第12話 優しい親友?

 ソウタに「心が望むままに」と言われ、再び奮い立たせた気持ちがすでにしょぼくれてしまいそうになっていた。

 ごめんなさい、こんな意志の弱い自分で……と、誰に対してだかわからない謝罪を思い浮かべてしまう。


 いっそ、あきらめた方が楽じゃないか。まだ自分は久代先輩に好意を伝えているわけではない。だから先輩からの告白に対しては「ごめんなさい」と言って、自分の気持ちは隠したままにして。

 そうすれば瀬戸川先輩と変な争いもしなくて済むし。心乱すことなく今までと変わりない生活ができるんじゃないか……あぁ、でも瀬戸川先輩には久代先輩が好きだ、と宣戦布告してしまったから、やはりあとには引けないか。引いても引かなくても土に埋められるかもしれない、うぅ……。


 昼休みの昼食も食べたかわからない。午後の授業、卒業式の予行、帰りのホームルームもやったのか、記憶に残ってはいない。ヒカリの頭の中は明日と明後日のことが巡っていた。


「うぅ、どうしよう」


 何度もそう口にするが結局答えは出ない。重い気持ちを引きずったまま、足が向かっていたのは校庭の校舎に近い場所にある水飲み場だった。

 そこは運動部の部員たちが給水と休憩を兼ねる場所として部活ごとに交代で使用されている。今使用しているのは白い体操着にランニングパンツを履いた陸上部員だ。


 彼らは二チームに分かれて校庭での練習と休憩を順番に取っているようで。今休憩しているチームの面々には見知った人物はいなかった、ということは、だ。


「おっ、次はソウタ先輩が走るみたい」


「あ、見たい見たいっ」


 水飲み場で水分補給をしている休憩中の陸上部員が校庭で練習しているチームを見て声を上げる。


「ソウタ先輩の走るとこ、いつ見てもカッコイイよなぁ」


「三年の先輩にも楽勝だもんね、すごいよ」


 一年生だろうか、走ろうとしている先輩を見て、キャアキャアとはしゃいでいる。

 水飲み場の近くに立つ木の陰になんとなく隠れながら、ヒカリも校庭に視線を向ける。

 そこには真剣な眼差しでトラックのスタートラインに立つ、ソウタの姿があった。


 スターターのホイッスルを合図にソウタと、他のラインに並んでいた部員が一斉に地を蹴り、スタートする。前傾姿勢で前に飛ぶ勢いのその速さは、まさに風みたいだ。瞬く間に移動し、見ているこちらの首もグイッと横を向く。


 ソウタは他の誰よりも前に出ていた。距離はトラック一周だろうが前半だけですでに群を抜いており、三年生全員も後方に残して――ヒカリが深く息を吸って吐き終わる頃には一周してスタートラインに戻ってきていた。


 息もそれほど乱していない余裕な表情。髪をかき上げ、自分の走ったラインを確認している。その姿はいつもふざけたことを言ってばかりの親友とは思えない。


 ……カッコイイ。


 ソウタの走る姿は別に珍しいものじゃない。今まで何度も見ているし、一昨日の夜は風に飛ばされたお金を見事な瞬速でキャッチしてくれたものだ。

 いや、その前にも何度もある。走るソウタの姿はいつもカッコイイ――そしてその時はいつも自分を助けてくれる時だ。


「ひゃあ、やっぱりカッコイイね!」


「ホントホント、ソウタ先輩みたいになりたいなぁー」


 後輩たちが騒いでいるのに感化されたせいか、自分もソウタを見て「本当カッコイイよね」なんて感想を抱いてしまった。確かに普段のソウタを知っているせいか、あんな熱心なソウタを見てしまうとギャップに胸が高鳴ってしまった。

 けれどソウタは、ソウタだ。練習が終われば「腹減ったなぁ」と、いつも通りにヘラヘラするソウタになる。そんな彼と焼肉に行けるのは自分だけの特権だ……多分。


「ソウタ先輩ってさ、面白いし、優しいし。結構モテるんだよな」


「でも先輩、恋人いないって言ってたよ」


「ん〜好きな人もいないのかな」


 初々しい後輩たちはそんな話にキャッキャと花を咲かせている、まるで恋するなんとやらだ。ソウタが後輩からそんな対象になっているなんて知らなかった。でもあんなソウタを見たら、みんな気になってしまうのかもしれない。


 ソウタは面白くて優しい。それは否定しない。

 しかし彼も最初からそうであったわけではない。自分がソウタに出会った時に抱いていた象は『怖い』だったのだから。






 中学二年になり、何人かは見知った顔もあり、その他に新しいメンバーとも仲良くなり、ヒカリの二年生活も順調にスタートした。


 しかし初っ端の授業で自分はやらかした、筆箱を忘れたのだ。学生の必須アイテムであるのに。

 忘れたなら借りる、これしかない。

 だが授業が開始してからそれに気付いてしまい、筆記用具を借りられる人物は今現在、自分の周囲にいる人だけと限定されてしまっている。


 しかも自分は運悪く――いや普段なら好条件なのだが。教室の一番後ろの一番端っこが現在地で、さらに運の悪いことに前に座っている一年生の時からの顔なじみは今日は風邪で休んでしまっている。ということはお願いできるのは右隣しかない。


 だが右隣に座る生徒は最初の自己紹介をするためのホームルームをサボるような、誰かと関わることが面倒なような近寄り難い人物だった。挨拶をしても素っ気なく返してはくれるものの笑いもしないし、話しかけてもこないし。何よりいつも遠くを見ているような、人を遠ざける様子が話しかけづらい。


 聞けば彼は一年生の時からそんな感じで、彼とつるむような人は誰もいないということだ。そうは言っても今の時間はそんな人物にしか助けを求められないのだ。

 だ、大丈夫だ。いきなり蹴飛ばされはしないだろう、とヒカリは意を決し、黒板の前に立つ先生にバレないよう、小声で隣に話しかけた。


「ご、ごめん、あの、鉛筆貸してくれない?」


 声をかけると不機嫌そうに教科書を見ていた視線がチラッとこちらを向いた。形のいい切り揃えた眉、起きている何もかもがつまらないと言わんばかりに引き結ぶ唇が、明らかに近づくなオーラを醸し出している。


 もしかしたらそんなお願いもシカトされるかも、と思っていたが。彼は机上にあった自分のペンケースをいじると中から一本の鉛筆を出してくれた。しっかり透明なキャップを付けられ、先の尖った鉛筆だった。


 ありがとうと小声で話し、それを受け取ると。彼はさらに驚くべきことをした。自らが待っていた消しゴムを手で半分にすると、その半分を自分に差し出したのだ。

 その予想外の行動には驚いてしまった。確かに鉛筆を使うなら消しゴムも必要だ。

 けれどわざわざ自分の物を半分にして貸してくれるなんて。


「……あ、ありがと」


 戸惑いながらもそれを受け取り、頭を下げる。

 彼は何も言わなかった。再びつまらなそうに教科書に目を向けた。

 自分は鉛筆と消しゴムを見つめながら、彼が実はすごく優しいのかもしれないという想像に胸を踊らせてしまった。


 授業が終わり、休憩時間に入って。すぐ隣の人物に再度お礼を言おうと思ったが、他の友人たちに声をかけられ、それに対応している間には――隣に座っていた人物は既にいなくなってしまっていた。彼はよく授業をサボっている。次の授業にはいないかもしれない、もしかしたら、その次にも。


 話がしたいなら彼が学校にいるという時に言わなくては。それは今しかないかもしれない。

 ヒカリは友人たちの会話の途中だったが「トイレ行ってくる」と言って教室を抜け出た。

 休憩時間ということもあり、 廊下には生徒たちが溢れかえっている。右を見ても左を見ても探している人物の姿はすでに見当たらない。


 彼のことを知らない自分は彼の行きそうな場所に全く見当がつかない。

 だから闇雲に学校中を歩き回ってみた。静かそうな場所にいるかもしれないと思って、屋上に行ってみたり、下の中庭に入ってみたり。


 しかし、その日はもう彼に会うことはできなかった。鉛筆は一度持って帰って、またきれいに削って、消しゴムも新しい物を渡そうと思っていたのだが。

 次の日もその翌日も彼は学校に来なかった。大して仲良くもないのに貸してなんて言ったから、イヤな気分になってしまったのだろうか。

 そう思ってちょっと気分が落ち込んでいた。


 だがその数日後の放課後、彼に再び会うことができたのだ。

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