第17節 -偽りの神は安らかに眠る-

 人気のない暗がりの荒野。鼻唄を歌い、両手を広げながら少女はくるくると回る。

 太陽が地平線の彼方に姿を隠し、国立自然保護区は今や完全なる巨大な闇に包まれていた。付近にある灯りは財団の自然保護管理区域のライトと遠くに見える原子力発電所の送電塔から放たれる赤い光くらいのものだ。

 そんな中、桃色ツインテールの髪と短いスカートをゆらゆらと揺らしながら舞う少女は湖の手前で足を止め、前屈みになって湖面を覗き込む。

「鏡よ鏡よ鏡さん☆世界でいっちばん楽しいことはなぁに?」

 無邪気に笑いながら意味のない質問を水面に投げかける。

「それはね、 “幸せな誰かが足を踏み外す瞬間” …なんだよねー☆」

 自分の質問に自分で答え、1人で納得して満足した様子を浮かべるとその場に腰を下ろした。

 周囲の灯りがないことで水面にはっきりと映るものはないが、ぼんやりと少女の影は浮かび上がる。

「 “貴女” は楽しい?」

 もちろん、答えなど返ってこない。

「あなざーみぃ、でぃふぁれんとみぃ、あるたーえご、あんじぇりーな、あんじぇりーな。」

 歪んだ笑顔を浮かべながら少女は楽しげに言う。

「大丈夫、大丈夫ぅ!楽しいショーはこ・れ・か・ら☆ 今夜、あの子はきっと “あれ” を荒らしに来る。壊しに来る。私はそれを見届けた後で彼女に話し掛けて見ようと思うんだよねー。あの子がことを成せば、明日からがとぉっても楽しくなっちゃうんだなー、これが☆」

 少女はそう言ってすっと立ち上がると、くすくすと笑い声を発しながら紫色の煙が大気に解けるような軌跡を残してその場から跡形もなく消え去った。


                 * * *


 時刻が午後9時を回った頃、幸せな夕食の時間を過ごしたマークתの4人は後片付けを終え、各自がシャワーを浴びるなど自由行動となっていた。

 そんな中、ルーカスの提案で映画鑑賞会をしようという話が持ち上がり、これに全員が賛成。これより第二のお楽しみが始まろうとしているところである。


 キッチンからは香ばしい香りが部屋中に立ち込める。

 リビングのソファにジョシュア、ルーカス、イベリスが腰を下ろして待つ中、玲那斗が出来上がったばかりの “あるもの” をキッチンから携えてやってきた。

「こんなこともあろうかと用意しておいた至極の一品を御覧じろ。イギリス名物、フィッシュ&チップスだ!」

「夕食を作っている途中で何か用意していると思ったのだけれど、これだったのね。」笑いながらイベリスが言った。

「ナイスセレクト。この国に来たからには食べておかないとな。」ルーカスが言う。

「夕食の前に魚の臭みを取って下味をつけて寝かせておいたんだ。サンフラワー油を使って揚げたから見た目よりはあっさりしてると思う。」

「それは良いな。最近は揚げ物に抵抗が出てきたが、軽く食べられそうだ。」重たそうな見た目を警戒していたジョシュアの顔にも安堵が浮かぶ。

「隊長、歳ですか?」

「お前達もそのうち分かるようになる。」ルーカスの言葉にしみじみとした様子でジョシュアは返事をした。

「ソースは何種類かあるから好きなものを選んでくれ。」

 そう言って玲那斗が揚げたてのフィッシュ&チップスをテーブルへと置いたその瞬間、ルーカスがひとつ手に取って早速食べる。

 噛んだ瞬間にさくさくとした良い音が部屋に響く。

「凄いな。普通に揚げただけでこんなにサクッとした仕上がりになるものか?」思わずルーカスは言う。

「ビールを使ったのね?」イベリスが言う。

「その通り。普通に作るよりサクサクとした食感を楽しめるからな。」

 2人のやり取りに感心したルーカスが言う。「インドアも極めたら才能だな。前から思ってたが、玲那斗は料理の先生でもやった方がいいんじゃないか?」

「あぁ、やっているとも。今しがた衣の秘密を暴いた優秀な生徒を1人受け持っている。まぁ既に生徒の方が料理は上手いんだが。」玲那斗がイベリスの方を見やって言った。

「いっそ2人で店でも開け。繁盛すると思うぞ。」本気か冗談か分からないニュアンスでルーカスは言った。

「食卓に並べる料理を作るのと、多数のお客さんに出す料理を作るのでは全然違うからな?」

「それもそうか。」

 そう言って笑ったルーカスの横ではジョシュアが満足そうな表情をしながらチップスを食べている。

「さて、準備が出来たのは良いが…肝心の映画は何を見るんだ?」玲那斗がソファへ腰を下ろしながら言う。

「ピコピコが世界侵略するのをオタクが食い止めるお話さ。2015年の映画だ。かなり良い。もしかすると玲那斗はよく知ってるかもしれないな。」ルーカスは冗談めかして言った。

「へぇ、楽しみだな。ところで今日はお前の解説付きか?」

「どっちがいい?」

「もちろん、有りで。」ルーカスの問いに対し、ジョシュアと玲那斗とイベリスが声を揃えて言った。

 マークתが映画鑑賞会をする時のお約束と言えば、あるシーンが科学的にあり得るのかどうかであったりをルーカスが即座に真偽判定したり、ある状況を現実に再現すると実際はどういう風になるのかをほとんど一言で解説することである。

 これが理想と現実のギャップを的確に突いてくるので非常に面白く、真面目な映画を見る場合は別として、大抵の場合において恒例となってしまったのだ。

 やれやれと言った表情で頷くルーカスを見てひとしきり全員が笑った後、彼の一言解説付きの夜の映画鑑賞会が幕を開けるのだった。


                 * * *


 空には燦然と星が輝く。雲の多いこの国にあって、これほど輝きに満ちた夜空を目に出来る機会はあまりない。星々が照らす大地は冷え込んだ空気によって満たされる。

 静寂。遠くから僅かに潮騒が響くような気がするが微かな風によって掻き消された。

 午後10時を回った頃、ダンジネス国立自然保護区の中に少女は姿を現した。その美しい緑色の瞳が映すのは財団が管轄する管理区域である。

 視線の先に向けて右手を無言で伸ばすと同時に彼女の瞳が淡く輝き始める。

 そして掌で施設全体を覆うように重ねた少女は微かな声で呟いた。

「どうか、安らかに…」


                   *


 同時刻、財団管理区域の管制室では襲い来る睡魔と戦いながらもなんとか目を開けている状態の職員が1人監視モニターを見つめていた。

 職員は何も変わることのない映像を眺めることについに耐え切れなくなって大きなあくびをする。

 例のダストデビルによる被害に対し、財団本部からの通達で今夜は特に監視を厳にせよとの命令が下ったのはつい数時間前のことであった。

 しかし、厳にせよと言われたところで自分のすることに変化があるわけではない。そもそも監視するのは現場で稼働するドローンの役割であって自分は何か起きてからその報告をあげるだけに過ぎないからだ。

「夜通し人の目で見ることに意味なんてあるのかね。」

 小声で悪態をつくが、こうして暇を持て余しているだけで高い給料がもらえるのだから良い仕事だと思う。文句を言いつつも嫌な気持ちなどは微塵も感じていなかった。

 むしろこの役回りは特権であるとすら思っている。


 例のダストデビルによる被害は自分も幾度か目撃したことがある。自然現象というには不可解であり、かといって人為的、又は作為的なものかと言われれば無理があるように思う。

 何とも言葉で説明しづらいその現象は、管理区域を直接監視する役目を担うドローンをことごとく破壊してきた。モニター越しで眺めているだけで恐怖を感じる程に。

 だが、ダストデビルの発生そのものに対して特に嫌悪感を感じたことはない。雇い主に公言することは絶対に出来ないが、最近ではあの現象が退屈な監視業務に刺激を与えるエンターテイメントであるとすら感じているし、むしろ好意的にすら思っている。

 あれは今までの事例では監視ドローンを破壊こそするが、その他のものに被害を加えたことは一切ない。当然、監視モニター越しで眺めている自分達に被害が直接及ぶこともあり得ない。

 また、そうした “監視目的” が出来たことで自分達の仕事も意義があるものと見なされ、お役御免となることもない。

 唯一、嫌悪感を感じるとすればまた別のことについてである。あれが発生するたびに破壊され、鉄塊となったドローンの引き揚げ作業の必要が生じるのだが、それらをこなすのも自分達の業務となっていることだ。

 100キログラムを裕に超える重量を持つ動かなくなったドローンの撤去作業は重労働だ。おまけにどこに散らばったかわからない破片探しまでしなければならない。

 いわゆる事後処理というやつについては辟易とするが、業務内容に比べて賃金の割が良いこの仕事を続ける為の “必要経費” 的な感覚で受け入れることにしている。

 既に何時間もモニターを監視しているが今日も特に何かが起こりそうな気配はない。少しくらい居眠りをしてしまっても大丈夫だろう。


 しかし、そう考えた職員がまぶたを閉じかけた瞬間、妙なものが視界に入った。

 錯覚だろうか。監視モニターに映る映像が少しだけぼやけているように感じられる。さらに空間が少し歪んでいるようにも見えた。

 眠たい目をこすりながらじっとモニターを見つめていた職員が、ついに異変を察知して言う。

「おい、あれは何だ。」

 自分の他には誰もいない部屋でその言葉を聞く者はいない。しかし、言わずにはいられないほどの衝撃と戦慄が職員を襲っていた。

 監視モニターの先。遠くから激しい砂煙を巻き上げながら “巨大な何か” がゆっくりと近付いてくる。


 ダストデビル?いや、違う。大きすぎる。いつもはこんな感じでは…


 職員が頭の中でそう考えながら支部へ連絡を取る為の通信機を持ち上げようとした瞬間。

 遠くにあったはずの “巨大な何か” は一瞬で監視モニターに映像を送っているカメラまで到達した。

 まるで目の前で雷が落ちたかの如く、凄まじい破壊音が管制室に響いた後に現地からの映像は途絶える。あまりに瞬間的な出来事に恐怖を感じた職員は思わず体ごと床に伏せた。

 恐る恐る顔を上げてモニターに目を向ける。


 No Signal…


 モニターにはそれだけが表示されていた。

 すぐに映像の入力先を他の監視ドローンや監視カメラに割り当てしてみるが、その全てからの信号が受信できなくなっていた。


 現地で何かが起きた。それも今までとは全く違う何かが。


 何も状況が分からない。管制塔の外では地鳴りのような音が響いている。

 震える手で通信機を握り支部へ緊急連絡を入れようとボタンに指を伸ばす。だが、彼がそのボタンを押すことは無かった。

 全ての監視機器からの信号が途絶して間もなく、管制室はとてつもない激しい揺れに見舞われ停電となり、その直後に壁を突き破ってきた “何か” によって建物ごと粉砕されたのだ。

 職員は先程モニターで捉えた “何か” が “今まで見たこともないほど巨大なダストデビル” であったと知覚した瞬間、激しい風が自身を掠めたことによって体ごと吹き飛ばされ、残された外壁に激しく衝突して意識を失った。


 電源供給が全て遮断された管制室ではいつも鳴り響くはずの警報音すら鳴ることはなかった。

 僅か数秒の間に文字通り全てが削り取られ無残な廃墟と化した管理区域は周辺の荒野の一部となり果ててしまったのだ。


                 * * *


 遥か彼方で何かが崩れ去るような聞こえた気がした。

 雷だろうか?雲もないほど快晴であった日の夜に?

 ベッドの中で目を閉じるものの、なかなか寝付くことが出来ずにいたジェイソンは気になって目を開く。

 こんな時に考えるのは当然ながら彼女のことだ。

 それは今日という一日が終わり、アルビジアと就寝の挨拶を交わしてからしばらく後のこと。

 今と同じように自分がベッドで目を閉じている時、彼女が自分の部屋から物音を立てないように静かに家を出たことに気付いていた。

 こんな時間に何をしに外へ出たのだろう。気にはなったが敢えて見て見ぬふり、何も聞こえなかったふりを決め込むことにした。

 ただ、胸の内にはどうにも消し去ることの出来ない不安がわだかまりとなって残る。

 財団の管理区域でたびたび起きている例のダストデビルによる被害。そのことに彼女が関わっているのではないかという疑念。

 それがただの考え過ぎや思い違いであれば良い。しかし、この胸の内にわき上がる不安は小さくなるどころか大きく膨れ上がるばかりだ。

 ジェイソンは何もない天井を見上げた後、静かに目を閉じる。考えたところで仕方がない。どこへ行っていたのか、明日の朝にでも彼女に尋ねてみよう。

 消えない不安を掻き消すために、ジェイソンは眠りに就くことに集中した。


                 * * *


 少女が右手を下ろすと瞳の淡い輝きは消え去った。それに伴い彼方で起きた巨大なダストデビルが跡形もなく消失する。

 巨大な塵旋風は管理区域のほとんどを根こそぎ破壊し、監視をしている管制塔も巻き込んで崩落させた。

 偽りの神は葬り去った。嘆きの大地は再び巡りゆく季節に合わせて賛歌を歌うようにやがては賑やかな声を聴かせてくれるだろう。静寂だけが支配するこの地で自分が為すべきことは為したのだ。

 自身が行った行為に対する結果を見届けた少女は何も言わず、感慨に耽るわけでもなく、ただ帰るべき場所へと戻る為に後ろを振り返る。

 そうして一歩足を踏み出そうとしたその時、すぐ後ろから甘ったるい声が聞こえてきた。

「凄い凄ぉい!彼らの土地を一瞬であんなにしちゃうだなんて。貴女って雰囲気に比べて割と大胆だったんだね?」

 少女は声の主の方へ顔を向けて言う。

「アンジェリカ、私に何か用?」

 視線の先に立つ桃色ツインテールの少女は彼女の物言いに少し膨れた様子を見せて言い返した。

「んもう、そういう冷たい反応はー、めっ!なんだよ?久しぶりの再会なんだから、もっとこう…こう…違う雰囲気ってものが欲しいんだぞ。」

 アンジェリカの言うことを完全に無視して少女は言う。「昨日から聞きたかった。夜、ずっと私の近くにいたのでしょう?」

「あれれー、気付いてたんだ。お部屋の外からずぅっと、み・つ・め・て・たこと☆ 夜這い夜這いー!…違うか。そうだねー。でもぉー、 “眠りの妃” と呼ばれるほどにぼぅっとしている割にはよく見てるんだね?アルビジア。」少し感心した表情を浮かべながらアンジェリカは言った。

「見たわけではないの。そんな気がしただけ。咎めに来たの?」

「まっさかー。逆、逆ぅー。もっとやっちゃえ☆ って言いたいくらい。美しいものが散る時、他人の幸せが崩れ去る時、誰かの大切なものが壊れる時。そういうものを見るのが私の “趣味” なんだから☆ 例えば、貴女という花が散る瞬間も見ごたえがありそうね?」

 無邪気な笑顔で人の道理から外れたことを趣味だと公言する彼女にアルビジアはただ一言だけ返す。

「そう。」

「ぐぬぬー、相変わらず素っ気ない。分かった分かった、貴女が悪かった。」

 特に意味を成していないことを言いながらアンジェリカはやれやれといった様子で話しを続ける。

「ただお話したかっただけ。それ以上のことはー何も、何も無いんだぞ?」

 その言葉に対してアルビジアは再度同じ返事を繰り返した。

「そう。」

 続かない、膨らまない会話に反比例して、先程より大きく頬を膨らませたアンジェリカは言う。

「んもう!ほんっとうに何を考えているのか分からないんだから。」

「お互い様でしょう?貴女ほどではないわ。」アルビジアは間髪入れずに返事をした。

「ぐぎぎ…返す言葉もない。」

 アンジェリカはやや悔しそうな表情を浮かべつつも、すぐに無邪気な笑顔で取り繕ってアルビジアへと近付いた。

「とーこーろーで。今日のお昼、イベリスとは何をお話したの?」

「特に何も。」

「素っ気ないなー。でも、へぇ?千年ぶりの再会を懐かしんだりはしなかったのかー、そうかー。」

「あの時も見ていたのだから、てっきり貴女には聞こえていたのかと思ったのだけれど。」アルビジアはアンジェリカを見据え視線をぶつけ合ったまま言う。

 表情に一切の変化はないが、あまり機嫌が良いという印象ではない。

「お昼の時も気付いてたんだね。さすが、国の光だの未来だのと愛でられて何も気付かないどこぞの王妃様とは違って優秀ー。花丸あげちゃう☆」

「ありがとう。謹んで辞退するわ。」

「…なんだか調子狂っちゃうな。」斜め上の返事をする彼女に対して険しい表情でアンジェリカは言った。

「ま、いっか☆ ひとつだけ教えてあげると、明日から色々と気を付けた方が良いかもー。」

 その言葉に “お前が何かするのか” というニュアンスで怪訝そうな視線を送るアルビジアにアンジェリカは笑顔で言う。

「何かするのは私じゃないよ?貴女が今夜したことで、彼らが “何もしない” ということはないだろうしー?私は高みの見物決め込んで、これから起きる出来事を面白おかしく観察して楽しむだーけ♪」

 アルビジアは三度目の返事を送る。「そう。」

「そうSOU☆ I think so, そう♪」

 天使のように可愛らしい笑顔でアンジェリカは言った。


 少しの間を置いてアルビジアは確認したいと常々思っていたことを彼女へ問い掛けた。

「アンジェリカ、ひとつ聞きたいのだけれど。」

「はいはーい☆ やっと普通の会話らしくなった!私何でも答えちゃう!」

「財団に薬品を渡したのは貴女?偽りの神。自然を殺す毒。命ある者を亡き者に変え、見た目だけを作り替える悪夢のような緑の神。」

「もっちのろん。私が財団に渡したものだよ。ウォーレンダウンの地下迷宮、セヴァン渓谷の支配者。同じ名を持つ神が作る “理想に見える地獄の虚像”。でも無理矢理押し付けた訳じゃない。きちんと効果をプレゼンテーションしたら喉から腕が生えるほど欲しいと求められちゃって…やん、刺・激・的♡ …愛なんて知らないけど。」

 なぜそこで頬を赤らめるのか意味が分からないが、グリーンゴッドと呼ばれる薬品を財団に提供したのは彼女で間違いなさそうだ。

「奇跡のような悪夢。悪夢じみた奇跡。あの薬に殺された大地は長い月日をかけても戻ること叶わず、その影響を受けた周辺の大地も野生の動物たちも苦しむことになる。どうしてそんなことを?」

「アルビジア、もしかして私に人の心を説いてるぅ?そういうお説教は、めっ!なんだよ?貴女は知っているでしょう?私が法であり、法は私が敷くもの。レイ・アブソルータ。〈絶対の法〉たる私の行いにどうしてもこうしてもないってこと。自然や人がどうなろうとも知ったことではないし、私は私の楽しみが得られたらそれで満足なんだから☆」

 アンジェリカは歪んだ笑顔でアルビジアを見据え紫色の瞳を淡く輝かせながら言った。対するアルビジアもその瞳を淡く輝かせながらじっとアンジェリカを見据える。

「可哀そうな子。責務や使命に囚われて全てを見失ってしまった。貴女の心だけを守り、周囲全ての秩序を乱すだけの法に意味などあるのかしら?」

 

 どこからともなく吹く風が渦を巻くように周辺をさざめかせる。

 荒野に残る草木が揺れ、湖には幾重にも波紋が走る。2人の間を言葉では表現しきれないほどの緊張が支配した。

 まさに一触即発。次に発する言葉を間違えればどちらかが、又は両者ともに無事では済まない争いが起きるに違いない。


 しばらく無言のまま互いに視線をぶつけ合った後、先に口を開いたのはアンジェリカであった。

 アルビジアから視線を外し、一度目を閉じてから再度彼女へ柔らかな視線を送りなおしてアンジェリカは言う。

「やめやめぇー。久しぶりの再会のお祝いに…と思ってお話しに来ただけなんだから。こういう水を差すような険悪なムードはしっしっ!なんだよ。それにー、長い時間をかけても浄化できないはずの大地だって既に元通りじゃない。さっき管理区域を根こそぎ掘り堀りするついでにほとんど “何も無かった” 状態にしたでしょう?まったくもってデタラメなことするんだから。時計の針を未来に進めるだなんて。アイリスとは全く逆のことが出来るのね?凄く、だ・い・た・ん☆」

 アルビジアはアイリスという名に少し反応を示しつつも、敢えてその話題に触れないように言った。

「完全に元通りになったわけではない。私に出来たのは、限りなく元に近い状態になるまで時計の針を進めることだけ。一度傷を負った大地は二度と元には戻らない。」

「だから影響をまだ受けていないところを混ぜちゃった、か。うふふふ、ご謙遜を。」くすくすと笑いながらアンジェリカは言った。その後、アルビジアの横を通り抜けて言う。

「そうそう、このことが財団本部に伝わるのは何時間も後のことになると思うからゆっくり帰っても大丈夫だよ。夜風に当たりながらー、夜の自然保護区をお散歩!とっても優雅じゃない?それじゃぁ私は帰るねー。あれ、どこにー?ま、いっか。あはははは☆」

 1人で言って1人で納得しながら紫色の煙だけを大気に散らしてアンジェリカは姿を消した。

 残されたアルビジアは自身の帰るべき場所へと目を向け足を踏み出そうとする。その瞬間に彼女の言葉が頭をよぎる。

『明日から色々と気を付けた方が良い。』

 財団は自分が手を下しているということに気付いているのだろうか。

 人ならざる力で起こす超常の現象。もし彼らが自分に目をつけているとしても、それが人の手によって起こされていると思考し、理解し、納得させるだけの根拠を並べ立てる作業が必要なはずだ。そこに至るなど普通はあり得ない。

 例外が考えられるとすればただ一つ。彼らが “アンジェリカ” という少女と接触したことで、この世界に常識では在り得ない力が存在する可能性について考慮したことだ。

 あの子のことだ。つい今しがた見せたような特異な力を彼らに隠しておくということもないだろう。絶対的な力を誇示することで、自身の思い描く理想の障害となることを防ぐ為に。

 財団が頻繁にこの地に訪れる自分の姿を捉えていたとして、そこにアンジェリカの姿を重ねたのであれば、自分に対して何らかの疑念を抱くかもしれない。

 仮にそういった諸々の事情から自分に疑いが向けられるならば、必然ジェイソンにもその矛先が向くことになる。それは自分が望むことでは決してない。

 彼女は自身の手では何もしないと言いながら、きっちりと自分の描く思い通りの “理想の破滅” に向かう未来への道筋を描いている。

 心の内にわき上がる不安を感じながら、アルビジアは帰るべき場所へと歩き始めた。

 そこで暮らす、自分のことを本当の孫娘のように大切に思ってくれる人の元へ。真っすぐに。



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