第3話 変な女に遭った。
大陸の中央から西に位置するヴェスト王国。
長い歴史の中栄えるそこは古くから様々な不思議が存在すると言われている。
特に有名なのは瘴気の集う黒の森と呼ばれる場所だ。
鬱蒼と木々が生い茂るその様は人の立ち入りを拒み、恐ろしい黒き魔物が住まうという。
滅多なことでは人の立ち入らぬその森に一人の少年がいた。
漆黒の髪は首の後ろで無造作に一つに束ねられ、伸びきった前髪の隙間からは深紅の瞳が覗く。服は血と泥と埃に塗れてぼろぼろだ。
荒んだ空気を纏うその出で立ちは剣を生業にする者にしては構えは粗く、素人と呼ぶには隙が少ない。
少年は獣の唸り声を耳に捉えてから身動きが取れずにいた。
気配はそこかしこにあり、いつ何処から魔物が襲ってくるかもわからない。
そよ風の起こす葉擦れの音すら神経に障る。
少年は内心で舌打ちしつつ、己の身の上を呪った。
最近、特に物騒な噂のあがる黒の森の周辺に魔物が姿を現すようになったというのだ。
黒の森の魔物が森の外に出る事態は珍しい。
そんな時、4人組の冒険者が少年に声をかけてきた。
普段なら実力の釣り合わない仕事は断る少年だったが、黒の森のごくごく周辺に出てきたはぐれとよばれる魔物の駆除という事と、報酬の良さにつられて首を縦にふってしまったのが運の尽きだった。
森の周辺から徐々に森へと近づき、これ以上魔物が出てくる様子のない事を確認した冒険者たちは追加報酬に目が眩み、調査と称して森の中へと足を踏み入れてしまった。
即興とはいえパーティーを組んでしまった手前、少年も仕方なくそれに倣ったのだ。
そうしていつになく、気性の荒い魔物の群に遭遇し、冒険者たちは少年を囮として群れの中へ投げ込み、逃亡を計ったのだ。
どうにか群を撒いたものの、帰る道筋を見失い、魔物に追われ、辿り着いた先でこうして囲まれている。
魔物たちは用心深く、姿を隠したままこちらの隙を伺っている。
(あいつら、見つけたら絶対殺す)
少年は自身を置き去りにした冒険者たちへの殺意を固めた。
その為にはここを切り抜けて、生きて帰らねばならない。
疲弊する己を叱咤し、周囲の魔物たちが襲い掛かって来る瞬間を今か、今かと待ち続けた。
がさり、
目の前で大きく叢が音を立て、そちらに気を取られた瞬間、左足痛みが走った。
目を落とせば蛇が足に噛みついていた。
牙は皮膚を貫き深く食い込んでいる。
「ちっ」
咄嗟に腰の短剣に手を伸ばし、蛇の頭の付け根を貫いた。その拍子に牙が外れ、蛇の頭を踏み潰す。しかし、行動できたのはここまでだった。
くらり、と眩暈がした。
「くそっ」
擦り切れた思考で蛇の毒だとやっと理解した頃には何もかもが遅すぎた。
周囲を魔物に囲まれたこの状態で意識を手放すのは死を意味する。
必死で抵抗するも抗いきれず、青年の意識を手放した。
§
パチパチ
耳に心地よい音に、少年はうっすらと目をあけた。
焚火の熱に意識がゆっくりと引き上げられていく。
「っ」
「目が覚めたか」
身を起こそうとしたが、身体のどこにも力が入らない。加えての足の痛みと眩暈に少年は諦めた。
「蛇の毒だ、無理はするな」
柔らかな声音に少年は今度こそ眩む頭を押さえながら身を起こし、すぐそばにあった木の幹に背を預ける。
「ここは……?」
「黒の森の中だ。運に恵まれたな」
だんだんと明確になっていく視界で向かいを見ればそれは、一人の娘だった。
まだ年若いローブを羽織った旅の巫女だった。
周囲を窺えば、辺りは静まり返り、先ほどの剥き出しの敵意がすっかり成りを潜めている。
普段にない様子に安堵よりも怪しさが先に立つ。
黒の森と言えば、まず、立ち入ろうと思う者はいない。
目の前の巫女装束の娘を見る。
年の頃は17か18かそこらに見える。外套から零れる艶のある黒い髪に黒い瞳、どこか異国を思わせる顔立ちは愛らしく美しい。
隙間から覗く細い首や華奢な体躯は、どこからどう見ても非力な女にしか見えない。
周囲を警戒するでもなく、呑気に野営をしているその存在は腕に覚えのある冒険者ですら立ち入る事を憚られるこの黒の森の中にあって異質すぎた。
少年の警戒心を感じとった娘は小さく笑う。
「今は少し、特別でな」
「特別?」
「たまにな、整えてやるのよ。均衡が崩れると、森の外にも障りが生じる」
今回のようにな、と巫女が虚空を見上げて呟いた。
「だから、しばらくは人払いをして森を整える。その間森は何者も内側へ招き入れることはない。むしろ、人を追い出すよう働くものだが、」
そこで言葉を切って巫女は少年をじっと見つめた。
「意識がなければ追い出しようもない、お前はここに取り残された形になる。
巻き込んでしまって申し訳ないが、この森は今完全に閉ざされた状態にある。
何者も森へは入れぬし、森にいるものは外には出せぬ。
2,3日もすれば、この森も元に戻る。難儀であるが、しばらくは辛抱しておくれ」
随分と古風な物言いの巫女は見た目にそぐわぬ落ち着いた雰囲気で少年に困ったように笑いかけた。
「こちらの事情はそんなところだ、では、お前の具合を確かめたい。良いか?」
「………………」
少年が答えずにいると、巫女は静かに立ち上がり、少年の側に跪くとそっと手を伸ばす。
「触れるぞ」
まるで、警戒する獣を相手にするかのような。そんな事をまとまらない意識の中で思い浮かび、内心自嘲する。
自分に対するこの女の態度は正しい。
そう、この目の前の巫女は娘の形をしているが、決して娘ではない。
見た目通りの年齢ならば、もっと姦しいものだ。
少年の見た目は老若問わず異性を惹きつけやすいものらしい。物心ついた頃からそうだった。
しかし、少年の正体を知った者は大抵が同じ反応を示す。
驚きと恐怖と奇異の目。そして最終的には関わり合いになるのは御免だとばかりに忌避するようになる。
触れるぞ、と言葉と共に意思表示を示す形で目の前に翳された手。
普段の彼であれば間違いなく拒む。
だが、何故か今伸ばされたその手に対しての拒否感や嫌悪感、不快感はなかった。
「………………勝手にしろ」
この、目の前の女はどういった反応を示すのか。
朦朧とする中、せめて、この女の反応を確かめてから意識を手放したいと思う。
恐怖か忌避か、このまま置き去りにされて魔物の餌か。
どの道この娘の姿をした何かが助けてくれなければ失っていた命だ。
冒険者どもへの復讐は諦めなければならない。
ひんやりとした柔らかい手が額に当てられる。
「やはり、熱があるな」
その手に当たる感触に女はなんら態度を変えずに独り言のように呟いた。
己を見るその眼に変化はない。
女の別の手が少年の頬にあてられ、首筋へと移動する。
他人から他意なく触れられたのも随分と久しぶりの事だ。
安心する
少年は瞼を閉じた。
額に触れたその指が少年の額にある
不思議と触れられる事への抵抗も反発心も何もおきなかった。
もうしばらく、このままでいたいと思った。
意識がゆっくりと沈んでいく。
その手はとても気持ちが良かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます