第18節 -それぞれの朝-

『昨晩、セルフェイス財団が管理する実験区域が大規模な破壊被害を受けました。』

 4月22日 午前7時過ぎ。朝のニュースでメディア各局が報道していたのは財団の管理区域が見るも無残な姿へと変貌した映像である。

 現場に訪れているリポーターが不安を煽るような調子でまくしたてる。

『ダンジネス国立自然保護区で新型農薬の運用試験を実施していた管理区域が一夜にして崩壊しました。これが現地の映像です。ご覧ください、実験に使用されていた大地は一面荒れ果て、管理区域全体を観察していた管制塔も崩落しています。まるで爆発でもあったかのようです。現在はケント警察や消防、救急による被害状況の確認と負傷者の救助活動が行われており、確認出来ている情報では昨晩夜勤を行っていた1名のスタッフが崩落した建物から救助された模様です。彼は意識を失っていたものの、奇跡的に外傷などは無く無事が確認されたようです。救急による手当てが完了次第、詳しい事情を警察が聞き取りするでしょう。尚、この件について未だ財団からの明確な情報発表はなく、被害に対する混乱が窺えます。我々の推察では、付近を監視していたドローンも被害に巻き込まれた為、何が起きたのかを直接示す手掛かりを財団側も今のところ何も掴めていないのではないか思われます。』


 朝食をとりながらニュースを見つめるマークתの一同にはそれが何を意味しているのか察することが出来た。

 自然発生的なものではない。作為的な破壊行為。人智を超えた力による意図的な攻撃。

「これは現地調査、などと安穏としている場合ではないな。」丁度朝食を食べ終わったジョシュアが言う。

「ただ、現時点では財団や警察などから我々に調査要請は届いていません。条約による独自行動も可能ですが、報道通りに負傷者がいないのであれば緊急に自己判断で動くこともないでしょう。住宅などの密集地でもありません。」ルーカスが返事をした。

「そうだな。しかしさて…どうしたものか。残念ながら我々はこの件について一つの心当たりがある。心当たりというよりは答えに等しい。」

「昨晩の気象状況のデータから見て、自然発生的なものではありません。仮に塵旋風が起きる条件が整っていて、自然現象として発生したのだとしても被害は微々たるものでしょう。堅牢な管制塔をあれだけ破壊する規模のものがピンポイントで起こることはまず考えられません。」

 ジョシュアとルーカスの言葉にイベリスが俯く。ジョシュアの言う心当たりとは間違いなくアルビジアのことであり、ルーカスの言葉は自然現象ではないことを証明し、何らかの別の力の関与を認めるものであった。

 どのようにしてあれだけの被害を起こしたのか定かではないが、現時点で考えられる結論としては議論の余地など無い。

 少しばかりの沈黙がダイニングを覆っていた丁度その時、ジョシュアの通信端末がメールの到着を告げた。

 端末を開いてジョシュアは言う。

「財団からだな。内容は…」そう言いながら文面の確認を行う。そして一通り目を通し、3人へ視線を向けて言った。

「本日の調査についてだが、予定通り依頼された内容についてのみ行う。管理区域の崩壊については財団のみで処理をするから一切の手出しは無用とのことだ。尚、イベリスとの会合も予定通り行うと言ってきた。」

「随分と余裕の構えですね。こういった事態が起きることを最初から想定していたか…それとも、管理区域内で今我々に調べられたらまずいものでもあるのでしょうか。」怪訝な表情を浮かべながらルーカスは言った。

「調べられたくないとすれば九分九厘、新型の薬品について伏せておきたいことがあるんだろう。」玲那斗が言う。

「構造解析をされて利益侵害をされるのが嫌なのか、別の意図があるのか。どちらにせよ、先方から手を出すなと直接釘を刺された以上は何かをするわけにもいくまい。それと、彼らは現場検証についてある程度目途が付いた段階で警察も引き揚げさせるつもりらしい。」

「それはそれは。きな臭いことで。」ジョシュアの言葉に表情を変えずにルーカスが続いた。

「さて、そうなると我々が注意を向けるべきことはひとつ。イベリス、お前さんと財団との会合についてだ。セルフェイス氏がどういった意図を持ってイベリスを指定してきたのかは分からないが、彼らの今の状況を知るにはある意味では良い機会とも言える。それと一つ言っておくが、彼らに聞かれたことに対して全て正直に答える必要はない。特にあの子のことを聞かれるなんて場面が来たときにはな。話して良いのは依頼された内容に対して、今までの調査で判明した事実だけだ。管理区域のデータを除いて、な。依頼されてない内容については “知らない” で突き通せ。」

「分かっているわ。」晴れない表情のままイベリスは返事をした。

「それが俺達の為でもあるし、今の時点で肩を持つわけでもないが…何よりあの子の為にもなるだろう。」

 ジョシュアが呟くように言ったその言葉にイベリスは今できる最大の笑みを湛えて言った。

「ありがとう。」


                 * * *


 午前8時過ぎ、財団支部の代表執務室ではラーニーが昨夜の件について報告された資料に目を通していた。

 電源喪失によって情報伝達手段を失った管制塔から管理区域崩壊の報せを受けたのは午前5時頃のことであった。

 夜勤業務の交代の為に現地を訪れた職員が無惨な姿となり果てた現場を確認して緊急で支部へ連絡をしてきたのだ。

 送られてきた情報を精査した結果、問題の崩壊事故が起きたのは昨夜午後10時頃。監視カメラやドローンの映像が途切れ、各信号が途絶した時間から割り出しが行われた。

 問題はその後、異常を知らせる体制が全く機能せずに実に7時間もの空白が出来たことだが、まずは何よりも午後10時に何が起きたのかである。

 ラーニーは大きく溜め息を吐いて言った。

「サム。これが自然現象だと思うかい?」

 管制塔で記録されたデータの断片映像を確認しながらサミュエルは答える。

「私には判断しかねます。しかし、昨夜はダストデビルが発生し得るような気象条件とは程遠く、さらにあれだけの被害がその現象のみで引き起こされる可能性は皆無であると断定します。」

「遠回しだな。そうとしか言いようがないのも事実だが。しかし、この一件で管理区域は完全に崩壊。グリーンゴッドの試験場は失われ、運用データの収集は当分望めなくなった。もはやデータの収集に意味などなかったのかもしれなかったが、これが引き金となって世界的に運用開始目前まで進められていた試験運用計画も先送りされるかもしれないね。そうなればある意味では御の字ではある。だが外的要因による計画の凍結を期待する身としては “先送り” はかえって眩暈がする問題だ。それより、管理区域外の保護区で怪しい人影などは報告されていないのか。」

「それが、周辺を監視していたドローンを含め午後9時から午前5時までの記録がまったくございません。本当に何もかも。ただ…」

「ただ?」ラーニーが視線だけをサミュエルに向けて言う。

「財団の監視網ではなくリド=オン=シーと国立自然保護区の境界にある監視カメラの映像には例の少女の姿が捉えられているのを確認しております。」

 ラーニーは考えた。ダストデビルの発生に関して必ず姿が目撃される少女の存在。

「もはや棚上げなどと言っている段階ではないね。サム、今日の予定を変更してもらえるかな。彼女と一緒に暮らすモラレス氏の自宅へ行って話をしてみてほしい。聞いてもらいたいのは当然彼女のことについてだ。」

「はい、承知いたしました。そもそも元々向かうはずであった特別管理区域が無くなった以上、予定は変更せざるを得ませんでしたから。それよりラーニー様、警察と消防、及びメディアの件についてはどうなさるおつもりですか?」

「早朝からの対応に礼を言うと同時に、午前9時までに現地から引き上げるようにケント警察へ連絡しておいてくれ。後の対応は全て財団が行うとね。メディアはなかなか引き下がらないだろうがなんとかしてほしい。」

「難題をおっしゃいますな。」サミュエルは穏やかな笑みを浮かべて言う。

「君なら出来るだろう?機構へは既に連絡を入れてある。管理区域の調査は不要だということと、彼女との会合は予定通り行うということをね。出迎えは既にロティーに任せてある。」

「今は他に使用人もいないとはいえ、イグレシアス様のお出迎えを彼女にですか。それはまた…」やや心配そうな表情を滲ませたサミュエルにラーニーは言う。

「ロティーなら大丈夫さ。」


 おそらく形式的な意味合いで言えば大丈夫には違いないだろう。きっと自分よりもうまく対応が出来るに違いない。

 しかし、イベリスと2人きりになる時間をシャーロットに与えることは精神的な意味合いでは歓迎すべきことだとは思えない。

 サミュエルは彼女の師としての親心にも似た複雑な思いを抱きながらも、自身の仕える主の指示に忠実に従う旨の返事をした。

「かしこまりました。後の対応はキャンベルに任せるとしましょう。」


                 * * *


 いつもより少し冷え込みが強い朝。ジェイソンとアルビジアはいつものように2人で朝食をとっていた。

 テーブルの上にはアルビジアの用意した朝食が並ぶ。メニューはマッシュポテトとスクランブルエッグにサラダ、そしてコーンスープという組み合わせである。

 ジェイソンは彼女の焼くスクランブルエッグがとても好きだ。自分好みに少し甘めに味付けしてもらっているというのもあるが、彼女が焼くととても優しい味がするからだ。

 そんな彼女の手料理を食べながら、昨夜のことについてどう尋ねようかずっと思案している。

 いつものように静かな食卓。時計の針の音と食器の音が響く。ただひとつ違うとすれば、この日に限ってはメディアが放送する朝のニュースを流していることだろう。

 ジェイソンはアルビジアの様子を見つつ、ふとモニターへと目を向ける。すると唐突に映し出された映像に視線は釘付けとなった。

「アルビジアや、少しメディアの音量を上げても良いかい?」

 その問い掛けに彼女は快く返事をしてくれた。「もちろん。」

 ジェイソンはリモコンでアナウンサーとリポーターが話す声が聞き取れる程度まで音量を上げる。


『…です。では、ここからは早朝のニュースの続きです。昨晩、セルフェイス財団の特別管理区域が壊滅的被害を受けた件について、つい先程財団から正式な発表が行われました。財団からの発表は次の通りです。


【環境保護の未来を示す道標として運用していた区域がこのような被害に遭ったことを今は大変心苦しく思っている。原因については現在調査中ではあるが、ここ最近立て続けに起きていた自然現象による被害の可能性を中心に調査を継続している。新型の農業薬品を使用している土地という特性上、不慮の事態が起きないとも限らない為、今回の調査については以後財団主導で対処する所存である。早朝から現地調査に携わってくださった警察、消防、そして我々の大事な仲間である職員を救助してくださった救急の皆様にこの場を借りて深い感謝を申し上げる。】


 今回の発表により、原因調査等においては財団が全て行うことが表明された為、警察と消防は財団と協議をした上で手を引くことになりそうです。』


 ジェイソンはモニターに映し出された映像に絶句した。

 そこに映っていたのは財団が新型農薬の試験運用の為に管轄する特別管理区域が見るも無惨な姿に変わり果てた光景だった。

 昨夜、遠くから聞こえた地鳴りのような、雷のようでもあった音の正体について思案する。そしてリモコンに手を伸ばしてモニターの電源を切った。

 温かなコーンスープを一口飲み、心を落ち着けてジェイソンは言った。

「保護区では大変なことが起きているようだ。アルビジア、付近に行くときは気を付けなさい。」

 彼女はジェイソンに視線を向けながらいつものように短く答える。「はい。」

「それと、これは尋ねて良いのか分からないんだが。昨日の夜はどこに行っていたんだい?」

 その質問を受けたアルビジアは食事の手を止めた。そして少し俯き加減に顔を伏せると黙り込んでしまう。

「夜に1人で出歩いたことを咎めようというわけではないんだ。正直に教えてくれないか?」ジェイソンは胸の中で高まる不安を鎮めながら努めて穏やかに言う。

 するとアルビジアは真っすぐにジェイソンを見て言った。

「国立自然保護区へ。久しぶりに、とても星が綺麗な夜でしたから。」

「そうか。その時何か大きな音はしなかったかい?」

「遠くで “聞き慣れない” 音がほんの少しの間していました。暗くて何が起きたのかは分かりませんでしたが。先程メディアが言っていたものだったのでしょうか。」

 彼女の言う通り、それが財団管理区域で何か起きた際の音であることは明白だったが、ジェイソンはそれ以上のことを尋ねるのはやめた。

 表情に変化は見られないが、いつもより落ち込んでいるような様子が窺えたからだ。

「ありがとう。何はともあれ、お前が無事に帰ってきてくれたことが嬉しい。私もこの歳だ。どうも心配性が過ぎるらしい。今度から夜に出掛ける時は声を掛けておくれ。女の子が1人で出歩くには少し物騒だからね。」

「はい。」

 それ以上何も問われなかったことに安堵したのだろうか。アルビジアの表情がほんの僅かに和らぐような錯覚をジェイソンは覚えた。

 アルビジアは食事の手を再び動かし始める。いつもと何一つ変わらないはずなのに、どこか彼女の姿が遠く感じられる。今までになかったことだ。

 ジェイソンは軽く深呼吸をする。違和感のような奇妙な感覚がどうにも取り除けないが気にし続けていても意味はないだろう。

 それよりも今のこの時間を大事にすることだ。彼女の用意してくれた目の前の食事が冷めないうちに、自身も食事の手を進めた。



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