第24節 -第二王妃-

 草木も眠る深夜。厚い雲が漆黒の帳となって夜空を包み込む。明かりを消せば外と同じ闇が部屋を覆う。

 静かに眠る玲那斗の傍らで、いつものようにイベリスは座り彼を見守る。


 人である彼には眠りが必要だが、肉体を失くし人の形をしているだけの自分にはそれは不要なものだ。その代わり、彼の安らかな寝顔を毎夜眺めるという行為が必要になっている。

 千年もの間待ち続けた人の傍らで共に過ごすということ。この奇跡をどんなに僅かな時間でも絶え間なく感じ続けていたいと思う。


 イベリスは彼がアンジェリカと遭遇したという話を頭で思い返していた。

 ミクロネシア連邦へ調査活動に赴いた時、自分と彼は彼女に殺されそうになっている。万が一、今日の彼女が “その気” であったなら…今この場に彼は存在しなくなっていたかもしれない。いや、人ならざる異能を使う彼女相手に玲那斗が出来ることは無い。運命の歯車というものが少しでも狂っていたのなら、今自分の傍らの彼は確実に存在しなくなっていただろう。

 不安と恐怖と悲しさが押し寄せてくるような言い表せない感情が湧き上がる。同時に彼が今もここにいるという安堵がそうした負の感情を鎮めていた。

 アンジェリカの目的は何なのか。彼女はミクロネシアの地で何をし、どうして今この地へいるのか。そして彼女の行く先々に自分達が引き寄せられ、自身と繋がりを持つ人々と出会うことにどんな意味があるのか。

 ロザリア、アイリス、アルビジア、アンジェリカ。これまで出会った人々を思い出す。皆、亡国の忘れ形見。本来この世に存在してはならない現実世界の異物。

 自分を含めた存在に意味があるとしたら、それらが指し示すものは何なのだろう。答えの出ない問答をイベリスは思考する。


 最近になってどうにも心が落ち着かないことが増えた。

 何かとてつもなく大きな変化が起きようとしている。それは一つの国の一つの地域で起こるようなものではなく、文字通り世界中を巻き込んだ何かだ。

 人と言う存在の枠組みから外れたからこそ感じる不穏な感覚。これがただの思い過ごしや勘違いであることを願う。

 今、自身のすぐ傍で眠る彼の身に何も危険なことなど迫ってほしくはない。


 イベリスは窓の向こうに広がる一面の暗闇を見据え、この奇妙な感覚が間違いであることを祈った。


                 * * *


 夢。それは自身が内包する過去の記憶を呼び起こす深層心理の世界。

 その景色は全て虚像。しかし自身の記憶や感情によって形作られる景観は “現実” のものである。

 玲那斗は久しぶりの夢を見た。長い間、夜眠る時に夢らしい夢など見ていなかった。

 元々夢の内容をつぶさに覚えているタイプでもない為、例え夢を見たとしても朝起きたら忘れていることが大半なのだろう。

 しかし、どうやら今日の夢は起きても忘れられそうにない。

 遠い昔。およそ千年を遡った昔のこと。まだ自身の中にいるレナトの魂が肉体を持ってこの世に存在していた頃の記憶が見せる夢。

 彼と彼の両親が会話している様子を自分は俯瞰している。そしてそのすぐ近くには “彼女” とその両親の姿があった。



 夢が映し出す景色は豪華な装飾に彩られた一室である。おそらくはレナトの屋敷の応接間だろうか。

 その室内の中央に置かれたテーブルを囲むように6人が向き合って座る。雰囲気から察するにとても重要な話をしているらしい。

『…つまり、イベリスに万一のことがあった場合は君がその役目を果たすことになる。我が国の新たなる礎を築く上で重要なことだ。第二王妃、アルビジア。良いね?』レナトの父が言う。

 言い渡された少女は表情を変えることなく頷いて返事をした。『はい。』


 第二王妃。リナリア公国における新王妃候補の二番目を意味する言葉。レナトとイベリスの婚姻は両家の意思に基づく政略結婚という体裁ではあったが、実質的な自由恋愛の末の婚姻でもあった。しかし、これは違う。

 正王妃となるイベリスに不測の事態が起きた時、その代理を務める者としての役割を負わされた少女。そこに自由な意思は無く、実質この決定に彼女自身の気持ちなどどこにも配慮されてはいない。

 それが時代だったといえばそうなのだろう。しかし、半分当事者である自身の目から見るとなんとも残酷な宣告とも感じた。


 次の瞬間、夢は別の情景を映し出した。

 森の木々に囲まれた穏やかな円形の広場。とても見覚えのある場所である。

 マークתがリナリア島へ調査へ訪れた際、最後に足を踏み入れた場所。星の城と呼ばれた場所から森の小路を抜けた先に広がっていた神聖さを帯びた空間。その中央に彼女は立っていた。

 小路から歩いてきたレナトがアルビジアへと近付く。そして彼は声を掛けた。

『今日もここに来てたんだね。』

 彼女は言葉を発することなく静かに声の方向へ振り返った。そして彼を横目に捉えた後は再び向き直り、森の木々を見つめて言った。

『この自然が好きですから。』

 レナトは彼女の隣まで歩み寄る。それを見たアルビジアはゆったりとした口調で言う。

『彼女の傍に、居なくて良いのですか?』

『会いに行ったんだけど、イベリスは今勉強中でね。しばらくは会えそうにない。』

 レナトの言葉を聞いたアルビジアは彼に視線を向けて言った。

『その間に、他の女と逢瀬だなんて悪い人。』とても淑やかで甘美さが感じられるような声で囁く彼女にレナトは慌てた。

『いや、違うんだ。そういうつもりではなくて。』

 レナトの慌てぶりにアルビジアは僅かに微笑む。そのような冗談を言うタイプだと思っていなかったレナトは心底驚いたが、落ち着きながらここに来た理由を彼女へ話す。

『ずっとさ、イベリスが君のことを気にしていたから。』

『彼女が?私のことを?』

『父上達が勝手に決めた話のことだ。イベリスは自分の至らなさが君の自由を束縛してしまうことになるかもしれないって気にしていてね。』

 するとアルビジアは表情を和らげながら言った。

『お優しい方なのですね、彼女は。そしてとても心の強い方。誰もが言うように、この国を照らす光足り得る素質を持たれている。』

 そう言った彼女は視線を再び木々の方へと向けて言う。

『でも、少し苦しそう。』

 アルビジアの表情は先程より憂いのある悲し気な表情であった。レナトは彼女の言葉の意味を理解している様子だ。彼は言う。

『君に尋ねてみたいことがある。父上達が決めたことを、君自身が本当はどう思っているのか。』

 レナトの言葉を聞いたアルビジアはしばし考えを巡らせる様子を見せたが、すぐにレナトへと向き直って言う。

『私は…』

 彼女が言葉を紡ごうとしたその時、唐突に夢の場面は変わる。


 映し出された景色は海だった。しかし、眼前に広がっていた光景は燃え盛るリナリアの自然と破壊される直前の星の城である。

 レナトは遠くの島に向かって泣きながら何かを叫んでいる。その傍らには金色の髪に美しい赤い瞳をした少女がただ声を押し殺して泣いて震えている様子が見える。

 あの崩れゆく城の中でイベリスは燃え盛る炎に包まれて死んでいったのだろう。

 リナリア公国の終焉。滅亡の瞬間。西暦1035年に迎えた最後の景色。

 あまりの光景に夢の中で過去の歴史を俯瞰していた玲那斗はそっと視界を閉ざす。そこで思考は停止した。


 それからどれだけの時間が経ったのだろう。玲那斗はふと目を開く。窓の外は既に明るくなっており朝の訪れを告げていた。

 すぐ傍らから香る優しいキャンディのような甘い香り。ふわりと香る匂いに包まれると言い知れぬ幸福感が全身にわき上がってくる。

 隣で座り佇む彼女が目覚めの挨拶をしてくれる。

「おはよう、玲那斗。」

 玲那斗は寝ぼけまなこをこすりながら返事をする。

「おはよう、イベリス。もう朝か。」

「そうね、もう朝よ。珍しくうなされていたけど悪い夢でも見たの?」心配そうな表情でイベリスは言った。

「遠い昔の夢だ。君に会いに行こうとして会えなかった彼の、ね。」

「そういう時もあったわね。たまに勉強をすっぽかして抜け出して貴方に会って、後でお父様とお母様に酷く叱られたこともあったわ。決まってその後はなかなか会えなくて。」

「君には会えなかったけれど、彼女とは会えた。広場で佇むアルビジアと。」

 それを伝えた時、玲那斗は夢の中でアルビジアが冗談を言ったように、イベリスにまた呆れられるのではないかと思ったが返ってきた反応は違うものだった。

「私がレナトにずっと言っていたの。あの子の本心がどうなのか気になるって。私と貴方のように互いが望んだ末の結果ではなく、あの子にとってはただ周囲の大人達に言われて従うしかなかったという結果だったから。」

 イベリスは部屋の壁に視線を映し、珍しく空虚な瞳で言った。

「あの子は、何か言っていたかしら?」

 玲那斗は夢で彼女と話した内容を包み隠さず伝えた。

「いいや。彼女が何かを言おうとした時、リナリアの最後の景色に変わったから。何も聞けなかったよ。」

「そう。」寂しそうに一言だけ彼女は返事をした。


 外は今日も厚い雲に覆われている。夜が明けて朝が来ても、大地に日の光もあまり届かない空模様は今の自分達の心の模様をそのまま映し出しているように感じられた。

 イベリスは壁に向けていた視線を外して立ち上がって言う。

「さぁ、起きて。準備をしないと。」

 時計の針は午前7時を回ろうというところだ。彼女の言う通り、そろそろ準備をしないと朝のミーティングに出遅れることになる。

 玲那斗は大きな背伸びをして上体を起こすとベッドから出て朝の支度にとりかかった。


                 * * *


 4月23日 同時刻。ジェイソンの自宅の呼び鈴が鳴り響く。

 前夜からどうにも寝付くことが出来ず、朝早くから起きていたジェイソンはついにこの時が来たと悟った。

 おそらく財団の人間がやってきたのだろう。目当ての対象は自分なのかアルビジアなのかは分からない。

 2回目の呼び鈴が鳴った時、アルビジアが玄関に向かって歩き出したがジェイソンはすぐに制止する。

「待ちなさい、アルビジア。私が出よう。お前は自分の部屋に戻っていなさい。良いかい、しばらく部屋の外には出ないように。良いね?」

「はい。」いつもとは違い明らかな不安げな表情を浮かべながらアルビジアは返事をする。そして躊躇いがちに後ろを振り返ると自分の部屋に向かった。

 彼女が自室へ引き返すのを見届けたジェイソンは満を持してインターホンで応答する。

「はい、どちら様でしょう。」

 すると外から礼儀正しい老男性の声が返ってきた。

『セルフェイス財団より使者として参りました。サミュエル・ウォーレンにございます。ラーニー・セルフェイス氏からの書簡を持って参りました。』

 つい昨日この家に訪れたあの男性だ。書簡を持ってきたということは何か伝えたい内容があるということなのか。それとも…

 予想通りの人物の来訪にジェイソンは覚悟を決めて玄関へと歩き扉を開ける。

 開かれた玄関ドアの向こうには昨日と同じように格式高いスーツに身を包んだ彼の姿がある。こちらが口を開く前に彼は言う。

「おはようございます。モラレス様。早朝より不躾に押しかけてしまい大変申し訳ございません。しかしながら本日は貴方様にどうしてもご協力頂きたいことがあり馳せ参じた次第にございます。」

「協力、ですか?」訝し気な視線を送りながらジェイソンは言う。

「左様にございます。こちらは我ら財団当主、セルフェイス氏より預かった公式書簡です。今、この場でご一読ください。そうすれば我々の目的がお分かりになるはずです。」

 ジェイソンはサミュエルから手渡された書簡の封を切り広げて読む。


 一通り内容を読み終わった後でサミュエルに向かって言った。

「分かりました。貴方に同行しましょう。」

「ご協力に感謝いたします。では、30分後にお迎えに上がりますので、準備をなさってくださいませ。」

 サミュエルはそう言うと深々と一礼をして後ろへと下がった。

 ジェイソンは彼の姿をじっと見つめたまま玄関ドアを静かに閉める。そして財団へ赴く準備をする為に後ろを振り返る。まずは彼女へ伝えなくては。


 真っすぐとアルビジアの部屋の前へ足を運び、軽く扉をノックする。

 彼女はまるで待っていたかのようにすぐに部屋の扉を開いた。

「アルビジア、今日は財団の人と大事な話をしに行かなければならなくなった。もしかすると明日まで帰れないかもしれない。」

「分かりました。お気をつけて。」彼女は寂しそうな表情のまま言った。

 ジェイソンはそれ以上のことは言わずに彼女の部屋を後にする。必要なことは昨晩の食事の席で伝えた。

 自分が財団へと赴いた後、アルビジアは必ず彼らの元へと向かうはずだ。必ず。

 あとは彼らがどのように動いてくれるかに賭けるしかない。


 祈るような気持ちを内心に抱きながら、ジェイソンは久しぶりに袖を通すフォーマルな服装に身を包み、財団へと向かう準備を始めるのだった。



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