第13節 -海洋調査にて-

 ダンジネス国立自然保護区からおよそ数分の道のりを電気バイクで走り抜け、玲那斗とイベリスはリド=オン=シーへと到着した。

 バイクを駐車場へと停めいよいよこれから海岸調査へと繰り出すところだ。

 今回はジョシュアも言っていたように簡易的な海洋調査を行うだけということで、特に物々しい機材は必要ない。機構の隊員だけが所持するヘルメスの機能を使っての調査となる。

 2人は海沿いまで歩き、浜辺というよりも荒野に近い海岸に立ちながらヘルメスを海洋へと向ける。

 あとはヘルメスが調査対象を自動で判別し、対象に適したプログラムが自動で起動し結果を返してくるはずだ。


 待つことおよそ1分。ヘルメスが調査結果を返してきた。

 読み取ったデータを眺めながらイベリスは言う。

「見た目はとても綺麗な海だけれど、この子は汚染濃度が高いという判定を出しているのね。なぜかしら。」

「目には見えないサイズの海洋ゴミがたくさんあるのさ。いわゆるマイクロプラスチック問題だ。」

「マイクロプラスチック?」首を傾げながらイベリスは言った。

「そう。小さなプラスチックの破片だよ。一般的には5ミリメートル以下のサイズのプラスチック破片などを指してそう呼んでいる。」

「言葉のままなのね?」

「そうだな。それらは下水から海に流れ込んだりもするけど、直接海に投げ捨てられたビニールなんかのゴミが劣化して細かく分解されたものがそうなることもある。そんな小さな破片を海を住処とする生き物たちが食べたり取り込んだりすることで生態系に深刻な悪影響を与えるんだ。巡り巡って、破片を食べた魚を人間が食べ、人がプラスチック片を体内に取り込むことにも繋がってしまう。」

 玲那斗は自身のヘルメスの弾き出した解析データを眺めつつ、海洋に浮遊するマイクロプラスチックの推定総量の数値を取り上げてイベリスへ見せながら話す。

「こういった破片は海底に長い年月をかけて蓄積されていって、それが自然の力だけで分解されるまでには数百年の時間が必要だとも言われている。この海に堆積しているものだって、かなり昔からの積み重ねが今でもそのまま残っているという代物だろう。」

「人は発展と便利さの為に自然を犠牲にしているということね。」少し切なそうな様子を見せながらイベリスは言った。

「そういうことだ。ちなみに、今から半世紀以上前には工場排水や排気による公害なんてものも酷かった。海洋汚染や空気汚染は今の比ではなかった時代を超えてここまで来たが、なかなか全てを完全な形で解決するのは難しい。俺の生まれた日本でも昔はそういったものが酷かったって記録がある。」

 続いて玲那斗は実際に海水を僅かに汲み取って簡易分析にかける。

「それでも、やっぱり昔に比べたら随分と綺麗になったもんだ。欧州をはじめとして、ある時を境に世界各国からプラスチック製品の使用を制限しようという動きが始まったんだ。飲み物のストローに紙製のものを使おうだとか、ビニール袋の使用をやめようだとかな。」

 結果を見ながら頷く玲那斗に目を向けてイベリスは言った。

「自然を犠牲にして得た便利さを、今度は手放すことで自然を守る。一度手に入れた “当たり前” を手放すことが難しいというのは私にも分かる。両立は出来ないのかしら。」

「主語を大きくして言うと、それが俺達 “人類” にとっての課題だ。今はこれ以上ないほど生活が便利に発展したけど、突き詰めると自然環境を犠牲にした上での進化というに等しい。今度は自然を守りながらいかに暮らしやすくするのか、又は人の意識を変えていくのかなんて辺りが課題だな。本当にひとりひとりの考え方に委ねられる問題でもある。出来ることの中で最善を尽くす。そんな地道な積み重ねしか出来ないけど、いつか良い結果として表れるんじゃないかと俺は思っているよ。」

 いつもであればこうした前向きな意見はイベリスがいうものだが、今回に限っては玲那斗が彼女へ言う。

 彼の言葉を聞いたイベリスは普段とは逆の状況に新鮮さを覚えつつ言った。

「そうね。そういう未来が訪れれば良いと私も思うわ。」

 少しだけ自信無さそうに返事をした彼女に視線を向けて玲那斗は言う。

「難しいのではないかと思う気持ちはもっともだ。誰だって内心では “そう” 考えている。いずれにしても超えるべき壁はとても高い。二酸化炭素の排出規制の為にガソリンを使わずに電気で走る車を作ろうと言いながら、しかしそれを動かすための電気を大量の二酸化炭素を排出する火力発電所で作るなんていう矛盾をどう解決するか…なんてことも含めてな。10年前から急激な電気化が進んだけど、その問題はクリアされていないからね。」

 玲那斗はそう言うとヘルメスのデータ解析モニターを終了し、荒野の向こうを目指して歩みを進めた。イベリスも彼の後ろについて歩き出す。


 太陽の光が海に反射して煌めいている。

 昨年の夏、ミクロネシア連邦で眺めた海とは違う欧州の海。

 柔らかく穏やかな波が打ち寄せていた太平洋とは違い、固くうねりのある波が打ち寄せる。

 昨夏に2人で聞いた波音は生命を育み、優しさで包み込むようだったが、この地で聞く波音は生きることの難しさを物語るかのような厳かさが感じられる。

 暖かいというほどに上がりきらない気温の影響もあってか、目で見ている以上に海の冷たさが伝わってくるようだ。


 国立自然保護区の荒野と同じく、この海にも静寂が満ちている。イベリスはそう思っていた。

 人と自然の共存。自分が生きていた千年前に出来ていたことが、今はとても難しくなってしまっている。

 自身も夢に見た世界の発展による “光”。しかし、その道行きに横たわる大きな “影” の存在に言葉では言い表せないもどかしさを感じるしかなかった。


                   *


 アルビジアは今日も自然保護区へと足を運んでいるのだろうか。ジェイソンは先刻出かけてくると言い残して家を出た彼女のことを考えた。


 最初に出会った日もあの場所であったように、彼女は自然保護区に対して何か深く思い入れることがあるらしい。ここ最近は特に頻繁に行き来しているようだ。

 そのことについて特に気がかりなことがある。財団の管理区域内で発生しているダストデビルによる被害のことだ。

 小さな扱いではあるが、メディアにも取り上げられているその現象が起きている日付と彼女が保護区へ足を運んでいる日付や時刻がおおよそ一致しているという事実。

 このことが自分の心を酷く不安にさせる。それらが意味するものが自身の想像と違ったものであることを願うばかりだ。

 本当は分かっている。分かっているが、理解したくないだけなのかもしれない。


 元を辿れば彼女はいつ、どこから、どのようにしてこの地へと辿り着き、果たして何者であるのか。

 本人が語らない以上は聞かないようにしているが、聞いておくべきだったのだろうか。

 長い人生の最後に訪れた、たったひとつの幸福な時間。自分にとって最後に与えられた一筋の光にも等しい希望を潰すような真似はしたくはない。

 しかし、一度気になり始めると止まらないという昔からの悪癖がこういうときに顔を覗かせる。

 それとなく今夜にでも聞いてみよう。少なくとも、国立自然保護区で何を見ているのかだけでも。


 ジェイソンが彼女のことを考えながら買い物に行こうと表のコーストドライブから海へふと視線を向けると、そこに見覚えのある男女の姿が見えた。

 確かマーケットの駐車場で出会った機構の隊員だったはずだ。特に遠目からでも目を奪われるほど美しいあの少女の姿を見紛うことなどないだろう。

 そういえば、彼女はアルビジアの姿を見てかなりの動揺と驚きを浮かべた様子を見せていた。


 もしかすると何か知っているのかもしれない。


 そう思ったジェイソンは買い物に行く予定を変更して彼らに声を掛けてみようと海岸へと繋がる荒野へと足を踏み入れた。

 一歩一歩、大地を踏みしめて彼らへと歩み寄っていく。海岸まで来たということは海の調査でもしているのだろうか。

 いや、今回の彼らの任務はおそらく最近メディアを賑わせたもう一つのニュースが起因となっているはずだ。

 国立自然保護区の一画で突然の自然回帰…いわゆる異常な環境再生が発生したということについての調査である。

 差し詰め依頼者は英国政府、又はセルフェイス財団といったところだろう。

 機構は自然災害、異常気象、環境汚染への対応に加え、近年では飢餓、貧困、紛争、難民問題など世界中のありとあらゆる問題へ取り組んでいるという。

 第二の国際連盟と言っても過言ではないほどの規模と勢力を持つ独立国際機関。

 世界最先端の科学技術力を持ち、思想の問題を除けばおおよそ彼らに解決できない問題は無いとまで言われている。

 そんな彼らなら或いは。アルビジアという少女のことについて何か知っているのではないか。

 とはいえ、これが実に都合の良い解釈であることも理解している。彼らが一個人の情報についてまで把握しているはずがない。

 この考えはコンマ1パーセントにも満たない確率に縋るようなものだ。それでも…


 尋ねてみる価値はある。


 特にあの白銀の髪の少女。

 “自分と似ている誰かと見間違えたのかもしれない” とアルビジアが言ったことを疑うわけではない。ただ、あの言葉に引っかかるものが思いが無いと言えばまた嘘になる。

 これは巡り合わせだ。確かめる機会はきっと今しかない。


 ジェイソンは様々なことを頭に巡らせながらようやく彼らの近くまで辿り着いた。

 そのことに機構の2人が気付いたとほぼ同時に声を掛ける。

「やぁ、珍しいお客さんだ。今日は海洋調査をしているのかい?」

 問いかけに男性隊員が爽やかな笑みで返答してくれた。

「はい。周辺の環境調査をしています。今はおっしゃる通り海洋調査の最中です。」

「そうか。私は長年この海を眺めて生きてきたが、昔より随分綺麗になった。悪くない数字が出たのではないかな?」

「それもおっしゃる通り。あらゆる基準値を下回る結果が出ています。マイクロプラスチックなどの問題を除けば、ですが。」

「人類の発展の過程で見過ごされてきた問題か。そういう問題があるということに我々人類が気付いた時には遅かった。解決には莫大な時間がかかるだろうな。既に流されてしまったものを回収する手段はないというから。」

 ジェイソンは穏やかな表情で男性隊員へ近付き、手を差し出しながら言う。

「君達のような人々が何とかしようと頑張ってくれているのは嬉しいことだ。さて、突然話し掛けて調査の邪魔をしてすまないね。私はジェイソン・モラレスという者だ。この近くで暮らしている。」

 隊員は握手に応じて応えた。「姫埜玲那斗中尉です。」

 続いてジェイソンは女性隊員にも手を差し出した。彼女は握手に応じながら言う。

「イベリス・ガルシア・イグレシアス三等隊員です。昨日マーケットの駐車場でお会いしましたね?」

「覚えてくれていたんだね。ありがとう。」ジェイソンは言った。

 2人と握手を交わしながら挨拶を終えたジェイソンは、この場に自分が来た理由を思い切って伝える。

「昨日のことで聞いてみたいことがあって君達に声を掛けた。私の連れだった…そうあの子のことについてだ。イグレシアスさん、昨日貴女の浮かべた表情がとても印象的だったものでね。もし迷惑でなければ、少し時間を頂けないかな?」

 玲那斗とイベリスは互いに顔を見合わせる。そしてジェイソンの方へ向き直り玲那斗が言った。

「構いません。我々も今回の調査のことで住人の方にお伺いしたいことがあります。こちらからもお願いしたいところです。」

「もちろん構わないとも。君達の力になれるのであれば私としても誇らしい。どうだろう、ここで立ち話というのも申し訳ない。私の家に招待したいのだが。場所はここから見えるあの家だ。」

 ジェイソンはコーストドライブの道路沿いに建つ2階建ての家を指差しながら言った。

「分かりました。」

「恩に着るよ。」そう言ってジェイソンは後ろを振り返り、先程指差した自宅へと歩み始める。

 その後ろに玲那斗とイベリスはついて行った。



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