第2節 -祝福された三方-

 代表執務室の大きな窓から中型輸送車が敷地内へ到着する様子をラーニーは眺めていた。

 自らがこの地へ招いた機構の調査チーム。数か月前、ダンジネス国立自然保護区内で観察された植物や土地そのものの異常再生現象の解析調査について、この後の会談で話す予定だ。

 執務室から機構のチームが乗った輸送車を眺めていると、ふいにドアをノックする音が部屋に響いた。

「構わない、入ってくれ。」

 そう言うと、若い使用人の女性が1人入室した。そして窓の外の様子に視線を向けて眺め続ける彼に報告をする。

「ラーニー様、機構の調査チームが到着しました。」

「あぁ、よく見えているよ。凄いな、寸分の狂いもなく時間ぴったりだ。」

 使用人の女性はふと手元の時計に目を落とす。彼の言う通り、到着予定としていた時刻ぴったりだ。

 外の景色から視線を外し、後ろを振り返って女性に目を向けたラーニーは言う。

「どう思う?彼らは例の異変を解明できるかな?」

「私からは何とも。」悪戯な笑みを浮かべながら言うラーニーに彼女はあまりにも素っ気なく返事をした。

「ロティー、何か気になることでも?」

「いえ。貴方のおっしゃる異変が “どちらの異変についてだとしても” 、彼らが今回の調査で解明することを私も期待しています。」彼女は彼を真っすぐと見据えたまま意見を述べる。

「そうだね、僕もそう思うよ。彼らならきっと素晴らしい結果をもたらしてくれるはずだ。」ラーニーは手振りを交えながら再び窓へ振り返って言う。

 直後、外では停車した輸送車から機構の調査チームが敷地へと降り立つ様子が見て取れた。

「それでは、私は彼らの出迎えに行って参ります。」

「あぁ、宜しく頼む。」

 簡素に用件だけ述べて退室する彼女に優しい笑みを向けたまま、ラーニーは軽く手を振って見送った。

 窓の向こうには4人の男女の姿が見える。おそらくは体格の良い大柄な男性がチームのまとめ役だろう。そして若い男性隊員が2人と、明らかに場違いに思える少女が1人。

「これはこれは、なかなか変わったメンバーの御登場だ。 “あの女” 曰く、場違いに見える彼女が “調査の鍵を握る人物” ということになるのだろうね。」

 そう呟くと再び窓から視線を外し、会談に向けた最後の準備をする為に自身の執務用デスクへと向かった。


                 * * *


 マークתの一同は調査の拠点とするペンションからセルフェイス財団の支部へと到着した。目の前には巨大な屋敷が聳え立ち、手入れの行き届いた豊かな庭園が広がっている。


 サッカー場ほどの面積のある芝生の庭園には広大な花壇が並び、そこには色とりどりの花が満開に咲き誇っていた。

 敷地を外部と隔てるのはコンクリートの壁や鉄のフェンスではなく綺麗に剪定された植物の壁だ。緑の壁は風で揺れるほどしなやかで、とても柔らかそうにふさふさしている。

 3階建ての屋敷へと続く中央の通路のみ淡い黄色を基本とした3色レンガのタイルが敷かれ、その途中の広場には三体の女性像が設置された噴水が設置されている。

 通路の奥に聳える屋敷は神殿を思わせる白を基調にまとめられた建築物で、中央に教会のような尖塔が伸びており、頂上には大小の鐘が設置されている。


「これは、噂に違わぬ豊かさだな。」周囲の景色を見渡したジョシュアが呟く。

「はい。さすがは環境保全で世界に名を馳せるセルフェイス財団。敷地内の緑も見事なものです。」視線はじっと前を見据えたままルーカスが答えた。

「ねぇ、あの緑の壁。先程から風が吹くとふわふわ揺れてとても柔らかそう。素敵ね。」他の三人に倣って顔はまっすぐ前を見据えたままだが、無邪気な表情を浮かべながらイベリスは言った。

「触りに行ったりしないようにな。」微笑ましい様子でイベリスを横目で見ながら玲那斗は言う。

「もう、玲那斗ったら。子供扱いしないで頂戴。」

「へいへい。」

「はい、は一回で良いのよ。」いつもと何も変わらないやり取りが繰り広げられる。

 続いて玲那斗に呼応するようにルーカスが言う。「でも、触ってみたいんだろ?」。

「それは…否定できないけれど。」少しばかり膨れた表情で俯きながらイベリスは言う。

 それを聞いて玲那斗は言った。「やっぱりな。」

 4人全員の顔に少しばかりの笑顔が咲く。解放感溢れる周囲の景色につられて自然と心が躍るようだ。

 それでも今は任務の為にこの地を訪れている。全員が引き締められた態度を崩すことは無い。

 予定ではそろそろ財団から案内役の人物が4人を迎えに来る頃合いだ。


 すると屋敷から使用人と思わしき制服に身を包んだ2人組の男女が4人の元へと歩み寄ってきた。

 1人は長年屋敷で仕えているであろう気品のある老年の男性で、もう1人は使用人というにはどことなく違和感を感じる年若い女性である。

 男性は格式のある黒のスーツとベストを着用した身なりで、身のこなしも徹底された熟練の使用人という雰囲気だ。綺麗な白髪は良い年の重ね方をしてきたことを象徴しているようでもあり、穏やかな顔付きと目からは温かさが感じられる。

 一方、格式あるクラシカルなロングスカートのメイド服に身を包む女性は、ホワイトアッシュ系のブロンドの髪に水平線近くで見られるような澄んだ青色の瞳をしておりクールな印象を受ける。

 ハイレイヤーのロングヘアで、首の後ろで青いリボンを使って1つに束ねられた髪をさらに逆V字のツインテールに結ぶという特徴的な髪型をしている。また、その髪は光の当たり具合によって淡い水色に見えるという変わった髪色でもある。


 4人へ歩み寄った2人の内、老年の男性がまず声をかける。

「世界特殊事象研究機構の皆様、遠方よりようこそおいでくださいました。私はセルフェイス財団当主であるラーニー・セルフェイス氏の執事を務めております、サミュエル・ウォーレンと申します。そして隣の彼女は執事見習いのシャーロット・キャンベル。以後、お見知り置きのほど宜しくお願い申し上げます。」

 頭を下げるサミュエルに続きシャーロットも機構の4人へ深々と礼をする。

 マークתの一同も彼らに倣って挨拶をしようとしたが、それよりも先にサミュエルが言葉を続けた。

「ラーニー様より皆様を代表執務室へご案内するよう申し付けられております。こちらへどうぞ。」

 サミュエルとシャーロットは踵を返すとすぐに屋敷へと歩み出す。2人に続いてマークתの一同も後に付いていく。

 美しい自然に囲まれた中央通路をゆったりとした気持ちで歩いていると大自然の息吹を感じるかのような心地よさが感じられる。


 一行が3体の女性像が設置された噴水に近付いた時にふとイベリスが言う。

「あの噴水の3人の女性像は誰かしら。」

 その言葉にサミュエルは歩みを止めて振り返った。

「いえ、ごめんなさい。美しくて気になったものですから、つい。」全員の歩みを止めてしまったことに対してイベリスは謝るが、サミュエルは気にするそぶりもせず笑みを浮かべて応えた。

「お気になさらないで下さい。気になったことがあればそのようにご質問頂ければ何なりとお答え致します。皆さまはわたくしどもにとって大切なお客様でもありますから。」

 そう言ったサミュエルは噴水へと歩み寄って話を続ける。

「3人の女性像は右から聖母マリア様、聖ルチア様、そしてベアトリーチェ様を表したものです。この噴水は初代当主エドワード様が、かの有名なダンテ・アリギエーリ著作の神曲-地獄編-にて言及される “祝福されたお三方” になぞらえデザインするようにと特注なされたものです。」

「天上からダンテを見守るお三方、ですね。」ジョシュアが答えた。

 サミュエルは深く頷きながら言う。「その通り。“どうして狐疑逡巡するのだ。どうして率直果敢に行動できない?” という作中の言葉に深い感銘を受けたエドワード様は、自身の成す行動が天より見守るお三方の祝福を得られるようにという願いを込めたとおっしゃっておりました。」

 その答えに対してジョシュアは気になったことを尋ねた。

「なるほど。しかし祝福を得る願いを込めてということであれば、この三人の中でベアトリーチェだけは少し例外的だと思います。ダンテは彼女に恋い焦がれたものの拒絶され、さらに彼女が24歳という若さでこの世から去ったことで心に深い絶望を刻むことになった。彼は神曲の作中でそんな彼女を特別な人物として描き、 “ダンテを導く淑女” として登場させています。確かに彼本人にとっては祝福されしお三方の一人となりましょうが、他の人物にとっては意味が異なってしまうように感じるのですが。」

「ははは。これは鋭いご指摘ですな。もしや貴方様も神曲の愛読者ですかな?エドワード様がご存命の頃にそのお言葉を聞かれたなら喜んで自らの意図をお話しされたことでしょう。」

 ジョシュアの考えをじっくりと聞いたサミュエルは再び頷いた。そして疑問に対して答えた。

「おっしゃる通り、彼の遺した神曲で語られるベアトリーチェという女性はそのような存在です。神の母マリア様や聖人であられるルチア様と同列で描かれていますが現実は違います。彼女が聖母様や聖人と並べられるほどの特別となる理由はあくまで “作者がダンテであり、主人公がダンテであるから” に他なりません。本来ダンテ以外の人にとっては特別とはなり得ない存在。しかし “神曲という作品に感銘を受けた” 以上、作中の主人公に自らを投影したエドワード様にとっての祝福されたお三方もやはりこのお三方であったのでしょう。物語の登場人物に自らを投影して物事を考えてしまうというのは、多くの人が経験をもつことです。」

 サミュエルの返答にジョシュアは合点がいった様子で頷いた。


 サミュエルとジョシュアが会話をする傍ら、この話題に触れた本人であるイベリスはある単語を聞いた時から少し遠い目をしてぼうっとしていた。

「神の母、マリア…」

 玲那斗はイベリスが確かにそう呟くのを聞き取った。

 ミクロネシア連邦の調査に携わったときもそうであったが、おそらく “マリア” という名前に反応したのだろう。その名前には自分も深く感じるものがある。

 聖書で言及されるものとは違う何か。しかし、それが何であるのかまではわからない。ただ、それを今この場でイベリスに直接聞くことではないだろう。

 一方、そのこととは別に玲那斗はあることに気が付いていた。

 どことなく冷めた目で周囲を見ている印象のある、シャーロットという執事見習いの女性についてだ。対面してから今の今までただの一言も発していない彼女だが、それでいてなぜかやたらとイベリスにだけは視線を投げかけている。

 本人に気付かれない程度にではあるが、しかし確実に先程から横目で何度もイベリスの様子を窺っているのは間違いない。

 加えて彼女がイベリスを見るときの視線というものには苛立ちを抱いているかの如く、氷のような冷たさが含まれているのだ。

 何かイベリスに対して思うことがあるのだろうか。出会ってまだ数分も経っていないはずだが。

 そんなことを考えていたが、サミュエルの言葉で意識が目の前のことに引き戻された。


「それでは皆様、執務室へ参りましょう。ラーニー様は皆様が到着なさることを楽しみにしていらっしゃいます。」

 彼はそう言うと再び屋敷へと向かって歩き出す。そのすぐ横にシャーロットが続き、さらにその後ろに機構の一行は続いた。


                 * * *


 太陽を遮る灰色の雲。

 いつもと変わらぬ曇天の荒野。

 音もなく、声もなく、温もりもない。

 振り返れば見える、偽神に侵されし豊穣の大地。

 人々を惑わす、命なき自然。


 悲しい、悲しい、悲しい…

 口惜しい、口惜しい、口惜しい…

 言葉にすることもなく、感情を出すこともない緑色の瞳の少女が見据えるのは “何も変わることのない” 大地だ。


 あれは西暦2036年に入って間もなくのことだった。枯れ果てて荒廃した大地の一画で異常なほどの自然回帰、復元という現象が発生した。

 どうやらセルフェイス財団と呼ばれる組織が新型の農業薬品を試験的に一部区画へ散布したらしい。

 その結果として、もう緑が戻ることはないと思われていた区画に豊かな新緑が芽吹き、花が咲き誇り、見事な自然が復活したのだ。


 しかし少女の瞳にはそれが偽りであると映った。

 あの緑は呼吸をしていない。そこで咲く花は凍り付いた標本のようだ。

 木に実る果実から温かさは感じられず、むしろ区画全体を通じて “命” というものを拒んでいるかのようですらあった。

 事実として野鳥やその他の野生動物の類があの周辺に近付いている様子も見ない。毎年春になると訪れるそれらの動物も皆、どこへともなく消えてしまった。

 人々は財団が厳格に管理している影響で野生動物が近付いてこないのだと思っているようだが、きっと真実は異なるものだろう。


 野生動物は素直だ。

 あの偽りの自然に触れたら自らの命が侵されることを本能で感じ取っている。

 枯れることのない自然が “自然” であるはずがない。


 壊さなければならない。

 壊してしまわなければならない。

 “あんなものがこの世界に存在して良いはずがない”

 これ以上、この地から生命の息吹が失われてしまう前に、全部、全部、何もかも。



 真っすぐ見据えた視線の遥か先。ダンジネス国立自然保護区内にあるセルフェイス財団が管理する区画をじっと見つめたままの少女の瞳は淡く、やがて鮮やかさを増して輝き始める。

 少女は遠くに見える管理区画に優しく触れるように右手を前に差し出し、誰にも聞き取れぬほど小さな声で言葉を発した。


                 * * *


 セルフェイス財団が国立自然保護区内に持つ管理区域内。その区画を監視する為に建てられた監視塔の中で1人の職員が声を上げた。

「おい、何だあれは。」

 隣に座るもう1人の職員が答える。

「くそ、また来やがった!ダストデビルだ!ドローンを撤退させろ!急げ!」

「駄目だ、この速度じゃ間に合わない!」

 職員2人は慌てて区域内を監視して回る自走式ドローンへ退避の命令を出そうとしたが、既に遅かった。

 監視カメラが捉える映像には巨大なダストデビルが文字通り悪魔のように高速で近付き、財団が所有するドローンを的確に1台ずつ飲み込んでいく。

 やがて、スピーカーをつんざくような轟音が発せられ、管制塔のモニターへ送信される映像が途絶える。


 モニター越しに見ているだけでも十分な恐怖を与えるほどの旋風。通常のダストデビルでは有り得ない “風の刃” を纏ったその現象は、意志を持って動いているかのように管理区域内の監視ドローンを1台ずつ1台ずつ、 “丁寧に” 切り刻み破壊していったのだった。



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