第38節 -嘆きの大地賛歌-
マークתの一行がイングランドの地を離れる日の朝、帰投の準備を整えてペンションを後にした彼らはリド=オン=シーにあるジェイソンの自宅を訪れていた。
打ち寄せる波の音が遠くから響き、潮風が頬を撫でる。この地に訪れて幾度目かの快晴。冷たい外気を温めるように柔らかな日差しがその場にいる全員を包み込む。
ジェイソンの自宅の庭で彼とアルビジア、そしてマークתの4人が向き合っている。
6人がこの場に集まった目的はひとつ。アルビジアを機構へ入構させるためである。
それは数日前、財団での例の一件のすぐ後のことだった。ジェイソンがマークתの宿泊するペンションへ直接訪れて言ったのだ。
『アルビジアを機構へ連れて行ってほしい』と。
理由は単純で、彼女の将来のことを思ってということだった。
どこで生まれてどこから来たのかもわからない。素性の何もかもが分からないまま彼女と10年という長い時間を共に過ごしてきたが、今回の一件でラーニーに指摘されたようにいつ英国政府、内務省から通達がくるか分からない。
戸籍は元より、国籍すらもたない彼女と共に暮らし続けることについて、ジェイソンは決して良い未来には繋がらないと判断したのだ。
先行きの長くない自分が生涯に幕を閉じることになった時、彼女は本当の意味でたった一人になってしまう。
それを憂いたジェイソンは機構へ彼女を送り出すことを決意したという。
加えて、例の事件で見せた彼女の異能。超能力というもの以上の規模で彼女が繰り広げた力。
一目しただけだと恐怖すら感じさせる力は間違った使い方をすれば人を傷付けるだろうが、正しく使うことが出来ればこの世界で多くの人々を救うための力になるだろうとジェイソンは考えた。
この世界でその力を正しく使うことが出来る場所、正しく寄り添う人々のいる場所。それが機構だと彼は言った。
ジェイソンはおそらくアルビジアの “本当の出身地” のことなどは何も知らないだろう。今目の前に立つイベリスと同郷であり、千年の時を超えて現世に蘇ったリナリアの忘れ形見とも言うべき存在であるということを。
ジョシュアは彼の話を聞き、同じようなケースで機構へとやってきたイベリスの時のことを思い出していた。
彼女はリナリアの怪異と呼ばれた事件を解決した際に自発的に玲那斗についてきた結果として機構に入構することとなった。
事件解決後のヘリの中で唐突に姿を現した彼女には度肝を抜かれたが、不思議とすっきりと受け入れることが出来たことを覚えている。
故にきっとアルビジアに関しても同じであろう。
上層部に相談は必須となるが、おそらくイベリスという “前例” がある以上は申請が却下されることはないはずだ。機構を取り仕切る総監はそういったことを頭から拒否するような人物でもない。
そして、ジェイソンから話を受けたその日のうちにアルビジアの件について極秘に機構の本拠地であるセントラルへ報告を入れた所、やはり総監からすぐに許可が下りたのだ。
そういった経緯を辿り迎えた今という瞬間。目の前にはジェイソンと共に並び立つアルビジアの姿がある。
彼らと向き合い立つマークתの中でジョシュアが口火を切って言う。
「モラレスさん。本当に宜しいのですね?」
「はい。彼女をよろしくお願いします。それに、遠くない未来、いつかはこういう日が訪れるだろうと思っていました。それが貴方がたのような人なのか、それとも “別の誰か” なのかは想像もつきませんでしたが。」
ジェイソンの言う別の誰かとは入国管理局や警察のことだろう。
ジョシュアは続いてアルビジアに目を向けて言った。
「アルビジア、良いんだな?」
問われた彼女はゆっくりと、しかししっかりと頷いた。
「分かった。ではこちらへ。」ジョシュアがそう言うとアルビジアはジェイソンの隣からゆっくりと機構の4人の元へと歩み出す。
対面でイベリスは手を差し出しながら彼女を迎える。「貴女が来てくれて嬉しいわ。」
差し出された手をアルビジアは握ってイベリスへと微笑んだ。
それを見てジョシュアが言う。「まだ少し気は早いが、ようこそ機構へ。我々は君を歓迎する。」
アルビジアはジョシュアの方を向いて言った。「たくさんのご迷惑をお掛けするかもしれませんが、宜しくお願い致します。」
「気にするなって。誰しもが何かしら誰かに迷惑をかけながら生きてる。そして、そういう時の為に仲間っていうのがいるんだ。これからは遠慮することなく俺達を頼ってくれたら良い。俺達も遠慮なくアルビジアを頼るから、な?」とびきりの笑顔を湛えたルーカスが言った。
「はい。」アルビジアは穏やかに返事をする。
するとアルビジアは4人の中で1人だけまだ何も言っていない玲那斗の前に歩み寄って言う。
「宜しくお願いします。玲那斗。」
「あぁ、宜しくな。」玲那斗は優しく返事をした。
全員に挨拶をしたアルビジアは今度は後ろを振り返るとジェイソンに言う。
「お爺様、とても長い間、ありがとうございました。」
そして、今まで彼の前でも見せたことのない笑顔を浮かべて最後に言った。
「行ってきます。」
彼女の言葉にジェイソンは声を震わせながら返事をする。
「あぁ…行ってらっしゃい。」
ジェイソンとアルビジア。2人は互いに笑顔ではあったが、その瞳からは一筋の涙が零れ落ちるのだった。
今より遠い昔。千年を遡った時代。かつて眠りの妃と呼ばれた第二王妃は、長きに渡る眠りから目覚めこの地へと舞い降りた。
自然以外の全てに興味を抱かなかった少女は、全てが目まぐるしい変化を遂げた現代を生きる中で、今まで自身が見つめようとしてこなかった大切なことに気付く。
変わらない人の業と衰退していく自然を嘆き、生命の源である大地を賛美した1人の少女は新たな未来へと向けて歩み出した。
* * *
窓から差し込む朝日が室内を明るく照らす。1年前から続く長い悪夢が終わりを迎えたかのように太陽は眩しく輝いた。
少しずつ高度を上げていく日の光を支部内にあるシャーロットの部屋の窓辺でラーニーは浴びた。
すぐ傍らではようやく上半身を起こせるようになったシャーロットがベッドから起き上がる。
「おはよう。お目覚めかな?」
「ずっと起きていたわよ。今朝早くからここにいたでしょう?」ラーニーの言葉にシャーロットが返事をする。
「部屋に入った時に起こしてしまったかな。」ラーニーは微笑みながら言う。
「いいえ、眠れなかったのよ。ずっと横になっていたから。」
「具合はもう良いのかい?」
「大丈夫。ごめんなさい。」
「どうして謝るんだい?謝らなければならないのは僕の方だというのに。」
ラーニーはそう言うとシャーロットのすぐ傍らに腰を下ろす。
「気付いていなかった、というのは無理があるな。ロティー、君の気持ちをないがしろにしてしまっていた。」
シャーロットはラーニーへ視線を向けたまま静かに話を聞く。
「僕は君の幸せを心から願っている。それは昔も今も変わってはいない。そして僕はこの家を立派に守り通すことで、君の帰る場所を守ることが幸せに繋がると信じていた。つい一昨日までね。森を見て木を見ずとはよく言ったものだ。」
「どういう意味?」
「ロティーはずっと僕のことを見てくれていたのに、僕は君のことを見ていなかったという意味さ。」
ラーニーはベッドのヘッドボードへ背中を預けるようにもたれながら言う。
「彼女に、イベリスさんに言われたんだ。 “どうして貴方の元で献身的に輝き花咲く美しい彼女の方へ目を向けないのか” と。」
「神曲。」シャーロットが言う。
「そう。彼らと初めて会った日に話した内容をなぞらえた言葉だ。」
「“どうして狐疑逡巡するのだ。どうして率直果敢に行動できない?”」シャーロットがそう言って笑った。
「僕は率直でも無かったし果敢でも無かった。かっこ悪い男だったな。」
「あら、今はかっこいいと言えるのかしら?」
「君の前でだけはそうありたいと思ってる。」
「もしかして口説いてるの?妹を?」穏やかな表情に笑みを浮かべラーニーから視線を逸らしてシャーロットは言った。
「僕はとんだ思い違いをしていた。見るべきものはすぐ近くにあって、それは手を伸ばせばいつだって届くところにあったんだ。名誉も財も無くしてしまっても、僕は僕の傍で僕のことを見続けてくれる人に手を伸ばすべきだった。ロティー?もし、僕が手を伸ばせば、今でも君はその手を握り返してくれるかい?」
「えぇ、ラーニー。貴方はとんだ思い違いをしているわ。」
シャーロットの返事に対し、戸惑いの表情を浮かべラーニーは言う。
「どういうことだい?」
その言葉を聞いたシャーロットは彼に身を預けて寄りかかり、頬を寄せ頭を肩に乗せた。
「貴方は16年も前に私に手を差し出したし、私はその時既に貴方の手を握り返しているのよ?」
「つまり…」ラーニーが恐る恐る言う。
「答えはYESよ。」
待ちに待った瞬間が訪れたのだ。シャーロットは喜びを噛み締めながら、今まで彼にすら見せたことのない満面の笑みを浮かべて言った。
対するラーニーも彼女の答えを聞いた瞬間、力いっぱい彼女を抱き締めた。
窓から差し込む朝日は天上からの祝福の光であるかのように二人を包み込む。
長きに渡る人生という旅路の果てに、互いはついに “天上の薔薇” へと辿り着いたのであった。
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