第14話 離れても大丈夫
お前って突拍子もない決断はする時あるよなと。たまにソウタに言われることがある。そう言われても自覚はないのだけれど。
考えるよりも、こうしたい、こうしなきゃ、という決断の時は選ぶのが早いのかもしれない。
そういうのって、どんな時なのかな……。
「……ヒーカーリー?」
「うわぁぁぁっ⁉」
非常に近くから聞こえた低い呼び声に絶叫する。見ればおでこがくっつきそうな距離に誰かがいて、間近に茶色い瞳があった。誰だか一瞬わからなかったが、へへへとイタズラっぽく笑うその様子を見せるのは自分の知る限りは一人だけだ。
「ソ、ソウタっ! 何してるんだよっ!」
心臓が停止したかと思った。だが自分の頭が相手はソウタだから安心して大丈夫だよ〜と判断して心臓は順調に動き、ヒカリは一歩後ろに退いてから胸をなで下ろした。
「なんだよー、人を化け物みたいに」
大声を出したのが気に障ったのかソウタの口が尖る。そりゃ予期せぬ時に前にいればさ……。
ちょうど交代になったばかりのようで先程ソウタを見てはしゃいでいた陸上部の後輩たちは、すでに校庭に出ていた。
ソウタは水飲み場で水分補給をしたあとなのか、口元を首にかけたタオルで拭いながら「まぁ、向こうに座ろうぜ」と言い、校舎の端の段になった場所に一緒に腰を下ろした。
「んで、なんかあったのか?」
座ってすぐのこと。ソウタがそう言ってきたので、ヒカリは目を見開いて彼を見た。まだ顔を合わせて一分も経っていないというのに、なんですぐにわかるのだろう、さすが親友と言うべきか。
真剣なソウタの眼差しを見返し、動揺してしまう自分がいる。言った方がいいのか、瀬戸川先輩に挑戦状突きつけられたから、やっぱり告白ダメかもって。またまた、決断が揺らいだことを言ったら……うん、怒るよな。
親友を見ながら何も言えないでいると。ソウタは呆れたのか、先に視線をそらした。そして地面を見ながらふぅっと息をついた。
「また迷ってるだろ」
図星をつかれる。さすがだね、と感心することではないけど感心してしまう。今度は自分の方が後ろめたくなり、ソウタから視線を外したのだが。
「ヒカリ」
少し怒気のこもった声が、ちゃんとこっちを見ろ、と訴えている。ゆっくりそちらに視線を向けるとソウタの視線とぶつかった。
「ちゃんと決めたんだろ。卒業式の日に告白するんだって。お前は久代先輩が好きなんだろ。その気持ちはそんなすぐに揺らいじまう、その程度のものなのか」
ソウタは一度、深呼吸をしてから言った。
「お前の決断だろ?」
そう断言されてしまったら「そうだね」と小さく返すしかない。ソウタの言う通り、他の誰でもない自分が決めたことなのだ。
「ヒカリはいつも決断して迷うけど、それって一歩出遅れたらさ、もう取り返しがつかないことになるかもって、そう思わないか」
ソウタの言葉にうなずく。何かを言い返したい気持ちはあるのに全くもって言う通りだから、ぐうの音も出ない。
そんなことはわかっている、わかっているんだ。でも選択するのが怖いんだ。選択を誤ったり、そのせいで起きるかもしれない影響を考えると、やっぱり怖いんだ。
「ヒカリ、選んだあとのことなんか誰も知らないんだよ」
自分の心の声が聞こえたかのようにソウタが言った。
「そりゃお前が選んだ決断によって誰かしらは気持ちが沈むかもしれない。けどさ、それはみんな同じだし。沈んだら沈んだで、また何かのきっかけで浮かび上がるもんだ。ほんのささいなことで人間なんて幸せを感じられるもんだ……オレがお前のナポリタン食って、幸せだなぁって思うみたいにさ」
ソウタはニッと笑った。
「選択に正解も間違いもないし、間違えたって恥ずかしいことじゃない、大丈夫だ。オレなんか、さっきフライングしたまま一周走ったんだぞ」
「……それ、陸上部員としてありえなくない?」
「ちょっとボーッとしてたんだっ」
だからさ、と。ソウタは手を振り上げ、背中を思い切り、バシィッと叩いてきた……痛い。
「間違うなんて怖かないの。そのあとにグチグチ顧問やメンバーに言われるけど大したことじゃない。決めたことが変なことになったって、それはそれでなんとかなんの。だから自分の決断に自信持て、これがいいんだって決めろよ」
「……うん」
ソウタからの精一杯の励ましだ。思いつく限りの言葉で自分を応援してくれているのがわかる。
ソウタはいつでも、そうだから。
「なんか、カッコイイ、ソウタ」
「今更気づいたか」
ヒカリが褒めると、ソウタは「へへ〜」と嬉しそうに笑った。だが何かに気づいたのか、校舎の壁にかかる時計に目をやると「ハァッ⁉」と声を上げた。
「休憩時間終わってるし!」
見れば陸上部員は校庭から姿を消していた、どうやら別の場所に移動してしまったあとらしい。
また顧問にグチグチ言われる、と慌てたソウタは立ち上がるや駆け出していた――が、三メートルほど走ったところでザッと砂を蹴って立ち止まり、ヒカリの方を向く。
「ヒカリっ‼」
「んっ?」
「あとで風呂行こう!」
そう言うとソウタはまた駆け出し、消えた陸上部員を探して去っていった。
「風呂、ねぇ」
いきなりか、とヒカリは苦笑する。その場所に座ったまま、誰もいない空間に向かって「わかった」と独り言をつぶやいてから校庭を眺めた。
今度はサッカー部が校庭を使用するようで、ゼッケンをつけた部員達が続々と増えていき、コートの中に拡がっていく。そのメンバーの中には当たり前だが三年生の姿はない。
三年生は全員が明後日には学園を去っていくのだ。人数が以前より少なくなったサッカー部を見ているとそれを痛感する。
「さびしいな」
卒業式は久代先輩に会えるラストチャンス。想いに応えなかったら、もう今後会うことはないかもしれない……ならば答えは。
ソウタに言われたことを考え、ヒカリは「決めなきゃね」と気持ちを、あらためて引き締める。
そしていつも助けてくれる、地面に残ったソウタの足跡を見ていたら、自然と「ありがとうね」という言葉を口にしていた。
あの中学二年の修学旅行の時もソウタは自分を助けてくれた。
結局、方向音痴能力を炸裂させて道に迷い、ソウタとはぐれてしまったのだ。
見知らぬ真っ直ぐに伸びただけの神社の境内で右往左往している自分の元へ、真っ直ぐに駆けつけてくれる彼の姿が見えた。
その足の速さは五円玉をキャッチしてくれた時と同じでものすごく速くて、たどり着いたのに息も乱れていなくて。その走りを見てカッコイイと思う一方で、ソウタが来てくれて安心したという思いで、嬉しくて笑ってしまって。
『ごめんね、ソウタ……やっぱり迷っちゃったでしょ』
ヒカリがそう言うとソウタは手に持っていた携帯電話をヒラヒラと揺らした。
『アプリ、入れといてよかったな』
それはソウタからの提案だった。修学旅行先に移動する道中、自分たちが離れ離れになってしまったら大変だということで。お互いに位置情報を知らせるアプリを入れておいた。
オンにしておけば定期的に相手の場所を知らせてくれる方向音痴には崇高なアプリだ。
これなら、 どんなことがあってもソウタが駆けつけてくれる。
それに安心しきっていたせいか、修学旅行中に五回も六回もソウタと離れて道に迷ってしまって。さすがに六回目には『手綱でもつけとく?』とソウタに冗談めいたことを言われ、苦笑いで返すしかなかった。
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