第15節 -眠りの妃-

 まだ夕食には早い夕暮れ時、代表執務室のドアをノックする音が響いた。こんな時間にこの部屋を誰かが訪れるのは珍しい。

 きちんとノックということは “あの女” ではないだろう。奴ならばきっと “気付いたらそこにいる” はずだ。

 ラーニーがサミュエルかシャーロット、2人の内どちらが訪ねてきたのかについて短く思案しようとしたとき、扉の向こうから早々に答えが返ってきた。

『ラーニー様。ウォーレンにございます。』

 サミュエルだ。彼が訪れるということは直接話したい何らかの報告があるということだろう。

 ラーニーは快く返事をする。

「どうぞ、入ってくれ。鍵は開いているよ。」

 間もなく、サミュエルが代表執務室へと入室する。

 彼はいつものように、年齢を感じさせない軽やかな身のこなしで優雅且つ静かに扉を閉めると真っすぐにラーニーの元へ歩み寄って言う。

「ラーニー様。お伝えしたい報告事項がございます。」

「直接ここに来たということは、よほど重要な案件ということかい?」

「報告申し上げた後のご指示もこの場で仰げればと思いまして。」

「なるほど。なら例の管理区域の被害についてか。」ラーニーは身を乗り出しながら言った。

「はい。おっしゃる通りです。ただ、状況の進展というわけではありません。まずはこちらをご覧いただければ。」

 サミュエルはそう言うとホログラムスクリーンを起動して、今日の午後に国立自然保護区内を偵察させていた超小型ドローンが撮影した映像を映し出した。

 そこに映っていたのは2人の少女の姿である。

「へぇ。例の少女に、加えて彼女か。」

 ドローンが撮影した映像には並んで会話をするイベリスともう一人の少女の姿が映し出されていた。

「何の話をしていたのかは分かるかい?」

「いえ、映像データのみで音声データはございません。」ラーニーの質問にサミュエルは答えた。

「そうか。しかし、これでイベリスさんとこの少女の間に接点が生まれたわけだ。それで?昨日から度々報告に上がるこの少女については調べがついたのかな?」

「彼女はリド=オン=シーに暮らす住人です。名はアルビジア・エリアス・ヴァルヴェルデ。ジェイソン・モラレスという住人と共に暮らしているようです。」

 その名前を聞いたラーニーは訝し気な顔をして言った。

「随分と珍しい名前だ。この辺りではない…スペイン語圏の姓だろう?彼女は何者だい?」

「それが、独自に調査をしてみましたが出身や国籍、年齢など調べても素性が一向に掴めません。どうしてあの街にいるのかすら分からぬ有様。モラレス氏が親戚の孫娘を預かったという話のようですが…」

「へぇ…孫娘、ね。」

 不敵な笑みを浮かべながらラーニーは言う。

「内務省に問い合わせをしましょうか?」

「いや、そのカードを今切るべきではない。」

 そう言うとラーニーは前のめりになっていた姿勢を正しながら言った。

「僕から大尉に直接連絡を入れようと思っていたが気が変わった。サム、機構に連絡を入れておいて欲しい。明日、 “イベリスさんと” 話す時間を設けたいと。」

「承知いたしました。ブライアン大尉へ連絡を入れてみましょう。」

「頼んだよ。時間の調整は任せる。彼らにも都合があるだろうからね。」

「しかし、彼女だけで来てくださるのでしょうか。」

「そう頼めばそうしてくれるだろう。付き添いはつくだろうが、会合に臨むのは彼女ひとりにしてもらうということにすればいい。彼らは聡明な人々だ。冷静に物事を見極める観察眼を持っている。まるでキュウリのような、ね。特にブライアン隊長はそうだろうさ。」

「なるほど。では、後程連絡をとってみます。」

 報告という目的を達し、新たなる指示を受けたサミュエルは直ちに行動に移る。

 彼は背筋を伸ばしたまま真っすぐに扉へと歩いていき、扉の前で振り返って一礼をすると、いつものような美しい所作で執務室を後にした。


 ラーニーはリクライニング付きの椅子の背もたれに深くもたれかかり、大きな溜め息をつきながら天井を見上げた。

 部屋の明かりを遮るように掌で目を覆って言う。

「“どうして狐疑逡巡するのだ。どうして率直果敢に行動できない?” か。」

 神曲に綴られた一節を口に出して彼は軽く微笑む。


 これは予感だ。自分達の常識で測ることが出来ないからといって、最初から無いものとして見て見ぬふりをすべきではない。

 組織の長というものは、大小あらゆる可能性というものを判断の天秤にかけて物事を見極めるべきなのだ。


 天を仰いだ姿勢のまま、ラーニーは “あらゆる可能性” についての思慮を巡らせるのであった。


                 * * *


 国立自然保護区とリド=オン=シー海岸での調査を終えたマークתの4人は、ニューロムニーのマーケットで買い物をしてからペンションへの帰路へとついた。

 時計の針が午後6時を示そうとしている。まだ太陽は西の空に顔を覗かせたままで、沈み切らない光によって大地はいくらか明るく照らされている。

 ライのペンションへ戻った一行はこの後、収集したデータを用いた分析と翌日の調査計画を話し合う予定だ。


 拠点に戻ってすぐ、4人は揃ってリビングの机を囲んで座る。慣れた手つきで全員がヘルメスから互いのデータを送信し合い、データ共有が完了するとテーブルの真ん中へホログラムスクリーンを起動してミーティングは始まった。

「まずは今日の調査ご苦労だった。昨日の今日で疲れもあるとは思うが、少し情報の共有と整理をして明日の計画を立てておこう。」ジョシュアが言う。

「まだまだ平気ですよ。張り切っていきましょう。何たって今日はこの後にイベリスの作る夕食が待っているんですからね。」相変わらずといった様子でルーカスは言った。

「さっきの買い物で良い食材を手に入れられたし、良いものが出来ると思うわ。」イベリスが笑顔で答えた。

 全員に疲れが出ているはずだが、それを感じさせないほどの気力と和やかさで場が包まれている。

「それは俺も楽しみにしておこう。ではまず海洋方面の結果を報告してくれ。玲那斗、頼む。」ジョシュアは玲那斗を指名した。

「はい。海洋調査ではプロヴィデンスに記録されている現地の環境データとの比較参照を行いました。大きな差異は認められませんでしたが、過去10年から比較すると全体的に良い数値が出ていると言えます。結論として、保護区で確認されているような誰の目から見ても明らかと言えるほどの数値異常は一切確認出来ていません。」

 ヘルメスで記録した調査データをスクリーンに表示しながら項目を説明していく。海洋中に含まれるマイクロプラスチックを含む汚染物質の濃度などの数字が並ぶ。

 その横でルーカスが即座に数値をグラフ化して提示した。

「玲那斗とイベリスの収集した現地データと保管されている環境データをグラフ化するとこうなります。環境シミュレーションで算出できる自然の浄化速度と9割以上は一致しますね。差異は未だに人の手によって海洋に流れ込む海洋ゴミなどの影響によるものでしょう。誤差の許容範囲内として異常は見受けられないものと断定できます。」

「ありがとう。では次に俺とルーカスが集めた国立自然保護区内における複数地点におけるデータを比較してみよう。」

 ジョシュアはそう言うとスクリーンに3つの地点における収集データを表示した。それらをプロヴィデンスのデータベースに保管されている環境データと照合する。

「ひとつは原子力発電所近辺のデータ。次に野鳥観察が盛んに行われていたと言われるポイントのデータ。最後が問題の異常再生が確認された地点のデータだ。」

 提示されたデータをルーカスが再度グラフ化して表示する。

「これが保護区の各データをグラフ化したものです。過去の環境データと比較し前者2点のデータは先程の海洋データと同じような推移を辿っていますが、問題の地点では自然の浄化、成長速度ではあり得ない曲線を描いて時間軸を進行しています。数字を見るまでもないのですが、環境シミュレーションで得られる “本来あるべき姿” を完全に逸脱しています。」

 ルーカスの提示したデータに玲那斗とイベリスが注視していた時、おもむろにジョシュアが言う。

「それと実は今日、この3点以外にもう1点ほどデータを収集した地点がある。本来は収集するべき対象ではないデータになるが、気になってな。ルーカス、例のデータを同じように表示してくれ。」

「了解しました。」

 ジョシュアの指示を受けたルーカスはどこの地点とも明示されていない数値データとグラフを表示し、最後に当該ポイントの画像を提示した。

「これは、財団の管理区域?」画像を一目見てイベリスが言う。

「その通りだ。環境モデリングから大きく外れたデータとして、異常再生地域のデータと比較対象にするには良い判断材料になると思ってな。財団からも管理区域のデータを採集するなとは言われていない。」ジョシュアが答える。

「隊長の依頼で収集した財団管理区域のデータも自然の浄化、成長速度だけでは説明のつかない、いわゆるあり得ない結果を返していますが、これは間違いなく彼らの使用した薬品〈緑の神〉によるものでしょう。」表示したデータについてルーカスが言った。

「では、この財団管理区域のデータと先の異常再生区画のデータと比較してみよう。便宜的に財団管理区域を〈ポイント4〉、自然異常再生が確認された地点を〈ポイント3〉と呼ぶことにする。これらを “あるデータ” と照合させたとき、興味深いデータを得ることが出来た。」

 ジョシュアの言葉通りにルーカスがデータ表示を異常再生が確認されたポイントと財団の管理区域のポイントのみに絞る。さらにプロヴィデンスがシミュレートする環境モデリングデータと照合した。

「今から再生するデータは今現在の状況を無視して、過去のダンジネス国立自然保護区が人の手による影響や環境汚染による影響を受けず、長い時間を掛けて “自然的に再生した場合” に本来どういう状態になっていたのかをシミュレートしたものです。つまり自然の異常再生もなく、緑の神も使用されなかった場合におけるシミュレーション。2年前の状況から時間軸を進めていきます。」

 ルーカスは西暦2035年4月からのシミュレーションをスタートし、自然がどのような成長曲線を描いて再生していくはずであったのかを映像とグラフと併せてスクリーンに表示する。進行するデータの上下には〈ポイント4〉及び〈ポイント3〉の名称が表示されている。

 全員が映像を見守る中、シミュレーションが西暦2240年を経過した所でジョシュアがストップをかけた。

「そこで止めてくれ。」続けて言う。「このデータ上の2240年のデータと、今現実として存在するポイント3、4のデータを比較してほしい。」

 指示を受けたルーカスは当該年の数値データと、先程解析表示した現在の国立自然保護区内における異常再生地点のデータを照合する。


〈ポイント3(異常再生) 環境データ照合 一致率…算定 98%〉

〈ポイント4(管理区域) 環境データ照合 一致率…算定 0%〉


 その表示を見た瞬間、玲那斗の顔は険しくなった。イベリスはデータが示す意味をまだ呑み込めていないらしく、きょとんとした表情を浮かべている。

 結果を改めて確認したジョシュアは言う。

「つまり、異常再生と言われている場所における変化というのは、およそ200年の歳月が流れた末に実現するはずだった〈現実のものである〉ということだ。」

「ポイント3の状況は言い換えるなら、その場所だけ200年後の未来へタイムスリップしたということになります。」両掌を天井へ向けながらルーカスが言った。

 データが示す意味を理解したイベリスも困惑の表情を浮かべる。自然界の一部だけを切り取って未来に置き換えるなど、そんなことがあり得るはずがない。

「最初から予想していたことではあるが、今回の調査もかなりの難題を我々に要求してきたものだ。要するに、明日からの調査目標は〈どうすれば1日で200年分の成長促進を自然に促すことが出来るのか〉となる。」

 ジョシュアは続ける。

「併せて気になるのは財団管理区域の0%というデータだ。こちらもこちらで、不可解な数値だと言わざるを得ない。」

「そちらはどういうことかしら?」イベリスが言う。

「通常、農薬の類というのは【その地で発生するはずだった害虫を駆除する】目的であったり、【その土壌環境では得られない栄養を外部から与えることで成長を促す】目的であったりするだろう?だから【もし~だった場合】という仮定に基づいてシミュレーションすれば最低でも8割以上は将来的な環境データと一致が見られるはずなんだ。」

「それが0%ということは…」ルーカスの説明を聞いたイベリスは、その数字が示す意味を理解したらしい。

「初めからその場に存在し得ないもの、或いは自然発生的にはあり得ないものと土壌ごとすり替えられでもしない限りは出ない数値だろう。グリーンゴッドという薬品が与えられたことによってそういった現象が起きたことになる。」ジョシュアが言った。

「その点については自分も気になったので、 “現在の” ポイント4が将来的にどのような成長を辿るのかプロヴィデンスでシミュレーションしようとしました。ですが、何度シミュレーションを実行してもなぜか1年後の時点でエラーにより弾かれてしまいます。都度条件を補正しながら試しても必ず同じ結果でした。」ルーカスが言う。その言葉に対し玲那斗は言った。

「データベース上に存在しない薬品を用いたことによる〈基準データ不足〉じゃないのか?ミクロネシアでも似たようなことが起きただろう?」

「もちろん、玲那斗の言う通りその可能性もある。だが、その場合はきちんと〈データが足りない〉とプロヴィデンスは返す。今回プロヴィデンスが返してきたエラーは、 “この先が存在しない” というニュアンスのエラーだったんだよ。」

「先が存在しない?」イベリスが問う。

「昨日、現地を初めて視察した時にイベリスが感じたっていうことにニュアンスで言うと近い。人間で言えば “死んでいる” 、又は “この世に存在しなくなっている” と言えるだろうな。」

 イベリスが自然を見て〈静かすぎる〉と感じたということに対する言葉であった。

 一通り収集したデータによる情報共有と分析結果の伝達が完了した所でジョシュアが言う。

「ポイント4についてはそこまでにしよう。俺の気掛かりにみんなを付き合わせてしまってすまないな。実際のデータでも示されているように、 “あり得ない” という意味において個人的にはポイント4の方がよほど気になるが、今回の調査においてその場所についての解明は領分ではない。ひとまず、この場は明日からポイント3に対する調査をどのようなアプローチで行うかに焦点を当てよう。」

「とても難しいと言わざるを得ません。少し各自で考える時間を頂きたいのですが。」難題を前にして、この場での話し合いがまだ難しいと感じた玲那斗は時間の猶予を提案する。

「良いだろう。確かにこの場で意見をひねり出してなんとかなるというものでもない。各自で先の分析結果を確認しつつ意見をまとめておいてくれ。明日の朝食後に意見の集約を行う。」玲那斗の提案にジョシュアは頷いた。


 こうして調査についての話し合いが終わりに近付いた頃、ふとジョシュアがイベリスに言う。

「さて、ここからはイベリス。お前さんに少し尋ねておきたいことがある。」

 イベリスはジョシュアの目を真っすぐに見据える。まるでこれから質問されることが何なのか悟っているようだ。

「その前に喉が渇いたな。ルーカス、作り置きのアイスティーを持ってきてくれないか。」

「了解しました。」

 ジョシュアの頼みにルーカスは応じ席を立つ。そしてリビングの隅にある冷蔵庫を開けアイスティーを取り出すと、全員分のコップと液体砂糖、ポーションを用意し始めた。

「あぁ、その、なんだ。今から聞くことは言い辛いことならば言わなくても良い。他人の過去を詮索するというのはどうも性に合わんものだ。」

 そうして伏し目がちに言い淀むジョシュアを見てイベリスは思わず微笑んだ。

「何を尋ねられるのかは承知しているつもりです。この場にいるみんなには、今さら隠すようなお話でもありません。」

 普段の可愛らしさや無邪気さとは違う気品と優雅さを見せながら改まってイベリスは言った。

「では、僭越ながらこの手の質問が性に合わない隊長の代わりに俺が質問をしましょう。」

 全員分のアイスティーの用意を終えたルーカスが皆にそれぞれコップを差し出しながら言った。

「ただの勘だ。隊長も俺も同じく。もしかすると玲那斗だけは何か聞いているかもしれないが…昨日、マーケットの駐車場で俺とぶつかった彼女。そして今日の昼に保護区で会話をした彼女が誰なのか、イベリスは最初から気付いていたな?」

 イベリスはルーカスが運んできたアイスティーに砂糖とポーションを混ぜ、ミルクティーに仕立てながら言う。

「隠す…なんていうつもりはなかったの。ただ確信がもてなかっただけ。だってそうでしょう?遠い遠い昔に生きていた知り合いの子が、時代を超えて目の前に現れるなんていう偶然。その偶然が起きる確率はいかほどかしら。」

「だがそれは事実として起きた。」ジョシュアが言う。

「ロザリアの件、アイリスの件を踏まえれば100%に近い。」冗談めかした口調ではあるが、静かな口調でルーカスは言った。

「そうね。私は彼女を知っているし、彼女も私を知っている。昨日、マーケットで会った瞬間にお互いが同じように感じたはずよ。」

「彼女の名は?」

「アルビジア。アルビジア・エリアス・ヴァルヴェルデ。リナリア公国七貴族、エリアス家の一人娘よ。」ジョシュアの問いにイベリスは答え、話を続ける。

「サンタクルス、ガルシア、オルティス、エリアス、コンセプシオン、デ・ロス・アンヘルス、インファンタ。リナリア公国にはこれら七つの貴族がそれぞれの役割を持って存在していた。アルビジアの実家であるエリアス家は主に公国の環境や食糧の統括を任されていた家系になるわ。」

「確かミクロネシアで出会ったアンジェリカという少女は法を司る家系の出身と言っていたな。」ルーカスが言う。

「えぇ、そうよ。アンジェリカのインファンタ家は法を司る家系になるわ。現代で言うところの警察と裁判所、刑務所といったところね。ロザリアのコンセプシオン家は信仰を司る家系、レナトのサンタクルス家は財政を管理する役目を持ち、私の実家であるガルシア家は公国全体の行政を統括する役割を担っていた。そんな貴族出身の彼女だけれど、昨日出会ったときもほとんど何も変わって無かったのが印象的だったわね。」

 過去を懐かしむようにイベリスは言った。ジョシュアが問う。

「ロザリア、アイリス、アンジェリカといった人物に加えてイベリス…ルーカスの言う通り、今になっては千年前に生きていたリナリア絡みの人物がこの時代にいるなんて話を聞いても驚きはしないが。」

「うふふ。普通そこは驚くところよ?」あまりにも自然に受け流すジョシュア達に対して穏やかな表情でイベリスは言う。

「だろうな。とりあえず、彼女がリナリアの出身であることはそれとして、俺達に与えられた調査任務に関連してひとつ確認したいと言えば “彼女が何か特別な力をもっているのか” だ。」

 かつて出会ってきた人物は例外なく人智を超える何らかの力を持っていた。現代風にいえばエンパシー、サイコメトリーといった超能力の類である。

 ジョシュアは彼女にもそういった異能と呼ばれるものが備わっていないかをイベリスに問う。


 イベリスにはジョシュアの考えが理解出来ていた。アルビジアが自身と同郷であるというのなら、真っ先にその可能性…つまり今回の一連の出来事が彼女の異能によるものではないのかと確認するのが一番早いというわけだ。

 手元のアイスティーを飲んで言う。

「残念ながらそれは分からない。 “人間として” 真っ当に生きていた当時と今では状況がまるで違うのだから。私だって今のような存在になる以前はただの普通の女の子だったわ。光の速さで移動なんて出来なかったもの。ただ…」

「ただ?」ルーカスが聞き返す。

「いえ、特別な力というようなお話ではないのだけれど。彼女にだけは他の子達とは違う “特別な立場” というものが与えられていたのは事実ね。立場というよりも役目…それも悲観的な意味合いで。玲那斗、貴方は彼女から何か感じることはなかったかしら?」


 唐突に話を振られた玲那斗は首を横に振った。

 確かに何か心の奥にひっかかるものはあるが、それが何なのかと問われれば言葉に出来る程感覚としては理解出来ない。

 自身の中にいるもう一人のレナトであれば知っているのかもしれないが、彼もまた沈黙したままである。


「アルビジアに与えられた役目は、私が万一何らかの事情によって公国の王妃となることが出来なかった場合に、その代わりとして王妃の立場に立つということだった。レナトにとっては二人目の妻。第二王妃というものね。生々しい話になって申し訳ないのだけれど、私が “王家の跡継ぎを残せなかった場合” なんていうこともそこに含まれるわ。」

 イベリスはあまり口には出したくなかった様子で言った。

 直後にルーカスが言う。「玲那斗、あとで話をしようじゃないか。イベリスだけでは飽き足らず、まさかあの子まで…昔のお前という奴は。」

 完全にその場の話の流れを無視した空気を読めない発言のようにも思えるが、これはこれでルーカスなりの気遣いに違いないとイベリスは思っていた。

 自分が口にしたくなかったことを口にしたと伝わったのだろう。言い淀んで暗くなりかけた場の空気を瞬時に汲み取ってわざと話を逸らしたのだ。

「時代が時代だったのだから仕方ないわ。彼が望んだことでもないのだから。」

 ルーカスへ目配せをしながらそう言ったイベリスは話を続ける。

「それに、アルビジア本人にもそういった立場があるという意識は無かったのだと思う。立場について彼女が何かを言及したことなどただの一度も無いし、周りの大人たちが勝手に言っていただけで最後まで実現もしなかった。私が王妃になれなかったようにね。あとは個性と言えば、昨日会った時もそうだったけれど、昔からあの子は常に眠たそうで、ぼうっとしていて何を思っているのかよく分からない所があるの。自然が大好きな優しい子なのだけれど。第二王妃という立場とそういった本人の個性から〈眠りの妃〉なんて周囲には呼ばれたりもしていたのよ。」

「なるほど。話してくれてありがとう。」ジョシュアが礼を言った。

「遅かれ早かれ私の口から報告しなければならないことだったもの。伝えるのが遅くなってごめんなさい。」

「いや、良いんだ。それよりも、彼女が通常の人間とは異なる人物だと分かった以上、誠に言いづらいことではあるが…調査すべき対象に彼女も加える必要があるやもしれんな。」

「ダストデビル、自然の異常再生。それらが彼女の手によって起こされたのではないかという可能性の話ですね。仮定が正解だったとすれば、科学の出番は皆無となりますが。」ジョシュアの言葉にルーカスが言った。

 今回が3回目となるので、もはや “恒例のことだ” というような具合である。

「かといって放置しておくわけにもいかないと思う。ダストデビルのこともある。彼女の動きは見極めるべきだろうし、この場にイベリスが招かれたのは偶然ではない可能性の方が強くなった見るべきだ。」玲那斗が言った。

「そうだな。ところでイベリス、今日の昼にお前さんは彼女と何を話したんだ?」ジョシュアの質問にアイスティーを飲む手を止めてイベリスは答えた。

「お昼に言ったことそのままよ。 “この場所によく来るのか” というお話。彼女は〈そうね〉とだけ答えてくれたわ。」

「行動の確認をしたってことは、もしかしてイベリスは最初から彼女が一連の現象に絡んでいる可能性を考えていたのか?」玲那斗が言う。

 少しの間を置いてイベリスは言った。

「考えてなかったとは言わない。何かの目的を果たす為にそうした行動をとる可能性はあり得るから。ミクロネシアでアイリスがしたことや、かつてリナリア島で私がしたことのように。彼女が私やアイリス、ロザリアのような特別な何かを持っているのかは分からないけど、あの子が既に人間というものとは別の生き方をする存在であることは間違いない。近しい者の感覚が私の中にはあるの。」

 彼女の言葉を聞いた他の3人は静かにその意見を飲み込んだ。本来の調査目的とは別の方向に調査対象が変わっていっていることを誰もが感じ取っている。

「分かった。現状は調査対象とまでは言わないが、彼女のことについても気に留めるようにしておこう。頻繁にあの場所を訪れるというのならほぼ毎日顔を合わせることになるだろうからな。」

 ジョシュアはそう言うと手元のアイスティーを飲み干した。

「それと、最後に俺からも報告がある。セルフェイス財団から連絡があった。イベリス、当主のラーニー・セルフェイス氏がお前さんと2人で話しがしたいそうだ。」

「私と?」不思議そうな表情をしてイベリスは言った。

「何の話かまでは言わなかったが、もしかするとつい今しがた俺達が話した内容に関わりがあることかもしれない。アルビジアという少女についてだ。毎日あの場所にいるということは、管理区域に毎日近付く人物として財団が既に目を付けていても不思議ではない。その彼女と唯一言葉を交わしたのがお前さんとなれば合点がいく。」

「財団は今日の午後にイベリスと彼女が会話をしたことを知っていると?」ジョシュアの言葉に玲那斗が問う。

「可能性は大だな。周囲の警戒を強めているという話は聞き及んでいる。目立たない形で監視網のひとつでも張っているのかもしれない。例えば空撮用超小型ドローンだ。そういうものがあったとすれば、今日の午後の2人の姿も財団側は捉えただろう。だからこその呼び出しではないかと思う。」

「イベリス1人で向かわせるというのも少し気が引けます。」玲那斗が言う。

「同感だ。ただ、依頼主の要請にはそれなりに応えておく必要もあるだろう。よって、玲那斗。現地までの送迎はお前に任せよう。約束の時間は午前10時だ。そしてイベリス、ヘルメスにはその場の状況をモニタリングする機能が備わっている。あとは言わなくても分かるな?」

 ジョシュアの話を聞いたイベリスは閃いたように頷いた。

「分かったわ。それなら私にも出来そうね。」

「ある意味では良い機会だ。財団の持つ緑の神とやらの話を少し聞くことができるかもしれない。」

「あの当主さんは随分とイベリスにご執心なように見えましたからね。確かに聞けば何だって教えてくれるかもしれません。」ジョシュアの期待に対し、冗談めかしてルーカスが言う。

「イベリス、分かっているとは思うが彼らの事情に深入りはするな。それと、仮にアルビジアについて細かく質問されたとしても…」

「答えない方が良い。そういうことね?」

「そうだ。」彼女の頼もしい返事にジョシュアは笑みを返した。

「話は以上だ。これで今日の報告会は終了にしよう。イベリス、玲那斗、夕食の準備を頼む。」

 ジョシュアがそう言った直後、待ちに待った時が来たとばかりにルーカスが言う。

「よっし!いよいよこの時が来たか!メニューは何にするんだ?さっきの買い物では魚介類を色々と見ていたようだが。」

「魚介のクリームパスタにしようと思うの。海が近いからかしら、良い素材がたくさんあったわ。」

「メインはイベリスに任せて、俺はサラダ係に徹するよ。野菜の盛り付けなら任せておけ。」玲那斗はそう言うと一足早く準備に取り掛かった。

「玲那斗、海老の下ごしらえも忘れずにお願いね。」

「へいへい、任されようじゃないか。」

「はい、は1回で良いのよ。」

 玲那斗を追うようにイベリスもキッチンへと向かう。その2人の様子を見やりながらルーカスは納得したように1人で頷いた。

「これはきっと良いものが出来るな。食べる前から言うのもなんだが…ごちそうさん。」


 一方、ジョシュアも2人のいつものやり取りに微笑ましさを覚えつつ、先程比較提示されたデータを自身のヘルメスで確認して明日の調査に向けた思案を始めるのだった。



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