第26話 半端者
ここ近年、ヴェスト王国は比較的平穏な日々が続いている。国王が一年前に隣国の姫君を娶り、今年懐妊が公表され、目出度い話に民は活気づいたが、それ以外は特に目立った話はない。
それに反して水面下での動きは徐々に大きくなりつつある。
その影響を受けて浮上した出来事と言えば、黒の森に警備が置かれるようになった事と兵や騎士見習いの採用人数が増えた事だ。
特に顕著なのは採用する亜人の割合が増えた。
亜人は人間よりも身体的能力の高い種族が多く、戦力としては申し分ないが彼らは人間と違ったルールの中で生きているので扱いが難しい。
それでも優秀な者であればヴェストでは人間、亜人の別なく採用する。
合わなければ辞めればいい。
そのあたりは特に亜人に対しては寛容だ。
一応亜人に向けた相談窓口も設けてある。
これがまた、相談を受ける事で亜人と人間との齟齬の洗い出しに一役買っている。
それに馴染めない者は無理に引き留めて得になる事は少ない。
馴染めないなりに残る者もいる。
事情は様々だ。
そんな中、練兵場に足を運ぶ亜人の青年がいた。
黒い髪に深紅の瞳。見た目を重視する者は鋭く整った容貌に先ず目を惹かれる。黒髪から覗く赤い角と人間のものより幾分か背が高く、引き締まった体躯は鬼人のものだ。
唯一残念なのは、左右不揃いで成長途中で止まっている角である。
青年が苛立ちと不機嫌を隠す気もなく歩くものだから、すれ違う者らは目を逸らしてコソコソとすれ違う事になっている。
そんな青年の後ろ姿をゆっくり追いながらゴウキはやれやれと息を吐く。
巫女様がゴウキに彼を預けてはや三年。
その間、巫女様がザイと呼ぶ少年は血反吐は吐けども弱音は吐かず、ただひたすらに知識と技術と強さを磨いて来た。
それはひとえに巫女様に連れて行ってもらう為のたゆまぬ努力の結果でもある。
年に一度の様子見も、結局果たされぬままここまで来た。
きっかけとなる三年も一月過ぎた。
少年から青年に育ったこの男も、そろそろ我慢の限界であるのが見て取れる。
それでも国を出ることなく留まっているのは、厄介な事に巫女様と別れ際に交わした約束である。
角を捧げた故か、はたまた相手が巫女様故か。
彼は国から遠く離れられぬ身となった。
『
約束として交わされた言葉は少年の申し出た約束を巫女様が了承した事でその効力を発揮した。
少年の言葉はまるっと無視される形で。
当然と言えば当然の結果だろう。
力の差は歴然。その上、少年は角を捧げた身だ。
従う側が縛られる事はあっても従える側が縛られる道理はない。
結局、どれだけ後を追いたくとも追う事は叶わず、巫女様が迎えに来ない限りは身動きが取れない身となった。
その鬱憤は当然のように訓練にぶつけられ、腕前はメキメキと上達し、ゴウキに追いつきかねない勢いだ。
そうなったらなったでこちらもそれなりの立場を用意してやろうというのに、彼はひたすらそれを拒んだ。
巫女様が迎えに来た時に邪魔になると判断したものは特に徹底的に避けたのだ。
「いつになったら迎えにくるかのう……」
ゴウキの独り言のような言葉に青年は振り返り、ギッと睨む。
「そんなもん、俺が聞きたいわ!!」
ザイはゴウキに向かって叫んだ。
§
練兵場では様々な人種が調練を行っている。
亜人と人間とで分けられていた
ザイ自身、一通りの事は覚え、調練に参加する必要はなくなったものの、身体を
ザイを見る兵の目は様々だ。
奇異の目、好奇に蔑視。そして嫉妬。
どれも覚えのあるものだが、街に住んでいた頃と比べれば随分と温いとザイは感じる。
元々が兵士としてここに来た者らとは事情が異なる為、彼の存在は亜人の中にあって浮いていた。
当初は兵士として一通りの訓練は参加した。
しかし、彼が覚える事は山積みで、見習いと同じ雑用に割く時間はない。
雑事は免除されるものの、日がな一日特別な訓練と勉強に明け暮れ、他者と交流を持つ余裕などなかった。
良い生まれでもないのに特別扱いされているのは周知の事実で、やっかまれる事も日常茶飯事だ。
特に鬼人はザイに対する風当たりは強かった。
原因はザイの角にある。
18にもなれば大小の差はあれど角は生え揃っても良い筈なのに、ザイの角は中途半端なまま成長が止まっている。
左右不揃いな上、角の先は尖りを見せる事なく不格好に丸みを帯びたままだ。
鬼人から見れば、ザイの見た目は一人前にも満たない出来損ないの半端者だ。
なのにゴウキに目を掛けられ、特別な訓練を受け、重要な戦いには駆り出される。
角に応じた働きならば、所詮は半端者だとあざ笑う事で溜飲も下がっただろうが、これがまた見事な戦いぶりを見せるのだから鬼人たちは面白くない。兵を与えれば文句のつけようのない采配と判断力を見せる上にヒトの動かし方も上手いのだから尚更に気が収まらない。
これでザイが角の成長を終えていたなら文句のひとつも出なかった。
むしろ、賞賛と尊敬の眼差しで以て迎え入れられた事だろう。
角と実力の齟齬に鬼人は不満を抱えているのだ。
今までが角と実力が不釣り合いな者など現れなかっただけに、ザイという存在をどう受け止めて良いか戸惑っている。
結局ザイは鬼人でありながら、鬼人にすら受け入れられない存在となった。
最も、ザイからすれば頼んだ覚えもないのに仲間として受け入れられても困る。
そんなものに構っている余裕はないのだ。
名を交わす事の意味を知った以上は尚更に焦りが募る。
交流はなくともそういった情報は自ずと耳に入る。当時ゴウキがそれに関してザイに教えなかったのは、それが偶然が重なった結果であり、彼女がザイを子供としてしか見ていなかったからだ。
フェイは既にその意味を知っていると言う。
その時にどういう反応を返したかはゴウキの乾いた目と曖昧な笑みでなんとなく察した。
こちらは真剣だが、フェイはそれほどまともにはとり合ってはいない。
何せヒトとは一線を隔した上位存在、御使いだ。
三年以上ザイを放置するくらいにはきっと気にしてない。
むしろ、忘れている可能性すらある。
その考えに行きついた瞬間、ザイの中でふつふつと怒りが湧き上がった。
収まり切らぬ怒りに、このままでは不味いと思い辺りを見渡せば、打ち合いの稽古場で一人、相手待ちをしている鬼人が目に入る。
確か夕食の席で盛大にザイをこき下ろしていた男だ。口だけの手合いを一々相手にするのも時間の無駄と思い、いい様に言わせていたが。
八つ当たりには丁度いい。
ザイは立てかけてあった木剣を握り、男に向かって歩き出す。
ゴウキ程ではないが、
多少の事では倒れまい。
少なくとも、半端者の若造相手に遅れは取らぬと豪語さえしていたのだ。
男はこちらを見てぎょっとした顔のあと、青い顔色できょろきょろと辺りを見回すが、ザイの気配を察してか、誰も男と目を合わせようとしない。
それぞれがそれぞれの相手と真剣に打ち合い稽古に取り組みだした。
追い詰められた鼠のように柵を背にウロチョロと動き回る男にザイは声をかけた。
「おい」
「はい!!」
大柄な鬼人の背がぴんと伸びる。
「付き合え」
「ひゃぃっ」
木剣を構えるザイに男は鬼人らしからぬ情けない返事とも悲鳴ともつかない声をあげた。
大きな身体を震わせ対峙しながらも、周囲に助けを求めるように目を彷徨わせるが、それに応える者はいない。
その様を視界に入れながら、この後何人かを見繕わなければなと練兵場に入ってからの目ぼしい相手とその位置を記憶から把握する。
隙を見せているのに一向に打ち込んでくる気配のない男にザイは小さく息を吐く。
まるで相手にならない。
他の
「ザイ」
「あ」
その鈴の鳴るような耳を
男の目玉がぐりん、と白目を剥き、どう、と重たい音を立てて倒れる。
手の空いていた者らが倒れた鬼人に駆け寄り介抱し、どうにか意識を取り戻した男が先ほどの怯えもどこへやったのか、怒りで顔を真っ赤にしてザイを睨んだ。そう言えば折れた木剣が男の角に当たって跳ねたなと頭の片隅で思う。
「て、てめえ!ぜ――」
ザイは何事かを言いかけた相手の顎を口ごと掴んだ。
こちらに近づいてくる軽い足音を捉えながら男の顔を覗き込む。
「吠えるな、黙れ」
ザイの本気の睨みと顎に掛かる指の力に男の真っ赤だった顔から血の気が引き、一気に青に変わった。
こくこくと頷く訓練相手を投げ捨て、足音を辿り振り返れば、会いたかった女が嬉しそうに笑う姿が目に入った。
今すぐにでも駆け寄って抱きしめたいが、ここは人目が多すぎる。
何よりフェイの後ろでゴウキがこちらに睨みを利かせていた。
「おう、小僧、またやらかしおったな、まあ、良いわ。あと4、5人相手したら儂ん所に来い。儂はこれから巫女様を国王の元にご案内せねばならんでな」
「わかった」
短く応えて踵を返す。
フェイに呆けた視線を送り続ける男達の顔を確認し、ザイは笑みを浮かべた。
それを間近で見た兵たちがひっ、と小さな悲鳴を上げ、蜘蛛の子を散らすように逃げて行く。
亜人は人間よりも本能の強い種だ。危険には敏い。
「ざっと20人くらいか」
全員潰してから行けば丁度良い頃合いだろう。
ザイはひとり納得し、木剣の握り具合を確認した。
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