第6節 -天使の贈り物-

 地形データ収集開始からおよそ30分が経過し、この日の目的を達したマークתの一行はトリニティの回収と輸送車への収容作業を完了させた。

「よし、今日のところは引き上げだ。ペンションに戻って滞在生活の準備をする必要もある。詳細な調査は明日からとして、夜に具体的な方向性をまとめることにしよう」

 ジョシュアの号令に3人が頷いた後、今からの行動についてルーカスが提案をした。

「隊長、戻る前に食料品の調達をしませんか。ここからだとニューロムニーに比較的大きなマーケットがあります。物資の補給には最適です。」

「ティムチャーチロードの近くだな。車で10分といったところか。良いだろう。」

「2つのルートがあります。リド=オン=シー側から向かうのはどうでしょう。」

「任せる。観光とまでは言わないが海岸線のドライブは少し気分転換になるかもしれない。」輸送車に乗り込みながらジョシュアが言う。ルーカスはその後に続きながら爽やかな笑みを浮かべ、イベリスへウィンクを送った。

 2人が財団支部での出来事を気にしている自分への気遣いをしてくれたのだと受け取ったイベリスは微笑みを返した。

「決まりですね。運転代わります。さぁ、玲那斗とイベリスも乗った乗った。早くしないと置いていくぞ。」

「私は平気よ。きっとすぐに追いつくわ。」横目で玲那斗を見て、無邪気に笑いながらイベリスは言って車内に乗り込む。

 笑顔を取り戻した彼女の様子を見た玲那斗は安堵した。そしてその後に続いて最後に車内に乗り込みながら言う。

「俺だって本気を出せば車にだって追い付けるさ。10メートルまでなら…多分。」

「中尉殿の本気はいつ見られるんだ?」冷やかし気味に言うルーカスに玲那斗は笑いながら言った。

「そのうちな。」

 そうして全員が車内へと乗り込み、車はニューロムニーのマーケットへと向けて発進したのだった。


                 * * *


 ラーニーは代表執務室のデスクに向かい、1時間ほど前に起きた事件の詳細報告を確認しながら現地で対処にあたっている担当職員と電話をしている。

 担当職員から唐突に報告された内容に怪訝な表情を浮かべて返答をする。

「保護区の遠方で少女の姿?それが事件と何か関係があるとでも?」


 何でも、保護区内の監視の為に飛ばしていた超小型監視ドローンが事件が起きる直前から事件発生直後にかけて1人の少女の姿を捉えていたというのだ。

「その少女がダストデビルの発生にどう関わるというんだ?記録として保管しておくのは良いがもっと現実的な手掛かりを探して報告してくれないか。任せたよ。」

 言葉を言い終えてすぐに電話を切ったラーニーは椅子の背もたれに深く身を沈めて大きく溜め息を吐いた。


 それがどうしたというのか。


 遠くに立っているだけの少女がいたとして、それをどうすれば常識の範疇を超えるダストデビル被害と結び付けられるというのか。

 馬鹿馬鹿しい。まったくもって話にならない。他に報告することが無いからとりあえず何でも報告しておけば良いとでも思っているのだろうか。

 しかし、そうは言っても他に解決に繋がるような目新しい発見も出来ないことは事実だ。これ以上の無駄な損害を増やすわけにもいかないが、解決する手段があるわけでもない。

 そもそも解決の糸口すら掴めない。まさに八方塞がりといった有様である。


 苦虫を噛み潰したような表情をラーニーが浮かべていた丁度その時、突如として執務室に無邪気な少女の声が響き渡った。

「はぁい☆ご機嫌うるわしゅー!How have you been? 難しい顔しちゃって、何かあったのかにゃ~?」

 甘ったるい声とこのふざけた口調。ラーニーは声の主が誰なのかすぐに理解した。

「少し前に会ったばかりだろう。それより何の用だ?アンジェリカ。」

 どこからともなく姿を現した少女は満面の笑みを浮かべながらラーニーの元へとゆっくり歩み寄る。

 特徴的な桃色のツインテール、軍服と学生服を合わせたような服装をまとい、デフォルメされたライオンのかばんを斜め掛けにした “見た目は” 12歳くらいの実に可愛らしい少女だ。

「釣れないなー。せっかく可愛い可愛い美少女が会いに来てあげたのにぃ。そういう冷たい態度は、めっ!なんだよ?」

 自分で言うな。ラーニーは視線を合わせることも避けてぶっきらぼうに言う。「お前はいつも楽しそうだな。結構なことだ。」

「もっちのロンロンー☆目の前の困っている人の姿を放置して見るのが私の何よりの楽しみなんだから♡」

 挑発的な少女の言葉には反応せず、淡々と第一声と同じ質問を繰り返す。「それで?もう一度尋ねるが何の用だ?冷やかしか?」

「そうだとも!謎の塵旋風に頭を悩ませる貴方の姿を眺めに来ただーけ☆きゃはははは☆」

 ニコニコと笑う少女を視界の端に捉えつつ、ラーニーは再び大きな溜息をつきながら言った。「敢えて聞くが、お前の仕業じゃないだろうな。」

「まっさかー。私は貴方達にプレゼントした “薬” がどんな風に使われるのか観察することも目的なんだから、自分からそれを邪魔したりはしないよねー?」

「誰に同意を求めている?しかし…あぁ、あれはとても良い農薬だったな。お前が意図的に僕達に言わなかった “大いなる欠陥” について以外は。」そう言ってラーニーは少女を蔑むように睨みつけた。

「またまたー、人聞きの悪いことを言うのはー、めっ!なんだよ?」

「事実だ。気付いた時にはもう何もかもが手遅れ。もはや後戻りはできない状況に我々は追い込まれた。世界で進行する計画の停止も出来なければ真実を明かすことも出来ない。ここに至っては僕達もお前と同類、同罪だ。神の力を借りる代価としてこの人生で得て来たもの全てを、あの悪魔に捧げる羽目になるかもしれない。」

「悪魔じゃないよ?あ・れ・は… “緑の神”。豊穣をもたらす奇跡の薬。現代科学では手の届かない神秘の結晶☆ そーれーに、あの薬を喉から腕が飛び出るくらいに欲しがったのは貴方自身じゃない?素晴らしい贈り物だったでしょう?」

 ラーニーはゆっくりと椅子から立ち上がると、話の通じない彼女への返答を止めて背を向け、窓の外の景色を見やった。

 厚い雲に覆われた空は相変わらずの曇天模様。日の光も感じられない薄暗い天気だ。それはまるで自分の心の写し鏡のようにすら感じられる。

「とーこーろーでー、イベリスと会ってみた感想はどう?どうだった?可愛かった?美人だったでしょうー。貴方的にはロティーとどっちがタイプ?」相手の様子などお構いなく少女は勝手に話を続ける。

「お前とは違って素晴らしい女性だった。比較するのも失礼だ。彼女からはとても気高い志と聡明さを感じ取ることが出来た。」


「へぇ~★ 死んじゃったお母さんと同じ?」


 急激に声のトーンを落としながら少女は小声で言った。彼女の言葉と同時に周囲の気温が一気に下降したかと錯覚するほどの冷たい空気が部屋に流れる。

 その言葉に怒りを覚えたラーニーはアンジェリカの方へ振り返る。そこには紫色の瞳に地獄の底へ繋がるかの如く仄暗い光を宿して薄ら笑いを浮かべる少女の姿がある。先程までの無邪気さが嘘であったかのようだ。

 怒りを宿した瞳でラーニーは彼女を睨みつけたまま奥歯を噛み締めた。

 本来であれば今すぐにでも頭を銃で撃ち抜きたいほどだが、何をしでかすかわからない、その存在がどういう類のものなのかもわからないこの女の前では不用意なことも出来ない。

 何かそういった行動を起こせば死を迎えるのはおそらく自分になるのだろう。

 天使のような愛らしさ…アンジェリカという名のこの少女は、しかして真正の悪魔だ。甘い囁きで人々に近付き、呪いにも近しい契約を持ち掛け破滅へと導く。

 2人の間で冷たい膠着がしばらく続く。時計の針の音すら感じられないほどの静寂がしばらく続いた後にアンジェリカの方から静寂を打ち破った。

「なぁんて☆きゃははははは!真剣に怒った貴方の眼差しも素敵よ?怒りという感情は人の心を純粋に映し出す鏡だもの。生を実感する為には避けられない素敵な感情だと思うんだー☆」少女はすぐにいつも通りの可愛らしい振る舞いをしながら言った。

「ではではー、ぁたしちゃんはこの辺りで失礼!しまぁす♡ また明日遊びに来るね。」

 二度と来るな。後ろを振り返りゆっくり歩き出した彼女を見つめながらラーニーは内心で思う。っがそのとき、唐突にアンジェリカは立ち止まって言った。

「そうそう、遠くを映した麗しい映像はしっかりチェックした方が良いかもぉ~?少女には無限の可能性が秘められている…なんてね?じゃぁねー☆」

 そう言い残すと赤紫色の煙が解けるようにして彼女の姿は室内から完全に消え去った。


 彼女が立ち去った後、嵐が過ぎ去った後のような静かな室内にラーニーは1人立ち尽くす。

 どこからともなく姿を現し、どこへともなく消え去る彼女の力は超常現象と呼ぶにふさわしい代物だろう。今では当たり前のように目にするが、初めて目にした時は度肝を抜かれたものだ。

 アンジェリカはかつて自らを “絶対の法” だと言っていた。

 自身の定めた “現実” がこの世界のルール、つまり法になるのだと。

 話を聞いただけでは何を言っているのか理解は出来なかったが、あの異常な力を見せつけられては頭ごなしに否定も出来ない。

「現実離れした力をもつ少女。遠くを映した麗しい映像。少女には可能性…か。」小声でそう言うと電話を手に取り特別自然保護区域へ繋いだ。

 数回のコール音の後、現場の職員が応答する声が聞こえると開口一番にこう言った。

「僕だ。先程言っていた保護区の遠方で確認した少女の映像をこちらに回してほしい。大至急だ。」


                 * * *


 マークתが乗る輸送車は国立自然保護区に面するダンジネスロードからリド=オン=シーの町へと向かい、その中を真っすぐに伸びるコーストドライブと呼ばれる道路を経由して、先の道路であるグランドパレードへと向かう。

 大自然を臨む穏やかな町。遠い昔から変わらないであろう町並みにはロンドンなどの都会とは違った趣深さがある。

 グランドパレードに入るまでは背の高い建築物も無くのどかで閑静な住宅地が続く。

 住宅地を抜けた先の右手には、平原の奥へ穏やかな海の風景が広がった。そこはリトルストーンガーデンズと呼ばれる公園である。この先に続く道を左へ曲がり、リトルストーンロードという道を真っすぐ進めば一行の目的地であるマーケットに辿り着く。


 イベリスは窓の向こうに見える景色を静かに眺める。

 どんな国を訪れても自然というものは変わらぬ落ち着きと癒しを人々に与えてくれるものだ。

 そして今、目の前に広がり遠くに見える海が自身の心にも幾分かの癒しを与えてくれていた。

 財団支部での出来事を思い返しながら物思いに耽る。気にする必要はないとみんなは言ってくれたし、そう努めようとも思うのだが、やはり心のどこかで気にしてしまっている。

 気にし過ぎなのだろうか。きっとそうなのだろう。内心で考え込んでいたその時、自分が何も言わずに黙り込んでいる様子が気にかかったのか玲那斗が声を掛けてくれた。

「道路からでもよく見えるもんだな。海。」

 気の効いた言葉というわけではない。気取った言い回しでもなく、どちらかというと凡庸な感想だが、かえってそれが心地よく感じられる。

 遠い昔から何も変わっていない、とても彼らしい言葉だ。

「えぇ、素敵な景色だわ。浜辺へ行く時間が取れないのが残念ね。」

 今の言葉で彼にはきっと伝わってしまっただろう。支部での出来事を引きずっていることを。しかし、彼は敢えてその件には触れずに言った。

「いや、時間をとって見に行こう。浜辺まで行ってさ。」

 玲那斗の言葉にイベリスは振り向いて言った。

「良いの?」

 すると前の座席に座るジョシュアが言う。「海洋調査も必要だろう。保護区内のデータが揃ったら、今度はこっちを “2人で” 調査しに来れば良い。」

 ジョシュアの言う調査というのはあくまで建前の話だろう。本当のところは〈海辺で息抜きでもしたら良い〉という意味である。

 彼らの優しさを受け取ったイベリスは心から感謝を込めて言った。

「ありがとう。」


 それから間もなく、輸送車はレンガ調の壁面に緑色の屋根が特徴的なニューロムニーのマーケットへ到着した。

 停車する場所を探すため、建物を囲むように伸びる駐車場を回るように進んで行く。その途中でマーケットのレンガ調の壁面は真っ白な壁へと変わり、建物の入り口が奥に見えた。

 広めの駐車場は買い物に訪れた客の車で溢れている。大きめの車輌に乗っている一行は他の買い物客の邪魔にならないようなスペースを探す。

 一通り周囲を見回した結果、建物から離れた場所に丁度よさそうな場所を見つけたルーカスはそこへ車を寄せて停車させた。

「よし、目的地に到着だ。早速買い出しに行こう。」車の電源をオフにしてルーカスは言った。

 彼の言葉を合図に全員が輸送車から駐車場へと降り立つ。そして一同は自然と2列に並びながら食料品の調達を行う為に揃ってマーケットの入口へと歩いて行った。


 道中、ルーカスが言う。「ここまで来たんです。フィッシュアンドチップスの材料は揃えましょう。」

 その提案にジョシュアが間髪入れずに言う。「名物だな。ただ、あまり脂っこくないタイプで頼む。」

「脂っこくないフィッシュアンドチップスってあるんでしょうか?隊長、揚げ物が厳しくなってきましたか?」

 遠回しに歳じゃないかというルーカスへジョシュアは言う。

「たくさん食べられないだけだ。ごちそうを目の前にして手が伸ばせない感覚。お前達もそのうち分かるようになるさ。」

 続けてイベリスが言う。「私、スターゲイジーパイというものが気になるのだけれど!」

 あまりに目を輝かせて言う彼女を見た3人はなんとも言えない表情を浮かべた。彼女の言うコーンウォールの名物料理を想像したであろう全員を代表して玲那斗が言う。

「いや、悪いことは言わない。それはやめておいた方が良い。トラウマになりかねない。」

「どうして?星を見つめるパイだなんて、とても素敵じゃないかしら?」

「あぁ、“名前だけは” な。」

 玲那斗の言葉に不思議そうな表情を浮かべるイベリスを見てルーカスは微笑ましそうに笑った。


 その時だった。大きな紙袋を両手で抱えて前から歩いて来た少女とルーカスが軽くぶつかった。話に気を取られて彼女に気付くのが遅かったのだ。

「申し訳ありません。大丈夫ですか?」即座にルーカスはぶつかってしまったことを謝罪する。

「あの、いえ、平気です。ごめんなさい。私もぼうっとしていましたから。」光が反射すると僅かにエメラルド色に輝く特徴的な髪色の少女は、軽く会釈をしながらぶつかったことを謝った。

 直後、1人の老男性が近付いてきて彼女に声を掛けた。「どうしたんだい?」

「お爺様…私がぼうっとしていて、彼にぶつかってしまって。」

 少女の言葉を受けてルーカスは即座に言った。「いえ、私が前を向いていなかったからです。申し訳ありません。」

 互いに自分が悪かったと謝罪をする2人の様子を見た老男性はルーカスに言う。

「あぁ、この子もこう言っていますし気にしないで下さい。お互いに怪我も無いのであれば何よりです。」

 そして少女へ顔を向けて言う。

「重い荷物は私が持つと言ったんですが、どうしても自分が持つんだと言って聞かなくて。さぁ、ここからは私が代わろう。袋を貸しなさい。」

 しかし男性の言葉に少女は首を横に振った。「いいえ、お爺様。この袋は私が持ちます。」

 なかなか重量がありそうな紙袋を大事そうに抱きかかえ手放そうとしない彼女を見て老男性は笑いながら言った。

「まいったな。それじゃ、せっかくだから最後まで運んでもらおう。頼んだよ。」

「はい。」表情に特段変化があるわけではないが、なんとなく満足そうに少女は返事をした。

「それでは私達は失礼します。」

 そう言って老男性と少女は会釈をすると自分達が乗ってきた車の方へと歩き去って行った。


 歩き去って行った2人の後ろ姿を眺めてルーカスが言う。「仲の良いご家族ですね。」

「お爺さんのお孫さんといったところか。少し変わった雰囲気ではあるが。」

「そうですか?自分は特に何も感じませんでしたが。」

 その最中、ルーカスとジョシュアが話す隣で目を丸くしたまま唖然とした様子を浮かべるイベリスに玲那斗は気付いた。

「どうした?あの2人に何か気になる所でもあったのか?」

「え?いいえ。何でもないの。さぁ、私達もお買い物に行きましょう。」玲那斗の質問をはぐらかすようにイベリスは言うと先陣を切ってマーケットの入口へと歩き始める。

 玲那斗はルーカスとジョシュアと顔を見合わせた。彼女の態度を少し不思議に思いながらも3人も後に続いてマーケットへと向かった。



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