第15話 キスも練習なのか
ソウタの言っていた風呂とは、昨日の焼肉屋に続き、よく一緒に行く銭湯のことだ。
これも学園から近くにあり、歩いて十分ぐらいで行くことができる。放課後に寄ることも多いが休みの日でも、なんとなく大きなお風呂に入りたい時は訪れたりもする。
ソウタいわく「気分が優れない時はでっかい風呂で足を伸ばすに限る」だそうだ。ということは、ソウタは今の気分が良くないのだろうか。
「ラッキー、見ろよヒカリ、だぁれもいないぞ!」
ヒカリの心配もよそに。ソウタはコインロッカーの並ぶ脱衣場から湯気立ち上る無人の大浴場をガラス戸ごしに見てテンションマックスである。銭湯で他に客がいない貸し切り状態は、ソウタにとっては嬉しい環境らしい。
「ヒカリ、誰もいないから泳ごうぜ」
「お風呂で泳いじゃダメでしょ」
「あ、それよりサウナでも入るか。明後日のために身を引き締めとけよ」
それは文字通りの『身を引き締める』ということになりそうだけど。
はいはい、とそれは適当に受け流し、コインロッカーに脱いだ制服を詰めていく。ジャケットはシワにならないように軽くたたみ、シャツ、ズボンは簡単に。サウナに入るから一応腰に巻くタオルを――と準備をしていると、ふと隣のソウタに目がいく。
すでに服を脱ぎ終わっていたソウタは腰に白いタオルだけ巻き、コインロッカーの鍵を手首にかけて準備万端だった。
いつもながら準備早いなぁと思う。いつもだったら、そう思うだけだ。
けれどこの日は、なぜかソウタをジッと見つめてしまう自分がいた。自分よりも恵まれた筋肉のついた腕、しまった腹部、焼けた肌。久代先輩ほどではないけど自分より位置の高い肩。
そして初めて見た時は少し驚いたけれど、ソウタの腕や腹には細い何かで切ったような傷痕がある。一本か二本ではない、何本かの線のような傷痕。ソウタは木の枝に小さい頃から引っかけまくった、と言っていた。
見慣れているはずのソウタ、であるはずなのに――ソウタって背が伸びたな、とか。ソウタはこんなに体格がよかったんだなとか。身体の線が不思議と気になって集中して見てしまう。
いつもと何かが違うのだろうかと考えてみるが、おかしい部分は何もないはず。でも気になるこの感じは、雰囲気は……一体なんだろう。ソウタの何が気になるんだろう。
色々なことに呆然としていると、こちらの視線に気づいたソウタが「ん?」と首を傾げた。
「どうしたよ、早く行こう」
「あ、うん、ごめん」
気を取り直して服を片付け、浴室へのガラス戸を開けたソウタのあとに続く。温かい湿気の匂いが鼻を通り抜けた。
上がり湯をかけてから、ソウタが大浴場を通り抜けて颯爽と向かったのは一見、木箱に見えるサウナルームだ。あまり広くはないので大人は最大でも五人ほどしか入れないが今は貸し切りなのでゆったりと使える。でも暑いから長居はできないだろうけど。
「よっしゃ、今日こそは長く耐え忍べよ。いつもヒカリは五分も持たないんだから」
「うーん、頑張るけどさぁ」
ソウタは両腕を大きく回し、気合い充分といった感じだ。
かくいう自分は頑張るとは言ったものの、あまり自信はなかったりする。いつも五分で根を上げて水風呂に向かうので、ソウタに文句を言われているのだ。
今日ぐらいは自分を引き締める意味でも頑張ろうかな。何か自分を奮い立たせる目標みたいなものがないかな、と考える。
そしてソウタを見て「そうだ」と、ひらめいた。
「ねぇソウタ。今日はちょっとした勝負してよ。俺が五分耐えたら俺の質問に答えるっていうのは? 五分ごとに一つ」
それはソウタに関することを聞き出したいと思っていた自分の興味でもある。例えば昨日の一件のこと――彼の好きな人についてなど全く情報がないから。
ソウタは「えぇー」と渋っていたが、ほんの少ししたら「まぁいいか」と乗り気になっていた。
チャンスだ、と。ヒカリはバレないように笑った。だが交換条件というのは自分にも返ってくるものである。
「じゃあオレは、ヒカリがオレから三点奪取できなかったら、なんか条件頼もっかなー」
「なんだよそれ、先に条件言わないとずるいじゃん」
「出したい条件がすぐに思いつかないんだよ」
抗議をしたが「いこいこ」と背中を押されてしまう。ソウタが唯一の出入り口である木のドアを開けた途端、サウナルームの中から高温の熱気が溢れ、二人で「うへぇ」と声を上げた。
サウナルームの温度は気温計が八十度を指している。中は壁にそった木製の長イスだけが用意され、あとは木箱の内部といった感じだ。熱された檜の香りが充満している。
ヒカリはソウタと並んで座り、熱気に目を閉じて耐えることにした。本当なら息もあまりしたくない、でも息はしないと死んでしまう。息をすると熱気が気道を通って余計に身体が熱くなる。
先程、ソウタが言っていた三点奪取とは五分で質問一つを三回やってみせろ、ということだ。できなければソウタの勝ちだ、耐えなければ。
「……あっちぃ」
そう言いながらソウタが「へぇぇ」と息を吐く。すでに二人共、全身に汗の玉が浮かびまくっている。身体が涼しい場所に行きたがっているが「自分頑張れ」と喝を入れた。
そうしていたら嬉しいことに、サウナルームにある時計が五分の経過を表していた。
「……うぉ、ヒカリが五分耐えたぁ」
隣のソウタが見直したようにつぶやく。五分経過したということは一つ質問ができるのだ、やった、まずは一つ目だ。
昨日から気になっていたことを聞きたい。でも直球な質問では答えづらいだろうから、ちょっとオブラートに包んで。
「じゃあまず、ソウタの好きな人って、どんな人?」
それを聞くとソウタは「それかぁ」と、くるのがわかっていたように笑っていた。
「そうだなぁ、一言で言えば完璧なヤツ」
「か、完璧っ?」
暑さで朦朧としていた意識が、その一言にハッとなる。完璧というのはどういう意味だろう、そんな人が身近にいたかな。自分にとって完璧な人物は久代先輩だけど。
「それ以上は言わない、また五分耐えたらなっ」
「……短い、ずるい」
ここから先はきついかも。けれど気になるから頑張らなければ。
滴る汗。表現するなら、むーん、とする空気。そんな中でソウタは「ひぃ、ふぅ」と言ってはいるが、まだ余裕があるようだ。自分は言葉を発しないまま、歯を食いしばるだけ。熱気で目が痛いよ。
そしてなんとかまた五分が経過した。
「おー、今日はヒカリも頑張るねぇ」
頭がボーッとする。聞きたいことがあるのになんて聞いたらいいのかわからず、思いつく言葉だけしか口にできない。
「な、なんで、好きになったのさ」
目を閉じながらしゃべっているので、ソウタがどんな表情をしているかわからない。それに自分も何を聞いているのか、よく理解ができていない。それでもソウタは、しっかり答えてくれる。
「楽しくなったんだよ、そいつと出会って好きになってから、中学から今まで」
「そうなんだ……」
聞いている、つもりだ。なんとかソウタの言葉を記憶にとどめようと頭の奥が頑張っている。
もっと聞きたい、気になる、教えて。
だがソウタは無情にも「次はまた五分耐えたらな」と言った。
頑張ろうと思ったけど、やはり無謀だったようで。気づけば自分は脱衣場の長イスに寝転がり、そばには扇風機が置かれて風を送られていた。
まだ身体が熱いからそう時間は経っていないと思う。ソウタがここに運んできてくれたのだろう。
悪いことしたな……水風呂に入りたいなぁ。
そんなことを考えながら、ぼんやり薄目を開けていると隣にソウタが寄ってきた。
ソウタは何も言わない、もしかして自分が起きたことに気づいていないのかもしれない。
ソウタがもっと近くに来る。顔が近づき、覗き込まれている。
どうしたんだろう、ソウタ……。
ソウタの手が自分の頭の横に――長イスの上に置かれる。顔がもっと近づいてくる、ソウタの影が自分を覆う。
その圧迫感に、思わず目を閉じると――。
(……アツイ)
唇に何かが触れる、ものすごく熱い何か。サウナで温まったおかげ、なのだろうか。
そして震えている。戸惑うように吐かれる彼のかすかな息が自分の頬に当たる。
アツくてやわらかい、初めて感じる、何かが唇に触れる――これは唇を重ねる感触?
ソウタ、なんで。
「……さっきの条件」
ヒカリの疑問に答えるように。唇を離したソウタは息のかかる距離でささやく。
さっきの条件。それは先程のサウナでの耐久戦のことか。自分が負けたから、ソウタからの条件が出される、ということだが。
「……これは練習だと思ってくれよ。だって、お前は人のモンになっちまう。もうお前とこんなふうに触れ合うことはできないだろうから、さ」
そう言ってソウタは離れた。ソウタの影が遠ざかると閉じていたまぶたの世界が明るくなった。
自分がまだ寝ていると思っていたのだろうか、ソウタは再び大浴場に向かったようだ。
横になりながらヒカリは目を開ける。大浴場からはお湯が流れる音がする。
胸がドキドキする、今まで感じたことがないぐらいに。サウナで熱いはずの身体なのに、サウナの高温よりも胸が、頭が熱くなる。
ソウタにキスされてしまった。
なんでだろう、わからない。
どうしよう――とりあえず。
「……み、水風呂行こ」
この熱すぎる身体を冷まそうと思った。
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