第16話 神頼み

 明日だ。明日は卒業式だ。もう一日、あと一日。何か起こしたり、考えたりできるのは今日しかないのだ。


 けれど自分の心が暴風雨で海が荒れている状態のように落ち着かないことになっていて、それは度重なる出来事のせいだとは思っている。夜もろくに眠れなかったから今日の授業が眠くてたまらなかった。


 卒業式の日に告白をしようと思っていた久代先輩からの、まさかの先に言われてしまった告白。

 そんな久代先輩を好きだという瀬戸川先輩からの今夜の果たし合い。

 親友のソウタからのキス。


 いや、ソウタの件は――ただのバツゲームに似たようなことだ。本人も「練習」なんて言っていたから。きっと今後のことを考えての練習ということなのだろうけど……というか今後ってなんだ、なんで練習なんて必要だったんだ。

 なんでキスなんか、してきたんだ。


 休み時間に声をかけようと思っていた。しかしチャイムが鳴るとソウタはすぐにどこかに行ってしまい、話すタイミングがずっとつかめないまま。こうして放課後となってしまった。


 授業中には少し離れた斜め前に座っているソウタの横顔をジッと見ている自分がいた。なんでもない、いつもの親友の顔。ただ今日は見ていると胸がグッと押さえられたように苦しくなる。

 それは嬉しいような切ないような。久代先輩を見た時に湧き上がる衝動のようなものと、似ていたような気もする。


 違う違う、あれはソウタだ。違うよ、俺。


 そんな感情が湧き上がるたびに自分にそう言い聞かせ、心を落ち着かせようとした。授業中にそわそわとしていたものだから、何度か担任に鋭い視線を向けられたのは言うまでもない。


 ソウタのせいだ、あんなことするから。


 文句を言ってやろうと思い、やっとタイミングを見出したヒカリは荷物をまとめているソウタの元へ足早に近づいた。

 近づいてきた自分に気づいたソウタは「おっ」と声を発した。


「ソウタっ、あのさ……あれ、どっか行くの?」


 ヒカリが声をかけると同時に、ソウタは手提げのスクールバッグをひょいと肩に担いだ。


「あぁ、このあとは部活の連中と練習したあとにちょっと打ち上げすることになっててさ、夜までいないんだわ。悪いなヒカリ、明日の準備もあんだろうに」


 明日の準備と言われても。特別に何かを準備する必要もない。一番大事な持ち物は自分の気持ちだけだから。


 でも今日はソウタともう会うことがないとわかり、自分の気持ちが残念だと沈むのを感じた。別に何かをしてほしいというわけではないが、一緒にいた方がなんとなく落ち着くから。


「あ、そうだ、ヒカリも神様にお願いしてくれば? あそこ、紀和神社」


「キワジンジャ?」


 それは近所にあり、毎年初詣の時には必ず行っている馴染みのある神社だ。


「オレもさ、今朝お願いしてきたわけ。こうなりゃあとは神頼みでもあるわけだし」


「うーん、そうか、なぁ」


 ヒカリは苦笑いをする。確かにそうではあるけれど神様にお願いするほど重大な事柄であるだろうか、とも思う。


「まぁまぁ、とりあえずは行ってみなって、ほら」


 ソウタは自分のジャケットのポケットに手を入れると何かを手渡してきた。手を出して受け取ると手の中には小さくて冷たい感触を放つ物があった。


「……五円玉」


 ヒカリは自分の手を見ながら首を傾げる。それはまぎれもない五円玉だ。けれど鏡みたいに表面が光っていて実にきれいだ、光を浴びると黄金色に見えるぐらいに。


「オレのとっておきの五円玉。お前の願いのためなら使っていいぞ。ちなみにオレが丹精込めて磨いてきたやつだから」


 ソウタは得意そうに笑うと「じゃ、行くから」とその場を離れようとした。


「ソウタっ」


 慌てて呼び止めるとソウタは「ん?」と振り返ってくれた。


「き、昨日の……あのせいで俺、眠れなかったんだからなっ」


 まさかクラスの中でキスという単語も言えず、ごまかして話したものだから。ソウタは一瞬わからなかったらしく「んあ?」と変な声を出した。

 だがすぐにわかったようでニッと笑った。


「オレは、嬉しかったけど」


「……はっ!?」


「じゃ、行ってきまーす!!」


 再び呼び止める間もなく、ソウタは駆け足で教室から出て行った。

 嬉しかった……その言葉が頭の中で反復しまくり、頬が急激に熱くなる。


「な、なんなんだぁっ……⁉」


 恥ずかしさに頭をかきむしると、教室にいるクラスメートが心配そうに自分に視線を向けていた。





 今日の放課後は一人だなぁ、と。いつも感じるにぎやかさのようなものが物足りない気もしつつ、ヒカリは結局ソウタが言っていた紀和神社を訪れた。


 日が傾き始めている時間帯。西日が赤い鳥居を照らし、境内の白い敷石も夕日のせいでほのかに赤く光っている。

 紀和神社の中はそれほど広くはない。けれど参拝客は地元民や少し遠方の客などがチラホラと訪れている。わりとパワースポットとしては有名なようで紀和神社の絵馬に願いごとを書くと願いが成就すると言われている。


 だから願いごとをしたい時にはもってこいの場所かもしれない。でも自分の身勝手な恋愛成就とか神様に頼んでいいのかなと、変なことに神経質になってしまう。

 そうは思いつつも結局絵馬を買ってしまったのだが。


 境内の売店で絵馬を買ったあと、ヒカリが立ちすくんでいるのは拝殿の横にある絵馬を飾る絵馬掛所だ。穏やかな風に揺らされ、絵馬掛所にかけられているたくさんの絵馬がカラカラと音を立てる。


 ソウタも願いごとをしたと言っていたが、どんな願いを書いたのだろう、気になる。

 だが百枚以上並んでいるだろう無数の絵馬から、たった一人の物を探すのは無理な話だ。

 ソウタのことだ、きっと明日の成功を願ったのだろう。そういえば結局ソウタの告白の相手については聞けずじまいだった。


 明日、その答えがわかるのだろうか。

 そして自分は――。


 ヒカリは絵馬掛所の柱にくくりつけられたペン立てからペンを取ったが、そのまま固まってしまった。

 よくよく考えてみれば、自分の願いごとはもう叶っているではないか。告白しようと思っていた久代先輩からはすでに告白され、明日その返事をすることになっているのだから。

 その前に瀬戸川先輩と一悶着はあるとしても。


 ヒカリは並んだ絵馬の揺れを眺めながら、どうしようかと考える。かけられている絵馬には、たくさんの願いごとがしたためられている。

 恋が成就しますように。勉強ができますように。家族が健康でありますように。

 大好きなあの人が幸せでありますように。


 他の人の書いた願いごとを見ていて、ヒカリは思いついた。その途端に、ペンはスラスラと絵馬の上を走り、ある願いごとをくっきりと書いていた。


「これでいいかな」


 我ながらいい願いごとじゃないかな、と自画自賛してしまった。これなら全然、後ろめたくもない。むしろ叶ってほしいと思う。

 だって今までずっと。あいつは俺を支えてくれたんだから。俺の毎日も、恋のこともずっと。


 ヒカリは絵馬を絵馬掛所にかけ、両手を合わせて目を閉じた。

 そしてもう一ヶ所――拝殿の方まで歩き、賽銭箱の前まで来ると、拝殿に向かって礼をした。


「お賽銭は……」


 ジャケットのポケットに手を入れ、ヒカリは先程ソウタにもらった五円玉を手に取った。見事なまでに光り輝く五円玉。その製造年月日は偶然にも自分やソウタの生まれ年だ。

 ソウタはとっておきだ、と言っていたが。なぜこれがとっておきなんだろうと思う。


 ん、ちょっと待って、これは。


 生まれ年の五円玉。よく見ればふちの部分に三本の傷が入っている。どこかで見たことがあるかもしれない。


 ヒカリは五円玉を眺めながら記憶をたどる。神様がお賽銭を催促しないうちに、と思いながら。

 五円玉、五円玉……ソウタと五円玉。

 五円玉って自分も昔、持っていたよな。


『お前って、毎日が幸せか?』


 ヒカリの脳裏で誰かがつぶやく。それはヒカリの記憶の奥底にある声だった。


『ソウタは、幸せじゃないの?』


『オレはロクなことがない……毎日、つまらないよ』


『じゃあ俺の良いものあげるよ』


『なにそれ……五円?』


『そっ、俺の生まれ年の五円玉。結構、ご利益あると思うんだけど。友達祝いにあげる。好きに使っていいよ。だからつまんないとか、そんなこと言わないでよ。ね、ソウタ』


 五円玉を受け取った相手は『本当かな』と苦笑いを浮かべていた。


 それを受け取ったあとに変化があったのか、自分にはわからない。

 けれど彼は、よく笑うようになった気がする。明るく、陽気な今のソウタに――。


 思い出した。そうだ、この五円玉は自分がまだ知り合ったばかりのソウタにあげた物だ。あの時よりも輝きが増しているのは、ソウタが大事に磨いたからだろう。変化しすぎて気づかなかったが、これは自分が父からもらった大事な物なのだ。まだ持ってくれていたなんて。

 

 そんな硬貨、使えないじゃんか。


 ヒカリは別の五円玉を財布から取り出すと賽銭箱に投げ入れた。

 そして絵馬に書いた願いごとを心の中で願う。大事な親友のための願いを。


“ソウタが幸せになりますように”

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