第13話 君がいい

 学校が終わり、友人たちと「じゃあまた明日」と毎度おなじみの挨拶をして、ヒカリは家への帰り道を歩いていた。


 今日も来なかったな、あの鉛筆は一体いつ返すことができるのかな。そんなことを考えながら、ヒカリは手の中にある五円玉を指先でいじっている。


 この五円玉は自分の生まれ年の五円玉だ。幼い頃、亡くなった父に肩を叩いたお駄賃としてもらったという思い出のある品で、なんとなく使えなくてずっと持っている。意図的に誰かがつけたのかわからないが、ふちに三本線の傷が入っているのが特徴だ。

 ちょっと錆びついてはいるけど、自分にとってのお守り代わり。心がモヤモヤする時とかこれに触れていると落ち着く気がして、また良いことがある気がして、いつもポケットに入れている。


 彼にもう会うことはできないのかな。そう思っていた時、 五円玉を握っていた手が滑ってしまった。

 高い所から落ち、アスファルトの地面にぶつかった五円玉はキィンと高い音を立てて跳ね、あっという間に離れた場所に飛んで行く。

 その先には下水につながる側溝が見えてしまった。


「ヤバっ」


 ヒカリが声を上げた時だった。素早い何かが目の前を通過していった。一瞬何が起きたかわからず、ポカンと口を開け、まばたきを繰り返す。まるでチーターか何か素早い動物が駆け抜けていったような気がしたが。


 今、何が……通っていったの? 恐る恐る視線を横にずらすと。そこには見慣れない人物がいた。

 けれどそれは自分が探していた人物であったのだ。


 思わず手で口を押さえていた。素早く駆けてきたのは、あの彼だった。すごいスピードで走ってきたにも関わらず息を乱してもいない。

 彼はその手につかんだ物を確かめると、こちらを向き、近づいてきた。そしてヒカリに向かって手を差し出した。ヒカリは手の平に乗った五円玉と彼の表情のない顔を見比べる。


 いろんなことに驚いて思考が追いつかず、彼になんて言ったらいいかがわからない。とりあえずそれを受け取り、何か言わなきゃ――とりあえずお礼言わなきゃと気持ちが焦り出す。


 まだ大して話してもいない間柄なのに、こんなに助けてくれたんだから。あ、そうだ、お礼言って、それで……。


「あ――ねぇ、ちょっと待って!」


 彼が何も言わずに去ろうとしたので、慌てて声をかけた。彼は視線を向けて止まってくれた。まだ言いたいことが整理できていないけれど。


「あ、あの、ちょっと待って……」


 言いたかった言葉を頭の中で急いで整理する。

 色々言いたいことがあるんだ、色々……なんで君がそんなに気になるのかわからないけれど、仲良くできるかも、仲良くしたいかもってそんな気がしたんだ。

 だからちょっと待ってて。今、伝えたい言葉を決めるから。


「……あ、あの、その。まずは鉛筆を貸してくれてありがとう。ずっと返そうと思ってたんだけど君が学校に来ないから」


 彼は「そう」と短く答えたあとで「別にいいよ」と言った。

 あぁ、ヤバい、会話が終わっちゃう。


「そ、それに今の走り、すごかった、カッコよかったよ、君は足が速いんだね。ありがとう、俺の大事な物を拾ってくれて」


 ヒカリが手の平の五円玉を見せると、彼は「五円玉が?」と目を少し丸くした。お守り代わりだからと言うと、また「そう」と答えて終わってしまった。

 ダメ、終わらせない、君とのきっかけを、もう少し伸ばしたい。


「だから……君になんかお礼でもしたいなって思うんだけど」


「そんなの、別にいい――じゃあな」


 彼がまたくるりと身体の向きを変えようとしたところで、ヒカリは自分でも気づかないうちに手を伸ばしていた。

 待って、と。彼の腕をつかんでいた。


「お、俺の得意なことで、お礼させてよ!」






 今思うと……怪しいヤツだなと思う。なんだよ、得意なことで恩返しって。

 そう、そのあとは結局、押しかけるみたいにして彼の家に行ったんだ。一軒家に驚いて「広くていいなぁ」と言うと、彼は「よくはないよ」と言った。家族は不在だったらしく、広い家には彼しかいなくて、いきなり押しかけてイヤな思いさせたかなと、ちょっと気になって。


 でも家に連れてきてくれたんだから、そんなにイヤではなかったかなとも思いつつ。キッチンを借りて自分は得意のアレを作った。

 当時、中学生だったけれど母親と二人暮らしであると自分が料理できないと不便で、テレビで見かけて美味しそうだと思って、その料理だけは作れるようにしたのだ。


 材料があまりなかったから、玉ねぎとハムだけの簡単なナポリタン。

 けれどそれを食べた瞬間、彼の無表情だった表情がパァッと変わったのは今でもずっと覚えている。


 それから数日後には、また印象深いことがあった。後日予定されている修学旅行先で街を散策するためのペア決めが行われたのだが、彼はやはり、その話し合いもサボって出ていなかった。


 ペア決めはクジ引きで行われた。生徒はちょうど偶数人。当日も休まなければ誰かがあぶれることはない。それぞれが順番にくじを引き、書かれた数字を見る――それが黒板に書かれていくと、くじを引き終えたあとには、ズラリと生徒の名前が黒板上に並んだ。


 自分の横には、まだあまり見慣れていない名前が書いてあり、一瞬「あれ」と思ったが。それが誰だか思い当たると、嬉しさと不思議さの中間みたいな感じでドキッとした。

 だがそれに気づいた担任が他の生徒がガヤガヤとしている時に、こっそりと話しかけてきたのだ。


「ヒカリ……もしかしたら、お前のペアは参加しないかもしれないから。お前は誰かのペアに混じろう、どこがいい?」


 担任が自分を気づかっているのはわかる。きっと他の生徒からも変な目で見られないよう、当日とかに何気なく自分を他のペアに加えようとしてくれるのだろう。


 彼は来ない……それはなぜ?

 聞こうと思ったが、ヒカリは首を横に振って言い切る。


「先生、大丈夫です。俺は彼がいいんです。そのままにしてください」


 担任は「しかし――」と言葉を濁していたが、自分は意見を変えずに押し切った。


 そして放課後、自分はまた彼の家に押しかけていた。インターホンを押すと完全にシャツにズボンという私服の彼が玄関から現れ、今日が学校であることをまるで知らなかったかのように、彼は「なんでまた……?」と戸惑いを見せていた。


「今度、修学旅行あるでしょ。君が俺と散策のペアになったから、絶対来てほしいんだよ」


 ヒカリの懇願に彼は驚いていた。まばたきを繰り返すと「いや……」と視線を落とした。


「オレは行かない。行ったって意味なんかないし――」


「イヤだ、一緒がいい」


 ヒカリはズイッと前に出ると少し背の高い彼を見上げた。


「俺は、ソウタがいいんだ」


 言ったあとでヒカリは自分で「えっ」と内心で驚く。彼の――ソウタが目を見開く様子を見て、変なことを言ってしまったと感じた。あの、その……と次の言葉が言い出せなくなる。

 今のは自分でも驚きでしかない。


 なぜソウタがいい、なんて言ったんだろ。まだソウタとは鉛筆を借りて返して、まだ数日しか経っていないのに。まだ彼の名前も見慣れても呼び慣れてもいない感じなのに。


 でもなんだろ、一番最初に抱いた怖いという印象が、鉛筆と消しゴムという小さな道具だけで、彼が実はとても優しいんだという印象に変わったからか。

 お礼に作った料理をとてもおいしそうに食べる様子が見ていて嬉しくなったからか。


 何かが自分を選ばせるんだ。

 ソウタがいいって。


「……ソウタ、一緒に行こうよ。俺、実は結構な方向音痴だからすぐに道に迷ったりするんだ。だからいざっていう時は助けてほしいというか」


 そんなカミングアウトをしてみると、困惑していた表情しか見せていなかったソウタがクスッと笑った。いやそこは笑いどころじゃないんだなぁ……自分の方向音痴レベルは地図がまともに見れないはもちろん、よく通る道でも同じ道じゃないと迷うんだから。


「……わかったよ、行く」


 あきれたような、鼻で笑われたような一言。思わず「え?」と聞き返すと「修学旅行」とソウタは言った。


「ホントは行きたくない……でもお前がそう言うなら行く。でもお前が休んだら行かないから」


「や、休まないよ、絶対!」


 嬉しくなって声が上ずってしまった。一緒に修学旅行に行ける、それだけなのに自分の心が大きくはずんでいた。

 だから自分のテンションに合わせてソウタに向かって口走ってしまった。


「また今からナポリタン作ってってもいい?」


 ソウタは嬉しそうに笑ってくれた。

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