第53話 私、すごく変な事言います!

 私は階段にかけた足を床に戻し、マリーに向き直った。


「娘、随分と古い言葉を知っているな」

「え!? あ、いや、その」


 己の発言の迂闊さに気づいた顔だ。今更遅い。


「デア・エクス・マキナとは?」


 ザイが険を含んだ声で聞いてくる。


「デアは女神だな。遥か昔に私をそのように呼ぶ者らがいた」

「では、エクス・マキナは?」


 ザイの目が不穏な色を帯びる。意味を解していないのに勘だけでそれが私に対して不敬な呼び方である事を察しているのが不思議だ。



 §



「相手は10を越えた程度の幼い娘だ。何かの文献かどこかで聞きかじった程度のものだろう。怒るなよ?」

「あれはアンタを指して確信を以て呼んでいた。意味合いにもよる」


 小声で至近距離で話す私とザイをテーブルを挟んだ向かいの席でチラチラと様子を伺っているマリー。


「ゼノン、距離を置け、お前が側にいれば聞ける事も聞けなくなる。せめてエレノアがいる位置くらいまでは下がれ」

「…………だが」

ザイ・・?」


 深紅の瞳を真っすぐに見上げて名を呼べば、ぐっと詰まり、少しの葛藤の後に遠目にこちらの様子を伺うエレノアの隣に立ち、こちらをじっと見つめる。そこにはエランとミーア、マルスもいて、心配そうにこちらの様子を伺っている。


「さて娘」

「は、はいっ!」

機械仕掛けによる女神デア・エクス・マキナと私を呼んだな、その意味を理解した上でそう呼んだのならば、それは私に対する侮辱であり、見当違いな呼び名でもある。理由を聞きたい。生憎とこの身は機械仕掛けとは程遠い。勘違いであればこれでお開きだ。そうでないなら説明してもらおうか」


 本来ならここまで大事にするべきではないのだが、それではザイとエレノアは納得するまい。

 魔女は私にとっては気安い存在だが、人間にとってはそうではない。

 彼女らの中での優先されるべきは私であり、他者は二の次だ。例え生死を共に乗り越えた仲間であろうともそこに例外はない。


 私が世界の安寧を保っている事を、その恩恵によってこの世界での生を許されている事を魔女たちはよく知っている。この世界の真理と知識を探求する事を旨とする魔女であるなら、デア・エクス・マキナが何を意味するかは理解できた事だろう。


 私がこうして直接問いたださねば、この娘もただでは済まなかっただろう。


 このマリーという少女も同じ転生者という意味では私と似たような存在なのだろうが、その実態は大きく異なる。

 私の意識は今の御使いとしての私だが、この娘の意識はおそらくは今の生より前、異世界で生きた意識に近い。纏う空気が異質なのだ。


 御使いとヒトの意識の差は大きい。下手な仲間意識を持たれるのも困る。

 わたしにとって同胞と呼べるのは天に昇ったきょうだい達だけであって、同じ異世界を生きた人間の娘ではない。


 ならば知らぬふりを決め込むのが互いにとっては一番良い。

 内容によっては天啓として神より授かった知識として明かしても良いかもしれない。


 私にとって避けたいのは私がゼノンによって捕らえられ、機械仕掛けによる女神デア・エクス・マキナとして造り変えられた未来をザイが知る事だ。


 私が傷つくだけであれだけ辛そうな顔をするのだ、自身がその手で私に害を為した別の未来を知ればザイはもっと辛い顔をするに違いない。あんな顔は見たくない。


「あの、デス、ね?」


 目の前の少女が口を開く。その目は忙しなくこちらと背後のギャラリーの間を行き来している。


 私は小さく息を吐き、音が漏れないように空間を閉ざす。

 エレノアとザイが反応を示すがそれを問題ないと目で制し、言い淀む少女へと目を戻す。


「空間を閉じた。私とお前以外に我らの声を拾える者はない」


 さあ話せ、と目で促す。


「あの、あの、ですね! 私、すごく変な事言います!」


 少女は覚悟を決めたのか意気込んで口を開いた。



 §



 少女の話した内容はほぼ予想通りの内容だ。

 自身が異世界からの転生者であること、ここが彼女が嘗て遊んだゲームと非常によく似た・・・・・・・世界である事。


 同じ世界の違った時間軸とは考えなかったらしい。


「世界設定……っていうか、世界は多分同じなの。国の名前とか、物語の登場人物とかも全く一緒なの。お兄ちゃんが主人公で、ミーアが逃げてきたのを皇国から助けたりして、シナリオ……、えっと、物語の通りに進むの。マルスもエレノアもそれで仲間になったし。でもね、色々違うんだ。お兄ちゃんに私みたいな妹はいなかったし、私の知ってる物語では黒の森が暴走してヴェストが滅ぼされて、それから……」


 今度は私とザイを視線が行き来する。


「その、物語の話なのよ、作り物の。ひょっとしたらその物語の書き手さんが脚色したかもしれなくて」


 そう前置きを置いてぽつりぽつり、と私の知る物語を語る。


 ヴェストが滅んだもう一つの未来を。皇国に捕らえられた私がどうなるか、私を滅ぼすゼノンの事を。私が誰によって捕らえられ、私を滅ぼしたゼノンの末路を濁しながら。


 身を以って知った未来ではあるが、他者の口から改めて語られるとやはり胸が痛む。


「そうか」


 そっと目を伏せ、胸にある神核に触れる。

 アリアは神核を私から切り離すだけでは飽き足らず、二つに割ると言っていたらしい。


 もう一人の私の記憶にはそれはない。抜き取られたのかそうでないかもわからない。

 ただ、機械仕掛けによる女神デア・エクス・マキナとなったその身の内には確かに神核は存在していた。

 その違いはもしかしたらゼノンが皇国に居たかそうでないかの違いゆえかもしれない。


「で、お前はその物語の記憶を頼りに兄と共に行動しているという事か」

「はいっ。通る場所とか順番とかは大体覚えてるので、だけど、色々と違う事もたくさんあって、レベルの上げ方がわからなくって。経験値っていうか、そのゲームは強い敵を倒した分だけ強くなるんですけど、その、強い敵が……」


(ああ、成程……)


 少女の言わんとする事を察してしまった。

 プレイヤーに精神的外傷トラウマを植え付けたゼノンと終盤戦の機械仕掛けによる女神わたしとの戦闘では結構な経験値が入った。ゼノン戦の経験値は金で買ったようなものだが。他にも嘆き女バンシーとの戦闘でも経験値が入った。そう考えてみれば、本来の半分近くの経験値が手に入らない事になる。


 しかし、それはあくまでも異世界のゲームシステムによるものだ。

 この世界にレベルや経験値といった概念はない。

 強い相手を倒したからといって突然強くなったりしない。


 ザイの強さもまた、種族の特性によるところも大きいが、敵を倒す事によって得た強さではなく、経験と学びから得たものだ。


「そのレベルや経験値というものがどういったものかは知らぬが、それはゲームでのルールの話であろう?」


 マリーが今気づいた!といった顔でこちらを見た。


「生憎と、この世界にはそのようなルールは存在しない。強さを手にしたくば鍛え、経験を積む以外にない。実際、あの男、ゼノンの強さも15の歳よりヴェストで3年、以降は私との旅の最中に血反吐を吐き、死にかけながら手に入れた強さよ。もし、そのような都合の良い概念があったなら、あれも血反吐を吐かず、死の淵に立つ必要もなかったろうに」


 マリーがこちらを目を丸くして見ている。


「何か?」

「あの、その、私のゲームの中の話では、あなたはゼノンに酷い目に遭わされて、最後にゼノンに酷い目に遭わせて、その……」

「呪ったであろうな。己の全てをかけて」


 びくり、とマリーの肩が揺れた。


「神の創りたもうた何よりも尊く愛しいこの世界の行く末を、その世界の終末と共に見届けられぬとあっては。愛しい世界に己が意志でなく、ただ操られるままに深手を負わせ、それを止めたのが、私がそのようになった元凶であれば尚更に」

「あ……、あの、め、女神様!」


 がたん、と椅子を蹴立てて立ち上がる。


「そ、その、ごめんなさい! 今まで話した事、全部嘘です!! 私の勘違いです!!なしです!!」


 勢いよく頭を下げる娘の姿に今度はこちらが目を丸くする番だった。

 こちらを伺い見るその顔には後悔の念がある。


「私を女神様と呼んだのに?」

「あっ、えっと、ゆ、ゆめ、そう!!夢の話なんです。厨二病っていうか、自分が特別だって思いたい年頃なんです!!だから、今と私の夢は全然関係なくって」


 私は席を立ち、下げ続ける紺色の頭に手を載せる。


「よい」

「あの、……女神様?」

「お前がどれと勘違い・・・していたのかは知らぬが、私は女神ではない。ヒトの子らは私を狭間の巫女や巫女様と呼んでくれる。今後はそのように呼べ。でないとエレノアが恐ろしいぞ」


 顔を上げたマリーがエレノアの方を向き、顔を青くして身を竦めた。


「……ひえっ」

「それと、ゼノンにはその話は黙っておけよ? 嘘とは言えそのような話を耳にすれば、アレも何をしだすか私にも予想がつかぬ」

「因みに巫女様の予想だと、どんな目に遭っちゃうんでしょうか……?」

「周囲が何だかんだと言ったところでアレも鬼の血を引く者であるからな、特に私に関する事には直情的なところがある。首が飛ぶ」

「ひっ」


 マリーの喉から引きつった悲鳴があがる。


「フェイ」


 すぐ近くから聞こえた声に振り返ればザイが立っていた。


「もういいだろう」


 こちらの声が届かない事にあきらかに不満の色を見せるが、それだけでなく心配の色も見える。

 閉ざした空間を解き、ザイへと笑みかける。


「ああ」


 私の声が届いて安心したのか、その深紅の瞳が少しだけ和らいだ。

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