第28話 恋しい女

「そろそろか」


 練兵場の目ぼしい者らを一通り叩き伏せたザイは己のしでかした惨状を振り返る事なくその場を後にした。


 己に与えられた部屋に戻り、大してかく事もなかった汗を流し、洗いたての服に袖を通す。


 姿見の前で一通りの身なりは確認する。

 ここに住むようになってからついた習慣だ。


 兵舎を出て城へ入り、廊下を歩く。

 フェイが案内される部屋はゴウキの副官を務める男から聞いている。


 城の構造や部屋の配置はここに来た時に一番最初に頭に叩き込まされた。


 さすがに王族に限られるようなものは知らないが、城内で迷う事はない。


 途中でザイを待っていたらしい使用人が頭を下げる。

 そこからはただ使用人の案内するままに付いて行く。


 城の中は体裁が必要となるので色々面倒だが仕方ない。


 フェイがザイに会いに来た事に間違いないが、その内容が迎えか様子見かでザイの今後の身の振り方は大きく変わる。


 周囲を黙らせる実績は十分積んだ。ゴウキからの許可は既にもぎ取ってある。


 あとは彼女が首を縦に振るだけなのだがそこが読めない。


 彼女のお眼鏡めがねに適わねば三年経ったからといって連れて行くとは言わない。

 だからザイはフェイに安易な期待はしない。

 それで思わぬ目にあってしまったのだ。二のてつを踏む事は避けなければならない。


 この三年間で交渉術も学び、ある程度は使いこなすようになったが、相手はヒトではなく御使いだ。どれだけヒトに近い見た目をしていようと、彼女の根本はヒトではない。


 さて、どうのように話を進めるのが良いのかと考えを巡らせながら歩いていると、客間の一室で使用人が足を止め、部屋の主に向かってザイの来訪を告げた。


 ゴウキの応えが返り、部屋の中へと足を踏み入れ、フェイの姿を目にした瞬間、今までの様々な考えが全部吹き飛んだ。


 3年前と変わらぬ姿を目にしたザイの中に湧き上がったのは形容しがたい滾りだ。

 ただただ目の前の彼女を抱きしめ、全身全霊で感じたい。


「ザイ?」


 フェイが鈴の鳴るような声でザイを呼ぶ。

 それだけで胸が満たされ、同時に心の奥底が飢えを訴える。


 ザイは動けないでいた。数歩歩けば済む距離だ。なのに足が動かせない。

 大切に扱いたいのに乱暴にしてしまいそうな衝動がザイの中にはある。


 こちらの様子を伺っていたゴウキがひとつ息を吐いて立ち上がる。

 用があるとフェイに告げ、出て行きざまに肩を叩かれ小さく耳に告げられた。


『鬼の血は、厄介じゃろ』


 そこでようやくザイは自覚した。

 これは鬼の本能だ。


 名を交わしておきながら、この国に縛り、角まで捧げたザイを置いて行った愛しい女が目の前にいる。片時も離れたくないのに三年も放置された。


 年に一度の約束すらまともに守らず、自分ばかりが恋しいとは不公平だと腹を立てている。


 離したくない、離れたくないという想いは3年前のそれを既に大きく上回た。

 もしまた彼女がザイを置いていくなら、この国を潰してでも後を追う。


 そんな確信がザイにはある。


 フェイがザイの前に立ち、その黒い穏やかな瞳が真っすぐザイを見上げる。


(こんなに小さかっただろうか……)


 ザイはフェイを見下ろし、冷静な頭でそんな事を思う。

 三年前は彼女を見上げる事しかできなかった。

 銀の御使いが彼女と並ぶ姿は似合い過ぎて腹が立った。


 御使いの腕が彼女の身体を包む姿に嫉妬した。


 身体の小さなザイが、どれだけ彼女を抱きしめようと、腕に余ってしまっていたから。


 黒い瞳に戸惑いが生まれる。

 反応を示さないザイにきっと彼女は困っている。


 声をかけようにもどう声を掛ければいいかわからない。

 三年も音沙汰無かった事に怒ればいいのか、ザイに会いに来た事に喜べばいいのか彼自身にも分からないのだ。


 気持ちだけが焦るばかりで声も出せずにいると、ひんやりとした柔らかい手が頬に触れた。

 この手はこんなに小さかっただろうか、そんな事を思いながらも改めてフェイを見る。


 今のザイからすれば、フェイは何もかも小さかった。手も顔も、その身体も。


 三年前は力の加減など考えずに抱きしめた。今度はどんな力加減で触れればいいのかという不安が募る。

 背丈も身体の大きさもこの三年で彼女を追い抜いてしまった。

 袖から覗く手首はザイが軽く握っただけでも折れそうだ。


「フェイ」

「うん?」


 ザイの呼びかけにフェイは優しくんだ。

 それだけでザイの心は甘く締め上げられる。声が喉につかえて上手く言葉が出てこない。


「…………か?」

「よく、聞こえないのだが?」

「その…………き、……」

「ザイ?」


 不思議そうにこちらを覗き込む目に何故か耐えられなかった。

 心臓がバクバクと煩い。あれだけ焦がれたというのに顔がまともに見れないでいる。


「だき、……、しめて、良いだろうか……?」

「…………」


 ザイがどうにか言葉を吐き出せば、無言の後に穏やかな笑顔が返ってきた。

 返事の代わりにザイを受け入れるようにフェイが両手を広げる。


「…………っ」


 自然と小さく喉が鳴る。


 ザイは恐る恐る、細い身体に腕を伸ばし、小さな背に手をまわす。


 もっと彼女を感じたいという欲に逆らえず、背に回した片方の手を背からそっと滑り下ろし、細い腰に辿り着き、ぐっと力を込めて抱き寄せる。


 白く細い喉に噛みつきたい衝動を押さえつけ、肩口に頭を埋めた。

 薬草の混ざった甘い匂いが肺を満たす。


「遅い」


 言いたい事は山のようにある。だが、ザイの口から出たのはその一言だけだった。

 白い手がザイの頭に降りて来る。

 三年前と変わらない優しい手つきで頭を撫で、顔を寄せられた。


「すまなかったな」


 絶対それほど悪いと思っていない。


 そんな事を思いながら、ザイはフェイを抱きしめる腕に力を込めた。



 §



「随分と大きくなったなぁ」

「3年だ」

「うん、うん、そうだな」


 憮然と答えるザイに嬉しそうに頭を撫で続けるフェイを抱き上げる。軽い。

 こちらが不安になる軽さだ。

 彼女を抱いたまま、ソファへと腰を下ろす。


 驚いた顔がザイを見上げる。


「ザイ?」


 彼女がやはり不思議そうに名を呼んだ。

 やはり何も分かっていない。


 フェイはヒトに情欲を抱かないが、こちらはこの身に持て余している。


 無理強いをする気はないが、それでも彼女がどこまでの行為をザイに許すのか。

 それを見極めなければザイにとっては今後の死活問題につながる。


 やり過ぎてはいけないが、ギリギリまでは攻める。


 彼女が嫌がるなら男としての欲は見せまいなどという殊勝な考えはとっくの昔にどこかへ投げ捨てた。できない理想を掲げる程無駄な事はない。


 我ながら、随分荒んだ子供時代を送っていた自覚があるだけに、擦れた子供であった自覚はあるが、三年前はまだ、多少純真な部分はあったらしい。


 彼女を横抱きにしたまま離そうとしないザイの膝の上で真剣に考える様子を見せるフェイの様子をじっと伺う。


「ザイ」

「何だ?」

「この態勢は、おかしくないだろうか?」


 よし、いける。

 ザイは確信した。


「フェイは俺に膝枕をしてくれたな」

「したな」


 唐突に話を振られ、理解しないままフェイは素直に頷いた。


「それとこれに何の差がある?」

「え?」

「身体の大きい俺が今度はアンタを膝に乗せる。同じだろう」

「………………」


 フェイは黙り込み、真剣に考えだした。ザイは注意深く彼女を観察し、じっと答えを待つ。


「…………そう、なのか、…………?」

「そうじゃないのか?」


 さも当然のように言葉を返せば、フェイはどこか納得しない顔のままザイの膝の上におさまった。
















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