第5話 変な女はやっぱり変な女だった。

 辺りの明るさに少年は目を覚ました。

 目覚めは随分とすっきりしていた。

 珍しく深く眠っていたらしい。


 腕に力を籠めれば、すんなりと身を起こす事ができた。

 多少のだるさは残るものの、動くのに支障はない。

 体のあちこちに負った傷は丁寧に手当されていた。


 辺りに目をやれば、女の姿はなかった。

 置いていったか、と一瞬思うもすぐに否定した。

 少年にかけられた毛布と枕として置かれたそれは女のものだ。

 ふわりと薬草の混じったいい匂いがする。

 外套も毛布も旅をする者の必需品だ。余程懐に余裕がない限り、奇特な人間でもなければこんな小汚い少年一人の為に置いていったりはしない。


 昨夜、女が触れた自身の額に手をやる。

 そこには変わらず角がある。

 最初はちょっとした突起だった。ただのできものと思ったそれは角の兆候だと知った。父親がオーガと知ったのもその時だ。それから角は日を追う毎に紅く色づき主張しだした。


 それに合わせて目の色も深みを増し、瞳の中も変化していった。


 それでも、角も瞳も髪で隠してしまえば気づかれない程度のものだったので気にすることをやめた。だが、言い寄る女たちはその変化を見逃さなかった。


 口さがない女たちから周囲に徐々に広がり、それが面倒になり、故郷を捨てた。

 元々身寄りのない身だったので、特に故郷に未練はなかった。


 そうしてヴェスト王国に流れ着き、今に至る。唯一救いだったのは、このヴェスト王国には数は少ないながらも人間以外の人種が存在する事だ。それに紛れてしまえばどうという事はない。

 けれど、二足歩行の獣の姿に角を持つ者はいるが、少年のように人の姿に角だけ生えた種族はいなかった。


 角の他に尻尾や体に鱗を生やした者もいたが、明らかに別物だと少年は本能的に察していた。


 人の多い街に腰を落ち着け、冒険者として登録し、糊口を凌ぐ程度には稼ぐ事ができるようになったが、故郷とは違った面倒ごとも増えた。


 ここでは女だけでなく、男も言い寄ってくる。

 それだけでも面倒なのに、今度は人買いにも目を付けられた。


 一々逃げ回るのも対処するのも面倒で、結局のところ、拠点を変え、前髪を伸ばして目を隠す事で面倒ごとは落ち着いた。

 視線を少し下に向けるだけで、胡散臭そうな視線を投げかけられる事ははあっても好奇と色の含んだ目で見られる事はなくなった。


 が、今度は舐められる事が多くなった。だから今回のように使い捨てとして冒険者どもに上手く使われる羽目になったのだ。


 それを思いだし、ふつふつと殺意が湧き上がる。

 顔は覚えた。逃がす気はない。


「よし、殺そう」

「随分と物騒なもの言いだな」


 どこか、面白そうな笑いを含んだ声に顔を上げれば、女が立っていた。

 その腕の中にはいくつかの木の実と果実が抱えられている。


「誰を殺すかは知らんが、生きる気力が戻ったなら何よりだ。私は殺すなよ」

「俺は最初から生きる事を諦めてはいないし、助けてくれた相手を殺すほど落ちてもない」


 むっとしながら少年が言い返せば、女は小さく笑う。


「そうか。昨夜は諦め切っていたように見えたが」


 少年はぐっとつまった。


「まあ、身体が弱ると気持ちも弱る」


 放物線を描いて投げられたそれを少年は反射的に受け取る。

 女の腕の中にあった果実のひとつだ。


「食べておけ、消化に良いし熱さましにもなる」


 少年は受け取った実をじっと見た。

 黄色く色づくそれは見たこともないものだった。


「美味いぞ」


 そう言って女は少年に渡したものと同じ果実を齧ってみせた。

 租借し、嚥下したのを見計らって、少年も果実を齧る。


 皮は柔らかく口の中に甘い汁がじゅわり、と溢れる。

 反面、さっぱりした口当たりに少年は思わずつぶやいた。


「美味い」

「だろう?」


 そう言って女はもう一口果実を齧る。

 女の濡れた唇に果汁ををぬぐう指先に自然と目が吸い寄せられる。少年は無理やり視線を引きはがし、手の中の果実に視線を戻し、何かを誤魔化すようにひたすら果実にかぶりつく。


 昨夜の女のひんやりとした柔らかい手の感触と角を撫でる優しい手つきを思いだし、無性に胸がざわついた。


 少年の手の中の果実はあっと言う間に芯だけになった。

 物足りなさに顔を上げれば二つ目が目の前に差し出される。


「昨日の今日だ、気力は回復しても身体の方は消耗して飢えているのはわかるが、ゆっくり食え」


 言い聞かせるような物言いに少年はむっとなる。


「子供扱いするな」

「お前は子供だろう?」

「子供でもお前でもない」

「では、何と呼べばいい?」

「………………」


 少年のつっけんどんな言い方に気分を害するでもなく、何処か愉し気に女が聞いてくる。

 何だか、女に上手くのせられている気がして次の言葉を躊躇った。


「ん?」


 先を促すように顔を覗き込まれ、ざわり、と何かが背筋を駆けあがる。

 こちらを覗き込んだ女の目は、今まで彼を見るどの目とも違った。

 奇異でも、侮蔑でも、恐怖や嫌悪でもない。ましてや色欲でもない。

 どこまでも穏やかで、どこか、居心地の悪さを感じると同時に不快なものではなく、どう表現するのが正しいのか、少年は明確な答えをみつけられないでいた。


「…………ザイ」


 顔を背け、己の名を絞り出す。


「ザイ?」

「そうだ」

「そうか」


 ちらり、と女に目をむければ、ゆるりと口元を緩めた。


「よろしくな、ザイ」

「ああ」


 手短に答えてふい、と顔を反らした。












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