第5節 -ダンジネス国立自然保護区-

 財団支部を後にしたマークתの4人は今回の主な調査地となるダンジネス国立自然保護区へと向けて車を走らせていた。

 その最中、浮かない表情をしたイベリスを見て玲那斗が言う。

「どうした?体調でも悪いのか?」

「いいえ。ありがとう、気遣ってくれて。」イベリスはいつものように明るく返事をするが、しかしその笑顔はやや虚ろだ。

 その様子を見てルーカスは言った。「さっきのシャーロットっていうお嬢さんのことだろう?気にすることはないと思うぞ。」

 玲那斗はつい先程見たシャーロットの冷たい眼差しが脳裏に浮かんだ。どうやらイベリス本人も、そしてルーカスも彼女の視線や態度の冷たさには薄々気付いていたようだ。

「執務室で彼女が退室する間際に偶然目が合ったのだけれど…それがとても冷たくて、それでいて深い怒りを込めているような目だったから。もしかすると私が意識しない所で彼女の気分を損なうようなことをしていたのではないかと気になって。」

「考え過ぎだな。」

 断じて違うと確信していた玲那斗は言った。なぜなら、何をする以前に彼女は出会った直後からその視線をイベリスへ向けていたのだから。

 運転席からジョシュアが言う。「俺はラーニー・セルフェイスというあの青年がイベリスに投げかけていた視線の方が気になったな。」

「どういうことかしら?」イベリスは困惑した様子でジョシュアへ問う。

「ただの感覚的なものだが、彼はお前さんと話をする時に限って特別な意思や意図を持って会話していたように思えてな。それが何のかは無論分からない。まさかイベリスの正体を見透かして、 “特別な人物” だと把握されているわけでもないだろうが…それよりも考えられるとすれば別の話だ。彼とキャンベルさんは義理とはいえ兄妹の関係にあるのだろう?あくまで想像の域を出ない推測として、キャンベルさんが気に入らないのはイベリス自身というよりも、セルフェイス氏がお前さんに向ける感情や視線、意図にあるんじゃないかと思う。」

 ジョシュアの見解を聞いてルーカスは言った。「確かに彼はイベリスに対してとても好意的に接していたように見えましたし、100パーセントあり得ないという話でもありません。ただ少々突飛な見解では?それはまるで…」

「嫉妬、だな。キャンベルさんがセルフェイス氏にどういう感情を向けているのかにもよるだろうが、それを詮索するのはさすがに無礼というものか。」ルーカスが言い淀んだ部分をジョシュアは言った。

「嫉妬?私は彼には何も…」イベリスは不安そうな表情で玲那斗を見やった。

 玲那斗は気にするなという表情をして無言で頷く。


 イベリス本人にはまるで自覚が無いのだろうが、彼女の容姿や雰囲気といった外見的な部分は誰が見ても美しさに惹かれて息を呑むような類のものだ。

 話としては道を歩いているカップルがいたとして、イベリスの姿を見た男性側が思わず彼女を目で追っただけで女性側が嫉妬してしまうような単純さがある。

 シャーロットにしてみれば自分達が呼び寄せたとはいえ、そんな人物が唐突に自分の家族の前に現れ、さらに何かしらの特別な扱いをされているとみれば面白くないと思っても不思議ではないだろう。

 あとはジョシュアの言う通り、シャーロット自身がラーニーに対してどのような感情をもっているかによる。


「イベリス、そのことについて深く気に病む必要はないと思うぞ。それは “あちらの問題” であって、お前さんの問題ではないのだから。セルフェイス氏だって、キャンベルさんの態度については十分に気付いていただろう。それは執事の2人が退室したあとの会話での取り繕い方からもよく分かる。」ジョシュアは穏やかな声でイベリスに言った。

「ありがとう。そうね、そうすることにするわ。」

 イベリスは運転するジョシュアの後ろ姿に微笑みながら返事をした。



 その内に、4人が乗った輸送車はロビンフッドレーンから進行方向を右へと進み、いよいよ目的地沿いの道路であるダンジネスロードへ進入する。

 その先を少し走って間もなく、今回の最大の目的地であるダンジネス国立自然保護区が一行の前に姿を現した。

 辺り一面には緑で覆われた平野が広がり、その周囲には大小の湖が点在している。眺めとしては悪くなく、穏やかな自然で満たされているという印象だ。

 事前情報からもっと荒れた大地を一行は想像していたが、国立保護区ということもあって完全に放置された荒野ということではないらしい。

 しかし、そうした第一印象は先に進むにつれて変化していくこととなる。

「段々と荒廃していきますね。」素直な感想をルーカスが言う。

 数分走った先から徐々に草原は減少していき、ところどころしか植物が生えていない荒野へと景色は移り変わる。先程まではほとんど見られなかった、大きくごつごつとした岩が転がり、いつしか砂利が剥き出しの荒れ地が視界一面に広がった。貨物コンテナや廃棄物が無造作に投げ捨てられている場所もある。

 道路から右に目を向けると多くの背の高い送電塔が立ち並び、奥には原子力発電所の姿が見えた。

 左に目を向ければ、遠くまで見渡せる荒野の先に海岸沿いの町〈リド=オン=シー〉の住宅地が見える。


 ジョシュアは速度をゆっくりと落としていき、道路から少し外れた荒野へ輸送車を停車した。

 車が完全に停止した後、誰もが特に言葉を交わすでもなく自然保護区へと一行は降り立った。

 砂利を踏みしめる乾いた音が鳴る。この地へ訪れてから続く相変わらずの曇り空の下。時折、遠くから吹き抜ける柔らかな海風を浴びながら4人は周囲を改めて見渡す。

 付近を通過する車などはなく、砂利を踏む音と風の音以外に聞こえるものはない。先程通過した湖周辺には有名な野鳥の撮影スポットがあるらしいのだが、特に人影は見えない。

「向こうに見えるのがセルフェイス財団の管理区域か。」ジョシュアがいう。

 右手に見える原子力発電所から視線をさらに右側に移した先、自然の風景としておよそこの場に似つかわしくない物々しいフェンスで覆われた大きな区画が存在している。

「30分ほど前にダストデビルの被害があったという割には落ち着いていますね。」玲那斗が言う。

「一度や二度ではないらしいからな。繰り返すうちに対処に慣れたのかもしれない。」ジョシュアが答えた。

「重要な目的地である “自然の異常再生が確認された地点” は真逆にあるようです。」全員が視線を向ける反対側を指差しながらルーカスは言った。

 一行が振り返った先には確かに一部だけ周囲の荒野とは様相が違う区域が見て取れる。大きな砂利が敷き詰められた周辺の環境とは違い、新緑が実り、数多くの花まで咲いている。

「行ってみますか?」

 ルーカスの問いにジョシュアは返事をする。「いや、今日のところは周辺の地形データ採集に留めておこう。闇雲に歩き回るより、何よりもまずこの辺りの詳細な情報が欲しい。そして何を精査すべきかまとめて検討すべきだ。何せ範囲が広いからな。木を見て森を見ず…というわけにはいかないし、その逆もしかりだ。早速だが玲那斗とルーカスはトリニティを準備してくれ。」

 その指示を受けて玲那斗とルーカスがトリニティの運用準備にかかる。


 トリニティとは機構が誇る全自称統合観測自律式ドローンの名称だ。高度な分析演算処理を可能としているプロヴィデンスと連携することで真価を発揮する。

 自力で陸・海・空を自由自在に航行する能力を持ったトリニティは精密なデータ観測や収拾を可能としており、集めた情報を即座にプロヴィデンスへ送信することで可能だ。

 そうしてプロヴィデンスへ送信したデータを元に瞬時に分析結果やシミュレーション演算結果を導き出すことが出来る。

 プロヴィデンスから返される分析結果は機構の隊員1人1人に与えられている携帯型情報端末ヘルメスで確認が可能となっている。

 この端末そのものもプロヴィデンスと直結されており、トリニティで集めた情報をどのように処理するかといった指示を別途で行うことが出来る。


 2人がトリニティの運用準備にかかっている間、ジョシュアはイベリスに声をかけた。

「イベリス、この景色を見て何か感じることはあるか?どんな些細なことでも良い。」

「難しい質問ね。でも、一言で言うと “寂しい” という印象だわ。」

「寂しい?」イベリスの回答にジョシュアは聞き直した。

「えぇ。私の知っている豊かな自然とは程遠い。感覚的なものなのだけれど、美しい自然は大抵その土地特有の命の声というのかしら…何か温かさのようなものを感じるの。それは木々のさざめきであったり野生動物の声であったり、風が運ぶ緑の香りであったり様々よ。以前訪れたミクロネシア連邦の自然はそうした温かみのあるものだった。でもここは違う。あまりにも “静か” すぎる。」

 そう言って遠くを見つめるイベリスの視線の先をジョシュアも追いかけた。

「実はさっき訪ねたセルフェイス財団の庭園からも似たようなものを感じたの。とても美しくて素敵な庭園ではあったのだけれど、どこか不自然というのかしら。無理やり言葉にすれば “人為的に作られた、自然に見える何か” という印象ね。」

 本来存在しないはずの場所に植物を植えて整備すればどこもそのようになるのではないかとジョシュアは思ったが、どうもイベリスの言う不自然さとは感覚的なものが違う気がしてそれを口に出すことは出来なかった。

 代わりに口の先に出たのはジョシュア自身の昔の記憶だった。

「俺の生家があるアメリカの町も古くから農業が盛んな土地でな。自然に囲まれたのどかな場所ではあるが、人の手で作物を育てられるように整備した広大な畑に関してはイベリスがいうような “自然に見える何か” と同じものなのかもしれない。手入れされた場所から少し離れた場所には、ここと同じように荒廃した地域も多くあった。」

 その話にイベリスは目を丸くしてジョシュアの方を向いた。

「柄にもない話をしてしまったな。お前さんの意見を聞いて、人の手で管理されたものはどうあっても “自然” とは呼べないのかもしれないと思ってな。ふと実家の景色が脳裏に浮かんだんだ。地球環境を人間の手でコントロールするなんて、本来は人間の驕りというべきものなのかもしれない。」

 イベリスは視線を遠くに見える新緑が実った場所に戻して囁くように言った。「そうね。」

 直後、輸送車からトリニティを運び出してセッティングを終えたルーカスがその報告をジョシュアへとする。

「隊長、トリニティの運用準備完了しました。精査地区をダンジネス国立自然保護区に設定、およそ20分で地形データの収集及び立体マップの作製素材データの収集が完了する見込みです。」

「ご苦労さん。早速データ収集に取り掛かってくれ。」

「了解しました。」爽やかな笑顔で返事をしたルーカスは手元のヘルメスからトリニティにプログラム実行命令を送った。


 間もなく、大地にスタンバイしたトリニティが起動し、飛行形態をとって離陸を開始する。

 少しずつ上昇をしたかと思うと、ある一定のところを境に高度を急上昇させて空高く舞い上がった。

 大空を羽ばたく鳥のように。科学の粋を結集した “機構の鳥” は眼下に広がる大地の地形データ採集を開始するのであった。


                 * * *


「ロティー、少し話がしたい。」

 財団支部の廊下。ある部屋の扉の前で足を止めたラーニーは、扉を軽くノックしながら中にいる人物へ呼び掛けをした。

 声を掛けて間もなく、部屋のドアが開き1人の女性が顔を覗かせた。憂いを帯びた青い瞳がラーニーへ向けられる。だが、その様子はいつもより空虚さを感じさせるものだった。

「休んでいるところすまない。今日はもう業務から上がらせたとサムに聞いたんだけどね。」

「どうぞ中へ。」

 シャーロットはヴィリジアンの綺麗な瞳で真っすぐに自分を見つめる彼にそう言って部屋へ招いた。

「ソファへお掛けになってください。今お茶を用意いたします。」

「ロティー、今は仕事中じゃないんだ。2人きりの時は改まらなくて良い。こっちへおいで。」

 しばしの間、シャーロットは想いを巡らせたようであったが、最終的にラーニーに促されるまま対面のソファへとゆっくりと腰を下ろした。そして深く溜め息をつきながら言う。

「ねぇ、ラーニー。私あの子が苦手よ。」

 長く一緒に暮らしてきた。彼がここに何を話しに来たのかは手に取るように分かる。

「それが彼女に冷たく当たった理由かい?」

 責めているわけではない。理由を問いただす為にこの場を訪ねたわけではない。ラーニーはそういう人物だ。

 それは今の彼の表情からも読み取ることは出来るし、“苦手” だといった理由を聞こうとしないことからも明白だ。

 頭では重々理解しているが、だからといって “本音” をここで話すことも出来ない。シャーロットは黙って目を逸らした。

「機構の彼らは僕らにとって大事な客人だ。そして彼女もその中の1人だよ。」

「ごめんなさい。私情を表に出しているようでは使用人としては失格ね。」

「彼らには礼を尽くしてほしい、それだけだよ。それと…」

 ラーニーは言葉を一度呑み込んで、考えをまとめてから言った。

「立場上、今はそうではあるけど君は僕の家族だ。大切な “妹” だ。何か思う所があれば遠慮なく言ってほしい。何年経っても、君を使用人だと思うことは出来なくてね。」

「妹、か。」ラーニーの言葉に、内心で少しばかり不満を抱いたシャーロットは呟いた。

「今さら言うことでもないけど、血の繋がりなんて無くても実の家族だ。それは常に忘れないでいて欲しい。突然邪魔して悪かったね、僕の話は以上だ。」ラーニーはそう言うとソファから立ち上がる。

 そして彼女へ優しい笑みを送るとドアの方へ向かって歩き出す。しかし、ラーニーは何かを思いついたように再び彼女の方へ振り返って言った。

「そうだ、今日は夕食を一緒にとらないかい?」

 執事見習いとして働くシャーロットは毎食、自分の傍で給仕として佇むだけでここ最近は夕食そのものを一緒にとる機会はほとんどない。

 今日は既にオフとなった彼女なら共に夕食をとるのも平気だろう。そう思ったラーニーは彼女を誘った。

 シャーロットは少しの間悩むそぶりを見せたが、何か吹っ切れるものでもあったのか誘いに応じる返事をした。

「分かったわ。」

「よし、じゃぁ夕食前にまたここに来るよ。」ラーニーは嬉しそうな表情を浮かべてそう言うと軽やかな足取りで部屋を後にしたのだった。

 扉の閉まる音が響く室内。彼が部屋から出て行く後ろ姿を目で追っていたシャーロットの表情には、ここ最近誰にも見せていない微笑みが湛えられていた。



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