第25話 どうでもいい

 カツーン、カツーン……――


 薄暗い建物の中、硬質な靴音だけが響く。


 その靴音がふいに止まった。

 そこで足を止めたのは旅装束の巫女だった。

 黒い髪に黒い瞳の若い娘だ。


 巫女がいるのは嘗ての古い遺跡で大広間として使われていた場所だった。


 その広間に砂や小石に混じって落ちているものに秀麗な眉を潜める。


 小指の先ほど小さな結晶が、やはりその場の力を吸い上げているのだ。


 身を屈め、その結晶に手を伸ばせばやはりぱちり、と火花が散って彼女の手を拒む。


「形や大きさは違うが、同じ物か」


 ぽつりと零した言葉が小さく響き、広間に吸い込まれるように消える。


 これで三か所目。


 ヴェストを発ってどれほどの日数が経った細かくは数えていない。

 しかし、彼女が鎮めた筈の不安定な土地はどれも怪しい様相を呈していた。

 そこには決まって結晶がある。

 それは時に隠され、時にはこのように石礫のように辺りにバラまかれと形は様々だが共通するのはその場の力を吸い上げ場を乱す。そして彼女自身の手を拒む。


 この結晶に関してわかった事がある。


 この結晶は安定を拒む。


 だから安定を司る巫女自身の手を拒むのだ。


 毎回これの回収には苦労するが、今回は特に面倒だ。毎回思いつく限りの手段を試しては見るが結局のところ、手っ取り早い手段は今の処ひとつに限られている。

 彼女が逡巡したのはほんの束の間だった。


「きょうだい」

「呼びましたか?」


 いらえはすぐに返ってきた。

 目の前には銀を煮詰めたような髪色の髪と瞳を持った、彼女のきょうだいが立っていた。


「すまない、きょうだい」

「呼べと言ったのは私ですよ」


 そう言っ銀の御使いは巫女の頭を優しく撫でた。

 銀の瞳がその場に散った結晶を見る。


「またアレ、ですか?」


 彼女が彼を呼ぶのはこれでもう三度目だ。この結晶が彼女の手を拒むのを彼は既に三度、目にしている。


「……そうだ」


 銀の御使いが結晶に手を伸ばす。しかし、彼女の時のような反応は起こらない。

 御使いの瞳が不快に歪む。


 この世界がどのように成り立っているかも知らない癖に、無知な輩が彼女を拒むものを作り出し、あまつさえ彼女を困らせている事に怒りが湧く。


「これ、全部消してしまいましょうか」

「駄目だ」

「何故?」

「……ヒトの作り出した物であれば、一度はヒトの手に委ねる。それが決まりであろう?」


 彼個人の意見は彼女自身に危険が及ぶような物をヒトに渡すなど論外だ。

 もし、彼が天に昇る事なく彼女と共に残っていたなら彼は彼女に見つからぬ内に始末していただろう。

 しかし、天に昇ってしまった彼にはそれが安易にはできない。


 天には天の、地には地の、御使いたちの理が存在する。

 だから彼は彼女にこう答えるしかない。


「わかりました。あなたの望み通りに」


 彼にできるのは、この世界に慎ましく存在する彼女のささやかな願いを聞き届けるだけだ。


 ふわり、とその場に散った結晶だけが浮かび上がり、彼女の用意した袋へと注がれていく。

 そうして袋に収まりきるときつく口を縛った。


 袋をその場に置き、背負った荷を下ろし、広間の中心に立った彼女は祈るように手を組んで目を閉じた。


 この地は力が溜まりやすい。ヒトが地脈溜ちみゃくだまりや龍穴りゅうけつと呼ぶ忘れ去られた場所だ。森のような循環は起こらない。だからこそ、結晶の起こす乱れに抗う術をこの地は持っていない。この結晶をばらまいた者にとってはさぞ扱い易い地であった事だろう。もし、放置していれば、この地に繋がる一帯を不毛の地へと変えてしまっていた事がわかる。


 大広間には結晶に乱された痕跡があちらこちらに感じられた。このまま放置すればやはり良いようにはならない。


 彼女は口を開き、喉を震わせ音に自身の力を載せる。古い、古い、忘れられて久しい旋律を紡ぎ、彼女は歌う。


 大広間として造られたこの場所は音をよく反響させる。ここにヒトが多くいた時代、彼女はやはりここで歌った。この大広間は彼女が歌う為に建てられた。歌がよく響くように、彼女の声が行き渡るように。


 そんな大きな力である必要はないのだ。


 声に乗せたささやかな力がこの空間に響き渡り、音に整えられ、安定したそれへと調律されていく。

 彼女が口を閉ざしたとき、その場には静謐な空気だけがあった。


 乱れはどこにも残っていない事に彼女はほっと息をついた。


「あなたの歌はやはり良いものですね」


 彼女を見つめる銀の瞳は穏やかさを取り戻していた。

 それもまた、彼女を安堵させる。


「そろそろ、戻る・・頃合いではないですか?」

「戻る?」


 唐突なきょうだいの言葉に巫女は首を傾げた。


「様子見に行くのでしょう? あの子供の」


 言われて巫女は思いだした。

 記憶を辿れば一か所目を通り過ぎた辺りから日数を数えるのを忘れていたように思う。


 ゴウキは半年、一年は誤差の範囲だと言っていたが、愕然とした表情のザイの顔を思い出す。



 これは非常にマズイことではないだろうか。



「因みに、きょうだい。黒の森の一件から今日までどのくらい経っているかわかるか?」


 銀の御使いは少しの思案のあと


「あともう少しで、二年くらいじゃないですか?」


 それを聞いた巫女は頭を抱えた。

 彼女の今いる遺跡は未到の地である。移動手段はほぼ徒歩だ。

 ここからヴェストまで真っすぐ向かったとしても一年以上かかる。どう数えてみても三年は超える。御使いであればその程度はやはり誤差であるが、ヒトはそうはいかない。


「どうしよう、きょうだい」

「他に何か困りごとでも?」

「一年に一度は様子見に行くようにゴウキに言われていたのだ」

「それはまた、せわしないことで」

「…………ヴェストを出てそれっきりだから、戻った頃には三年は過ぎる」

「誤差の範囲内じゃないですか?」

「ヒトの子には一年、半年が誤差だと言われた。どうしよう、きょうだい」

「まあ、あそことは長い付き合いになりますし、そのくらいは許してくれるんじゃないですか?」

「ザイは……」

「…………」

「ザイは、私の事が嫌いになってしまっただろうか」

「…………」


 彼女のきょうだいは答えなかった。ただ、笑顔の銀の御使いの顔には『どうでもいい』としっかり書いてあったのを彼女の目は読み取った。












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