なんでもない親友は一番なんでもなくない
神美
第1話 決断した…?
「俺、卒業式の日に、告白しようと思うんだ」
三日後には、この橘学園の卒業式が行われる。体育館はすでに壁中を紅白の幕に覆われ、生徒や教員、来賓の席となるパイプ椅子が整然と並び、あとはその日を待つばかりとなっている。
体育館の床掃除を終えたヒカリはまだ片付けていないモップを片手に持ちながら、共に掃除を行っていた同級で親友のソウタに自身の気持ちを宣言したところだ。
他に生徒のいない体育館。並んだパイプ椅子の合間に立っていたソウタは今の発言に驚いたのか、焦げ茶色で体育系らしくない少し前に垂らした前髪を揺らしもせず、整えた眉も微動だにしないまま、ポカンと口を開けた表情で自分を見ていた。
唯一動いたのは彼が持っていた掃除のモップ――それは手を離されたせいでパタンと床に倒れ、硬い木の音だけが静かな体育館内に反響した。
「久代先輩が卒業したら、もう会うことはないんだし。だったら俺は自分の想いを伝えておきたいかなって思ったんだ」
何も言わないソウタに、そう言葉を続けてみた。しかしソウタはまだ何も言わず、ただ丸くした目をこちらに向けている。
沈黙がなんだか気まずい、自分はそんなに変なことを言っただろうか……なんにも言ってくれないと心配になるじゃないか。
ヒカリは少し癖のある自分の黒髪をなんとなく手櫛ですいた。
先輩とはソウタも知っている、三日後に学園を卒業してしまう三年生の久代先輩のことだ。
フレームの薄い眼鏡の下にある優しげな整った顔立ち。自分とは頭一つ半ぐらいは違う高身長。その誰もが羨むルックスで在学中の三年間、学園で行われるイケメンコンテストで三連覇をしてきたという容姿端麗な人物。
それに加えて成績も優秀で、偏差値が至高の領域と言ってもいいぐらいの大学入試もトップで一発合格を果たしてしまった。
つまり、何から何までパーフェクトという非の打ち所がない完璧な存在なのである。
本来なら成績も普通、特別に運動能力も秀でたところがなく、ただ裁縫と料理が得意という家庭科部の自分が、学年も上で部活も縁のない久代先輩と接点なんてあるはずがない。
けれど自分は久代先輩とは面識がある。そして面識だけでなく、ある程度は話せる間柄となっている、それは自惚れではないと思う。
それでも告白をしたって叶うわけはないだろう。あんなパーフェクトな人には、もっと同じレベルぐらいのふさわしい人がいるはずだ。そうとわかっていても自分は想いを伝えたいと思った。
先輩がいつも自分に向けてくれる笑顔が、見ていてとても嬉しいから。できれば少しでも可能性があるなら。これからもその笑顔を、なんて望んでしまうのだ。
「会えなくなって後悔なんかしたくないからね……ってソウタ、さっきからどうしたの?」
いつもだったら。この明るくてノリの良い親友は、そんなことを言ったら「本気っ⁉ でもオレ、応援するぞっ‼」みたいな調子で話すはずなのに。
ソウタはさっきから一言も発さず、ただ呆然と立ちすくんでいる。視線だけはちゃんと見ているのかわからないが、こちらの方を向いてはいる。悲しいかな、倒れたモップはそのままだ。
もしかして呆れられたのかな。
ヒカリは動かないソウタを見て自分の身の程をわきまえない発言に返す言葉もなくなったのかと思った。
けれどソウタはそんな嫌な考えをするヤツではない。ソウタはいつだって自分を応援してくれ、前向きな言葉を言ってくれる、ひたすらに明るい親友だ。自分を支えてくれ、時には叱ってくれる。熱くてちょっと抜けてる、そんなヤツなのだ。
だからソウタに呆れられたかもというマイナスな考えは、すぐに頭の中から消え去った。
ならばどうしたというのだろう。
ソウタは未だに呆然としている。
だが唐突に、ソウタの半開きだった口から小さな言葉が飛び出していた。
「それが、お前の決断、か」
それは小さすぎて、鳥のさえずりのようで、聞き取れず。ヒカリは「えっ?」と聞き返した。
しかしソウタはその言葉を再び言うことはなく。次の瞬間にはいつもの見慣れたお調子者の表情が、ニッと笑みを浮かべて現れていた。
「そっか、うん、そうなんだな。よく決めたじゃんかっ。仕方ない、じゃあ親友の告白のためにオレも人肌脱ぐとしますかねぇ」
ソウタはそう言うと右腕をグッと持ち上げ、力こぶを作ってみせた。
しかし体育系でも陸上部であるソウタの二の腕には力を入れてもそこそこの盛り上がりしかできていない――それでも非力な自分よりは力があるのだが。
「でもヒカリ、相手はあの橘学園の神レベルな久代先輩だぞ。本当にいいのか? 玉砕覚悟だろうな?」
ソウタの言葉に、ヒカリは笑った。
玉砕はしたくはないけれど玉砕の方が明らかに確率は高いだろう。それでも自分が好きになった素晴らしい人だから、今までの感謝と自分の想いぐらいは伝えたってバチは当たらないと思う。
そう言い返すと、彼は一瞬だけ表情を変えた。お調子者の笑みが消え、何かを心配しているような口角を下げた表情になった。
「……でも、久代先輩って。お前のこと結構気に入っているもんな、もしかしたら、もしかするかも、な」
そう言われた瞬間、ヒカリの心臓は大きくはずんだ。まさか、そんなわけないよ。でも、そうであったら嬉しいと思う。だって想いを寄せる先輩だもの。もし、そうだったら。万が一にも自分の気持ちに応えてくれてしまったら。
だがそれを口にするのは心配そうに自分を見ているソウタの表情で遮られた。今日のソウタはいつもと様子が違うような気がする。何かが心配なのだろうか。
どうしたの、と。ヒカリが口を開きかけた時には。ソウタは落ちたモップをひょいと拾って陽気にステップを踏んでいた。
だから聞いてみるタイミングは、なくなってしまった。
「じゃ、そうと決まったらさっさと片付けて計画を練ろうぜっ。あと三日しかないんだ。正確に言うと明日と明後日しか時間がないんだからな、こりゃ大変だぞ」
そう言ってそそくさとモップを倉庫にしまいに行くソウタを追いかけ、ヒカリは「計画ってなんだろう?」と首を傾げた。
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