第33節 -嘘-

 イベリスはシャーロットの後に続き代表執務室を目指し歩いている。

 つい先程、前回と同じように待合室で玲那斗と分かれて今はシャーロットと2人で移動している最中だ。


 以前は待合室で玲那斗がアンジェリカと遭遇するというアクシデントに近いことがあった為、今回はその時の反省も踏まえた対策を施してある。

 待合室でアンジェリカと遭遇した場合は即座にヘルメスを通じてイベリスへその情報が伝達されるという仕組みを用意した。

 方法は至極単純で、待合室にいる間に右手か左手どちらかを2回ほど強く握るというそれだけだ。特定条件における筋肉の動きと血流の流れをヘルメスが察知すればイベリスの元へ情報が送信されるという仕組みである。

 イベリスにとってみれば、本当は自身の分身体を投影した状態で彼の傍に常時張り付かせておくことが望ましいのだが、そうすると左目の瞳の色の変化がどうしても目立ってしまう為採用できなかった。

 能力の使用を隠すためのカムフラージュ用コンタクトレンズも秘密裏に考案されてはいるのだが、今回の調査には間に合わなかった為、先の手を強く握る動作で危険を報告するというのはある意味苦肉の策としての措置である。

 それともう一つ。ヘルメスから送信される電波が完全に遮断される空間をアンジェリカが用いた場合についての懸念を解消する為に、 “玲那斗のヘルメスから発信される電波が途絶え、イベリスの持つヘルメスで受信できなくなった場合” も同じように異常を示す情報がイベリスへ伝達されるようにしてある。

 どこまで機能するかは未知数であるが、何も対策しないよりはずっと良い。

 この用意があるおかげでイベリスは目先に迫ったラーニーとの会合に集中できるというメリットもあった。


 2人が縦に並んで廊下を歩く最中も緊迫した空気は継続したままだ。

 前回とは異なり、シャーロットも不必要な言葉を一切発しようとはしない。氷のような冷たい視線も影を潜めているとは言え、この後に起きる出来事をまるで誰もが知覚しているかのようなピリピリした空気が辺りを包み込んでいる。

 それは自分達2人に限ったことではない。この建物ごとそうした空気に包まれているかのような感覚だ。


 やがて、この地へ訪れた初日に案内された際に目にした扉が目の前に現れる。彼の待つ代表執務室への到着だ。

 イベリスは手元の時計に目を落とす。時刻は午前9時59分50秒を示していた。

 シャーロットが扉の向こう側へ言う。「ラーニー様。機構のイグレシアス様をお連れしました。」

 中から穏やかな声で返事が返る。『どうぞ、中に案内してくれ。』

 前と何も変わることのない声のように感じられるが、しかし言葉の発音的にどことなく落ち着かない様子というのか、焦りをにじませているような様子が伝わってくる返事であった。


 ラーニーの許可を得て2人は室内へと立入る。

「失礼します。」シャーロットが入室後に一礼をして脇へと下がる。

「案内ご苦労様、ロティー。次の指示をするまで下がっていてくれ。」

「承知いたしました。」

 ラーニーの言葉を聞いたシャーロットはすぐに踵を返して部屋の外へと出ると、深々と一礼をして静かに扉を閉めた。

 部屋の中にはイベリスとラーニーの2人だけが残される。

 この間にイベリスは応接室に飾られた巨大な絵画〈落穂拾い〉へと視線を向けていた。アンジェリカの話によればそのすぐ傍にアンティーク調の箱があり、その箱こそが財団における機密データが保管されたものであるという。

 そして彼女の言葉通り、確かに落穂拾いの絵画のすぐ傍にアンティーク調の箱は設置されていた。


 2人だけとなった部屋の中でラーニーが先に口を開く。「さすがに時間ぴったりだ。寸分の狂いもない正確さ。いつも感服します。」

 専用デスクの椅子から立ち上がり、挨拶がてらに話をしつつラーニーは手振りを交えて続ける。

「イベリスさん、どうぞこちらへ。今日は以前より込み入った話になりそうです。」そう言うとラーニーは一足早く応接テーブルへと足を運んだ。

「そのようです。」

 彼に促されるままにイベリスは応接テーブルの置かれた場所へ歩み寄り、ソファへと腰を下ろした。イベリスが腰を下ろしたのを確認してラーニーもソファへ掛ける。

 この間、特に挨拶らしい言葉を発してはいない。本来は失礼に当たる振る舞いなのだろうが、ラーニーも事情をよく理解しているらしく気に留める様子はない。それよりも早く本題について話し合いたいといった様子を見せている。

 お茶やデザートを交えた世間話から入った前回の会合とは出だしからまるで空気が異なっている。

 テーブルを挟んでラーニーとイベリスは向かい合い、再びラーニーから言葉を紡ぎ出した。

「お話したい内容については先日お伝えした通りです。疑義照会。我々の運用するグリーンゴッドの効能に対する懸念と疑念があるとして皆様から送られた資料を拝見しました。とても興味深い内容です。」

「私達は未だにその成分などの全容が解明されていないグリーンゴッドの効能や作用についての詳細を得たいと考えています。発表されている資料通りのものであれば地球環境にとって夢のような薬と言えますが、本当のデータは如何なものでしょうか。」イベリスは言う。

「効能や作用について我々も全てが全てを現状で把握しきれていないことは認めましょう。その為に国立自然保護区で薬品使用後の経過観察を行ってきたのです。しかし、使用によってもたらされた結果についてはご存知の通りのはずです。そこに疑いの余地があると?」

「結果だけではありません。その結果のさらに後に続く作用について私達は疑念を抱いています。私達は貴方がたから依頼された自然異常再生の調査をする過程で、国立自然保護区内のいくつかのポイントを比較対象区域として選定しデータ採集を行いました。その中には破壊される以前の管理区域付近の土壌データもふくまれています。」

「昨日頂いた資料ですね。スーパーコンピュータによる将来的な環境変化モデルをシミュレートした際の異常。他ポイントと比較することも出来ず、僅かな未来の先で予測が停止してしまうということでしたが。しかし、それらはシミュレーション上にグリーンゴッドの正式な効果が登録されていないことに起因するバグのようなものであると推測できます。その点においては僕達よりも機構の皆さんの方が先に辿り着く答えだと思います。」

 ラーニーは冷静に疑義照会において記載されていた内容について説明をする。機構側のシミュレートにグリーンゴッドそのものが登録されていないことに起因するただのエラーであるという主張で突き通すようだ。

 彼の出方を見極めたイベリスは言う。

「異常を示すデータは他にも見受けられます。施設内で咲き誇っていた植物の中には本来この地域に生息するはずのない野生植物も混ざっていました。さらに、薬品が使用された後の周辺野生動物の生息域にも大きな変化が見受けられます。それらはなぜなのか。私達は過去のデータを参照しながら可能性について検討し、資料に記載した仮説を組み立てました。」

 ひとつのデータに対してはぐらかされるのであれば別のデータを用いて突破口を見つけるまで。

 しかし、この話についてもラーニーは表情一つ変えることなく穏やかに答えた。

「なるほど、確かにグリーンゴッドにはそうした効果が認められるの “かも” しれません。ただ、我々としてはその辺りのデータについては把握していない為にお伝えすることは困難です。加えて、グリーンゴッドの疑義については我々の依頼した内容とは無関係の内容です。そして、貴方がた機構には目下その件について正式な調査許諾は下っていないはず。故に現在までのところはお答えするに値しない質問であると判断いたしましょう。」

 データが無いから答えられない。調査許諾が下りていない状態では答えられない。彼はそう答えた。ラーニーは続ける。

「ただ、我々としても機構の皆様から頂いた意見を無下にしようというつもりもありません。薬品が土地に与える影響について調査を本格的になさるのであれば協力できることはしましょう。もし仮に、それによって得られたデータから重大な悪影響を及ぼす事実が明らかになれば使用停止命令などにも従います。昨夜の時点で我々の元に届いた英国政府からの事実確認の質問状については既に返答を行っていますので、調査許可についてはいずれ下りるのではないでしょうか。ひとつ残念なのは、我々が独立して運用していた特別管理区域が既に存在しないという点でしょうか。」

 イベリスは彼の言葉の裏に先日ルーカスが話していた内容の真実味があるのではないかと感じていた。

「今はその時ではないとおっしゃるのですね。」

「そういうことになります。物事には順序というものがあります。」

 今朝の時点も、この時点においても英国政府からの調査許諾が下りたという情報は入っていない。先程、彼は既に英国政府に対して回答を送ったというが正直なところ真偽は怪しいものだ。

 ラーニーは言う。「我々の目標は世界的な自然再興です。協力できることは惜しみません。ただし、今のところにおいては疑義照会についてお答えできる内容はここまでです。」


 イベリスにとっては残念だという気持ちと悲しいという気持ちが入り交ざるものだった。

 人の可能性、人の未来…そうしたものを信じたいと願っている。しかし、この場において話されたのは期待した答えなどとは程遠いものであった。

 ただ愚直に事実を並べることしか出来ない自分とは違い、この場にいたのがジョシュアやルーカス、そして玲那斗であれば違う切り口で会話を試みたのだろう。もっと彼から有意義な話を引き出せたのかもしれない。

 内心では少し期待していた。もしかすると詳細な事実や財団の本音というものをこの場で話してくれるのではないかと。

 だが、その期待は泡沫のものとなった。


 一通り話を終えたラーニーはソファから立ち上がり庭園を見渡すことの出来る窓へと歩み寄ると、先に広がる景色を見ながら続けた。

「ところでイベリスさん。先日のお話の件は考えて頂けましたか。」

 イベリスは視線こそ彼へと向けるが閉口したまま言葉を発しなかった。彼の言葉の内半分は耳に届いていない。

 ラーニーは振り返り、ヴィリジアンの瞳でイベリスの姿をしっかりと捉えて言った。

「僕は貴女が財団に加わってくださるという未来を諦めていません。貴女さえ望めば財団の一員としていつでも “家族” として迎え入れる用意だってあります。」


 一方的な言い分だ。当然そんなつもりも気持ちもない。

 ただ、どうしたことだろうか。今の自分にはその否定する言葉すら口から出て来ない。

 彼が “家族” という言葉を発した時、脳裏にシャーロットの姿が浮かんだ。彼には大切なものが見えていない。

 財団の未来、財団の可能性…それらが当主の立場として大事だということは分かる。しかしながら、それ以上に大切なものが今の彼にはきっと見えていないのだろう。

 彼の瞳には自分の姿が映っている。しかし、その奥にあるものは “セルフェイス財団” という巨大な組織の体裁や名誉などのことばかりだと感じられる。


 イベリスは静かに息を吸い込み、彼に向ってきっぱりと拒絶の意思を伝える為に言葉を紡ごうとした。

 だがその時、彼のデスクに設置された緊急通信用の電話がけたたましくアラームを鳴らしたのだった。


                 * * *


 一方、支部の玄関口ではつい先程この場所に訪れた新たな来客の対応にシャーロットが追われていた。

 尋ねてきたのはジョシュアとルーカスの2人組。機構のマークתに所属する2人がこの場所でダストデビルが発生する危険性が高いと忠告にきたのだ。


「具体的な規模も場所も現在は特定できていませんが、我々がこの地へ辿り着いてからのデータを元に分析した結果として、今日この場所で例の現象が起きる可能性が非常に高いという “事実” が分かったのです。」

 ジョシュアは熱を込めてシャーロットへ事情を説明する。

 彼の話によれば管理区域を巨大なダストデビルが襲い、管制等を崩落させたときと現在のこの辺りの周辺状況が酷似している為に非常に危険だという。

「ダストデビルですか。管制塔を破壊した夜に起きた規模のものがここで発生する可能性があると?」シャーロットは突然の状況に困惑しながら答える。

 すかさずルーカスが言う。「はい。貴方がたから依頼された調査に加えて、この地で起きていたダストデビルの件についても我々は並行して調査していました。今まで確認されていたような自然現象とは発生原理が異なると仮定した為です。多くの人々が災害に巻き込まれる可能性を未然に防ぐ為に、今の状況で判明しているデータを元にシミュレーションをしました。」

「その結果、この支部の敷地付近で現象が起き得る可能性が得られたということでしょうか。」意味としてはオウム返しとなるような内容をシャーロットは繰り返す。

「おっしゃる通りです。この件について至急セルフェイス氏にお伝え願いたい。そして我々から直接彼に事実説明をさせて頂きたい。」

 彼らの突然の来訪と申し出に戸惑い、シャーロットはどういった対応をすべきか苦慮していた。

 すぐに報告すべきではあるのだろうが、それが事実であるかどうかの真偽が測れない。さらにラーニーは今イベリスとの会合中だ。あの会合を今日のスケジュールの中で何よりも重要視していたことは理解している為、極力会合を中断させるような連絡を入れることは避けたいのが本音である。


 しかし、シャーロットが緊急連絡用のデバイスを使用するかどうか悩んでいる時にそれは起きた。

 庭園の隅から突風のような風が吹き抜けると、続いて周辺の砂や植物を巻き上げるようにひとつの風の柱が立ち昇ったのである。

 そして風の柱はその場から少しずつ移動を開始すると数秒の間に速度を劇的に上げ3人の立っている方角をめがけて一直線に突き進んできた。

「危ない!下がってください!」ジョシュアがシャーロットを庇う様に玄関口へと下がらせる。

 すると3人のすぐ傍をかすめるような形でダストデビルは通過し、ある程度過ぎ去ったところで風の柱は消滅した。

「我々が想定しているよりも巨大なダストデビルが発生する可能性は高いかもしれません」

 風の柱が消滅した方角を見据えてそう言ったルーカスの言葉を聞いたシャーロットは緊急通信用のデバイスを手に取ると、代表執務室のデバイスへと向けて発信したのだった。


                 * * *


 機構の中型輸送車の車内に1人残ったアルビジアの瞳が淡く緑色に輝く。まるで宝石のように澄んだ輝きを放つジェイドグリーンの瞳は自身に課せられた仕事をひとつ終えてその光を少しずつ弱めた。

 庭園の端から小規模のダストデビルを発生させ、3人が立っているすぐ後ろに向けて直進させ消滅させる。ひとつめの指示はそういうものであった。

 車載モニターには通信用デバイスを手に取って話をする女性の姿が映し出されている。どうやら作戦はうまく進行しているようだ。


 アルビジアはホログラムモニターに表示された次の指示に目を移す。2つ目の指示は庭園を監視しているドローンに異常検知をさせることを目的としたものだ。

 具体的には自走式ドローンが存在するすぐ付近からダストデビルを発生させ、目の前を通過させるというだけのシンプルなものである。

 ホログラムモニターには現在、財団の監視ドローンがどのあたりに存在しているのかを示す光が灯っている。とても分かりやすく表示されたこのモニターに従えば目標を外すことはないだろう。そしてそれは自分にとっては造作もないことであった。

 ただ、この作戦をこなすに当たり、ジョシュアとルーカスから何度も念を押されたのは “決して何も破壊してはならない” ということだ。何も傷つけずに目的を達成することも作戦の一環だという。

 それ以外は指示された目的を達成できるのであれば自由にしてもらって構わないと言われているが、念を押された例の言葉が無ければ、自分は監視ドローンを破壊していただろうという謎の確信があった。


 世界にも世間にも他人にも興味を示さなかった自分が、誰かの為に誰かと行動を共にして何かを成すなど遠い昔には考えられなかったことである。

 イベリスと玲那斗を含むマークתの面々と行動をすることで、気付かない内に自分の中で何かが変わっていくのをアルビジアは感じ取った。

 ほんの僅かな時間を共に過ごしているだけだというのに。


 アルビジアは支部の玄関を映したモニターを見据える。そこにはおそらくは代表に連絡を取り終えたであろう女性がジョシュアとルーカスを連れて屋敷内へと立入ろうという瞬間が映し出されていた。

 事は万事うまく運んでいる。であれば自身のするべきことは次の指示を忠実に守ることである。

 視線をホログラムモニターへと向け、ドローンの正確な位置を確認すると “第2の目的” を果たすべく再びその瞳に光を灯すのであった。



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