第2話 オレも決めた

 放課後、ヒカリはソウタと橘学園から近い場所にあり、月に一回は必ず訪れる焼肉屋に来ていた。

 個人で経営しているこの焼肉屋だが広さはファミレスほどはあり、学校帰りの生徒や他の客でいつも繁盛している。


 店のガラス戸を開け、入った瞬間に漂う肉の焼ける匂い、タレや煙の匂いは、いつも空いた腹が溶け出してしまうのではと思うぐらい、たまらなく刺激的だ。空腹なのにさらに食欲が増してしまうから、ついつい頼んでしまうのは毎回肉も野菜も食べ放題のコース。


「今日も食うぞっ‼」


 茶色を基調としている店内。暖色のライトに照らされた通路を慣れた足取りで進み、いつも二人で使うのはテーブル席ではなく、足を崩せる座敷席だ。店内には客がそこそこいたが運良く、いつもの座敷席は空いていた。


 靴を脱ぎ、テーブルの横にあるカゴに手提げのスクールバッグを置くと。ソウタはテーブル上の肉焼き網を前に気合いを入れ、腕まくりをしていた。


 今日は部活がなかったから、いつもよりは身体がエネルギーを必要としていないだろうに。だが部活終わりにここに来ると、ソウタはいつもとんでもない量の肉と野菜を注文しては、きれいに食べ尽くしている。その食べっぷりは見事でもあり、気持ちが良すぎるほどだ。家庭科部である自分はそんなにエネルギーを必要としていないから、見ていてうらやましく思う。


 それにソウタがおいしそうに何かを食べている姿を見ていると、いつも楽しくなる。


「ヒカリも今日ぐらいは気合い入れて食べろよ。告白ミスるぞ」


「焼肉食べた方がうまくいくかな?」


「うーん……あ、でも肉食べすぎてガタイが良くなるよりは、今のひ弱でかわいい状態のお前を維持した方がいいのかな。そこどうなんだろうなぁ」


 変なことを考えるソウタに「ひ弱でかわいいは余計」と苦笑いで返しつつ。テーブル上のタブレット端末を操作し、一通りの肉、野菜、揚げ物、サラダ、スープと。いつもソウタと自分が食べる物を大量注文した。ほとんどはソウタの腹に今日も消えていくのだろう。


 ソウタはテーブル上に肘をつき、注文がくるのを落ち着かない様子で待ちながら「そういえば、さ」と言葉を発した。

 店内はBGMと他の客の声と、焼肉のジュージュー焼ける音で非常ににぎやかだ。だからあまり人に聞かれたくない話でも声を潜めなくて済む。それも焼肉屋の良い特徴かもしれない。


「久代先輩ってさ、イケメンコンテストも連覇した殿堂入りのザ完璧男なのに、今まで誰かと付き合っていたっていう話、とうとう聞かなかったよなぁ。そこがずっと不思議でさ、なんか裏があったりすんのかね」


「裏って、なに?」


 ヒカリが突っ込みを入れると、ソウタは「うーん、闇深い事情?」とふざけた回答をして笑っていた。


「実は、めちゃめちゃ好きなヤツがいるけど振られるのが怖くて告白できないでいるとか。もしくは恋愛に興味がないとか、極度の人間不信とか」


「それは……ないと思うけどなぁ」


 うーん、と。ヒカリもソウタに習ってうなる。前者はあの完璧な先輩がそんな弱腰でいるわけがないと、確信はないけど勝手にそう判断している。

 後者は恋愛に興味がない可能性は、なきにしもあらず、かもしれない。人間不信はあの愛想も面倒見も良い先輩がそうであるとは思えない、これも勝手な考えではあるけれど。


 確かに学園に入学し、久代先輩という人物に出会ってこの二年間。先輩が誰かと交際をしているという話は聞いたことがない。学園以外にいたとしても噂ぐらいになるはずだ。


 もし久代先輩が恋愛に興味がないと言うならば。告白したとしても確実な玉砕になる。でもそれならそれでいいかもしれない。自分が嫌われているわけではなく、ただ興味がないというだけだ、あきらめもすぐにつくだろう……まぁ、ちょっと悲しいけどね。好きな人に振られるっていうのは。


 まだ自分は今まで誰かに告白したことはなく、恋人と呼べる人もできたことはない。告白したいと思うほどの恋もしたことはなかった。

 だが久代先輩のことは大好きなのだ。この恋に良くも悪くも終止符を打つんだ……って意気込んだはいいけど、本当に打てるかなぁ。

 急に自信がなくなり、ヒカリは静かにため息をついた。


「おまたせしました」


 トレイに大量の重なる肉皿を積んだエプロン姿の男性店員がオーダーした物を運んできてくれた。ソウタが「待ってましたぁ」とばかりに積まれた十人前の肉皿を受け取り、満面の笑みを浮かべる。


「ひゃあ、今日もうまそう! やったぁ」


 目の前の肉たちを前にして明らかにテンションが上がったソウタを見て、自分も店員もつられて笑った。


「まだお持ちする物がたくさんありますので、テーブル上を空けておいて下さいね」


 常連となっている自分たちの接客慣れをしている男性店員はそう言い、店の奥へと離れていった。ほんの少ししたら再びトレイに大量の注文の品を持ってくることだろう。


「ヒカリ、早く焼こうぜっ」


「はいはい、あ、適当にやんないでよ? 野菜のスペースも作って」


 ソウタがやると網の上は一面肉だらけとなってしまうので。野菜が運ばれてくる前にしっかりと釘を差しておく。

 気をつけないとソウタは肉しか食べないことがある。いくらガッツリ食べたいからといっても、それでは身体に良くないから焼肉屋に来た時は、なるべく栄養管理をしているのだ。


 ソウタには「オレの母ちゃんか」なんて言われることもあるけど。でも野菜を勝手にソウタの皿に野菜を取り分けたりしても、ソウタは「げぇ」と苦い顔はしても怒ったりはしない。


 ソウタとはそんな気を使うことがない間柄だ。中学で出会ってから、席が隣通しで忘れ物の貸し借りから始まり。仲良くなって今もこうしてよく焼肉を食べるし、外出もよくする。いつもそばにいる一番仲の良い存在。


 けれど知らないというか、話を聞いたことがないこともあるな、と。

 ヒカリは先程のソウタの話を聞いて――今、なんとなく思いついた。


「そういえば、さ」


 今度はヒカリがそう声に出し、視線をソウタに向けた。ソウタは肉に夢中になっていたがこちらの視線に気づくと「どうした?」と肉を焼きながら答えた。


「ソウタこそさ、今まで誰とも付き合ったとか、そんな話ないよね?」


「え――」


 ソウタの肉を動かす菜箸の手がピタッと止まった。


「あ、いや、急にそう思っただけなんだけど。実はさ、ソウタこそ恋愛に興味なかったりする、のかなぁなんて」


 その思いつきは、よくよく考えると不思議だなと思った。今までソウタと一緒にいる時間は他の友人に比べたらずっと長いのに。彼の恋愛事情とか好みの相手とか、そういう話題になったことがなかった。


 その話題を話すのはいつも自分だけだ。自分はなんとなくの流れで「久代先輩が好きなんだ」という話題になってしまい、その時からソウタに事情を知られているけれど。


 ソウタは好きな人はいないの?


 たずねてみようかと口を開きかけたが、やめた。なぜならソウタから表情が消えていたからだ。いつもニヤニヤしたお調子者の表情が嘘のように何かを考え込んでいるのか。それとも何も考えていないのか、難しい顔をしている。


 そんなソウタを見るのは初めてで、ヒカリは内心で驚いた。聞いてはいけなかっただろうか、そんな罪悪感を抱いていると。


「あぁ、ソウタっ。肉、焦げる」


「ん、わぁっ!!」


 ヒカリが網の上で音を立てる肉を指し示すと、ソウタは我に返ったように菜箸で肉をひっくり返し始めた。

 再び時が動き出すと、ソウタの表情もやわらかくなっていた。


「あぁ、もう。ヒカリが変なこと言うからぁ」


「ごめん」


 ソウタは慌てた様子で並んだ肉の世話をしていく。焦がしたらせっかくの肉が台無しになってしまうのだ。肉は大事に焼き、油を落とし切らないようにしなければならないのだ、と。目の前の焼肉番長は以前語っていたことがあるが、また今もブツブツ語っている。


 だからそんな話をしている間はない、この話はもう終わりだろうな。

 そう思っていた時だ。


「ヒカリ」


 肉をしっかり見据えながらソウタが名前を呼んだ。なに、と視線を向けると。

 彼はかすかに笑っていた。


「オレも決めたわ。今、決めた。卒業式に、告白してみる」


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