である。
尋常でない緊迫した空気に気配を抑えてエランたちは声の上がる方へと近づいた。
そこには一組の男女を囲う、見慣れた黒ずくめの集団がいた。
見慣れたも何もないのだが、纏う衣装と静かな殺気を放つその雰囲気には嫌と言う程覚えがある。因みに陣頭指揮を執っている男は声と雰囲気からしてエランたちの良く知る男だ。剣を交えたのも一度や二度ではない。
ミーアを狙う皇国の暗殺者たちだが彼らはとにかくしつこい。
出来ればこのまま回れ右をしてとっとと村を出たいところではあった。
けれど、それはエランの信条が許さない。
多勢に無勢を見て見ぬふりはできなかった。
目を引いたのは苦境に立たされている筈の男だ。
左右不揃いの中途半端に伸びた赤い角、緩く癖のある髪を首の後ろで一つにまとめ、赤の中に金色がチラつく不思議な瞳をした男だ。そして顔がいい。
マリーが見たら大はしゃぎしそうだな、と何となくエランは思った。
噂に聞く
知恵持つ恐ろしい魔物だと聞いた事があったが、彼はとてもそんな風には見えない。
人間より多少身体が大きく見えるが角と不思議な色合いの瞳以外は人間と何ら変わらない。
何より彼が守っているのは人間の女性だ。思わず目が吸い寄せられるような不思議な雰囲気を纏った黒髪のとてもきれいな
エランの心臓がドキリ、と跳ねる。
黒い瞳はすぐに伏せられ、男の背中に身を寄せた。
男の注意を引き、そっと何かを囁く。
金の散った赤い瞳が一瞬だけこちらに向いてその後すぐ様小さな舌打ちが漏れた。
(黒ずくめの連中の仲間か何かと勘違いされたかもしれない……)
そんな事を思いながらも男の様子を伺う。背後にいる女性を庇って立つ姿に一切の隙はない。
囲まれた状況にあっ不利な状況の筈なのに、何故か男が優位に立っている錯覚すら覚える。
後ろの巫女装束の女の人も全く不安そうに見えない。
「どうする、エラン」
騎士のマルスがエランに尋ねる。
マルスもどこか助けに入る事に迷った様子だ。普段の彼ならそんな迷いは見せない。
「相手が皇国なら見過ごすわけにはいかないよね」
「相変わらずのお人好しだな」
やれやれとマルスが肩をすくめた。ミーアも口元に笑みを浮かべる。
「ミーアはここにいて」
「うん」
ミーアが頷くのを確認し、エランは黒ずくめの集団を見据えた。
「行こう!」
エランとマルスは同時に草むらから躍り出た。
§
ザイとフェイは共にヴェストへ向けて移動の途中にあった。
フェイの捕らえられた遺跡はヴェストからは結構な距離があった。
急ぎ飛ばし、乗り継いで馬で2週間。
普通に馬での移動であればもっとかかる。
何より馬が手に入る町や村までの距離がかなりある。
忘れ去られた遺跡とはえてして人の立ち寄らないような場所にあるものだ。
そんな場所であるなら馬の一頭や二頭はいるだろうにと思っていたが、伝令で走らせた馬一頭のみ、他は皇国からの迎えが来るまでは身動きが取れないという念の入れようである。
フェイの捕獲は皇国の最重要機密だ。
いざとなればアークもアリアも始末対象であるのだろう。
そんな空気を感じ取った。
そんなアークとアリアは皇国に引き取ってもらう。
始末される可能性のほうが高いが、こちらが故意に殺すのではなく、皇国が始末する分には問題ない。生き残っていればその時に考える。生きていれば使い道はいくらでもある。
結局保存食と路銀を巻き上げ遺跡を発った訳だが。
なるべく人目を避けた道筋を通り、一番近いであろう小さな村へと向かう森の中でザイは突然立ち止まった。
「どうした、ザイ」
「囲まれた」
一番大きな木を背にフェイを庇い、剣を抜いた。
「またか……」
フェイの口から辟易としたため息が漏れる。
「なりふり構ってられなくなったか」
「元からそうであったろうに」
前に出ようとするフェイの身体をザイが遮る。
「ザイ」
「アンタはそこから動くな」
「わかった」
すんなりと納得したフェイがザイの背に隠れるように立つと、黒装束を纏った男たちが二人を取り囲むように姿を現す。
「……後ろの女を渡してもらおうか」
「お前らはそればかりだな」
黒装束の言葉にザイは鼻で笑った。
常ならば、すぐに襲いかかってくるものだが、今回は様子が少しばかり違う。
今まで遭遇した輩とはどこか纏う空気が違う。
差し向けられた追手はできる限り全て始末している。
それだけで次が来るまでの時間は稼げる。
最近ザイの中で発露した『鬼火』は彼の視認する範囲のものであれば燃やせるが、発露したばかりのそれを自在に操るにはまだ少々時間が掛かる。
オーガの力は使い様によっては便利だ。
力の赴くままに振るうのは簡単だが、加減が難しい。
遺跡ではそんな事は意識すらしなかった、ただ怒りのままに発露したそれらはザイの制御下にしっかり収まっていた。本来、意識せずに使うものなのだろうという事は理解しているが、冷静になると今度は制御が少々おぼつかない。
常時であれば気にも留めない程度のものだが、今のフェイに火傷でも負わせてしまったら事だ。それにここは森の中。燃えるものはいくらでもある。
これから向かう先の村人の生活の糧の一部としての役割を持っているなら尚更だ。
(……斬るか)
そちらの方が手っ取り早い。
そう判断を下したザイの背にフェイがそっと寄り添う。
「ザイ、他にもいる」
フェイの投げた視線を追えば草むらに隠れる二人の子供と騎士らしき男の姿が見え、思わず舌打ちが漏れる。
「面倒な」
黒ずくめの仲間、というわけではないだろう。護衛らしき騎士がいるとはいえ人質にでも取られれば厄介だ。
背に庇うフェイから離れる事は今のザイには躊躇われる。
ヴェストで出し抜かれ、危険な目に遭わせてしまったばかりだ。
ザイの最優先はフェイだけだ。
子供が巻き込まれれば多少寝覚の悪い思いをすることになるだろう。
彼女が望めばその範囲ではないが、いざとなれば見捨てる事も想定している。
見つからないように隠れてやり過ごすか逃げるかしてくれたなら手間も省ける。
そん事を思っていたら、草むらに隠れていた者らが動いた。
ザイとフェイを囲む男らの背後に剣を抜いた騎士と少年が躍り出て、動揺の隙をついて斬りかかる。
「なっ!? 貴様らもいたのか!?」
黒ずくめの男の一人が声を上げる。どうやら顔見知りであるらしい。
ザイは小さく嘆息した。
それを隙とみて襲いかかってきた黒ずくめの一人を切り捨てる。
地面を転がって来た一人の背中をふみつけ、そのまま内臓ごと踏み抜き、蹴り飛ばす。
普段の追手と比べて手応えがない。この程度であれば、はっきり言ってしまえば片手間で済む。
悠長に構えるザイに向けて振り上げた黒ずくめの剣を軽く跳ね上げ心臓を一突きするとまた蹴り飛ばす。
身体が木の幹にぶつかりひしゃげた。
ザイを相手にするには些か質が低い。
もしや別口かと訝しむ。
「おい、そこの」
「なんだよ、兄さん」
ザイはやはり黒ずくめと切り結ぶ騎士に声をかけた。
「コイツらは何だ」
「小さな女の子が大好きな変態ジジイの手先っと、今までが思ってたんだがね」
そう言って斬り結んだ相手を剣で弾き飛ばしす。
ザイはちらり、と戦いには参加せず、身を隠す少女へと視線をやる。
「だが、そちらの別嬪さんも同様に追い回されているなら、女の尻ばかり追いかける、城でふんぞり返る、変態ジジイの手先だな」
「成程」
ザイの眉間に向けて投擲されたナイフを眼前で素手で受け止め、刃先を返し、持ち主へと投げ返す。狙い過たず眉間に突き刺さり一人が倒れた。
「……随分と余裕だね」
マルスの頬が引き攣る。
真面目に戦っている自身が馬鹿みたいに思えてくる。そんなやるせなさに漏らした言葉に鈴の鳴るような声が返ってきた。
「ザイは鬼人であるからな。並の人間では敵うまいよ」
「へぇ……」
男に庇われていた巫女装束の女が淡々と返す。
鬼人というのは近年何かと話題に上がるアレだろうかと記憶を引っ張り出す。
確かヴェストに棲む亜人の一種でオーガと人のあいのこだった筈だ。
遠目に見ても美しい娘だと思ったが、間近に見ればその美しさは一層に目を引く。こちらもこの状況に動じた様子はない。
「ひょっとして、助けに入ったのって余計なお世話だったりした?」
「いや。余計な手間が省けて随分と助かっている」
「手間、ねえ」
平然と返す女の言葉に騎士の口から乾いた笑いが漏れる。
この角の生えた男もそうだが女の方も只者ではないらしい。
マルスは考えを改めた。
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