第3話 先輩たち

 ソウタが煙を上げる網上の肉の世話をしながら発した言葉に「へ?」と、自分は間の抜けた声を上げてしまった。


 ソウタ、今、なんて……告白?

 親友の声では耳慣れないその言葉になぜか心拍数が上がり出す。


「こ、告白っ……て、ソウタ、好きな人いるの⁉」


「いる」


 問いかけようと思った内容の答えは一瞬にして返ってきた。短い返答だが怒っているわけではないようだ。肉の煙が目にしみるのか、ソウタは目を細めていた。


「でもな……オレも玉砕覚悟だな」


「そうなの? でもソウタに好きな人いるなんて知らなかった」


 言わなかったからな、とソウタは言う。なんで言わなかったのだろう。いや過去に話の流れで聞いたことぐらいはある。聞いたけど、はぐらかされた気がする。

 だからそれ以降、いないんだと思って聞かなかったのだ。親友としてそれは失態だったなと思い、胸に「くやしい」という気持ちが宿る。知っていればもっとソウタに何かしてあげられたかもしれないのに。


「……言ってくれればよかったのに。今さらかもしれないけど、俺にできることがあれば協力するよ」


「ありがとな――はい、焼けたぞ」


 ソウタは菜箸でいい感じに焼けた肉を自分の皿の上に乗せてくれた。冷めないうちに食べろよ、と言いながら次の肉を網に並べていく。


「あ、待ってよ、野菜もっ」


 こちらも慌てて野菜を並べていく。慌てたせいで菜箸を使わず、自分の箸でやってしまったが野菜なら問題はない。ピーマンや人参をせかせかと並べながら、ヒカリはソウタの好きな人についてもっと聞きたいなと思った。


 一体誰が好きで、いつからで。どんな人なのか。それは身近にいるのか、年下か、それとも年上か。親友なのにずっと語られなかったそのことがとても気になってきた。


 本当になんで言ってくれなかったんだ。教えてくれたなら色々互いに相談とかできたかもしれないのに。いつも自分ばかりが久代先輩についてどうしたらいいのかとか、今日は話ができてドキドキしたとか、明日も会えるかもとか。そんな話をしてきたから……なんか悪い気がするじゃんか。


 ヒカリは網から視線をソウタへと移した。詳しく話を聞こうと思い、彼の名前を呼ぼうとした時だった。


 「あっ」

 自分の口が思わず声を上げてしまった。


 どうしたんだ? と発するソウタの斜め後ろ――座敷を見渡せる位置で店内を歩いている背の高い男性が、こちらを見ていたのだ。

 フレームの薄い眼鏡をかけ、モデルのような整った顔立ちに、スッキリとしたスタイル。橘学園の制服である緑色のジャケットを着たその人物は。


「久代先輩っ」


 その姿を間違うはずがない。


「やっぱりヒカリ君だ。偶然だね」


 自分を見た途端、久代先輩が笑ってくれたので心臓が大きく動いた。相変わらずいつ見ても素敵な笑顔だ。


 その笑みを初めて見たのは橘学園に入学した新入生の時。まだ校内のことが何もわからず、迷子になってしまった自分を助けてくれた時だった。

 一年しか学年が変わらないのに、なんて大人っぽい人なんだろうと息を飲んだ。頼りになりそうな高い背を見上げながら、いつまでも見ていたいなと思ったのだ。

 あの時から、いつでも完璧なその存在は自分の憧れとなっている。


「こ、こんばんは、久代先輩」


 ヒカリは座敷から立ち上がり、靴を履いて挨拶をした。すると久代先輩の数歩後ろから、もう一人、見知った先輩が姿を現す。


 久代先輩のように背が高く、顔立ちの整った三年生。前髪を全部後ろにもっていき、後ろで束ねた肩までの長髪が特徴の瀬戸川先輩だ。久代先輩とは仲が良く、結構な頻度で一緒にいることが多い。その度に自分も話をすることになるのだが。


「おっ、ヒカリじゃん。お前も焼肉食ってる真っ最中か。いっぱい食べてんのか」


 自分を見るや久代先輩を追い越し、瀬戸川先輩は前に出てくると。自分の頭をワシャワシャとちょっと強めになでてきた。頭がグラグラと動いてしまい「わわっ」と声が出てしまう。


 そう、瀬戸川先輩はやたらと力の入ったスキンシップが多い。手加減がないというか遠慮がないというか。

 そして目つきが怖い。つり上がった目つきはカッコイイとも言えるのかもしれないが、この目でギロリと睨まれると腰が引けてしまう。

 だから瀬戸川先輩のことは悪い先輩ではないのだが少し苦手であったりする。


「瀬戸川、力入れすぎだ。ヒカリ君の身体を痛めてしまうから」


「あぁ、ごめんごめん。だってヒカリって、ついついかまいたくなっちゃうからさぁ、ごめんな」


 瀬戸川先輩の謝罪に苦笑いを浮かべるものの、先輩は絶対にこりてはいないのだろうなと思う。


 一方で、ふと座敷を見ると。先程からソウタはずっと静かに網上の世話を続けている。焼けた肉は取皿に盛ってくれているから、気づけば皿の上に肉と野菜がサンドイッチ上に積み重なっている。早く食べないと皿から崩れ落ちてしまいそうだ。


 そんな心配をしていると瀬戸川先輩の後ろにいた久代先輩が再び前に出てきた。


「そうだ、ヒカリ君、明日なんだけど。少し時間が取れないかな? 君に、ちょっとお願いがあるんだ」


「えっ、お願い、ですか」


「あぁ、卒業してしまうと、もう簡単には会えないだろう? その前にちょっと……ね。明日の昼休みって時間があるかな?」


 それは思いをよらない久代先輩の言葉だった。胸がドキッとしてしまい「はい?」なんて上ずった声が出てしまう。


 まさかの先輩からの約束。無理です、なんて言うわけがない。瞬時に「大丈夫です」とヒカリは答えていた。


「よかった」


 久代先輩はにっこりと笑う。その満面の笑みに逆らうなんてできそうにない。もっと見たくて、話したくて、たまらない。

 でも久代先輩の近くにいつもいる、もう一人の人物も黙ってはいない。


「なぁ、ヒカリ。そしたらさ、俺は今、お前に話したいことがあるんだけど」


 またまた瀬戸川先輩が久代先輩を追い越してズイッと前に出てきた。さすがサッカー部と言うべきか、人の隙間をぬうのが上手だ。

 だがヒカリは嫌な予感がしていた。なんだかわからないが、瀬戸川先輩と話すと何か穏やかではないことが起きそうな気がするのだ。


 後ろに退きたいな、と。ヒカリが思っていた時だった。

 二人の間に、山盛りになった焼けた肉と野菜を乗せた皿がヌッと現れた。少しでもバランスを失うと床にぶちまけてしまうほどの危なっかしい物体。その取皿を持ち、ニヤリと笑っていたのは不敵な焼肉番長だった。


「ほぉら、そろそろ食べないと大変な事態になるぞー。オレ、まだ積むからね」


「わわ、ソウタ、やりすぎだろ」


 ヒカリは危うい取皿を前に、両手をアワアワとさせた。そんな様子を見ていた、瀬戸川先輩の後ろにいる存在がクスッと笑いをもらした。


「瀬戸川、今時間を取ったらヒカリ君だって迷惑だ、せっかくの食事時間なんだから」


 久代先輩に促され、瀬戸川先輩は「仕方ないなぁ」と言って肩をすくめた。


「食事中にすまなかったね。ヒカリ君、じゃあまた明日にでも」


 不服そうな瀬戸川先輩の腕を掴み、久代先輩は店内の別の席を探しに離れて行った。おそらく自分とソウタに気を使って、近くの席ではなく離れた場所を選びに行ったのだろう。

 久代先輩に会釈をして別れ、ヒカリは席に戻り、テーブル上に置かれたとんでもない取皿を見て大きくため息をついた。


「……なんだよぉ、これ」


 気づけば取皿のタワーはさらに量を増して迫力のある光景となっていた。隣の座敷に座っている客も、その光景を見て笑っている。


「ほらほら、ヒカリはたくさん食べなきゃいけないんだからな。早くどんどん食べろ、ちなみにライス特盛もくるからなっ」


 ヒカリは頬が引きつった、ソウタじゃないんだからそんなに食べれないよ。

 けれど今さっき。瀬戸川先輩から助けてくれたソウタの行動は。さりげなくてかっこよかったな、と思ってしまった。

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