第9節 -夢想と歓喜、現実と絶望-
マークתの4人は途中からドイツに調査滞在しているフロリアンとの通信を交えた賑やかな夕食を終えた。
各々が後片付けをした後、1日の残り時間を自由に過ごす為にそれぞれに割り当てた部屋へと入っていく。
イベリスと玲那斗はそれぞれがシャワーを浴びて部屋へと戻り、2人揃ってのんびりと窓から空を見上げていた。
「空は曇ったままか。今日は星を眺めるのは無理そうだな。」玲那斗が言う。
「えぇ。でもたとえ今星が見えなくても、この雲の向こうには確実に星の煌めきはあるのよ。だからこういう日はその輝きを想像して楽しむの。」いつもと変わりない楽し気な表情でイベリスは言った。
「実に君らしい。その前向きさを俺も見習わないとな。」
物事を悲観的に思考する癖のある玲那斗は、彼女のどこまでも前向きな思考にいつも励まされている。
いつもであれば、チームの中で自分の悲観的な物事の捉え方を正してくれるのはフロリアンの役回りなのだったのだが、イベリスが機構へ来てからというものはその役回りは彼女のものとなっていた。
「冷えるけど、少しだけ窓を開けても良いかい。」急に外の空気が吸いたくなった玲那斗は言った。
イベリスは笑顔で同意する。「良いわよ。少しだけとは言わずに。」
玲那斗は部屋の窓を大きく開いた。春が訪れているとはいえ、まだまだ冷たい外の空気が室内に流れ込んでくる。
しかし、解放感溢れる新鮮な空気は寒さを感じる以上の安らぎを2人へともたらした。
「自然に囲まれているところの空気は違うわね。リナリア島やセントラルの海風とは違った新鮮さがあるわ。」
大きく息を吸い込んでイベリスは言った。玲那斗も同じように深呼吸をする。彼女の言う通り、緑に囲まれた自然がもたらす新鮮な空気であると玲那斗も感じた。
爽やかな空気を堪能した玲那斗は、今日マーケットを訪れた際に気になった “あること” を思い切ってイベリスに尋ねてみることにした。
「なぁ、イベリス。」
「何かしら?」
「今日、ニューロムニーのマーケットに行った時に出会った女の子のことなんだけどさ。」
「私と2人でいるときに他の女の子の話?」悪戯な笑みを浮かべて彼女は言う。
彼女の返事にたじろぐ玲那斗を見て笑いながら、イベリスは言いたいことを全て察したというように話を引き取った。
「冗談よ。そうね、私は彼女にとてもよく似た人を知っているわ。そう、とても良く似ている子を。でも…きっと似ているだけ。だから何も言わなかった。」
玲那斗は尋ねようと思った真意を彼女がきちんと汲み取ってくれたと理解し話を聞いた。
「ただ、もし仮にもう一度、出会えることがあればじっくりお話してみたいと思うわ。本当にそれだけよ。」
遠い昔を思い返して懐かしむような、イベリスはとても健やかな表情をして言った。
「なんとなくだけど、また会えるような気はするよ。」この時、既に予感めいたものを感じていた玲那斗はそう返事をした。
きっと自分も心の奥深くで何か違和感のようなものを感じ取ったからに他ならない。
もし、イベリスが彼女のことを知っているならば、おそらく自分も彼女のことを知っているはずである。そう思って尋ねたのだ。
イベリス。
イベリス・ガルシア・イグレシアスという少女は西暦1035年に世界から消えた国家、リナリア公国の王家の令嬢であった。
リナリア公国は現在で言う大西洋、スペインとアフリカ大陸の付近に浮かぶリナリア島と呼ばれる島に存在した公国である。
しかし、今からおよそ千年前、領土拡大戦争『レクイエム』により他国からの侵略を受けたことで滅びの道を辿り、国家としての歴史はその時点で完全に幕を閉じた。
彼女はそんな戦争に巻き込まれて命を散らした存在だ。
公国の新たな王となるはずであったレナトの妻として、王妃となるはずだったイベリスは公国の未来と呼ばれていた。
しかしレクイエム戦争で激化する侵攻の中、彼女のいた城は投石器で圧し潰され、火を放たれ陥落した。
倒壊した城の中で、燃え盛る炎に焼かれながら、誰にも看取られること無く17年という短か過ぎる生涯を終える…それが彼女の辿った人生の末路である。
だが、彼女は世界を恨まなかった。人を憎まなかった。自らの人生を後悔しなかった。最期の瞬間までただ祈り続け、ただ願い続けた。その魂はこの世界から消えることはなかった。
彼女は最後にたった一つだけ抱いた祈りを胸に秘めたまま千年もの間、失われた公国が存在した島であるリナリア島で生き続けたのだ。
肉体は滅び、精神と魂だけを現世に繋ぎとめたまま…ただ一人の待ち人を想い、光にまつわる事象を思い通りに操ることの出来る人ではない存在となって、一人きりでずっと。
そして西暦2035年。国際連盟から機構へ舞い込んだ特殊な依頼により、マークתが島へ訪れたことがきっかけとなって彼女は長い夢から醒め、今この場所に立っている。
彼女が待ち続けた想い人とは、姫埜玲那斗という人間の内側に存在するもう一人のレナト。リナリア公国において次代の王となるはずであった人物であり、彼女の正式な夫となる人物のことだった。
彼女曰く、姫埜玲那斗はレナトの生まれ変わりとも言うべき存在であり、同一の存在であるという。
王家の人間しか持ち得ないリナリア公国の紋章に太陽と月の彫り込まれた宝玉を持っていることがその証となる。
太陽の彫り込まれた石は彼女が、そして月の彫り込まれた石は玲那斗が所持している。それら世界にふたつと存在しないそれぞれの宝玉を繋ぎ合わせた時、失われたリナリア公国の紋章が形作られる。
レナトとイベリス。2人だけが持つその石こそ、将来を誓い合った2人の絆を示すこの世界でたった一つしか存在しない証なのだ。
玲那斗は胸元に忍ばせたネックレスの宝玉に手を当てて思う。
今日、マーケットの駐車場で出会った少女が “イベリスの知り合い” であるというのなら、彼女という存在もまた…
そうした例は初めてではない。ヴァチカン教皇庁の総大司教を担う少女や、ミクロネシア連邦で出会った少女、そして同じ地で出会った天使のような名を持つ悪魔じみた狂気を振りまく少女。
リナリア公国を統治していた七つの貴族の子供達である彼女らが、イベリスと同じようにこの世界に存在するという事実。
イベリスを除き、正確に確認されているだけで既に3人。だからこそ、他にそういった存在がいないという保証など無い。
むしろ七つの貴族の内、自分とイベリス、その3人の他を差し引いた残り2人も現世に存在していると考える方が自然な気さえしてくる。
それに、千年前に命を落としたイベリスにとって、現代における知り合いなど存在するはずがない。
つまり彼女のいう『似ている子』とは、貴族の子供たちの残り2人の内のどちらかを指している可能性が極めて高いのだ。
これについてはもう一度あの少女と話す機会があればはっきりするだろう。
そしてその機会というものはおそらく明日にでもやってくるに違いない。自分の中のレナトという存在が確信めいた予感をひしひしと伝えてきている。
玲那斗は再び大きく息を吸い込み、ゆっくり吐き出して言った。
「そろそろ部屋も冷えて来たし窓を閉めよう。明日は朝7時には起きるからな。そろそろ寝ないと。」
「そうね。ただ、私は眠らなくても平気なのだけれど。」
「君も今日はゆっくり休んだ方が良い。肉体的には平気でも、移動に次ぐ移動で精神的に疲れただろう。暖かいベッドは人を虜にするんだ。こんな時くらいはゆっくり横になるのも悪くないぞ。」
「ベッドは魔法使い、ね。それなら、お言葉に甘えようかしら。寝坊しないようにしないと。」
イベリスは玲那斗が口癖のように言う言葉を揶揄してそう言った後、こう付け加えた。
「でも玲那斗、良いの?」
「何がだ?」
「ここには “ベッドは一つしかない” のよ?」
玲那斗は慌ててベッドを振り返った。サイズは大きいが確かに一つしかない。
そういえばそうだった。彼女も横になるということは、つまるところ添い寝になるというわけだ。
セントラルでは、かれこれ2年近く彼女と同じ部屋で暮らしているが、ベッドで一緒に寝た経験など無い。使うか使わないかはともかく、一応ベッドはふたつに分けているし、そもそもイベリスは本当に睡眠というものを取らないからである。
しかし、彼女と一緒に寝ない理由を突き詰めるともっと単純な話になる。奥手な玲那斗にとって、彼女と一緒にベッドに入るという状況ではあらゆる意味で鼓動が高鳴り過ぎて眠れるわけがないのだ。
玲那斗はとっさに付近のソファを指差して言った。
「俺はそこのソファで構わないから、今夜は君がベッドを広々と使ったら良い。」
「あら、私と一緒では不満なのかしら?」
「間違ってもそういうわけではないんだ。」
「であれば大丈夫ね。ほら、 “こんな時くらい” はね?」悪戯な笑みを浮かべて彼女はぐいっと顔を近付けてくる。
言葉とは発する前によく吟味してから述べるものである。玲那斗は内心でそう思った。もう引き返すことは出来ない。覚悟を決める時だ。
「分かった、一緒に寝よう。その…手が触れたりしたら、ごめん。」
玲那斗が顔を赤くしながらそう言うと、イベリスはきょとんとした顔をした。どうして謝るのかという表情だ。
「むしろ同じベッドに入っているのに避けられる方が辛いのだけれど。でも、そういう奥手なところはとっても貴方らしくて…好きよ。」そう言って彼女は笑った。
イベリスは静かに窓を閉めた後、カーテンを閉じてすぐに後ろを振り返り、いつもは入ることのないベッドの中へ潜っていった。
そして掛布団からひょっこり顔を覗かせると、誘惑するような悪戯な笑みを浮かべて玲那斗がベッドに入るのをじっと見守る。
調査の為とは言え、いつもと違う土地に訪れたことで気持ちが高揚しているのだろうか。彼女にしてはいつになく大胆だ。
玲那斗はベッドに横たわる美しい彼女の姿に生唾を飲み込みながらゆっくりと近付き、ぎくしゃくとした及び腰になりながらも静かに布団へ潜り込んだ。
* * *
深夜。日付が次の数字へ移り変わろうという頃、アンジェリカはリド=オン=シーの海岸沿いの道路を歩いていた。
相も変わらず空は雲に覆われたままで真っ暗闇の中、車1台すら通らない道路の真ん中をゆったりと歩く。
リヴァプールの有名な音楽ロックグループを想起させるように横断歩道の途中で一時停止する。
そして1人で笑いながら、うきうきとした様子で海岸まで歩みを進めていった。
月明かりも届かない暗黒の中、すぐ傍から聞こえる潮騒を耳に少女は浜辺へと繰り出す。
砂浜を一歩一歩、ざくざくと音を立てて歩きご機嫌な様子で鼻唄を歌う。
ある程度歩いて行ったところでふと立ち止まり、急に向きを変えると海とは反対方向の街中へ視線を向けた。
彼女の視線は遠いロンドンの街が広がっているであろう彼方へと向けられたものである。
アンジェリカは大きく背伸びをして息を吐き出して言った。
「英国、イングランド、ロンドン、王立ベツレヘム病院…とても懐かしい響き。そういえばこの国を訪ねたのも数百年ぶりになるのかしら?うふふふふ☆」
西暦1377年、精神疾患の受診を開始した世界最古の精神病院。彼女は過去の記憶を懐かしむようにその名を呟いた。
「随分と様変わりしちゃって。名前だけは懐かしいけど…私の記憶にあるものとはまるで別物ね?」
そう言うと再び向きをくるりと変えて今度は海へと視線を向ける。
「遠い遠い世界の果ての果て。時代がどれだけ移り変わっても、地球の景色がどれほど変わってもこの世界で唯一変わらないもの。神様は自身の似姿として “それ” を創造しただなんて言うけどさー、本当は逆じゃないのかなって私は思う。傲慢な言い出しっぺがそう思いたかっただけじゃないかなって。うんうん。でもでも、それを滅ぼす為に、鋼鉄の鳥と棺桶の魚がもうすぐやってくる。暗闇を照らす炎はきっと綺麗に違いない。わくわくぅ☆」
彼女は両手を大きく広げると満面の笑みを浮かべ、笑いながらその場でくるくると回り始める。
「役者は揃い、ついに賽は投げられた。あはははは☆ 何度考えてもおっかしいの☆」
短いスカートをひらひらと揺らしながらくるくると回り続けた彼女はやがて浜辺に仰向けに倒れ込んだ。
「うふふ、ふふふふふふふ!あははははは!これはそんなお話の寄り道。幕間の一節。このお話の主役である “彼ら” はもう後戻りできないし、この地に新しく訪れた “彼ら” はそれを解き明かさずにはいられない。私はただ観客用の特等席から流れを見て楽しむだけで良い。南の島では味わえなかった快楽を…のんNON、味わい損ねた快楽を。栄華を極めたものが一瞬で凋落する瞬間、今度こそしっかり堪能しないと、ね?」
独り言を言い終わり、しばらくの間くすくすと笑い続けた彼女は赤紫色の煙が解けるようにして、いつしかその場から消え去っていた。
* * *
リド=オン=シーの民家の一室。街そのものが眠りに就いた深夜。
遠い海岸線を2階にある自室の窓から覗き見たアルビジアは妙な胸騒ぎを覚えた。
その感覚が何を意味するのかは分からない。しかし、海岸線の方からは隠そうともしない無邪気な悪意が確かに伝わってくる。
それは夜の闇より暗い漆黒の世界。それは悲鳴と鬼哭が混ざりあった絶望の叫び。
“それしか知らない” 人物の研ぎ澄まされた崇高で完全なる悪意。
この声はおおよそ大自然のものではない、明らかに常軌を逸した何かがそこにいる。
そして自分は “それ” を知っている。きっと彼女だ。
愛を知らずにここまで来てしまった可哀そうな子。
“絶対の法” に縛られて、自らの想いを歪めてしまった子。
「そう、貴女…貴女なのね。アンジェリカ。」
小声で、この地に悪意と災厄を持ち込んだ人の名を囁く。
天使のような悪魔。そう形容するにふさわしい彼女がこの地で行ったものこそ全ての始まりであり、全ての終わりであった。
窓から目を逸らし、少し開いたカーテンを閉めて自身のベッドへと向かう。
睡眠というものが自分にとって特に必要だとは思わない。しかし、ジェイソンから夜はしっかり休むようにと言われているので毎日眠るようにしている。
今の自分は厳密にいえば、常に夢の微睡の中で生きているようなものなのだが。
そういえば遠い昔に言われたことがある。『お前はずっと眠っているようだ。』と。ぼうっとしていて何を考えているのか分からない、と。あれは誰の言葉だっただろう。
夢想の中に歓喜を抱く。
自分の名が示す花言葉は確かそういったものだったと思う。
微睡の花。ある地ではアルビジアという花はネムノキと呼ばれているらしい。
そのことと “もう一つの理由” から遠い昔は【眠りの妃】と呼ばれたことだってある。そう…遥か遠い昔のことだ。懐かしむことすら遠い、彼方の日の記憶。
彼女の気配を感じたからだろうか。その名を明確に意識したからだろうか。
いつもにも増して考えごとに耽ってしまう。
アルビジアは自分の為に用意されたベッドへと潜り込み、ゆっくりと目を閉じる。
明日も夢の続きを見る為に。この幸福な微睡から永遠に醒めないで欲しいと願いながら。
一方、アルビジアが自室のカーテンを閉めた直後、向かいの道路に小さな人影がひとつ浮かび上がった。
アスターヒューと呼ばれる美しい紫色の瞳を輝かせた少女。
何をするわけでもなく、ただただそこに立ち尽くすだけの小さな少女。彼女はこの世界を呪うかのような嘲りの表情を浮かべ、見開いた目を真っすぐと目の前にある部屋の窓へと向ける。
夢想に歓喜を見出す少女のすぐ近くで、現実に絶望を抱いた少女が囁きかける。
彼女はしばらくの間、誰に語り聞かせるわけでもない言葉を…
誰の耳にも届かぬほど小さな声で滅びの詩を囁き続けた。
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