第26節 -財団の思惑-

 時計の針が午前10時を指し示す。セルフェイス財団支部の応接室ではラーニーとジェイソンがテーブルを挟んで向き合って座っている。


 部屋に柑橘系の豊かな紅茶の香りが広がる。テーブルには焼き菓子まで用意されており、この会合の場は友人同士が語らうような、優雅なお茶の時間を楽しむ為のものかと錯覚するほど穏やかなものだ。

 財団に連れて来られたジェイソンは、この場が自分に対して聞きたいことを聞きだす為の事情聴取の場だと思っており、もっと殺伐としたものを予想していた為に非常に面食らっていた。

 財団の当主であるラーニー・セルフェイスは気さくで穏やかで、非常に物腰の柔らかい好青年のように見える。少なくとも彼と今日初めて出会ってから今までの間はそうだ。

 正直な所、若くして財団当主となった彼のイメージはもっと今どきの若者らしい斜に構えた感じか横柄なものだろうと勝手に思っていた。

 親が築いた資産を受け継いで、特に理念もなくのらりくらりと組織を運営しているような輩を創造していたが、どうやらそれは大きな誤解だったようだ。

 これが何らかの意図を持って “敢えてそのようにしている” のか、それともこれが普段と同じ彼なのかは分かり兼ねる。だが、人というのはそんなにころころと自分を偽れるほど器用なものではない。

 長年生きて来て思うことは、常日頃からの積み重ねがその人を形作るということである。彼の今のような所作や対応というのは一朝一夕で身につくものではない。きっとこれが “普段の彼” そのものなのだろう。

 人を見る目には自信がある方だったが、彼という人物を見ていると些かおごりがあったのではないかと自身を恥じ入るような気持ちにもなってくる。


 穏やかな表情でラーニーが言う。

「生前の父がよく言っていたことがあります。“どの雲にも銀の裏地がついている” 。僕が何かに失敗した時や落ち込んだ時は必ずと言って良いほどそう言ってくれました。」

「災難の中にも希望はある、ですな。」ジェイソンは言った。

「そう。何かアクシデントや思いも寄らない失敗があっても、その中を覗けば悪いことばかりではないと。だからかもしれません。身の回りで何が起きても僕は深く悲観的に考えるということをいつしかしなくなりました。」

「素晴らしい御父上だったのですね。」

「本当に。飾られた芸術品について語る時、話が長くなるのが玉に瑕でしたが。」

 そう言ってラーニーは笑った。


 財団支部へ連れて来られてから既に数時間はこのようなやり取りが続いている。庭園を共に歩いたり、屋敷の芸術品を眺めて見たり、そして今は昔話に花を咲かせてお茶を囲むという具合だ。

 今朝、彼の直属の執事であるサミュエル・ウォーレンが自身に渡してきた書簡にはここ最近のダストデビル事件のことについて話が聞きたいと記されていた。

 故に、おそらくアルビジアのことについて詳しく確認したいことがあるのだろうと思っていたのだが、今のところはとんだ肩透かしだ。

 目的も見えない会話に付き合いながら、彼の本心や意図がどこにあるのか探ろうとするものの、彼はまるでそういったものを見せようとしない。

 純粋に自分との他愛のないやり取りを楽しんでいるだけのように見える。


 あまりの肩透かしぶりにジェイソンが気を緩め、手元の紅茶を飲んで再びテーブルへ置く。いつまでもこういった会話が続くだけなら折を見て帰る算段をする必要も出てくるだろう。又は本当の目的がどこにあるのかこちらから尋ねる必要があるのかもしれない。

 そう思った時だった。ラーニーがさりげない口調で言った。

「他愛のないお話に付き合って頂いてありがとうございます。ところで、今日この場に貴方をお連れしたのは書簡に示した通り、最近我々の管轄する特別管理区域を襲っていたダストデビルに関することについてお話を伺いたいと思ったからです。」

 ようやく来た。彼らが本当に話したい内容についての言及だ。

 ジェイソンは言う。「先日の管理区域管制塔の崩落はニュースで拝見しました。怪我人はいらっしゃらなかったようで何よりです。」

「ご心配頂きありがとうございます。夜ということで管制塔には1人の職員しかおりませんでした。その職員は被害に巻き込まれ、崩落時に気を失いこそしましたが、特に怪我もなく今は回復して元気な姿を見せています。彼が無事で本当に良かった。」

「今朝、ウォーレンさんから頂いた書簡には先にお話されたようにダストデビルのことについて話があると記載されていました。もちろん、協力は惜しみませんが…しかしながら、私に何かお伝え出来ることがあるのかどうか。」

「そうですね。モラレスさん、貴方はメディアを通じてダストデビルの被害のことをある程度ご存知なようだ。であるなら単刀直入にお伺いしたいと思います。この一連の事件についてどう思われますか?ただニュースで流れてきた話を聞いて感じられたことで構いませんのでお話を頂ければと思います。」

「端的に申し上げれば “不思議だ” という一言でしょうな。」ラーニーの質問にジェイソンは答えた。

「ほぉ。不思議、ですか。」

「えぇ。長年この辺りの地で暮らしてきましたが、過去にここまでダストデビルが発生したということはありません。発生していたとしても人目に触れなかっただけなのかは分かり兼ねますが、メディアが取り上げるほどのものとなると記憶にはありませんな。今年は些かそういった回数が多いというのが感想です。」

「確かに、おっしゃるとおりです。 “今年に限って” 数が異常に多い。それも我々の管理区域付近にばかり集中しています。自然現象なのでなぜかと言われると困ってしまいますが。」

 ラーニーはそう言うと手元のカップを持ち上げて紅茶を飲んだ。そしてクッキーを手に取って食べた後、ホログラムモニターを起動してとある映像を映し出しながら言った。

「今日貴方にここへお越しいただいたのは他でもない。貴方と一緒に暮らしているという彼女についてのお話を少し伺いたかったからです。」

 映像に映し出されたのは紛れもなくアルビジアの姿であった。

「件のダストデビルが起きる直前や直後にですね、必ず彼女の姿が見受けられるのです。我々としてはこれがとても不思議で。もしや彼女はダストデビルの発生を予知できるような才能をお持ちなのでは?」

「まさか。そのような才があるならばあの子は今頃優秀な気象予報士としてメディアに引っ張りだこになっていることでしょう。」

「ははは、まったくおっしゃるとおりです。失礼しました。今のは冗談です。しかし、彼女がダンジネス国立自然保護区を頻繁に訪れていらっしゃるというのは事実。彼女がこの場所に訪れる理由について聞かれたことは?」

 ラーニーの質問をジェイソンは少しばかり考えた。どこか試されているような気配を感じたからだ。

「あの子は自然がとても好きなんです。長年に渡ってずっとこの辺りに出掛けては遠くの景色を眺めるのが日課なようです。この季節だと、野鳥の観察も出来ますからね。それを楽しむために足を運んでいるのでしょう。」

「それは素敵だ。自然を愛する者同士、良い語らいが出来そうです。」

「語らいとなるとどうでしょう。あまり話したがる子ではありませんから。ただ目の前に広がる景色をじっくりと眺めて楽しむというタイプですし。そういえば、最近は野鳥の声がとんと聞こえなくなったと言っていました。それがとても寂しいのだと。」ジェイソンは言う。

 その時、 “野鳥の声が聞こえない” という言葉を聞いたラーニーが一瞬表情をこわばらせたように見えた。気のせいだろうか。

「そういう年もあるでしょう。野生の動物たちは勘が鋭いですから。例のダストデビルが発生するかもしれないと勘付いて、この辺りに近付かなかったのかもしれません。」

 余裕を感じさせる爽やかな笑みは先程とまったく変わりないが、声のトーンは先程よりも僅かに落ち着いたものになっているように感じられる。

 するとラーニーは体をやや前のめりに屈めてジェイソンに少し近付いた姿勢でこう言った。

「モラレスさん、ここからは少し変わった質問をさせてください。この映像に映る彼女。名をアルビジア・エリアス・ヴァルヴェルデと言いますね?非常に珍しい名前です。英国の姓ではない。そして貴方の親族というわけでも無さそうだ。であるなら彼女は一体どこの誰なのでしょう?」

 ラーニーのこの質問を聞いた瞬間、ジェイソンは体中の毛が逆立つのを感じた。出来ることなら避けて通りたかった質問。だが、この場で真っすぐにこの質問を浴びせてくるということはある程度彼女のことについて調べ上げた上でのことだろう。下手な嘘は逆効果だ。かといって全て本当のことを話すわけにもいかない。

 当たり障りのない落としどころを探りながら答える。

「セルフェイスさん、おっしゃっている質問の意図がよく分かりません。彼女は私の家族です。長い時を一緒に暮らしてきました。もちろん、おっしゃる通り血の繋がりこそありませんがね。」

 一通り考えてはみたものの、どうあがいてもまともな回答とは言えない答えしか出来なかった。しかし、その返事に対する彼の言葉は予想とは異なるものだった。

「失礼しました。噂で彼女の名を聞き興味が湧いたのです。スペイン語圏の姓ですし、お名前にしてもとても珍しいものですから。」

 やけに含みのある言い回しで言う。追求しようと思えばいくらでも追及できることであるにも関わらず、それ以上踏み込んで来ようとはしない。

 やはりこちら答えを吟味しながら試しているようだ。進めば進むほど足を取られる沼地へと誘うように、じっくりと。

 この調子で会話を続けられるのは本意ではない。出来る限り早めに切り上げた方が賢明だ。

 焦りを感じたジェイソンは彼との会合を終わらせる為に言う。

「ダストデビルの件について、特に質問がないようであれば私は家に戻らせて頂きたい。少しやらなければならないことも残っていまして。」


 すると、その言葉を聞いたラーニーは満面の笑みを浮かべて言った。


「いいえ、モラレスさん。そういうわけにはいきません。我々は、まだまだ貴方に聞いておくべきことがたくさんあるのですから。」

 ジェイソンの背筋に悪寒が走る。心拍数が徐々に上昇していくのを感じる。

 分かっていたことではあるが、いざその時が訪れるとこうも心を乱されるものなのだろうか。穏やかに微笑む人間の笑顔がこれほど恐ろしいと思ったことはない。

 そんなジェイソンの内心をよそにラーニーは言う。

「具体的には貴方と彼女の関係についてではありません。単純に彼女という人物について、もっと深くお伺いしたい。もう一度お尋ねします。」

 そこで一呼吸ほど言葉を区切り。体を前のめりにしながら囁くようにラーニーは言った。


「そもそも、彼女は一体どこの誰なのでしょう?」


                 * * *


「穢れ無き花は謳う罪の在処を。狂い咲く願いに焦がれ星を見つめる。」

 アンジェリカは鼻唄を歌いながら財団支部の廊下をスキップで進んでいく。全ては自分の思惑通り、計画通り、理想通り。

「回るー回るー運命の歯車☆狂うー狂うー運命の歯車☆月を惑わす星が悪い☆」

 楽しそうに笑い、無邪気にはしゃぎながら足取り軽く廊下を突き進む。

 アルビジアのことも機構のことも財団のことも。最初から思い描いていた完成図を目指して、ひたすら調子よく結末に向かってことが運んでいる。そのことがたまらなく嬉しい。

 太平洋の島国では最後の最後で計画を楽しめなくなってしまったが、ここではそんなことも起こらないだろう。

 おそらく明日で全てが終わる。財団の命運も、ジェイソンとアルビジアの時間も。

 そして残るものは世界に対する “混沌” だけ。グリーンゴッドがもたらすはずだった明るい希望が取り返しのつかない絶望に変わる瞬間。

 幸福の絶頂にあるものを奈落の底へと叩き落す瞬間。その表情というのは何度見ても面白いものだ。


 こんなはずではなかった。

 こんなことになるとは思わなかった。


 何か悪いことが起きた時、誰もが口を揃えてそう言う。まるで事前に打ち合わせでもしたかのように決まって。

 しかし、その結末に至るまでの道のりを選択してきたのは常に自分自身なのだからしようがない。

 最初から誰も “強制” などしてはいないのだから。


 頭の中で翌日のことを考えつつ、アンジェリカはいつもにも増してうきうきとした足取りで廊下を進む。

 突き当りの角に差し掛かり、勢いよく廊下を曲がった時だった。支部の中では見慣れたある人物とばったり遭遇する。

「鼻唄まで歌って随分とご機嫌ね?アンジェリカ。何か悪いことでも企んでいるのかしら。」

 アンジェリカとほぼ対極の様相を浮かべたシャーロットは、冷めた視線を彼女に送りながら言った。

「辛辣ぅ☆ いつもいつも出会い頭にそういう物言いは、めっ!なんだよ?さすがの私でもテンション下がるんだから。」ウィンクをしながらピースサインを右目にかぶせるように当ててアンジェリカは言った。

 その様子を見るからにテンションが下がっているとはとても思えない。

「あら、いつもとは違う言葉を選んだつもりだったけれど。やっぱりこう言うべきだったわね。ここに何の用かしら?」

「お約束ぅ☆ でもそれはもう言われ過ぎて慣れちゃったんだなー。うん、でもね、でもね?何の用かと聞かれたら、 “もうすぐ用事は終わる” って答えちゃう。」

「どういう意味?」

「言葉通りの意味だよ?具体的には明日には、ね♡」

「相変わらずよく分からないわね、貴女。まぁ、理解しようとしてはいけないのでしょうけど。」

 眉ひとつ動かすことなく言うシャーロットに対し、アンジェリカは相も変わらずニコニコと満面の笑みを浮かべている。

 そして深い溜め息をつく彼女の元へ短いスカートをゆらゆらと揺らしながらゆっくりと歩み寄り、シャーロットの顔を覗き込むようにつま先立ちをして言った。

「気持ちを理解されないことほど辛いことはないもんね?☆」


 その言葉が自身に対する挑発だと悟ったシャーロットであったが、相手にするだけ時間と精神力の無駄だとすぐに気持ちを切り替えて受け流す。

「応接室を通りすがった時に聞いたんだけどね、ラーニーはアルビジアまで財団に引き入れようとしているみたいじゃない?イベリスといい、アルビジアといい、彼は可愛い女の子に目がないタイプなのかにゃー☆2人とも、絶世の美女…!と言って差し支えないもんね?ナイスバディだし。うん、ナイスバディだし。」

 アンジェリカは自身の胸に手を当てながら不満そうに繰り返した。

「嘘ね。応接室の外に声は聞こえないはずよ。貴女、室内で盗み聞きしたのではなくて?」安い挑発に乗らずにシャーロットは言う。

「それはまるで忍者!おー、じゃぱにーず から☆くり!でも私は欧州生まれの欧州育ち、だーかーら…なんていうんだっけ?忘れた!あははははは☆ただ、ラーニーがアルビジアにも興味を持っているっていうのは本当本当。多分まだあのお爺さんには話してないけど、それはトゥルース。とらすと・みぃ。」


 いつものことだが、とても真面目に話をしているとは思えない。アンジェリカのふざけた態度に合わせれば疲弊するだけだ。用事が終わったという物言いは気になるが、早くこの場から離れた方が賢明だろう。

 シャーロットは話し掛けたのが間違いだったと猛省しながらこの無意味な対話を終わらせにかかる。

「楽しそうで何よりね。私は仕事があるから失礼するわ。」そう言ってアンジェリカの横を通り抜ける。

 通り過ぎて少し歩いたところで後ろからアンジェリカが言う。

「ねぇねぇロティー?貴女は自分の本当に大切なものの為に、一体どこまで自分を犠牲にすることが出来るのかな?」

 彼女の言葉に一瞬足を止めて考えたが、すぐに意味のないことだと思い何も答えずにその場を立ち去った。


 シャーロットが立ち去った後の廊下にただ1人で立つアンジェリカは嗤う。

 信じているもの、大切なもの、守りたいもの。そうしたものの為に一生懸命になる人間が “報われない瞬間” というものも実に甘美な味わいだ。

 明日の刻限に至って、彼の前に立つであろう彼女がどのような結末を迎えるのか。

 どんな顔でどんな悲鳴を上げるのか見ものである。

 笑顔で見開いた目の奥に想像した景色を浮かべながら、これから訪れる未来が枝分かれする可能性の先を思う。


 きっと。きっと、彼女は “面白い” ものを見せてくれるだろう。



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