第4話 練習しよう

 焼肉をたらふく食べ、焼肉の匂いをまとったソウタは「いやぁ、今日も満腹だ」と、お腹をさすりながら店の外で伸びをした。

 そんないつもの光景に「よかったね」と返し、ヒカリはお釣りである千円札を財布にしまおうとしていたのだが。


「あぁっ!」


 すぐそばの道路を大型トラックが通ったせいで強風が吹き、ヒカリの手元から千円札が数枚飛んでいってしまった。行方を目で追うと車が往来する道路の向こう側――その先は用水路になっているところにヒラヒラと吸い寄せられてく。

 あぁ、貴重な千円札が。でも無理だ……と、ヒカリがあきらめかけていた時だ。


「まかせろっ!」


 そう言って、ガードレールを勢いよく飛び越えた存在がいた。満腹状態でそんな速さで動けるはずはないのに。その人物は車が走っていないわずかなすきを狙って道路を渡り、風よりも速いのではないかという動きで水没寸前だった紙幣を見事にキャッチした。


 す、すごい、速すぎて見えなかった。

 ヒカリは呆気に取られたあと、車が来ないのを確認してから道路を横断し、二枚の紙幣をピースサインでキャッチしている親友の元へたどり着いた。


「さ、さすが陸上部エース……でも危ないよ、車にひかれたら」


「このエースが車にぶつかるなんて無様な失態を犯すはずがないだろー。なんだったら車より速いぜ、オレ」


 あいかわらず調子のいいことを言いながらソウタは紙幣を返してきたが「一割くれないの?」とかなんとか言っていたので。今度、特上焼肉おごるという話をして、ごまかしておいた。

 それにしてもさすが陸上部だ、あんなに速く走れるなんて、いつもながらその姿には心が踊ってしまう。

 その上、今日はソウタに助けてもらってばかりだ。やっぱり今度、特上焼肉をおごるべきかもしれない。


 ヒカリが紙幣をしまい終えると「ヒカリ、あのさ」とソウタが首をかしげながら、たずねてきた。


「まだ時間平気か? ちょっとブラブラしようぜ。ほら、近くに小さい公園あるじゃん、一本だけ桜の木が生えたところ」


「あぁ、あの芝生の公園ね。別にいいけど明日は朝練ないの」


「あってもちゃんと起きれるし、平気。今はもうちょっと、お前と今後の作戦を立てようかなーと思って。だって対策は必要だろ」


「なんの対策よ」


「……まぁ、いいじゃん、な」


 よくわからないが、ソウタが照れくさそうに言葉をにごすから、こっちまで背中がムズムズしそうな気分だ。

 けれど焼肉を食べたあとにそんなことになるなんて初めてだった。


 ヒカリはソウタと共に公園へと移動した。芝生の公園は夜ということもあって、もちろん誰もいない。普通ならブランコにでも座って話すのが一般的だろうが、自由人なソウタは街灯の下にある芝生の上に寝転がると「ちょっと寒いなー」と言いながらも満腹状態が気持ち良さそうに伸びをしていた。


「ねぇソウタ、寝転がってると酔っ払って外で寝てる人みたいに間違われるよ」


「学生服を着ているから平気だろー」


「でもある程度したら帰らないと補導される可能性もあるからね。やだよ、そんなの。母さんにグチグチ言われるから」


「まぁ、お前がグチグチ言ってないでさ、一緒に寝っ転がれよ」


 そう言われて仕方なく、ヒカリはソウタの隣に腰を下ろすと夜空を見上げながら一息ついた。少し寒いが焼肉をいっぱい食べて体温が上がっているから意外と大丈夫だ。

 そういえば、と。ヒカリはさっきのことを思い出した。


「ソウタ、さっきはありがとうね」


 意味がわからなかったのか、ソウタは「うん?」と語尾を上げる。


「さっき瀬戸川先輩に絡まれてたの、助けてくれたでしょ。なんかさ、さり気なくソウタが助けてくれたから思わずカッコイイなぁ、なんて思っちゃった」


 ヒカリが笑みを浮かべると。調子の良い親友は「そうだろそうだろ、オレってカッコイイだろ」なんて、また調子の良いことを言うかと思いきや。


「そっか」


 ソウタはそう言っただけ。あまりに呆気なく、不思議に思って横たわるソウタを見ると。彼は何回かまばたきをしたあとで、バツが悪そうに視線をそらした。


「久代先輩、お前になんの話があんだろうな」


 話題を変えられた途端、ヒカリの脳裏には先輩の笑顔が浮かぶ。明日の約束のことも考えるとまた一層、体温が上がる。


「あ、うん、俺もわからないけど。あらたまってなんだろね。思い当たることなんて、なんもないんだけどな」


 けれど何があるのかな、なんて。 胸を躍らせる自分がいる。もしかしてと思ったり、そんなわけはないでしょ、と否定してみたり。

 そんな右往左往した自分の考えなんて、いつも近くにいる親友はお見通しである。


「あんな展開だとさ、もしかしたらお前、先輩に告白されるかもよ。そしたらどうする……って、もちろん答えは決まってるか」


 ズバリと述べるソウタ。

 けれどその予想は聞いているだけで顔が熱くなるほど恥ずかしく「そんなわけがないでしょ」と否定したくなってしまうのだ。


「だ、だってさ……あの久代先輩だよ。あんな人が、俺のことなんて」


「えー、なんでだよ。もしかすると本当にもしかするかもしれないぞ。じゃなきゃさぁ、卒業式前で忙しいのにわざわざ呼び出さないだろ。絶対にお前に告白してくる、オレの予想」


「うぅー……」


 ソウタがガンガンと攻めてくるので、ますます穴があったら入りたい気分になってしまった。もし本当に先輩が話したいことがそんなのだったら、どうしよう。いや、どうもこうもないんだけど。


 でもそうなったら、自分は心のままに「はい」と返事をしてもいいものだろうか。先輩への告白なんて鼻から玉砕覚悟だったのだ。その方があっさりと気持ち良く、自分の気持ちにケジメがつけられるのに。

 先輩と自分なんかが。そんな引け目を感じていると「お前、また迷ってるだろう」とソウタが鋭い言葉を発した。


「いつも言ってるけど、そこはお前の悪いところだからな、いい加減直さないとダメだぞ。決めたことなら、ちゃんとやれよな」


「わ、わかってるよ」


 そう応えたものの、ちょっと声に力が入らなかった。それを気にしたのか、ソウタは横たえていた身体を「よっこらせ」と起こしてあぐらをかくと、ヒカリの真正面に陣取った。


「よーし、じゃあヒカリ、ちょっと練習してみろ。久代先輩になんて言うんだよ。ちゃんと目を見て、言葉を伝えてみろ」


「えぇっ、今? ソウタに?」


「そーそー、練習だよ練習」


 いきなりそんなことを言うものだから、気温は低めなのに汗がブワッと全身から出てきた。

 言うの? 言わないとダメなの、えぇ……。


 けれどソウタが自分のためを思って言ってくれているのだ、無下にはできない。

 ヒカリは深く息を吸い、姿勢を正すとソウタに向き合った。なぜだか自然と正座をして膝に握った手を置いてしまう。そして相手がソウタとは言え、口にしたこともない自分の気持ちを言うのは非常に恥ずかしい。


 だ、大丈夫だ。先輩への言葉、先輩に伝えたい言葉。それを口にしてみればいいんだ。これは練習だ。なんてことはない。目の前の親友に言ってみるだけだ。


「う……せ、先輩のことが、ずっと、す、好きでした。初めて会った時から、ずっと好きでした」


 手に汗握り、恥ずかしくてギュッと目を閉じていた。い、今のでいいのか、こんな感じで大丈夫だろうか。

 目の前の親友は黙っている。周囲からは静かに風が流れ、近くにある一本の桜の木の枝を揺らす音だけが聞こえる。


 今にもソウタから「おーいいじゃん合格〜」なんて簡単な賛辞が聞こえてくるかと思っていたのだが……いつまで待っても何も起きず。

 ただ自分の頭の上にポンッと彼の手らしきものが置かれる。なんだと思い、目を開けようとした時、彼の声が吹き出していた。


「っくくく、ふ、フツー! めっちゃフツーすぎ! ヤバい、おかしい、ひぃ」


 ヒカリが目を開けるとソウタは片手で顔を隠し、反対の手で膝を叩いて大笑いしていた。

 一生懸命やったのに! そんな失礼なソウタを見ていたら恥ずかしさも吹き飛び、怒りがボンッと沸いてしまった。


「ソウタひどいよ、俺、頑張ったのに!」


「ひぃ、ごめん、悪かったって! でもさぁ、もう少しさぁ、ひゃはは」


「笑い過ぎだっ!」


 そんなこんなで大声でやいのやいのと言い合って笑い合っていると。公園の周囲をパトロールしていた警官がやってきて「君たち何してるんですか」と声をかけられてしまった。

 それもこれもソウタのせいだ。警官と「すみません、すぐ帰ります」と話しながらも笑いをこらえるソウタを横目で睨んだ。

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