第32節 -灰色の悪魔は緑の神となれり-

 午前9時を過ぎた頃、ダンジネス国立自然保護区内にある合流ポイントへ玲那斗とイベリス、そしてアルビジアは到着した。

 現地では既にジョシュアとルーカスが先行して到着しており、昨晩打ち合わせた手筈通りに準備を完了させている様子であった。


「おはようさん。3人とも特に問題はないな?」到着した3人に歩み寄ったジョシュアが言う。

「はい、準備は万端です。とはいえ、2人と内容の打ち合わせをしただけですが。」玲那斗が返事をする。

「それが一番大事だ。何しろ俺達がやろうとしていることは各個人の行動が全てとなる。調査機器も何も使わずに “演技” だけで目的を達成しようというんだからな。未だかつてない任務…いや作戦だ。」

 そこにルーカスも歩み寄って言う。「プレッシャーを掛けるわけじゃないが、大丈夫か?イベリス。」

「平気よ。前の会合で彼とのやり取りのイメージは出来ているから。ルーカスこそ大丈夫なの?」茶目っ気たっぷりにイベリスは言った。

「慣れないことをするからな。自信はないさ。」正直な感想をルーカスは言った。

 マークתの一同の準備が整っていると確信できたジョシュアはアルビジアへ問う。

「目的を達成する為には貴女の力が必要だ。玲那斗からどういう風にしたら良いかは聞いていると思うが、いけるな?」

「問題ありません。」アルビジアは力強く返事をした。

「良し、良い返事だ。では、これより作戦行動に移る。玲那斗、イベリス。頼んだぞ。」

「了解しました。」玲那斗が言い、イベリスも頷く。

 そして2人はすぐに例の電気バイクに乗ると財団へ向けて出発した。


 2人の姿を見送ったジョシュアはアルビジアの方を向いて言う。

「立ち話を続けるのもなんだ。車の中へ案内しよう。」

 その言葉にアルビジアは静かに頷くと、ジョシュアとルーカスの後に続いて機構の中型輸送車へと乗り込んだ。

 車内へと入り、ドアをしっかりと閉めた後でジョシュアが言う。

「さて、貴女にはここから先において俺達と行動を共にしてもらうことになる。今からこの後の流れを説明するから気になることがあれば遠慮なく言ってくれ。」

 それを聞いたアルビジアは早速ひとつの注文を出した。

「はい、では…まずひとつ。私のことは名前で呼んでください。アルビジア、と呼んで頂いて構いません。」

 彼女の言葉を聞いたジョシュアははっとした表情で言う。

「それもそうだな。いつまでもよそよそしいというのも失礼な話だ。では、アルビジア。宜しく頼む。」納得した様子でそう言い彼女へ手を差し出す。

「はい。」アルビジアは差し出された手を握り握手を交わし、その後にルーカスへと手を差し出して言う。「貴方も。」

「ルーカスで良い。アルビジア、宜しくな。」ルーカスはそう言って彼女の手を握り握手を交わした。

 互いの間にある見えない壁のような距離感を取り払った3人はこの後に自分達が為すべき任務について話す。

「早速だが、俺達は今から20分後に財団支部に向けて出発をする。そうすればちょうどイベリスとセルフェイス氏が会合をしている途中で現地入り出来るだろう。その後、アルビジアにはダストデビルを敷地内に発生させてもらう。ここからが重要だが、彼らの支部の中で俺達2人と君が連れ添って一緒に行動をするわけにはいかない。よって、君には俺達の使うこの輸送車の中からピンポイントで財団支部の敷地内にダストデビルを発生させてもらう。」

「発生させるタイミングとポイントは後でじっくりと説明しよう。まず現地に到着したら俺と隊長が支部へ “ダストデビルが発生する可能性が高まっている” と嘘をついて突入する。鬼気迫る演技が出来ているかどうか観察でもしてくれたらいい。」ジョシュアに続いてルーカスは冗談交じりに言う。さらにルーカスが続ける。

「おそらくは財団側からはキャンベルさんかウォーレン氏のどちらかが対応に出てくるだろう。そして俺達と財団側の人間が接触を開始した時に指定ポイントにダストデビルを起こしてほしい。その後は “詳細についてすぐに当主と直接話がしたい” と持ち掛けるって流れだ。」

 うまくラーニーを引き出すことが出来ればイベリスが財団側が握るという資料の確認をする時間が取れるという手筈である。

「分かりました。」アルビジアは頷いた。

「よし、では次にダストデビルを発生させるポイントについて話をしよう。昨晩の内に玲那斗から君がピンポイントで能力の行使が出来ると聞いていたから、何の被害も出さずに済ませられるようある程度敷地内の場所を絞っておいた。」ジョシュアはそう言うとホログラムモニターで財団支部における敷地マップを表示し、当該ポイントを指し示す図を提示して彼女へと説明を続けた。


                 * * *


「この輝く陽は大いなる主様☆ 我は道であり、真理であり、生命そのものであるぅ☆」

 誰もいない財団支部の屋上でダンテの神曲にある文言を唱えながら、アンジェリカは無邪気に笑いながら言う。

「汝らの帰るべき岸を目指すがよい、よい☆」

 どこまでも澄み渡る青。少女は空という大海を見渡しながら満面の笑みを浮かべる。


 この日、この時を待ち侘びた。

 今日までの青写真は1年以上前に描いていたものだ。しかし、その実現に向けて熱を込めるようになったのは半年前のあの瞬間からである。

 ミクロネシアでの “夢” が破れ、争いに敗れた時。

 口惜しい、口惜しい、口惜しい、口惜しい…口惜しい!

 何度も何度も心の中で呟いた。

 歓喜の瞬間を奪われたことを嘆いた。悲嘆にくれた。

 しかし、そんな日々は過ぎ去り今この場所に自分はいる。立っている。


「あなざぁみぃ、あるたーえご、あんじぇりーな☆あんじぇりーな。もうすぐ、もうすぐよ。貴女も、もうすぐね?」

 誰に向けるわけでもない独り言を言う。


 もうすぐ、もう間もなくだ。

 イベリスがこの屋敷を訪れ、当主と会合を始めればすぐに “塵旋風” はやってくる。文字通り風のように。

 英国政府からグリーンゴッドについての疑義確認通達はラーニーの元に届いているはずだ。のらりくらりと返答を遅らせているようだが、タイムリミットは実の所は当に過ぎ去っている。手遅れだ。

 グリーンゴッドの持つ致命的な副作用が全世界に知れ渡るのも時間の問題。そして世界中で進行されている計画はとん挫し、説明責任と賠償によって財団は存続を揺るがすほどの大ダメージを負うに違いない。

 自然環境保護や再生分野において世界の頂点に立つ存在が、自然破壊の筆頭として地の底まで転落する瞬間が間もなく訪れる。

 その時、彼はどういう顔をするのだろうか。彼に付き添う彼女はどんな表情を浮かべるのだろうか。

 信念などというものでは覆せない嵐のような風はすぐそこまで迫っている。風が全てを台無しにした後に彼らにもたらされるものは “何も無い”。


 このシナリオが完成すれば傑作だ。至高天を目指したダンテ…ラーニー・セルフェイスは天上の薔薇に辿り着くこと無く地獄の窯の底へと転落する。

 彼らは悪意者を裁く地獄の第八圏、偽善の罪を裁く第六の嚢へ誘われ、未来永劫消えることのない外面の美しい外套に身を包み、その罪を背負って歩き続けなければならない罰を受けるだろう。

 そして最後は嘆きの川〈コキュートス〉で祖国に対する裏切りとして第二円アンテノーラで見せしめの氷漬けとして記録に残されるのだ。

 彼らは自らの行いと愚かさと浅墓さによって歴史という氷の記録に彫像として永遠に刻まれることとなる。

 愉快に過ぎる。


 ミクロネシア連邦の地で新型危険薬物と “誤認” されていた〈グレイ〉は、この地で新型農業薬品〈グリーンゴッド〉となり自然を人間の手で復興できるなどと嘯く偽善者に裁きを下す。

 絶対の法とは覆すことのできない定めを指す。人が犯す罪を罰する為に自身に与えられた唯一無二の力。

 アンジェリカはそれらによって自らが創り出した “罰” が執行される瞬間を心待ちにして嗤った。


 自身にとっての最高の瞬間の訪れを楽しみに待ち侘びている最中、アンジェリカの視界には2人の人物の姿が映った。

 玲那斗、そしてイベリスである。

「これで何もかもが決まり☆ 後戻りもやり直しも出来ない。そう…」

 右手で日差し避けを作りながら遠くに見える2人を見つめながらアンジェリカはそう言うと、続けて小声で言った。


「賽は、投げられた。」


                 * * *


 午前10時前。玲那斗とイベリスは国立自然保護区から続け、ライロードからソルトコートレーンを通り抜け、ついに目的地であるセルフェイス財団支部へと到着した。

 既に何度も目にした豪華な庭園の近くにある駐車スペースへ電気バイクを停め、門をくぐり抜けて敷地内に足を踏み入れる。

 晴れ渡る空から降り注ぐ日の光が庭園の草花を輝かせる。自動散水機からアーチ状に放水されるミストの周囲には小さな虹がかかっていた。


 2人が敷地内を歩いていくと、ちょうど噴水近くに見慣れた女性の姿を見つけた。シャーロットである。

「お待ちしておりました。イグレシアス様、姫埜様。これよりイグレシアス様を代表執務室へ、姫埜様を待合室へご案内いたしますので前回同様に私の後についてきてください。」

 シャーロットはそう言うと後ろを振り返り屋敷の玄関へと歩き始めた。2人も彼女の後に続く。

 庭園に咲き誇る花の優雅さとは異なり、前回までとは違った形での張り詰めた空気が流れている。


 堂々と振舞うシャーロットの背中を見据えながら2人は支部内へと足を再度踏み入れる。

 イベリスはこの後に行われる会合について思いを巡らし、玲那斗はジョシュア達の行動に合わせて合流するタイミングを頭でシミュレートする。

 目的と手段が交錯する複雑な状況下で、それぞれの静かなる戦いが幕を開けた。



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