第29節 -王威と絶対の法-

 イベリスは思わず身構え彼女をきつく睨みつける。

「やぁだ~、こわぁい☆」明らかに自身に向けられた視線を受け流しながらそう言ったアンジェリカは、あろうことか玲那斗の傍に屈んで身を隠しながらべったりとくっついた。

「アンジェリカ…」

 玲那斗がそう言った時、アンジェリカは玲那斗の唇をすかさず人差し指で押さえながら甘ったるい声で言う。

「だめだめぇ☆ 言葉にしなくても言いたいことは全部わかってるんだ、ぞ♡」

 そう言ってすっと玲那斗から離れて立ち上がると前屈みの姿勢を取り、満面の笑顔でウィンクをしながら言った。

「そう、君達が私に言おうとしていることはふたつ!ひとつは “どうやってこの部屋に入ったのか”。そしてもうひとつは “何の用事だ”。」

 イベリスも玲那斗も明確に言いたかったことを言われた為口を閉ざして黙り込む。そんな中でただ1人、アルビジアはこの状況に動じている様子はない。

「ふふん!正解と見た!なぜなら私には少し先の “未来が視える” から。あとはそう、元々その問いに答える為に私はここに来たんだよねー。だーかーら、邪険に扱うのは、めっ!なんだよ?」

「そう言われて、 “そうね、分かったわ”。なんて言えないわよ?1年前のことを忘れたわけではないでしょう?」変わらぬ厳しい視線を浴びせながらイベリスは言った。

「イベリスって意外と執念深いよねぇ。そんなに怖い顔をしてると美人さんが台無しだぞー?隣に彼氏、もとい夫がいるけど大丈夫?」対するアンジェリカはニコニコした表情のまま彼女の視線を軽く受け流して煽る。

 次の瞬間には俄かにイベリスの髪色が淡い金色に輝こうとする。これは彼女が本気で力を使おうとする前触れだ。

 おそらく、その為に外を警戒する為に投影していた分身体も消失させたのだろう。左目の色も元通りになっている。

 玲那斗が慌てて制止しようとしたが、その前にアンジェリカが両手で静止のポーズを作って言う。

「のんのん!すとぉっぷ!貴女、アルビジアの目の前でお爺ちゃんの家を吹き飛ばすつもり?」

 そう言われたイベリスは思い直したのか力の行使を留めたようだ。髪色も白銀に戻っていた。

「心外ね。そんなつもりはないわよ。」

「どうだか。でもでも、結果オーライ!セーフ☆ 先に伝えておくけど、私も貴女達2人を目の前にして玲那斗に襲い掛かろうだなんて思って無いからね?面倒くさいし。そーれーに。もしも、万が一にでも最初から彼をすぱっと殺ることが目的だったならー、姿を現すより前に彼の首は既に飛んでると思わない?」


 相変わらず物騒なことを言う。玲那斗は背筋に悪寒を感じた。

 彼女がそう言うからには “やろうと思えばいつだって出来る” と公言しているようなものだ。念押しで襲うつもりがないと言われた上でイベリスが未だに警戒を解こうとしないのも当然と言える。

 しかし、度重なる手出しはしない発言を受けたイベリスはついに警戒の色を少し緩め、話を聞く姿勢になったようだ。アンジェリカはそんな彼女を見てにこりと笑った後に言う。

「まずひとつめの答え。どうやってこの部屋に入ったかについては単純。 “普通に入ってきた” という他ないんだなー。イベリスは玲那斗から聞いてないのかにゃ?私は限定的ではあるけれど、貴女達全員が持つ力を振るうことが出来る。それはつまり、貴女がどれほど強固なセキュリティもどきの仕掛けを外部に施したところで意味が無いってこーと☆ いくら鍵を掛けたって、同じ鍵を持つ私には通用しないのよん。それにそもそも何をどうしたって《絶対の法》を私が扱う限り、例外なくそうした類のものは無意味なものとなるんだから。」

 その言葉の直後にアンジェリカは一度だけ指をぱちんっと鳴らした。

 周囲に何か変わった様子が見られるわけではない。だが、一見しただけでは何の変化も無いように感じられるこの部屋も、明らかに先程までとは立ち込める空気感が異質なものとなっている。そのことを感じ取った玲那斗は言う。

「空間隔離。今、この場は現実空間とは少し違うところにある。そういう認識で合ってるか?」

 玲那斗の問いにアンジェリカは嬉しそうな表情を浮かべて大きく頷いた。

「イエス!私もリナリアに深い縁を持つ貴方たちとじっくりお話をしてみたいなと思っていたから、少しだけ細工したんだー。たった今!これで周囲を警戒しなくても大丈夫。ここでの話は現実世界に存在するどんな対象にも聞かれることは無い。泥船に乗ったつもりで安心するが良い!」

「確かに貴女の船は泥船で間違いないとは思うけれど、沈みゆく船にみんなを乗せてどうするのよ。」イベリスが言う。

「共に沈もう!」アンジェリカは即答した。

「嫌よ。」

「辛辣ぅ!心優しい王妃様、お慈悲を。というかさ、この場合さー、新国王様と正王妃様と第二王妃様に囲まれた私の方が蛇に睨まれた蛙って感じじゃない?違う?そうかー。」

 いまいち噛み合わない気がする会話が繰り広げられる。このやりとりをしていても埒は開きそうもない。玲那斗は思い切って横から口を挟んだ。

「アンジェリカ、2つ目の答えを教えて欲しい。ここに君が現れたのは用事があったからと言ったけど、どんな用事だ?」

「よくぞ聞いてくれました!さすが国王になるはずだった人、の魂を宿した人。その生き急いでる感じは嫌いじゃないよ?」

 どういう意味だ。聞いたら命を取られるとでもいうのだろうか。特にそんなつもりで言った覚えはないが、本当にアンジェリカとの会話は噛み合っているようで微妙に噛み合っていないようなもどかしさをいつも感じる。

「実の所、私は3人の会話を最初から聞いてたんだよね。だからそこに割り込んで話したい内容があるとすれば答えはひとつ。セルフェイス財団がどういう状況にあって、彼らはグリーンゴッドのデータをどこに隠しているのか…それを教えてあげちゃおうという私の粋な計らいっていうわけ。だーかーらー邪険にしたら、めっ!なんだよ?」

 アンジェリカの発言を受けて3人は顔を見合わせる。自分達の求めている答えを今ここで彼女は教えるという。

「条件は?」玲那斗は言った。彼女のことだから無償で教えるなどと言うことは考えにくい。それ相応の対価というものを欲するはずだ。


 しかし、そんな玲那斗の考えとは違いアンジェリカが示した態度は予想外のものであった。彼女はぽかんとした表情を一瞬浮かべた後、戸惑うように言った。

「条件?うーん。これと言って…あ、そうだ。それなら☆」

 アンジェリカはそこで言葉を区切るとゆっくりと玲那斗へと歩み寄り、胡坐をかいて座る彼の足元めがけて迷うことなく腰を下ろした。ちょうど胡坐をかいている真ん中を狙って。

「話が終わるまでの間、このままでいること。おーけぃ?♡」

 想像の斜め上を行く彼女の行動に反応が遅れたが、玲那斗は頷いた。

「分かった。話が終わるまでの間、な。」

「やったぁ☆それでは遠慮なく。」

 条件というにはほど遠いただの要求。甘えさせてくれというわがままの部類だろうか。

 財団支部での待合室のときと同じように玲那斗の足元には彼女の柔らかな太ももの感触がダイレクトに伝わってくる。本人から香る甘い匂いはあの時と同じく冷静な思考を奪うように鼻孔を突いてくるが、なんとなく慣れたのか前ほどの虚脱感は無い。

 だが、少しでも彼女が動くと女の子特有の柔らかな感触が伝わってくるので意識を必要なことに集中しておくのが難しくなる。

 それを知ってか知らずか、意図的か否かはさておいてアンジェリカは背もたれにもたれかかるように、思い切り玲那斗に体を預けるようにもたれかかった。そしておもむろにライオンのカバンからカップのバニラアイスを取り出すと蓋を開けて美味しそうに食べ始めたのだった。

 玲那斗はすぐ傍のイベリスから突き刺すような視線が送られてくるのを感じていたが、その対象が自分ではなく目の前のアンジェリカに向けられたものだと理解していた。

 このプレッシャーを浴びながらマイペースにアイスを頬張ることが出来る神経の図太さもなかなかのものだ。

 どうにも締まりのない空気感が場を包む中、意外にも本題に対する口火を切ったのはアルビジアであった。

「アンジェリカ、貴女は財団のことをどこまで知っているの?」

「んー?全部かな。ことの始まりから “終わり” まで。」

「そう。それなら、彼らが何をどうしたいのかも?」表情一つ変えることなくアルビジアは問う。

「まずグリーンゴッドの使用は本音では止めたい。stop!but、出来ない。だから自分達以外の誰かがそのきっかけを作ることを望んでいる。例えばー…玲那斗が所属する大きな組織、とか。」アンジェリカはアイスを頬張りつつ、抱っこしたぬいぐるみにも見えるライオンのカバンを撫でながら楽しそうに言う。

 それを聞いた玲那斗はルーカスの言っていたことがほぼ正しい仮説であったことを悟る。この勢いのまま聞き出したい内容を聞いてしまうべきだろう。玲那斗は言う。

「停止したい、か。すると財団はグリーンゴッドが持つどうしようもない副作用の可能性についてしっかり承知しているということだな?」

「可能性?のんノン、事実。玲那斗達が調べた通りの効力と効能を持っているんだなー、あ・れ・は。だからそのまま世界中で使っちゃうとちょっと大変かもね☆人類滅亡の危機!」変わらぬ笑みを浮かべて他人事のようにアンジェリカは言った。続けてイベリスが問う。

「財団は薬品の持つ危険性についてまとめたデータを自分達で保管しているのかしら?」

 一瞬だけイベリスに視線を向けたアンジェリカは、前2つの質問と同じようにそのまま素直に質問に答えるかと思いきや、唐突にくるりと後ろへ振り返り視線を玲那斗へ向けて言った。

「ねぇ玲那斗?こんな機会滅多にないから聞いてみるんだけど、今ここにいる3人の中で本当は誰が一番タイプなの?」

 玲那斗は固まった。無邪気な悪意。いや、彼女のことだ。きっと全て理解した上でわざとそういったことを言うのだろう。

 質問を受けて硬直した玲那斗を見てアンジェリカは再度言う。

「こんな密室で美少女3人を侍らせるだなんてわ・る・い・ひ・と、なんだぞ?」

 そう言ってくすくすと笑うアンジェリカを見てたまらずイベリスが口を挟む。

「私の質問に答えてちょうだい。」

 アンジェリカは視線をイベリスに向けて言う。「私は今、玲那斗と話してるのよ?」

 その後、しなだれかかるように玲那斗にべったりと体を密着させながらアンジェリカは続ける。

「この質問に玲那斗が答えてくれたら、さっきのイベリスの質問に答えてあげる☆ それにイベリスだって本当は気になるでしょう?そう、玲那斗が自分のことを本当はどう思っているのかを気にし続けていた貴女なら尚更、ねぇ?」


 イベリスは奥歯を噛み締めた。彼女の言う通り、気にならないといえば嘘だ。否定することが出来ない。

 脳裏にカトリック教会の総大司教を務める彼女の顔が浮かぶ。

 アンジェリカがリナリアに縁を持つ者の力全てを使えるというのなら、他者の心を読むことだって出来るだろう。きっと今この場でそれを証明して見せているに違いない。

 他人が自分を本当はどう思っているのか…それはミクロネシアの地で彼と話したこと。

 人ならざる力を持つ、人の形をした人ではない自分を、周囲の人々が本当はどのように思っているのか。本当はこの世界に存在してはならない存在ではないのか。

 そんな不安を抱いていた自分に対して玲那斗は “必要な存在” だと言ってくれた。化物のような力を持つ自分のことを誰よりも近くでずっと見てくれていた。

 単に自分達の歴史がそうさせているだけではない。彼は1人の人として自分にそう言ってくれたのだ。

 しかし、今この場でアンジェリカが浴びせた質問について彼はどう答えるのか。それを心のどこかで聞きたがっている自分がいる。そして期待してしまっている。自分だと言われることに。

 今この場で考えるにはとても卑しい。そんな感情を抱いてしまっている。


「ほら、気になるでしょう?アルビジアは…あまり気にして無さそうね。」アンジェリカは彼女を眺めて言った。

 イベリスは言う。「分かったわ。私の質問には答えなくて良いわ。」

 彼女の言葉を聞いたアンジェリカは呆気にとられた表情を浮かべて言った。

「ふーん、どこまでも真面目さんなのね。やっぱり。他人を慮るのは良いけど、たまには自分の気持ちに素直にならないと、いつかそれが巡り巡って大切な人を傷付けることになるんじゃなーい?なーんて☆」

 彼女はくすくすと笑いながら続ける。

「よし!じゃぁ “イベリスだよ” と即答してもらえなかった可哀そうな貴女に免じてお答えしちゃおうかな☆」


 アンジェリカはそう言うが、万が一にでも玲那斗がそう発言していたらアンジェリカ本人の機嫌を損ねていた可能性がある。迂闊なことが言えない中で何も言わないという最大にして的確な答えを選択した玲那斗は正しい。

 そして、先程のアンジェリカの煽る言動にしてもただの挑発か嘲り、もしくは良くて戯れといったところだろう。何にしても必要な答えが手に入るのならばこの場においては何でも良い。

「っと…質問何だったっけ?」

 てへっとした表情をしながらアンジェリカは言った。思わず他の3人が脱力してしまうような言葉に誰とはなしにため息が漏れる。

「貴女、本当に真面目に答える気があるの?」イベリスが言う。

「ふっふっふ!愚問だね!私はいつでも本気だしいつでも真面目に自分自身を “演じて” いるんだよ。ところで質問はなぁに?」

 玲那斗は彼女がふと言った〈演じる〉という言葉に少し引っかかりを覚えながらも気にしないように努めた。

 イベリスが言う。「セルフェイス財団はグリーンゴッドの副作用についてまとめたデータをどこかに持っているのかしら?」

「おぉー、そうそう。その質問だった。」アンジェリカは納得したように言って続ける。

「答えはYES。玲那斗とイベリスはラーニーの執務室に大きな絵画があったのを覚えているかしら?」

「ジャン=フランソワ・ミレー作の〈落穂拾い〉か。」玲那斗が言う。

「そう、それそれ。その横にアンティークな装飾がされた箱があったことには気付いかな。あの箱は財団当主であるラーニーが秘密のデータを隠すために使う記憶媒体なんだよねー。特殊なアクセス権限を使用した時のみ中のデータ閲覧が可能になるという優れもの。普通の人間にはおそらくアクセスすることは出来ないんだけど、世界にはいつだって “例外” というものが存在するのだ☆」

「例外?」イベリスは言った。

「イベリスぅ、さっき自分で思ってたじゃない?人ならざる力を持つ人の形をした人でない者。この世界における “例外”。私を除いた貴方達の中ならイベリスだけはあの財団にとってのパンドラの箱を覗き見ることが出来る。見ることさえ出来れば知りたい内容は全て知ることが出来ると思うよ☆」

 人の心の中に土足で踏み入るようなアンジェリカの態度に少しだけ苛立ちを覚えながらもイベリスは自分の聞くべきことを聞くために問う。

「私だけが見ることが出来るの?」

「アクセスする為に必要なものをイベリスだけは作り出すことが出来る。そして作り出した鍵で中身を覗いちゃおう。いわゆるハッキングぅ!だね^^。まぁそれは箱を目の前にしてみたらなんとなく分かることだと思う。明日彼とデートの約束をしたなら箱に近付くチャンスはいくらでもあると思うんだ。きゃっ♡デートですって!ロティーが泣いちゃう☆」

「誰がデートなものですか。仕事よ仕事。私は玲那斗以外の男性とデートはしないわ。それと彼はキャンベルさんにもっと目を向けるべきだわ。」

 イベリスのはっきりした言葉に玲那斗は突然に照れ臭くなって顔を掻く。

「おぉ、おぉ…これが正王妃様の貫禄!眩しい、眩しい、眩しい…!あと、最後の言葉はラーニーに伝えてあげてほしい。ちなみにぃ、さっきから話についてきていない第二王妃様的にはどう思う?」

 アンジェリカははっきりと言い切ったイベリスの返事をとても気に入ったらしい。彼女との会話で初めて無邪気な笑い声を上げながら言った。

「私は、別に。」アルビジアは表情一つ変えることなく淡々と言う。

「あー…こっちもこっちで、うん。そっかー。」

 アンジェリカは悟ったような顔をして頷いた。彼女を抱っこしたような状態のままで玲那斗は言う。

「すまない、アンジェリカ。話が進まないからその辺りで。」

 すると彼女は玲那斗にだけ満面の笑みを返して言う。「うんーわかった☆ でも私がお話しできるのはこれくらいかな。全部話したから頭撫でて?」

 アイスクリームを食べながらアンジェリカは頭を撫でてもらうのを楽しみに待つかのようにニコニコと微笑んでいる。

 玲那斗は横から送られてくるイベリスの刺さるような視線を感じながらどういう行動をすべきか決めかねた。

 アンジェリカに従うべきか、否か。そう思っていたとき、ふいにイベリスが自分から目を逸らした。

 これは “見なかったことにするから彼女に従え” という意味なのだろうか。恐る恐るアンジェリカの頭へ右手を乗せて撫でる。

 髪の方向に逆らわないようにゆっくり、優しく5回。きっと正面のアルビジアからみたら何とも言えない苦い表情をしていたことだろう。

 玲那斗はアルビジアへと視線を向けて見る。その時、予想していなかった彼女の表情が映った。


 アルビジアは明らかに怒りを滲ませた様子でアンジェリカを見据えている。イベリスのように自分が彼女と戯れるのを気にしているとは思えない。他に何かしら理由があるはずだ。

 そしてその答えは直後に彼女の口から直接明かされることとなった。


「アンジェリカ。貴女は嘘は吐いていない。けれど全てを話しているわけでもない。」

 アルビジアが彼女にそう話し掛けた途端、その場の空気が凍り付いたように寒々しいものに変化するのが感じられた。

 あまりの変化にイベリスも視線をアンジェリカへと向けて警戒を露わにする。

 玲那斗、イベリス、アルビジアから視線を浴びせられた彼女は必死に笑いをこらえるようにクスクスと声を漏らしながら肩を震わせている。

 アルビジアは言う。「私が管理区域を破壊しつくしたあの日の夜、貴女は私に言った。 “グリーンゴッドは自分が財団に渡した物” だと。」

 その言葉に玲那斗とイベリスは息を呑んだ。彼女は話を続ける。

「全ての元凶であるのは貴女で、財団も本当は貴女の掌で良いように踊らされているだけ。だからこそ、“本当は薬品の使用を止めたい” という状況になっているのでしょう?きっと貴女は最初に彼らに “言わなかった”。薬品がもたらす悪夢のような副作用のことを。」

 アルビジアがそこまで言い終えるとアンジェリカはふっと顔を上げて目を見開きながら、嘲笑を滲ませた甘ったるい声で言った。

「せいか~い★」

 アンジェリカの周囲からおぞましさを感じさせる空気が漂う。ピリピリと張り詰めたような嫌な感覚。死を想起させるような見えない重圧。

 その場にいる誰もが意識していなかったが、今この場は紛れもなく “彼女の空間” である。絶対の法によって構築された場所。つまり、アンジェリカの気分次第で何をどうとでも出来る土俵の上。

 彼女が発する息苦しさを伴う圧力が、その場の全員にそのことを思い出させた。

「今ここで私達に協力しようとする貴女の本当の目的は何?」アルビジアが問う。

 アンジェリカはゆったりとした口調で答える。

「何って、決まっているじゃない★貴女と機構と財団と…それらが互いに争って誰かが幸福の絶頂から転がり落ちる瞬間を楽しみたいだけ。今回の場合は財団当主様とその側近さんになるのかな。あの夜にも言ったはず、だよ?その為にこの土地の自然がどうなろうと、野生動物がどうなろうとも私にはミジンコほども関係のないことだしぃ?」

「違う。それは副次的なことに過ぎない。根本的にもっと明確な理由があるはず。」

 俄かにアルビジアの瞳が淡い緑色に輝き周囲の大気がざわつきはじめる。先日から募っている憤りがアンジェリカに対して向けられている。

「これさー、ここで言うの2回目なんだけど、貴女までお爺ちゃんの家を吹き飛ばすつもり?そこで貴女が力を振るって、私がそれに対して何かしら行動をしたらお爺さんが大切にしてきた家が木っ端みじんだよ?貴女にとっても “大切な想い出” なんでしょう?」

 アンジェリカは人の心の内とその過去を読み通した上で嘲笑うように言った。その瞳は光を失くし、深い暗闇の底へと誘うかのような暗さで満ちている。

「本当に〈絶対の法〉で隔離されているなら家が吹き飛ぶことはない。」

「そーれーは、私の気分次第、なんだよ?」見開いた目に悪意の笑みを浮かべた表情でアンジェリカは言う。

 睨み合う2人を見てイベリスも身構えた。今この場で彼女達が争うことは避けなければならない。そうなればアンジェリカのすぐ後ろに座る玲那斗にも確実にとばっちりが及ぶだろう。

 そう思いイベリスも能力の発動態勢に入ろうとした時だった。

 威厳を感じさせる声で玲那斗が言う。

「ストップ。今アルビジアが教えてくれた事実を加味したとしても、この場で俺達が争うことに意味はない。」玲那斗は左手を2人の間に差し出して制止したのだ。

 今の様子にアンジェリカは少し意外そうな表情を見せつつ、すぐにまた嘲るような顔をして言った。

「玲那斗優しぃ☆私が諸悪の根源だって知って尚、咎めようとしないの?」

「それで全てが解決するならそうするかもしれない。今と言う時が1年前であればそれも良いだろう。でも、今大事なのは財団のグリーンゴッドによる自然再生計画の中止と薬品の即時使用停止。加えてお爺さんをここに帰してもらうことだ。アルビジアの憤りはもっともだし尊重されるべきものだけど、それを発散するのはもう少しだけ後の話になる。」

「だって?第二王妃様。」

 煽るように言ったアンジェリカに対し、玲那斗は右手で手刀を作ると彼女の頭をこつんと軽く小突いた。

「いてっ;;。ぴぇん。」

「こら。言ってる傍から煽るんじゃない。目の前にいたのがヴァチカンの彼女だったら今頃君は大変なことになってるぞ。我慢してくれているアルビジアに感謝しないとな。」

「うげぇ…><」

 アンジェリカは脳裏に総大司教の顔が浮かんできたのか、それまでの笑顔を一瞬で消し去り、心底嫌そうな顔をした。

 そして玲那斗の脚の上からすっと立ち上がると煙を解いたように一瞬でその場から消え、部屋の隅まで移動して言う。

「もう少し長くお話したかったけれど、この国の天気より話の雲行きが怪しくなったから私はこの辺りで失礼するねー☆話すことも話したし、それを元にどうするのかは貴方達しだい。私は私の見た未来が実現されることを楽しみにしてるねー、ばいばーい☆」


 紫色の煙を散らしながらアンジェリカは姿を消す。同時に周囲に香っていた甘ったるい匂いも彼女の気配も消え去った。

 嵐が去る。ダストデビルよりも質の悪い最凶の嵐だ。

 ようやく深く息を吸い込めることに安堵しながら玲那斗は大きな溜息をついた。

「聞くべき情報は聞いたけど、話の方向を整えるのが難しいな。まるでハンドルのついていない車を力業でまっすぐ走らせるような感じだ…アルビジア、すまない。君の怒りはもっともだし、アンジェリカは反省して然るべきだと思う。耐えてくれてありがとう。」

「私の個人的な気持ちより、お爺様の方が大切だから。」

「そうか。」玲那斗は彼女の答えを聞いてほっとした。呼吸を整えながら話を続ける。

「最後の相談だ。財団は故意に副作用の情報を秘匿したまま計画を進めているという可能性は非常に高くなった。あとはその情報をどうやって入手するかだが、当初の考え通り盗むことにしようと思う。」

 玲那斗の発言にイベリスとアルビジアは驚きの表情をした。

「盗むといっても英国政府の正式な調査要請が出た時点で協定により合法となる。まったくもって非合理な力業ではあるけど、根拠となるものを確かめないわけにもいかない。財団が計画を止めたいというなら進んで開示してくれれば良いと思うが、自分達にのしかかる責任割合の増加を恐れてそうはしないだろうからね。」

「それで、どうするの?」気乗りはしない様子だが、半ば諦めも含めてイベリスが言う。

「一芝居打とう。以前と同じように俺がイベリスを財団へと連れて行く。イベリスは財団に到着したら、最初は前と同じように普通にセルフェイス氏と話してくれるだけで良い。次にアルビジア、君の出番だ。」

「私、ですか?」首を傾げながらアルビジアは言う。

「ものすごく小規模で良い。誰にも被害が及ばない程度のダストデビルを財団支部の庭園で発生させてほしい。そうしたら俺が庭園内で発生したダストデビルについて観測調査をしたいと申し出る。隊長やルーカスにも手伝ってもらって、庭園内のダストデビルについての報告を上げ続けるんだ。これをしつこく行えばそのうちセルフェイス氏本人が俺達の方に顔を出さざるを得ない瞬間が来るだろう。」

「そのタイミングで私がデータをチェックすれば良いのね?」

「その通り。けど、すまない。一番嫌な役回りをさせてしまうことになる。」

「謝らなくて良いのよ。機構に所属している以上、私にも上官の指示に従う義務がある。そうでしょう?中尉殿。」イベリスは精一杯の微笑みを浮かべて言う。

「本当にすまないな。」申し訳なさそうに玲那斗は言った。続けてアルビジアも言う。

「イベリス、ごめんなさい。私のわがままで貴女にそんなことを…」

「もう、みんなに謝られてばかりだととってもやり辛いわ。」イベリスはわざと膨れた様子で言った。

「話の成り行きで盗むとは言ったが、そうならないような策はある。大丈夫だ。とはいえ、色々と際どいところだからな。後で埋め合わせは必ず。」玲那斗が言う。

「そう?なら、さっきアンジェリカが言っていた質問の答え、教えて頂戴ね?」悪戯な笑みを浮かべてイベリスは言った。

〈君に決まってるだろう?〉そう言いかけたが、玲那斗ははぐらかすように話をまとめる。

「さて、作戦は以上だ。懸念事項はアンジェリカの動向だが、そこは気にしてもどうしようもない。今話した内容は俺から隊長たちに伝達しておくよ。」

 イベリスとアルビジアは静かに頷いた。

 こうしてアルビジアと機構の共同作戦は整えられた。翌日になれば全てがはっきりする。ある意味では世界中に存在する環境保全の将来に関わる重大な案件だ。

 それぞれがそれぞれの想いを心に抱き、作戦会議と話し合いは終わりを告げたのだった。



 そんな中、玲那斗とイベリスの2人の様子を眺めていたアルビジアだけが気付いていたことがある。

 アンジェリカが玲那斗にべったりと甘えている間、イベリスが玲那斗の制服の裾をしっかりと右手で掴んでいたことを。そして彼女の行動には気付いていないながらも、視線の動かし方で常に玲那斗がイベリスを気にかけていたということも。

『誰が一番タイプか』というアンジェリカの質問はきっと愚問であった。

 そんなことは答えるまでもないのだ。2人の間には確固たる信頼と絆と愛情が結ばれている。そう、大人の事情で第二王妃の座に宛がわれた自分になど到底及ばないほど強く、固く。

 アンジェリカへの返事に偽りは無かったが、目の前の2人を見ていて思ったことはある。


 その絆の在り方が〈羨ましい〉と。



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